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2005.08.29

映画『スクール・オブ・ロック』

schoolofrock2003年 アメリカ

監督:リチャード・リンクレイター
脚本:マイク・ホワイト

出演:ジャック・ブラック
    ジョーン・キューザック
        マイク・ホワイト




【ストーリー】
 デューイ・フィン(ジャック・ブラック)は燃える反体制ロックン・ローラー
 ロックバンド『ノー・ヴァカンシー』のメンバーだが、過剰な自己主張とパフォーマンスでお客にも、メンバーにも呆れられていた。
 彼は、かつて同じバンドだった親友のネッドの家に同居させてもらっている。しかし、デューイが家賃負担分を支払わないので、ネッドの恋人パティから出て行くよう申し渡された。

 デューイはバンド・バトルで賞金を稼いで家賃を払おうと考えるが、『ノー・ヴァカンシー』のメンバーはデューイをバンドから外してしまう。
 行き詰ったデューイは、ネッド宛にかかってきた代用教員の仕事に目をつける。名門のホレス・グリーン小学校は、週給650ドルの待遇を申し出た。デューイは自分がネッドに成りすまして、金を稼ごうと考える。
 ところが、ホレス・グリーン小学校は、厳格な校長マリンズ(ジョーン・キューザック)の下、規律がすべての世界。適当にやろうと決め込んでいたデューイは子供たちにロックを教え、バンドバトルに出場しようと思いつく ・・・。
 しかし、子供たちも一筋縄ではいかない面々だった。デューイは、クラス全員に役割を与え、ロックの授業をはじめるのだった…

原文 http://www.cine-tre.com/contents/spice/287.html より

【感想】
 ロックのことしか頭にない、一見,小汚くてむさくるしい音楽バカの偽教師デューイ。授業なんて全くやる気のなかった彼が、子供たちの音楽の授業を盗み見た瞬間、まるで金鉱で原石を見つけたかのように顔が輝く
 義務のように授業でクラシック音楽を演奏する子供たちだが、中には基礎がしっかり出来ている子供も何人かいる。

 最初は「お金のため」にバンドを作らせようとしたデューイだが、やがて「お金のため」だけではなく「子どもたちのため」にバンド・バトルを目指すようになる。

 授業はすべてロックの歴史などロックのことばかり。
 ここまで徹底したロックバカには、もう尊敬の念さえ湧き起こってくる。
 大人になるってことは、現実に対してひとつづつ妥協していくこと? 夢を捨てて行くこと?
   もし、そうだったとしたら、デューイ・フィンは永遠の子供かもしれない。
   
 とにかく元気が欲しい人、ロックが好きな人、ロックが好きでない人・・・すべての人にお勧めしたい映画。

 教室でロック? あの程度の防音じゃバレちゃうよ・・・なんて細かいことは抜きにして、とにかく笑えて元気のもらえる映画です。

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映画『鬼教師ミセス・ティングル』

TEACHING MRS.TINGLE1999年 アメリカ

監督・脚本:ケヴィン・ウィリアムスン
製作:リチャード・N・グラッドスタイン/キャシー・コンラッド

出演:ヘレン・ミレン
     ケイティ・ホームズ
         マリサ・カフラン
         バリー・ワトスン
【ストーリー】
 オハイオ州の小さな町にあるグランズボロー高校に通うリー・アンは優等生だが、 母親が女手一つで家計を支えているため、 オールA評価を取って奨学金を受けなければ希望のハーバード大学に進学することができない。

 しかし、 どういう訳か歴史教師のミセス・ティングルだけが何かと難癖を付けて、 リー・アンを不当に低く評価する。
 冷酷非情な態度で生徒を傷つけることを生き甲斐にし、校長や同僚からも忌み嫌われている“鬼教師”ミセス・ティングル

 自由研究の課題に最後の望みをかけたリー・アンだが、 ミセス・ティングルの酷評に合いA評価は絶望的。元ボーイフレンドのルークは、そんなリー・アンのために試験問題を盗み出し、彼女に渡してしまう。
 リー・アンのバッグの中に試験問題を発見したミセス・ティングルは、校長に報告し、退学処分にさせると言い放った。奨学金どころか退学処分の危機に陥ってしまうリー・アン…。

 弁明のためにミセス・ティングルの家を訪ねたリー・アンと親友のジョー・リンとルークは、ミセス・ティングルに無視され口論となり、誤ってミセス・ティングルを失神さてしまう。
 そして、ミセス・ティングルをベッドに縛りつけ、成り行きで監禁してしまう。
 ついに鬼教師と生徒達の壮絶なバトルが始まった・・・。

【感想】
 だいぶ前に『鬼ママを殺せ』(主演:ダニー・デビートビリー・クリスタル)という映画を見た。ヒッチコックの『見知らぬ乗客』がベースになっているブラック・コメディだ。ここに出てくる鬼ママは確かに憎ったらしかった。

 なのでぽすれんの映画タイトルに『鬼教師ミセス・ティングル』を発見した瞬間から、この映画は見ておかなくちゃ・・・と思い続けて、ようやく見た。

 仕事柄、一番見たいのは登場人物のキャラクター設定。鬼とつくほど強烈なキャラっていったいどんなや? って感じで。

 で、見終わった感想としては・・・ホラーでも、サスペンスでもないし、ブラック・コメディでもないし・・・なんか中途半端。

 『スクリーム』や『ラストサマー』などの脚本を書いているケヴィン・ウィリアムスンの初監督・脚本作品ということで、ホラー部分もかなり期待していたんだけどね。

 言葉の暴力で生徒をズタズタにする教師は確かにひどすぎる。鬼といわれても仕方がない。
 だけど、それに対抗するのに生徒が教師をベッドに縛り付けてさるぐつわを咬ませて監禁した上で、スキャンダル写真を捏造し、採点済みの成績を書き換え、その家でもと彼とセックス・・・。
 う~む、生徒の方もおバカに見えてくる・・・。 

