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2006.10.22

もしインターネットが・・・

私の思春期に今のようにインターネットが普及していたら、私はシナリオライターという物書き仕事にはつかなかったような気がする。

気がついたら、日記代わりに詩を書いていた。中学の頃からだ。
モヤモヤして口に出しても他人に伝わらないことを、詩という形で書き綴っていた。

やがて、詩の同人誌に参加して、詩人と知り合い、詩人と結婚して、詩集を一冊出して、詩人と離婚した。

恋をしたり離別したりの中で、私はますます「話し言葉」に絶望していった。
話し言葉ではわたしが伝わらない、心に渦巻く想いをそのままに伝えることができない・・・

だから、私はますます書くことに重きを置いて、やがて書くことを仕事にしたいと考えるようになった。
そしてシナリオライターという仕事に就くことが出来た。

もし、その過程にインターネットがあれば、私は書く仕事につく必要がなかったように思う。
「ネット日記」という形で、瞬時にして世界中の人に自分の思いを書いて伝えることができる。
怒りも、悲しみも、悩みも、喜びも、それを感じた瞬間、ネットに書き込みさえすれば、多くの人に自分というニンゲンがここにいること、そして自分の考えを表明できる。

逆の面から言えば、インターネットで現実では出会えなかったはるかたくさんの人の書いた物を読み、デスクの前にいながら世界中の人と知り合うことができる。

自分の部屋の中で、たった一人で悶々としなくてもいい・・・

素晴らしい時代になったものだと思う。
プライベートで利用する人、仕事で利用する人、インターネットではどんな利用法も、なんでもあり、自由だ。

そんなインターネット時代にあって、ふと不安がよぎることもある。
数年係わってきたアメリカ在住の“ネットストーカー”と呼ばれる女性とその被害者たちと係わったことで、現在の法律の網に引っかからない“悪意”がネット上にあるという現実を見たことがその不安の始まりかもしれない。

ネット上の“悪意”に掴まったら、心だけでなく家庭も仕事も壊される可能性がある・・・

そんな現実を知ってしまった目からみて、ネット上にはなんと無防備な人が多いこと・・・。

私が最も心配になるのは子供の成長記録を書く人の日記。おまけに子供の顔が判別できる写真を貼り付けている場合。
ネット日記というのは、プライベートを公に晒すことであり、日記を読んでいけば生活圏や生活レベルなどが薄々分かる。その気になれば日記の主を特定できるだろう。
もし、よからぬことを考えるヤツがいて、誘拐事件なんかに発展したらどうするんだろう・・・とマジで心配になってしまう。

一方、ネット上の匿名性ってヤツも厄介だ。
匿名性が持つ暴力性というと2ちゃんねるが代表されるが。
私は別の角度から匿名性のいやらしさを感じたことがある。

私は一時期、ある四つの日記の「更新お知らせ」に登録しており、毎日毎日四つの日記から更新のたびにメールが入り、そのたびに四つの日記を読んだ。

そして、あることに気がついた。
Kさんの日記にはメディアが書けない(書かない?)内容が暴露されており、実名もバンバンでてくる。
一方、S氏・Y氏・K氏の日記は世相批判の内容がそれぞれの立場で辛らつには書かれているがKさんの内容、勢いに比べたらどこかおとなしく感じてしまう。

なぜか? おそらく、S氏・Y氏・K氏は書くことの恐ろしさ(=責任の重さ)を知っているからだと思う。
三氏はそれぞれの分野の評論家と言われる人たちで、すでに著作を出版しており、メディアに顔や写真を晒していて、かつ実名を出して日記を書いている。
彼らとて、絶対の真実、真相と分かっていることなら命を賭けてでも「書く」と思う。しかし、二次情報、三次情報で真実・真相と「推察」されることで、相手の実名を出すことがどれだけ危険なことか彼らはプロとして知っているのだ。

Kさんは決して顔を出さない。顔の一部を覆った写真なんて本人かどうか疑えばきりがない。そういう意味で、Kさんは安全圏に自分を置いている。
だから、どんな過激なことを書いても、顔を晒しているS氏・Y氏・K氏ほどの危険はない。

顔を晒し、名前を出して書くことの怖さ(=責任の重さ)は、最近では板東眞砂子の「子猫殺し」騒動を見ればよく分かる。
プロの物書き(表現者)は公表した作品に対して、擁護・反対を含めてすべての批評を一身に受けねばならない。またその覚悟で書いているはずだ。

Kさんのことに戻って・・・
そういう意味からして、顔も晒さず、名前も晒していないKさんはお気楽だ。とはいっても、インターネットの匿名性なんて権力側にはあって無きがごとしで、Kさんの身元を探ろうと思えば簡単だろう。Kさんだってそのことは承知で書いているのだとは思うが・・・

