« 3月の雪 | トップページ | 映画『オール・アバウト・マイ・マザー』 »

2005.03.08

「生ましめんかな」

3月6日、詩人の栗原貞子さん(92)が亡くなられたそうだ。


  こわれたビルディングの地下室の夜だった
  原子爆弾の負傷者たちは
  ローソク一本ない暗い地下室を
  うずめて、いっぱいだった。
  生ぐさい血の匂い、死臭。
  汗くさい人いきれ、うめきごえ
  その中から不思議な声が聞こえて来た。
  「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
  この地獄の底のような地下室で
  今、若い女が産気づいているのだ。

  マッチ一本ないくらがりで
  どうしたらいいのだろう
  人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
  と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
  と言ったのは
  さっきまでうめいていた重傷者だ。
  かくてくらがりの地獄の底で
  新しい生命は生まれた。
  かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
  生ましめんかな
  生ましめんかな
  己が命捨つとも
                 栗原貞子「生ましめんかな」


この詩を初めて読んだのは、京都で障害者歯科の仕事をしていた頃だった。
新聞の片隅に、この詩があった。
読んだ途端、いろいな情景、さまざまな思いがこみ上げてきて、私の目から涙がこぼれていた。

すべてを破壊する「戦争」という愚行。
犠牲者はいつも名も無き民。
しかし、そんな中でもちゃんと繰り返される命の連鎖。
命への慈しみ。
女でなければ書けなかった詩・・・

その詩を切り取って、診療所の自分のデスクの下に挟んでいた。
5年余勤めたその仕事を辞めた時、その詩の切り抜きを持ち帰ったはずなのに、いつの間にか行方不明に。
でも、その詩は今でも私の心からは消えていない。

正直言って、私はその詩の作者の名前はほとんど覚えてなかった。
なので、栗原さんが原爆詩人として著名な方で、反戦運動を続けておられたとは知らなかった。

 栗原貞子:広島市生まれ。戦時中から反戦詩を創作。45年8月、広島市の自宅で被爆。救援活動に従事し、見聞きした状況を作品にまとめた。46年に詩集「黒い卵」を自主出版した際、占領軍の検閲で一部が削除される出来事もあったが、一貫して反戦、反核の姿勢を貫いた。
 被爆直後のビルの地下室で女性が産気付き、重傷の助産師がお産を助けた話を書いた「生ましめんかな」は、海外にも広く紹介された。 「人間の尊厳」「私は広島を証言する」「ヒロシマ・未来風景」などの作品がある。

 ご冥福、心よりお祈りいたします。

|

« 3月の雪 | トップページ | 映画『オール・アバウト・マイ・マザー』 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

これって掲載許可は取られたんですか?
詩も著作物だと思うのですが。

投稿: 通りがかりの者 | 2005.03.23 05:51

掲載許可はとっておりません。
おっしゃる通りです。

掲載するに当たっては、かなり激しく迷い、悩みました。
他の掲載記事、HPも参考にさせていただきました。
その上で、栗原貞子さんの存在とこの詩を「多くの人に知ってもらいたい」というあくまでも個人的な意思で掲載させていただきました。

投稿: ラブママ | 2005.03.23 06:26

ご参考までに

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b7%aa%b8%b6%c4%e7%bb%d2

上記以外にも、検索でヒットした多くのHPを参考にさせていただき、掲載を決めました。

「みんなで渡れば恐くない・・・」とは思っていません。
もし、関係者からのご指摘があれば、きちんと受け止める覚悟をしておりますので。

投稿: ラブママ | 2005.03.23 06:41

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「生ましめんかな」:

« 3月の雪 | トップページ | 映画『オール・アバウト・マイ・マザー』 »