 ただ、この映画から強く感じたのは、本当のホラーは人の心の闇に潜む ということ。

 なぜこのように冷酷非道なミセス・ティングルという人間が生まれてしまったのか?
 この映画がホラーでないと分かってから、私の関心はそのことに移った。そしてついに、ミセス・ティングルが自分の過去を明かした。
 お~、それでミセス・ティングルの過去と主人公リー・アンの出生に隠された秘密があったりして・・・とやっとワクワクドキドキしてきた。
 が、が、な~んも秘密なんかなかった・・・

というわけで、やっぱり最後まで中途半端な印象の映画でした。

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映画『デンジャラス・マインド 卒業の日まで』

未UPの映画の中から、スクール物をまとめてUPしておきます。

dangerousminds

『デンジャラス・マインド 卒業の日まで』
1995年・米

監督:ジョン・N・スミス
製作:ドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマー
脚本:ロナルド・バス、ルアン・ジョンソン

出演:ミシェル・ファイファー
ジョージ・ズンザ/ コートニー・B・ヴァンス/ ロビン・バートレット ビアトリス・ウィンデ/ ジョン・ネヴィル/ ロレイン・トゥーサント/ レノリー・サンチャゴ/ ウェイド・ドミンゲス

【ストーリー】
 ノース・カルフォルニアのバークモンド高校。海軍での9年間のキャリアに幕を閉じたルアン・ジョンソンはいまここで英語の教師というキャリアを新しくスタートさせようとしていた。それは彼女にとって長年の夢の実現でもあった。

 受け持ったアカデミークラスは教頭の弁によれば”情熱的で、挑戦的な子”ばかりを集めた特別クラスということであったが、教室に出向いたルアンは初日からいきなり失望するしかなかった。クラスは劣悪な環境であるインナー・シティー(スラム街)から通う生徒たちで占められ、彼らは先生にも学校にも何も期待せず、気ままに騒ぎまくっているだけであった。たまりかねて教室を飛び出したルアンはこの職を世話してくれた親友ハルの教室に直行。ぐちるルアンにハルは「連中の注意を引くんだ、いやならやめろ」と冷たく言い放つ。

 教科書を読みあさったルアンだが良い案は浮かばない。しかし彼らの気を引かなければ長年の夢だったこの仕事をあきらめるしかない。翌日、海兵隊で鍛えた私を甘く見ないでとばかりにジーンズに皮ジャン姿で生徒を待ち受けるルアン。「あんた懲りないね」と生徒に冷やかされつつも、ルアンは海兵隊で学んだ空手を教える事から始めた。案の定彼らは正真正銘の元海兵隊員に興味を示し、ラウルが体格のいい相手を教えられた通りに空手で投げ出すことに成功するややんやの喝采となった。

 ルアンはまず、彼ら全員に「評価A」を与える。これまでAのない人生だった彼らにやる気と自信をつけさせる作戦だ。しかし空手に熱中した彼らも、英文法の授業に入ると即座に興味を失ったしまった。その上校長に呼び出されるルアン。ノックをせずに入ってしまったためにノックをするのが常識だろうとルアンに礼儀を諭す一方、授業で空手を教える事を注意し、教育委員会の課程に従うよう忠告する。動詞がなにかも知らない生徒達に教育委員会の定めたカリキュラムですって?ルアンは少しもひるまず生徒達が勉強に興味を持つことなら何でもやる覚悟だった。
 まずは問題に正解したらキャンディーのご褒美。課題の詩を読みこなせば遊園地ツアーも決行だ。そんなルアンの熱意に生徒達も少しずつ感化され始める。
 生徒の興味を引きそうな詩としてボブ・ディランのヒット曲「ミスタータンブリンマン」を選ぶ。そこには暗号名、薬の売人クスリをくれ、麻薬が切れかかって頭がガンガン等々、意味が隠された言葉が並ぶ。生徒達の議論は白熱しかけるが、クラスのリーダーエミリオがルアンを無視すると他と生徒達の勢いも微妙なものとなってしまう。

 ディランの詩を通して学ぶことの楽しさを分かりかけた彼らだったが生活での掟は相変わらずだった。強く出ないとやられてしまう。そんな一触即発の要因を常に抱えている彼らのうち、エミリオとラウルが派手な喧嘩騒ぎを起こす。学校の警備員に捕まったエミリオは留置されラウルは三日間の停学をくらってしまう。ラウルの家を訪ね、両親に彼がどんな素晴らしい生徒であるかを話し、ルアンが彼を頼りにしていることを話すと、ラウルは信頼されることの喜びに顔を輝かせるのだった。

 しかし他の生徒はルアンが警備員に喧嘩のことをチクったからこんなことになったと思いこみルアンを非難する。いやなら出ていって、というルアンに対し、俺達は選べない、ゴミだめからバス通学、などと次々にグチる生徒達に、ついにルアンの怒りが爆発。犠牲者ぶらないで!と一喝する。なぜ構う?という生徒達に対し、構うと選択した、というルアン。そんな議論にピリオドを打つかのようにエミリオが発言する。もう一度詩を読んでくれ、という。その授業の終わりにエミリオは、「エミリオの家に行ったんだって?やるね。」とルアンに話しかける。

 この一件が終わったあともルアンは校長からの度重なる忠告を無視し、あの手この手を使って生徒達の興味を引く授業のやり方を考えた。そんなある日、クラス一優秀な生徒キャリーが妊娠のため転校を迫られていることを知る。妊娠による転校勧告はルールにないから学校に残れることを伝えるが、キャリーは子供を生んで独立するためには転校するしかないと決めていた。自分の力では生徒達の環境は変えられない。

 気を落とすルアンにさらに重大な事件が起こる.....。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000DJWGR/250-6978771-8493060より

【感想】
う~む、一口で言えば、すごく真面目な学園映画。
荒れたクラスに主人公の教師が放り込まれて、生徒たちやクラスを立て直していくというストーリーはよくあるパターン。

この映画もそのパターン通りなんだけど、パターンと違うところは実話を元にしているという。
原作はルアン・ジョンソンの自伝的小説『ルアン先生に逆らうな』であり、原作者自身、脚本に参加している。

高校生に対してキャンディや遊園地をエサに使う(笑)のはどうかなとは思うけれど、空手や全員Aのエピソードはなるほどと感心。
さらに、ボブ・ディランの歌詞を教材に使うなんて素晴らしい!
多分これはアメリカの学校ならではの教材だろうな。

未来はいつだって選べるんだ。もっと輝くはず -。

そんな力強い良いセリフがいくつも散りばめられていました。
冒頭からの音楽もすごく良かった。
映画全体に流れるブラックミュージックもセンスいいなぁ。

なによりも、ミシェル・ファイファーのファンとしてはセクシーでもミステリアスでもなく、力強い彼女を見られたのが一番!

