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2006.06.18

さようなら、多田先生

 先日、多田丞先生が亡くなられたという知らせをいただいた。
 お歳は、私の母より少し若かったので、多分70代の半ばくらい。

 多田先生は、日本障害者歯科学会の八人の名誉指導医・名誉認定医のお一人で、まさに『京都・障害者歯科医療の父』といっても過言ではない。

 私は脚本家の仕事を始める以前は、京都で障害児・者専門の歯科診療所で歯科衛生士として5年余、働いていた。

 短大の社会福祉科を卒業したあといろいろあって、歯科衛生士の資格を取得。就職したのが障害児・者専門の歯科診療所で、そこの主任歯科医が多田先生だった。

 当時はまだ障害者歯科は一般的ではなく全国でも障害児・者専門の診療所は少なかった。
 そんな中、関西では大阪と京都が積極的に取り組んでおり、その診療の仕方は京都方式・大阪方式と言われて全国から見学者がやって来た。

 大阪方式は強制治療・・歯科治療を怖がる患者さんに対して、強制固定や笑気麻酔などで、“痛くない”ということをまず体験してもらって治療を続けるというやり方。

 京都方式は通法(行動変容)によるやり方・・一切強制治療は行わず、時間を掛けて恐怖心を取り除き、一般の人と同じように治療をするやり方。

 例えば、多動性の自閉症児の場合、まずは歯科衛生士が子供を抱っこして、スプーンのように歯科用ミラーに水を載せて口に入れる。子供が楽しんで遊び感覚で歯科用ミラーを口の中に入れられるようになるまで、何十分でも何時間でも掛けて、ゆっくりゆっくりと治療できるように持っていくのだ。

 仕事は診療所の中だけではなく、市内の盲・聾・養護学校への検診や歯磨き指導、府下の養護学校への機材を運び込んでの治療、また寝たきりの高齢者の義歯の調整のため訪問診療も行っていた。

 私が勤め初めて三年過ぎた頃、先輩たちが結婚などですべて辞めてしまい、気がつけば私が一番古株。その年、京都で日本心身障害児者歯科医療研究会(日本障害者歯科学会の前身)があり、歯垢清掃能力とADL(Activities of Daily Living・日常生活動作)に関して私は勤務先の歯科衛生士を代表して研究発表をさせてもらった。

 日常の診療も、そういった研究発表もすべて多田先生のご指導があったからこそだった。

 診療所には毎日数名、当番医が交代で当たっていた。先生方はその日、その時間だけはご自分の医院を休んで来てくれる。まさにボランティアに近い。
 多田先生ももちろんご自分の歯科医院を持っていたが、主任医師として週の半分は障害者歯科にあたっておられた。

 その意味で、まさに“無私無欲”の人である。

 言葉静かで、穏やかで、なによりも柔和という言葉がピッタリだった多田先生。

 私が京都を離れてから、もう随分経つ。
 たまに、東京で障害者歯科の会議などあった時に電話を下さり、先生の障害者歯科への情熱が昔と全く変わってないことを知り、心から敬服していた。

 今、京都では後輩の歯科衛生士たち、そして先生たちが障害者歯科診療に頑張っておられると聞く。

 障害者歯科医療という多田先生の蒔いた種は、ちゃんと芽を出し、育っている。

 私の中でも、あの当時、多くの患者さんたちや仲間たち、先生方、とりわけ多田先生の人間としての在り方に接しられたことは、脚本家として人間を描く時の貴重な体験として記憶に残り、大切な財産になっている。

 多田先生の訃報に接し、私は人間が存在して “跡を残す” ということがどういうことかを、最後の最後に教えられたような気がする。

 さようなら、多田先生。そして、ありがとうございました。

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