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2001.10.14

親愛なる者へ&Maybe   by 中島みゆき

    風は北向き
    心の中じゃ朝も夜中もいつだって吹雪
    だけど死ぬまで春の服を着るよ
    そうさ寒いとみんな逃げてしまうものね みんなそうさ

    走り続けていなけりゃ倒れちまう
    自転車みたいなこの命転がして
    息はきれぎれ それでも走れ
    走りやめたらガラクタと呼ぶだけだ この世では


          弱気になった人たちは強いビル風に飛ばされる
          私は髪をきつく結いあげて 大きなバッグを持ち直す
          思い出なんか何ひとつ私を助けちゃくれないわ
          私をいつも守ってくれるのはパウダールームの自己暗示

          感情的な顔にならないで誰にも弱味を知られないで
          なんでもないわ私は大丈夫 私は傷つかない
          なんでもないわ私は大丈夫 なんでもないわ私は傷つかない
       
          Maybe 夢見れば Maybe 人生は
          Maybe つらい思いが多くなるけど
          Maybe 夢見ずに Maybe いられない
          Maybe もしかしたら
                 
        

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2001.10.09

虐待連鎖


 人間は、自分を受け入れられないと、子供を愛せません。
 
 子供をかわいく思うかどうかは、自分自身を愛し、受け入れる度合いによります。

 自分をこれでいいと思えるかどうかにあるんです。

                             園田美幸著『私も虐待ママだった』

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2001.10.04

ジャニス・ジョプリン(2)

 「自分を抑えるようになったら私はもうおしまい」

 「常に自分を抑えているよりは、時々だけでも正しくありたい」

 ・・彼女の遺産は計り知れない。
 同時代を生きた中で傑出したシンガーであったというだけでなく、人生に対して断固とした態度で勇敢に挑むそのアプローチによって、ジャニスはあらゆる世代の女性に声と自我と勇気を与えたのである。

 彼女の物語は、パフォーマーであるなしにかかわらず、彼女の後に続いたすべての女性たちに、あらゆることを自分で感じ取り、決して自分を抑えつけずにいることが大切だということを伝えた。


                               ジャン・ユヘルツキー

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ジャニス・ジョプリン(1)

 「私はビートニクになる宿命だった。自分で正しいと思うことしかしたくなかったから」

 「ただ単に自分にそれが可能だからといって、たとえば重役や教師になろうなんて気はさらさらなかった。お金のためだけに働きたくはなかったの。私は自分で素直にやりたいと感じることだけをやっていきたかった」

 「突然、誰かが私をロックンロール・バンドの中に放り込んだの。ミュージシャンたちが私の方に放り込まれたと言うべきかしら。まるでサウンドが背後から私に迫ってくるみたいで、ベースの音に襲われるような気がした。その時に、これしかないって思ったの。他のことはもうやりたくないって。それまで付き合ったどんな男と一緒にいるよりも気持が良かった。そこが問題なのかもしれないけど・・」

 「男連中のひとり」になることだけがジャニスの目標だとコメントする人間は多かったが、実際にはもっと奥深い目標が彼女にはあった。
 性別などに関係なくジャニスは自分自身になりたかったのだし、自分で道を選びたかったのだ。
 他の女性たちのように自分を取り囲む人間関係で自身を定義するのではなく、彼女は職業で自分を定義していた。
 五世代目のテキサス人であるジャニスは、仕事に関してプロテスタント的な価値観をずっと保っていた。

 「仕事があるからこそ生きていられる。だから私は仕事を放り出して誰かの奥さんになる気はないの。それはもう十分経験したし。ほとんどの女性は一人の男性に人生を捧げてて、それはとても美しいことだと思う。私にもそういう男が必要だわ。だらしなくて、いじらしくて、かっこいい男がね。だけどそれだけじゃ物足りないの。猛烈なブギーをステージで歌うことに比べればね」

                               ジャン・ユヘルツキー

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