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2005.08.28

もう8月も終わり・・・

 前の日記からもう8日も経っている(ーー;)

 本日未明、遅れていた企画書をようやくUP、送信。
 ひとまず寝た。

 う~む、やらなきゃならないことが一杯溜まっている。
 まずは1年がかりの大掃除の続きだ。
 ここ数年、体調にムラがあったため、何よりも仕事優先で、家の中の片付けは「モノで埋まったって死にゃあせん」と思っていたが、気がついたら3LDKの家の中がほとんどモノで埋め尽くされている。

 よくよく考えたら、故郷を出て以来、これまで私は16回引越しをしている。
 博多 1回
 京都 6回
 東京 9回

 短い所では数ヶ月、長い所でも3年だった。
 だが、16回目の今の住まいは7年目・・・
 そこで改めて思ったのは、私にとって引越しとは「溜まっていく不用物」を捨てるための本能的な選択だったのでは・・・ということ。
 
 東京に来て脚本の仕事を始めてからの引越しは、「本が溜まりはじめて収納場所がなくなる」と引越しのムシがうずいていた。 (本は捨てられないタチなので、本以外のモノを捨てる)

 そんな私だから7年も同じところに住んでいると、不用物がどんどん溜まって当然だったんだ。
 そして、これ以上広い部屋を求めるなんて贅沢の極み。経済的にも無理。
 かくなる上は不用物をどんどん捨てて行くしかない。

 たまたま『風水整理術入門 ガラクタ捨てれば自分が見える』(カレン・キングストン著)に出会い、これまで捨てなれなかったものを思いきって捨てようという気になった。

 仕事で使った古い古い資料類・・・すでにダンボール数箱分捨てました。
 それから何年も着ていない洋服類・・・これも衣装ケース3箱分以上不用(一部はフリーマーケットにチャレンジしてみようかと保存中)

 これから解決しなければならない最大の問題は・・・本です。
 2千冊近い本。そのうちの半分以上には書き込みしてるはず・・・私は本に書き込みをしてしまう方なので・・・(最近は書き込む替わりに付箋を使用)。よって、古本屋さんには持ってけないし・・・(ーー;)
 これはこれからの宿題だなぁ。

 それから健康器具。
 4年前に買った「ゆりっこ」とか古いタイプの「エアロウォーカー」とかほとんど使ってないのがしっかりあります。これらももうなんとかしなくちゃ・・・

 目標は引っ越してきた当時と同じように家の中をスッキリさせること!
 とりあえずは、マイペースでやってきますわ(^^ゞ

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2005.08.20

遅ればせながら、ボルトン移籍おめでとう!

レアルの日本ツアー、フィオレンティーナの日本ツアー、東アジア選手権・・・時間がある限りテレビ観戦したけど、応援していてもなんだか日本のサッカーに対する自分のテンションがすごく下がっているなぁとずっと感じていた(要するにつまらない・・・)。

それをようやっと吹っ飛ばしてくれたのがヒデのボルトン移籍。

パルマからボローニャ、フィオと移籍して指揮官との確執のないところで思いっきり活躍を!と願っていたら、再びプランデッリ監督がヒデの前に現れちまった。
それを聞いた時、本心「なんてこったい!」と思ってしまったよ。

仕事をしていく上で、一番大切なのは双方の信頼感なんだよね。
どんな良い技量を持っていても、上司がそれを信頼して生かす使い方をしてくれなければ、良い技量も死んでしまう。
逆にたまに失敗したり、まだまだ未熟でも上司が信頼して導いてくれたなら、仕事面でどんどん向上していく。

その意味で、ヒデにとってプランデッリ監督は前者の上司だと思っていた。
よって、ヒデがプランデッリ監督の元を離れたのはすごく良いことだと思う。

セリエA 7年間5チーム お疲れさんでした!
1年のその先は分からないけど、とにかくボルトンで思いっきりプレーしてください!
そうすれば、次の道が見えてくる。


※ヒデからの正式発表を待ち焦がれ、ついに8月15日、club.nakata.netにヒデからの移籍報告メールが入っていた。
なんだかんだで「おめでとう」が遅くなってしまったけど、とにかくホッ。

※遅れついでに、8月1日のフィオレンティーナVS東京ヴェルディの写真アップしときます。
この試合、2対1でフィオは負けた。5日間で3試合の強行スケジュールの最終日で、フィオの選手は相当疲れが溜まっているようだった。

座席は前から二列目、こんな近くでたっぷりヒデのプレーを見られただけでかなり満足。
(写真が鮮明でなくてすみません)
050801-1 050801-2 左:味の素スタジアム

右:試合開始前のヒデ




050801-4 050801-5 左:選手紹介画面

右:黄色い旗の真ん中あたりにヒデ

050801-6 050801-3
左:プレー中

右:後半チェンジ後
7番がヒデの後ろ姿(笑)

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2005.08.15

心に触れた話

あるブログに掲載されていた文筆家・岡部伊都子さんのインタビューを読んで、心に深く感じるものがありました。
多くの人に読んで欲しくて、ここに引用させていただきます。

