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2003.06.09

人間の心には無数の扉があって

      人間の心には無数の扉があって、ある扉は、しょっちゅう開かれたり
      閉じたりしているのに別の扉は一生のうちごくわずかしか開かれない、
      ということがあると思う。

      そして、私はこの開かずの扉が何らかのきっかけで開く時に生じる
      「コミュニケーション」こそ、その人にとって、真のコミュニケーション
      ではないかと思うのだ。

      それ は恐ろしい自己発見の瞬間であるかもしれないし、あるいは深い
      喜びの爆発を伴う瞬間であるかもしれない。

      いずれにしても、それはだれか、あるいは何物かに対して、突然
      見えない橋が架かったというような驚きの瞬間であるだろう。
      
      私たちは日常生活でおびただしいコミュニケーションの網目の中に
      生きながら、実はそういう瞬間のために生きているのではなかろうか。
  
                      『青き麦萌ゆ』大岡信(中央公論社)

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2003.06.08

ジャンムージャン神父の言葉

     ぼくは、自分が脳死となったら、もう延命の治療はやめて、自分の臓器で他人の命を
     救う道を選ぶね。
     インドのある地方では、カトリックの司教団が、臓器提供の登録をしているよ。
     臓器の遺贈は、キリスト教の愛の行為だという自覚にもとずいてね。
     
     臓器移植という治療法は、最高の治療法じゃないかもしれないね。
     ずっと未来にはね、人口臓器ができて、心臓でも肝臓でも腎臓でも、機械で置き換えら
     れるかもしれないね。
     でも、人間の能力には限りがあるから、神様の作った臓器と同じものは永久にできない
     と思うね。
     心臓や肝臓や腎臓など神の作った傑作中の傑作でね、これは脳死者から移植するのが
     最高だと思うね。

     いろいろな議論はあるけどね、脳死は死だとぼくは、ぼくだけは思うよ。
     だから脳死となって霊魂のはなれたぼくの肉体は完全な死体ね。
     ぼくは死体には興味がない。
     だって死んだあと霊魂は天国へ行き、死体には残ってないもの。
     霊魂のない肉体は神様にお返ししたい、
     だから、それで誰かの命を救えるならば、素晴らしいことだと思うよ。

                    『生きている心臓』加賀乙彦著 講談社

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死を恐れる人は


     死を恐れる人は生命力の強い人でしょう。
     もともと楽天的な人だったでしょう。

                『生きている心臓』加賀乙彦著 講談社 

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2003.06.02

野を越え 山を越え


      野を越え
       山を越え
      迷いに迷いを重ね後
      広野に出るが
      そこはまた
      広すぎて
      いくばくもなく
      再び迷路に
      入る
 
                             ゲーテ

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