映画『コンクリート』について
5月5日に来た1通のメールを読んで、映画『コンクリート』のことを知った。
このメールに気がついたのは、昨日6日で、すでに公開中止、公式HPも
閉鎖されていた。
「コンクリート」に抗議相次ぎ、公開中止
多くの抗議を受け、『コンクリート』上映中止へ
この映画のスタッフを見ると、なんと知り合いが二人も関わっている。
いろんな意味で他人事ではない。
いったい、なぜ、こんなことになってしまったのか・・・いろんなHPやBBSを見まくった。
ここに至った経過としては・・・
2ちゃんねら~の中で、この映画の上映に不快感や怒りをもつ人々がいて、それに
賛同する2ちゃんねら~たちが抗議の声を挙げた。
そして、制作会社や公開予定劇場、監督のHPなどに抗議が殺到。公開中止となっ
たらしい。
2ちゃんねるを読む限りでは、大手レンタルビデオ会社にもこの作品を取り扱わないよう
働きかけているようだ。
これらの動きを知って、単純に思ったことは・・・
★なぜ、誰も作品を見もしないうちから、公開反対の声がこれほど上がってしまったの
だろうか?
★なぜ、制作会社はこれほど簡単に、公開中止を決めてしまったのだろうか?
前者に関しては、まずは良きにつけ悪しきにつけ「スゴイなぁ」と思ってしまった。
良い意味で・・・他に無関心といわれる今の若者の中にも「嫌なものは嫌」とちゃんと
言える人たちもいて、それがひとつの組織(会社)を(公開中止に)動かしてしまった
という事実に、なにかホッとするものがあった。
悪い意味で・・・映画を見もしないうちから「悪」と決め付け、公開中止に追い込む。これ
は表現の自由を奪うことであり、恐ろしいことだと思う。
上記のことは、あくまで作品公開に関して「起こった事実」への感想。
作品内容がどうなのかは、実際に見ない限りは、何も言えない。
そういう意味では、見たかった。
(作品を肯定するにも否定するにも見ないことには言ってはいけない、と私個人は思って
いるので)
脚本家の立場から見て・・・
作品を書くということは、世の中の不特定多数の人々に自分の考えや思いを表明すること
であり、とても覚悟のいることです。見た人の数だけ、いろんな意見がある。
当然、厳しく見る人も多数いる。そんな人たちから、どんなに作品を否定され、罵倒され、
酷評されても、「自分が描きたかったもの」に確たる信念を持っていなければ(制作側の
制作意図が揺らいでいるような作品では)潰されてしまう。
それほど、「表現」するということは厳しいことなんです。
もちろん、映画でもテレビでも1本の作品を作るのに、多くの人が関わり、いろんな制約がある。
ある部分では妥協も必要になってくる。
しかし、どんな制約や妥協があり、どんなに作品のカラーが変わろうと「自分が描きた
かったもの」だけは絶対に妥協してはいけないと思う。
そんな同業者の立場から見て、映画『コンクリート』を公開中止にしてしまったこと、さらに
公式HPまでも閉鎖してしまったことは、作る側に批判に対抗できるような信念がなかった・・・
と思われても仕方がないと思う。
公式HPの解説に書いてあることに信念があるのなら、ぜひ、批判の声に尻尾を巻かないで、
堂々と公開すればいいと思うのだけど・・・。
【参考:関連URL】
映画『コンクリート』公式サイト(ミラーサイトです)
映画『コンクリート』作品紹介
超映画批評(実際に試写を見た人の感想)
女子高生コンクリ詰め殺人関連ページ
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1083150907/l50
http://off.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1082529758
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