国営第一放送『ラジオ深夜便』で5月に放送されたインタビューから、

 『婚約した後(1943年2月)、邦夫さんを私の部屋へ初めて、二人だけになってな。そのとき邦夫さんは、「この戦争は間違っていると思う」と言うたんです。「こんな戦争で死にたくない。天皇陛下の御為なんか、死ぬのはいやだ。きみのためや国のためなら死ねるけれども」と、そう言いましたね。そんな言葉を聞いたのは初めてで、驚きました。だって、「日本は神国だ」と教えられて、国民は天皇の赤子、男子たるもの「御民(みたみ)われ」と天皇陛下のためとあれば従容(しゅうよう)として戦場に赴き、上官の命令に従ってみんな死ななければならない、そう思っていましたでしょ。それが、あんなにはっきり「戦争は間違っている」と言った人は初めてです』

 『そのときの私には邦夫さんの深い思いがわかりませんでしたから、「私やったら喜んで死ぬけど」と言いました。当時はそういう教育を受けているんですよ。幼稚園時分から、「神国日本、天皇陛下のために喜んで死ね」と、そういう軍国教育ですねん。邦夫さんの言葉は命がけの愛の告白やったのに』

 『(「戦争に行きたくない」といった婚約者を止めなかった)だから本当に申し訳なくてなぁ。うちの兄は戦死していましたし、姉の結婚した相手も戦死していました。私の尊敬するお隣の東大出のお兄ちゃんも。出征やら戦死者やら、いっぱいご近所にいて、若い男の人はみんな死なんならんのやと思っていました。

 婚約の後で、いっぺんだけ二人で心斎橋を歩いたんです。お母ちゃんが「いっぺん二人で散歩してきなさい」と許してくれて、出してくれはってね。まだ大阪は焼けていなかったけれど、その頃は食べ物屋さんでも飲み物屋さんでも、外へ明かりが漏れないように扉に暗幕がかかっていて。そこでビールをほんの一杯飲んで。何か食べたのかしらね。そう、スイカや。スイカをかじったら、ピュッとそのお汁が飛んでな。……何もしてあげられなかった。

 そのころは、男女が手をつないで歩くことなどできないから、この頃の若い人を見たら羨ましいです。本当に、心のままに行動したほうがいいと思うんよ』

 『(邦夫さんは)はじめは中国北部の蒙彊(もうきょう)というところへ行かされたようです。見回りに出てたとき、抗日の民兵部隊と遭遇して、とっさに軍刀で相手の指揮官を斬り殺したそうです。それが、邦夫さんがあんなにいやがっていた戦争というものの正体ですな』

 このことは、邦夫さんからの手紙で彼女は知った。

 『あれだけはっきり「戦争は間違っている」と言うてた人が、心ならずも敵を殺さざるを得なかった。だから邦夫さんは、自分の志ではない死に方をせずにはいられなかったのね。

 邦夫さんは、中国から沖縄へ配置転換になって、沖縄守備につきはりました。そこへ米軍が艦砲射撃を雨あられと浴びせてくるんです。邦夫さんは上陸してきた米軍を迎え撃つために、外へ出て指揮していたときに被弾して、両脚を吹っ飛ばされて……。両脚がなくなったら、自分はみんなと行動できへん。それで、その場で即座に自決したそうです』

 日本人のほとんどが、大東亜戦争の被害者と思っているが、岡部さんは「被害者」という言葉は使わない。

 『私が邦夫さんを殺したようなものやからな。「行ってらっしゃい」と言って、日の丸の旗を振って送り出しているんやから。そうではなくて、二人でどこかに逃げたらよかったのです。隠れたらよかったのです。たとえ捕まって獄に入れられても、自分の心を生かしたらよかったのですけれども、かわいそうに、私がわかれへんかったからな』

 敗戦の日、1945年8月15日、岡部さんは邦夫さんが死んでいたとは知らなかった。45年の5月29日、30日、31日と毎晩同じ邦夫さんの夢を岡部さんは見ている。

 『母に「邦夫さんの夢を見たで。まだ焼けていないあの家の3階で私が書き物をしていたら、そこへ絣の着物姿の邦夫さんが、『コンコン』と戸をたたいて入ってくるねん」と言うたら、「あんたはな、正夢をよう見るさかいに、ほんまに帰ってきはるかわからへんな」と母は言うてました。けれど、その5月31日に邦夫さんは死んでいました。敗戦後、半年ほどたってから、戦死公報が木村のお母さんのところに来たんです。私は占いやらなにやらは信じないほうやけど、これはほんまのことです』

 『みんなは自分は被害者だと思うてる。だけど、戦争に行く人を旗を振って、「行ってらっしゃい」と送り出したんです。戦争に反対したのとは違う。戦争に加担したんです。だから私は「加害の女」だと思っています。自分はあんなに邦夫さんを尊敬して好きだと思っていたけれども、結局は私の何もあげずに、それで人を殺したり殺されたりする戦場へ送ったのや。みすみす殺したんです。

 その自分の正体、それは幼稚園のときからの教育で、それは骨身に染みています。死なんならんと思うことはもう絶対いや。戦争はいやです。死んだらあきませんで。若い人たちは、死んだらあかん。世界中の人類が仲良くし合って、命を尊敬し合って、いたわりを持って、できることをして、愛し合わなければいけません。それが、死んでいく前の私の結論です』

 岡部さんは、物書きとして50年以上、126冊の本を書き上げた。その間ずっと、美しいものを求める心をテーマにすえて書いてきた。

http://www.junkudo.co.jp/view2.jsp?VIEW=author&ARGS=%89%AA%95%94%81%40%88%C9%93s%8Eq

 『戦争の中では絶対美しいものは求められません。戦争の時代には、死ぬことだけ、死を求める心だけでした。美を求めるなどとんでもないことで、ほんまに罪になった。だけど、人の心は本来はやさしくて、美しくて、いとしいものや』

 戦死した邦夫さんは、「勝つも亦(また)悲し」と、最後のときにみんなが書いた別れの寄せ書きに書いていた。軍隊にいてこの言葉を残した、鋭い感性と批判精神を持った類まれなる人だった。

 『こちらはあほやからわからないけれども、邦夫さんという人はよう勉強してはった。戦争は間違ってる。戦争がいかに偽りと残虐に満ちているか、許してはならない非人間的な堕落であるかを痛感してはった。賢くて、はっきりと行動する。それでいて優しいて。だから私は本当に尊敬しています』

 82歳の岡部さんの心の中で、愛する邦夫さんは生き続けている。

 『邦夫さんへの想い、邦夫さんから学んだことが私の原点なんですな。邦夫さんが命がけで教えてくれたのです。

 戦争は絶対反対!