とにかく、Kさんと三氏の違いを感じ出してから、私はKさんの日記を以前よりも冷めた気持ちで読み始めた。
さらに沖縄の女性歌手グループのファンでもなく、パチンコも興味が無く、釣りもF1も熱心なファンではない私はそれらの内容は読み飛ばすことが多くなった。俳句のことを知りたければ専門の人の本を読むだろうし・・・

彼女の日記に対する疑問もいくつか浮上して、それで私は今年の7月後半にKさんの日記の「更新お知らせ」を解除した。
その後は思いついた時に時々彼女の日記を拝読している。

彼女の日記に対する疑問・・・というのは・・・つまり、彼女がネットを使って何がやりたいのか不明ということ。
彼女ならではの特別なルートを持っていて、その暴露記事と、彼女独特の才気溢れた筆致と、ほとばしる勢い・・・それらは素晴らしいと思う。

しかし、例えば、なんみょ~関連にしても彼女はどうしたいのか? 思いついたようになんみょうー関連のタレント名を出して攻撃しており、私もずいぶん影響を受けてしまった(苦笑)
テレビにKさんがなんみょ~と名指ししたタレントが出てくると不快でチャンネルを変えるようになってしまった。

では、それほど影響のあるKさんは、なんみょ~の本山に対して何か行動を起こしているのだろうか? 継続的に何かをしているのだろうか?

そういう疑問が湧いてきた時に、私にとってKさんが何かが見えてきた。
暴露屋でアジテーターだ。
Kさんが匿名性のもとに一応、安全圏に身を置いている限り、Kさんは暴露屋でありアジテーター(扇動屋)で、それ以上でもそれ以下でも無い。

Kさんの暴露屋の部分は面白い。これからも時々、読ませていただく。
しかし、アジテーターとしてはワタシ的にはいただけない。Kさんの正義感と好悪だけで、良い悪いを決め付けられるのはごめんだ。現にKさんになんみょ~タレントと名指しされた某タレントはなんみょ~ではないという情報を私は聞いているし、読む側も(多分、皆さん、書かれたことをそのまま鵜呑みにはしていないとは思うけど)、冷静に受け止めることが必要だと思う。

そのKさんが、最近、ネット日記を書籍にして出版された。
もしかして、Kさんの書く最終目的というのはコレ?
つまり、ネット上で有名になって本を出すということ。
きっと、ネットをやっているすべての人が夢見ていること。それをKさんは実現した。

それに対しては、素直にKさんにお祝いを言いたい。
毎日毎日、長文の日記を書くKさんの情熱はすごいものがあり、Kさんなりに努力した結果だろうし。

そして、また、次の疑問が湧いてくる。
ではKさんは、何になりたいの?
本を出してS氏・Y氏・K氏のようにプロの物書きになるのだろうか?
それとも、お母さんの治療費を今回の印税でまかなった後は、一プロガーに戻って、暴露とアジテーションを続けるのだろうか?

私としては出版社の意向も名誉毀損罪なども恐れない後者であってくれた方が面白いんだけど・・・

思わず長々とKさんのことを書いてしまったけど、Kさんのことで私が言いたいのは匿名性の長所と短所のこと。
匿名であることで、権力や組織を恐れずに書きたいことが(法すれすれまで)書ける。
しかし、一方、書き手の好悪や気分などで、ある方向に扇動(影響)されてしまっているということも起きる。

読む側のネット情報読み取り能力も必要になる。

そんなことなど含めて、ここ一ヶ月近く、私がインターネットに書く意味についていろいろ考えてきた。

私の仕事は「書く」仕事であり、社会への怒りや、悲しみや、喜び、感動などを胸に溜めて、それをシナリオという形で表現するのが仕事。

なのに、インターネットでは、感情にまかせて書いてはいないだろうか?

今思えば、きわめて初歩的な疑問かもしれないけど、一ヶ月ほど前、その疑問が大きく浮上してきて、私はネットへの書き込みが出来なくなってしまった。

私は書く仕事が大好き。
ネットでいろんな人、いろんな考えを知ることも大好き。

だったらネットはもっと気楽にやったらいいじゃん・・・
そうなんだよね。
きっとそれでいいんだよね・・・

一ヶ月近くも考えて、なんだか、ありきたりの一番シンプルな答えに行き着いた。

そういうわけで、いくつかあるブログを整理して(この日記としだらでんだけは残して)、できるだけシンプルに、細く長く続けていこうと思っている。

掲示板に書き込んで下さった皆様、返信もできない状態にあったもので本当に申しわけありません。

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