 あとは、どうやってきれいに死んでいこうか、と思うてます。それができたら、今の私にとっては喜びなんです。人間はいずれみな逝くんですから。人の幸せを念じ、世界の平和を念じ、自分にできる、プラスになる方向へ私も頭を向けて死にたい。

 若い人たちは幸せになってくださいな。世界人類を尊重して、本気で幸せになってください』

 (プログ・反米嫌日戦線 LIVE and LET DIE(美は乱調にあり) :志あるもの・【岡部伊都子】婚約者を戦地に喜んで送り出した〝加害の女〟として より)

 国が決めた一つの価値観しか認めない軍国教育の恐ろしさ・・・
 そして、戦争は生き残った人々の心にも深い傷を負わせるのです。その人が生きている限り消えない傷を・・・

 二度とそんな時代に戻ってはいけません。

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8月15日終戦記念日

60回目の終戦記念日。

終戦記念日:小泉首相談話 アジアと関係構築、未来志向で(毎日新聞)

知覧で、靖国で涙を流したという小泉首相

広島で、長崎で、沖縄で涙を流したのだろうか
戦い、亡くなったのは靖国に祀られた兵士たちだけではない。
多くの民間人もあの戦争の犠牲になった。

東京大空襲 昭和20年3月10日 史上最大の虐殺
ここに掲載されている写真は他国の出来事ではありません。
60年前の日本です。

今もイラクではこのような光景が起こっています。
日本の自衛隊が派遣されているサマワでも、いつ自衛隊から犠牲者が出てもおかしくない状況にあります。
イラク近況情勢図解
『しだらでん ●最近のサマワ(05/8/1~8/15)』


 私は、終戦60年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。
(中略)
 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります。
(中略)
 戦後60年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。

 上記は小泉首相談話の中に書かれている言葉です。
 なのに、今、イラク戦争の渦中に自衛隊がいる矛盾・・・
 小泉首相のその言葉通りの国になることを切に願い、祈ります。

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2005.08.13

赤坂不動尊

050813akasaka-1-2 打ち合わせで赤坂へ。

近道をするために、初めて赤坂不動尊を通り抜けてみました。

一ツ木通りから急坂を登っていくと、左手に墓地が。
ふぇっ、こんな都会のど真ん中に墓地があるとは知らなかった。

赤坂不動尊は思ったよりこじんまりしたお寺(威徳寺)。1600年代から続く由緒あるお寺だそう。

050813akasaka-2-2お線香とお賽銭を入れて、仕事が上手く行きますよう、放送が上手くいきますよう、ラブ&セントが元気でありますよう、みんなが幸せになりますよう・・・等など手を合わせました。

えっ、100円で欲張りすぎ?
それに・・・私、一応、クリスチャン・・・

でも、上にいけば神様も仏様もみんな一緒だから、大丈夫でしょう(*^_^*)!!!

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2005.08.12

映画『ひみつの番人』

Little Secret2002年   アメリカ

監督 : プレア・トルー      
制作 : ジェシカ・バロンデス
脚本 : ジェシカ・バードンズ

出演 :
エヴァン・レイチェル・ウッド
マイケル・アンガラノ
デヴィッド・ギャラガー
ヴィヴィカ・A・フォックス

【ストーリー】
 バイオリニストを目指している14歳の少女エミリー。彼女は、夏休みに入っても友達とのキャンプをあきらめ、夢の実現へ向けて毎日バイオリンの練習に励んでいた。

 そんなエミリーは一方で、ある仕事を引き受けている。その仕事とは、子どもたちそれぞれが抱える誰にも言えない秘密を聞き、彼女なりにアドバイスしてあげる“秘密の番人”。

 だが、そのように子どもたちから頼られる存在であるはずのエミリーも、実は大きな秘密を抱え込み、誰にも打ち明けられないでいた…。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=vd&cf=0&id=166924 より

【感想】
 とにかく全編微笑ましいです。
 秘密の番人=「SECRETS KEEPER」 相談料は50セント。
 子供たちの秘密というのが、嘘をついたことや、大切なモノを壊したことなど。中には庭を掘って「中国へ行く」という秘密もあったり。
 そんな子供たちの秘密の証拠隠滅をするのも「SECRETS KEEPER」のお仕事。

 聡明で、才能豊かで、誰にも頼られる彼女の秘密・・・そのことで悩む彼女が辿り着いた言葉、それは・・・

 「本当の人生を送りたければ、秘密を持ってはだめ」

 子供映画と侮るなかれ。ちゃんとテーマは伝わってきました。

 それにしても、「SECRETS KEEPER」でお小遣い稼ぎをするなんて、日本の子供にはない発想だよね。自分の小遣いは自分で稼ぐ・・・う~む、たくましい!

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映画『小さな中国のお針子』

THE LITTLE CHINESE SEAMSTRESS2002年 フランス(中国語)

監督・脚本・原作:ダイ・シージエ
脚本:ナディーヌ・ペロン

出演:
ジョウ・シュン
チュン・コン
リィウ・イエ
ツォン・チーチュン


【ストーリー】
 1971年、中国。文化大革命の嵐が吹き荒れる只中、医者を親に持つ17歳のマーと18歳のルオは、反革命分子の子として再教育のため山奥深くに送り込まれた。そこは、チベットとの国境沿い、鳳凰山という名が示す通り、手つかずの自然とけわしい山々がそびえる、忘れられた地域・・・・・・。    雲に至る石段を上がると、小さな村と湖がひっそりと姿を現わす。村人は素朴で、読み書きを知らず、村長によく従っていた。

 二人の再教育生活が始まった。彼らを待っていたのは、屈辱的な仕事や、つらい畑仕事、そして未開の鉱山から素手で鉱石を抽出するなどの過酷な作業だった。
 ある日二人は、年老いた仕立て屋と美しい孫娘のお針子に出会う。仕立て屋の持っているのは時代遅れのミシンだが、西洋文明からかけ離れたこの村ではモードを生み出す近代化の象徴だった。

 ルオはたちまちお針子に恋をする。そして文盲のお針子に物語を語り聞かせてあげたいと思い立つ。
 お針子は、ルオとマーに、やはり再教育で来ている若者が、外国小説を寝床の下のかばんいっぱいに隠していると伝える。この若者は、作家を父に、詩人を母に持ち、あだ名を“めがね”といった。
 彼らはこのかばんを盗むことを決意する。そして、そこで見たものは、まさしく宝物と呼ぶべき本の数々だった。フロベール、ユーゴー、トルストイ、ディケンズ、ロマン・ロラン、デュマ、ルソー、そしてバルザック。
  これらすべての文学は高度に反動的とされ、禁止されていた。見つけたことは誰にも言えない。ルオとマーは、昼間は働き、夜になると誰にも見つからないように読書にふけった。同じ危険を冒す3人は結びつきをより深め、恋愛と友情の間で揺れ動いた。
 毎晩、ルオとマーは村人たちに「ユルシュール・ミルエ」や「モンテ・クリスト伯」の冒険話からヒントを得た物語を聞かせていた。もちろん、革命を称える要素を巧みに盛り込みながら。村長は、偉大なる指導者毛沢東の功績をほめている限りはご機嫌だったのだ。仕立屋の老人が魅せられたのは、デュマが描いた人物の優雅な姿だった。仕立屋としての創作意欲が地中海のそよ風に刺激され、あたかも物語から抜け出したような洋服を作って村の娘たちを変身させてしまったほどだった。

 ルオとマーは見つけた小説から知性の糧を得て、誘惑する方法も習得していった。お針子はお気に入りの作家、バルザックの小説を通して感情教育を受けていく。バルザックの小説は、女性の美についてとてもよく書かれているから好き、と彼女は言った。しだいにお針子は自由という意識に目覚めていく。まわりを気にせず、ルオとマーと行動をともにし、自由に生きることを始めた。さらに読み書きを学び、自由に考えることを始めた。また、ルオとマーが教えたこと以上に大きなことを夢想し、自由に夢を抱くことを始めた。そして彼女はルオと愛し合い、人を自由に愛することを知った。

 その後、ルオは病気の父を見舞うため特別の許しを得て、2ヶ月間村を離れることになった。彼女が妊娠しているなどと夢にも思わずに。マーはお針子をひそかに愛していたが、ルオへの友情のために気持ちをひた隠しにしていた。そのマーが、彼女のために病院へ行き、ロマン・ロランの小説一冊と引き換えに、医者に内密に手術をすることを引き受けさせる。
  ルオが村に戻ってきた時、お針子は村を出る決意をする。たったひとりの出発だった。バルザックが、彼女に新しい地平線を開き、四川省の山々の向こう側には、もっと自由な大地が拓けていると思わせたのだろうか。

 27年後。有名なヴァイオリニストとなったマーは、現在パリで生活している。ある日、あの村が三峡ダム建設のため、まもなく水に沈むというニュースを知る。再教育を受けた思い出の地に行こうと、中国に向かうマー。
 そこで、彼は懐かしい人たちとの再会を果たすのだった。
 次にマーは上海へ行き、現在では名医として知られるルオを訪ねる。青春時代の思い出を語りあう二人。数々の思い出、今は亡き人々のこと。仕立屋の老人はすでに亡くなっていた。あの村も揚子江の川底に沈んでいく。そして二人が恋したお針子がいまどこにいるのかを知る術もなかった・・・。
http://www.albatros-film.com/movie/ohariko/ より

【感想】
 フランス国内で40万部を越すベストセラーになり、数々の文学賞を受賞、世界30ヶ国語に翻訳されたダイ・シージエ監督の自伝的小説『バルザックと小さな中国のお針子』を自ら脚本・監督した作品。

 険しい山中の延々と続く石段を登る冒頭のシーンから、とにかく映像が美しい。
 そして2人の青年と若いお針子の愛と友情に監督の温かい眼差しが注がれている。
 さらに、彼らを取り巻く辺境の地の村人たちとのエピソードすべてにユーモアが散りばめられており、時代背景も含めてともすれば暗い作品に陥りそうなのに、暖かく清々しささえ感じる作品に仕上がっている。

 一冊の本に出会ったことで、自分の人生を自分で選び取るお針子の凛とした潔さ。
 普通だったら拍手を送るところだけど、残された青年たちの気持ちを思うと、ちょっと同情さえしたくなってしまった(笑)
 きっと誰にでもあるだろう、忘れがたいほろ苦い初恋の痛み・・・のようなものを思い出させてくれる作品だった。

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映画『チャドルと生きる』

The Circle2000年 イラン

監督・製作・編集:ジャファル・パナヒ
脚本:カンブジア・パルトヴィ
出演:
フレシテ・ザドル・オラファイ
マルヤム・パルウィン・アルマニ
ナルゲス・マミザデー
エルハム・サボクタニ
モニル・アラブ
ファテメ・ナギヤウィ 
モジュガン・ファラマジ

【ストーリー】
 ある女性が赤ちゃんを産んだ。産婦人科の廊下で慌てふためく女性の母親。出産前の検査では男の子が生まれるはずだったが、生まれてきたのは女の子。新たな生命は祝福される運命にはなかった。「男の子でないと離縁されてしまう。」母親に促され叔父を呼びに行った女性は表通りの公衆電話で3人の女性とすれ違う。

 すれ違った3人は刑務所から仮釈放された身だった。警察官の姿を目にするたびに逃げ惑い、身をかくす3人。彼女たちは逃避行のためなら何でもする覚悟だった。身分証明書もなく長距離バスに乗ろうとするが、窓口で懇願し、嘘をつかなくては乗車券も買えない。
故郷を目指す少女の儚い願いは叶うのか・・・。

 時を同じくし、妊娠してしまった未婚女性が堕胎のために刑務所を脱走する。やっとの思いで実家にたどり着くも、実の兄弟に脅されて追い出されてしまう。あてもなく町を彷徨う彼女は、生活苦のために実の娘を捨てようとする母親と出会う。娘の幸せを願えばこそ、娘を捨てようとする母親に、堕胎の途を求める女性は何を思うのか。

そしてすべてを知り尽くしたような娼婦の見つめる先には・・・。
http://www.gaga.ne.jp/circle/index.html より

【感想】
 2000年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞、国際批評家連盟賞、ユニセフ賞、OCIC賞スペシャル・メンション、セエルジオ・トラサッティ賞など、各種の賞を受賞し世界各国で絶賛されながらも、この映画は本国イランでは上映禁止だという。

 かつての厳格なイスラム原理主義の圧政から開放されたといっても、それは男性にとっての話。イランでは女性は今もって一人で自由に行動することが出来ない。また、場所によってはチャドルというベールで全身を覆わなければならず、男性の庇護の元に生きるのが普通の生き方。

 この映画に描かれた女性たちは、そんなイラン女性の普通の生き方から少し逸れてしまった女性たち。彼女たちは誰の庇護も無しに自分の意志で行動しようとする。
 その彼女たちの前に必ず立ちはだかる女性抑圧の壁・・・。

 この映画に描かれた女性たちの抱える問題は、この日本でもそんなに遠くない昔にあったことではないか。
 また、イランだけでなく他の国でも起こっていることではないか。

 この映画の原題は『The Circle』・・・円・循環。
生まれ、育ち、結婚し、妊娠し、母になり、そして娼婦に・・・循環する女たちの人生。
あるいは社会という輪の中に閉じ込められている女たちの人生。
どちらとも取れる原題だが、そのどちらともをきちんと描いた優れた作品だと思う。

 願わくばこれからのイラン女性たちの未来が、大きく広がっていくスパイラルのような円であることを・・・。

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2005.08.10

映画『トゥルー・ストーリー』

A TRUE STORY1996年 イラン

製作・監督・脚本:アボルファズル・ジャリリ
キャスト:
サマド・ハニ
アボルファズル・ジャリリ
メヒディ・アサディ
モハマド・アシャエリ医師
ファズル=アリ・アシャエリ医師
オミッド・ロハニ医師
マリヤム・アシュラフィ
ミラド・ジャリリ

【ストーリー】
次回作“時計の息子”の主役を探してたくさんの少年をビデオに収めていくジャリリ監督。なかなか思うような少年に出会えず、諦めかけていたとき、たまたま立ち寄ったパン屋で役にピッタリの少年を見かける。

さっそく翌日出演交渉に向かうが、少年は既に解雇されていた。ジャリリはなんとかその少年・サマドを見つけ出すが、サマドから脚が悪く早急に治療しないと命に関わるという事実を聞かされる。

思い悩んだ末、ジャリリは“時計の息子”の撮影を中止し、サマドの治療を助けることを選ぶ。そして、その模様をカメラに収めることにした。
http://www.discas.net/d/d/s?ap=c_goods_detail&goods_id=167266405 より

【感想】
サマド少年と出会ったことで悩むジャリリ監督。そして決意する。
「映画製作を優先させ、サマドを放っておくわけにはいかない」そして「その過程こそが映画になるはずだ」

ジャリリはサマドの家族を尋ねたり、足の手術シーンをそのまま撮影させてくれる医師を探して動き回る。

日本の私たちから見たら、この映画に描かれたイランの現実はあまりに貧しく悲惨に見えるだろう。

しかし、サマドを救うためにまず人間として奔走する監督、そして15歳にして11もの仕事を経験しているというサマドの明るい笑顔・・・それらを見ていると決して暗い気持ちにはならない。

どんな過酷な状況でも映画を作り続ける監督、そしてたくましく生きている少年に、人間の強さを教えられる。

ただ、映画としては何かが足りないような中途半端さを感じてしまった。
途中からドキュメンタリーにチェンジしたせいかも。

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映画『パパってなに?』

papa1997年  ロシア・フランス

監督: パーヴェル・チュフライ
製作総指揮: セルゲイ・コズロフ
脚本: パーヴェル・チュフライ
出演: ミーシャ・フィリプチュク
    エカテリーナ・レドニコワ
    ウラジミール・マシコフ
    アマリヤ・モルドヴィノワ
    リディヤ・サヴチェンコ
    アンナ・シツカトゥロワ
    オルガ・ペシコワ

【ストーリー】
1952年秋。6歳の息子サーニャを連れた若く美しい未亡人カーチャは、行く当てもなく列車に乗る。サーニャは父親を知らない。サーニャが生まれる前に戦争で死んでしまい、カーチャはひとりでサーニャを産んだからだ。当てもなく列車に乗った二人きりの母子は、そこで、強くたくましい軍人トーリャに出会う。男らしく堂々としたトーリャと、カーチャはたちまち恋におち、早朝、3人は小さな田舎町で列車を下りる。そして、カーチャはサーニャに言った。「これからはトーリャおじさんをパパと呼びなさい」。大勢の隣人が住む共同住宅で部屋を借りた3人は、家族として一緒に暮らし始める。しかし、サーニャはトーリャをパパと呼べない。なぜなら、サーニャには、会ったことのない父親の幻影がときどき見えるからだ…。
http://www.minipara.com/movies2000-3rd/papa/index.shtml より

【感想】
生まれる前に父を亡くしたサーニャは初めて大人の男と暮らすことになる。
一見、乱暴で悪の匂いのする男・トーリャ・・・

こうなると分かっていながらも、美しい母・カーチャを挟んでの息子と男の三角関係にはハラハラ・・・
「こんな男、早く別れればいいのに」とついサーニャの立場に立って見ている。

しかし、トーリャと生活する中で、サーニャはそれまで知らなかった(父から教えてもらえなかった)男の在り方を教えられていく。
戦争で何もかも失った男の生きざまはしたたかだった。
そんなトーリャを拒否しながらも、いつの間にか彼の中に父性を見ているサーニャ。

結末は悲しい・・・
スターリン時代の庶民の貧しさと、映像に刻まれた戦争の傷跡が、その悲しさをさらに際立たせる。

戦場や戦闘を描くことだけが戦争映画じゃない・・・そんなことを考えさせてくれた作品だった。
    

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2005.08.09

60年目の夏

今日は長崎に原爆が投下されてから60年目の日。

この数日、テレビを見ながら何度も何度も涙を流してしまった。
終戦60年・原爆投下60年の多くの特別番組を見ながら・・・

8月5日(金)
  TBS 18:55~
   TBSテレビ50周年 ~戦後60年特別企画~
      「“ヒロシマ”あの時原爆投下は止められた・・・いま、明らかになる悲劇の真実」

  テレ朝 25:20~ 
       朝まで生テレビ 「激論!第2弾 元帝国軍人が戦争の全てを語る」

8月6日(土)
 NHK 8:00~

       平成17年 広島平和記念式典

  NHK 19:30 ~ 20:43
    被爆60年 「平和巡礼2005」
        「HIROSHIMA 世界に伝えよう 被爆者の心」


  NHK 21:00~

    NHKスペシャル『終戦・被爆60年企画』
    「被爆者 命の記録 ~放射線と闘う人々の60年~」

8月7日(日)
 NHK 21:00~

    NHKスペシャル『終戦・被爆60年企画』
    「ZONE・核と人間」

  NHK 23:15~ 
     「特集 平和アーカイブス ~語り伝えるヒロシマ・ナガサキ~」
     第1夜「原爆投下 その時何が」

   日テレ 24:25~ 
    NNNドキュメント05 ヒロシマ・グラウンド・ゼロ
    CGでよみがえる8月6日

8月8日(月)
  NHK 21:00~
    
NHKスペシャル『終戦・被爆60年企画』
    「追跡 核の闇市場 ~放置された巨大ネットワーク~」

 NHK 23:15~
     「特集 平和アーカイブス ~語り伝えるヒロシマ・ナガサキ~」
     第2夜「被爆者たちの60年」 

そして・・・
8月9日(火)
 NHK 10:40~
     
平成17年長崎平和記念式典

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6日のNHK 被爆60年 「平和巡礼2005」では吉永早百合さんが、栗原貞子さんの詩「生
ましめんかな」を朗読された。

初めてこの詩を読んで以来、私の心から消えたことのないフレーズ「生ましめんかな」・・・
改めて吉永さんの朗読で聞き、感動しました。(参考:当日記「栗原貞子全詩篇」)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、多くの番組を見ながら大きく二つの温度差を感じてしまった。

一つは・・・
8月5日のTBS 戦後60年特別企画の中で原爆を開発・投下・撮影したアグニュー博士が
初めて広島を訪れ、被爆者と対面したシーンは息を詰めるような思いで見た。

「(原爆投下を)謝って欲しい」と訴えた被爆者に対して、アグニュー博士はキッパリ
NO」と答えた。
その理由は、“自分も日本との戦争で多くの友を失った。そして、原爆投下により、
もっと多くの犠牲者を出すことを防ぎ、戦争を止めることが出来た”

アグニュー博士の答えは原爆を投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」元乗組員た
ちの声と重なる。

 広島に原爆「後悔していない」エノラ・ゲイ乗組員声明(読売新聞)
 「これで戦争終わった」 原爆投下乗組員ら証言(共同通信)

日本の「No More HIROSHIMA」に対して、
アメリカの答えは「RememberPearl Harbor」

この温度差は縮まることがあるのだろうか・・・

アメリカの兵士たちは「Remember 911」のために、イラクで戦っているのだろうか・・・
復讐=憎しみから本当に平和は生まれるのだろうか・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もう一つの温度差は・・・
朝まで生テレビの元帝国軍人の人々の話。
戦争体験者たちの生々しい秘話や実話を聞けた事は本当に貴重なことであり、
ぜひ、今後もこの企画を続けて欲しいと願っている。

この番組の中で、「あの戦争は間違っていた」という戦争体験者に対し、若いコメンテーターの一人が「なぜ、戦争に反対しなかったのですか!」と疑問をぶつけていた。

戦後に生まれた者にとって若いコメンテーターの疑問は当然の疑問だ。

私も、かつて初めて特攻隊員たちのドラマを書いた時、「戦争に反対しつつも教え子を
戦場に送り出さねばならない教師」像を描いた。
「教師」という職業の人なら当然、戦争には反対しているものと頭から思っていた。

しかし、スタッフの中の戦争体験者から、「教師」の前提が違うと厳しい指摘を受けた。
当時、ほとんどの国民は「日本は勝つ」「神風が吹く」と信じ込んでおり、教師たちも心
から「国のために死んでこい」と言って教え子たちを送り出した・・・これが現実だった
のだと。(参考:「しだらでん」●夏が来れば

死ぬことさえも「御国のため」と心から信じて(信じ込まされて)いた時代に生きていた
人たちと、生れ落ちた時から自由になんでも表現できる時代に生きている人たち・・・

この温度差も大きい・・・

戦争体験者の人々、どうか戦争当時のあの時代の若者と現代の若者を比べて
「あの当時は良かった」「今の若者は堕落している」なんて言わないで下さい。

国が決めたことに反対すれば投獄される・・・そんな時代には決して戻りたくない。

賛成も反対も織り交ぜて自由にものが言える・・・そんな時代を作ってくださった
戦争犠牲者の皆様には心から感謝はしておりますので・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後に・・・続きはこちらへ

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2005.08.08

お詫び

8月も8日になってしまいました。

1週間に渡るピロリ菌除菌作戦も、いよいよ最後の日になりました。
成功か失敗かは1ヵ月後の検査で判明。とにもかくにも今夜、あと1回の服薬でピロリ君との戦いは一応終了です。

メール、BBSやブログへの書き込みをいただきながら、返信が遅くなっており、申し訳ありません。
改めてお詫び致します ani_gomen10

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