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2008.03.29

波乱万丈のはじまり:初就職の頃

唐突だけど、私がシナリオライターという仕事に行きつくまでのこと、(アトランダムになるけど)少しづつ書いていこうかと思う。

高校卒業後、入学した学校は3校、正式に就職したのは3回、結婚2回、離婚2回、引越し17回・・・自分としてはその時、その時、精一杯生きていて、すべてが必然だった。

なので、この記事のタイトルに“波乱万丈のはじまり”なんて書いたけど、実は自分ではちっとも波乱万丈なんて思ってないわけで、普通に生きてきたつもり。
しかし、上記の数字を見ると、人より多いかも・・・

そんな私がシナリオライターという仕事についてほぼ20年近く。
それまでを振り返るに、“人生は何度でもやり直せる”ものだと確信する。
大事な事は、全ての始りと終わりを自分で決めること。
だから私は、なに一つ後悔してないし、その過去があったから今の自分がいると思っている。

というわけで、「ねんきん特別便」のおかげで初就職の頃を思い出したので、ちょいとその頃の事を。

clock  clock  clock  clock  clock

短大に入るまでの事はいずれ別の時に書くとして、私がなぜ京都の短大に入学したかというと・・・
大分県N市の高校卒業後、私は博多のある学校に推薦入学した。
しかし、その学校がどうしても自分が学びたい分野の学校ではなかったもので、親に内緒で学校に行くのを止めて、アルバイトをしながら受験勉強をし、次の春、龍谷大学短期大学部社会福祉科を受験、入学した。

なぜ龍谷大学短期大学部を選んだかというと、西日本の社会福祉科のある短大の中では学費が一番安かったから。

父が早くに病死して、母が女手一つで子供三人を育てており、長女である私は親戚から進学を反対されていた。
しかし、私はどうしても社会福祉を勉強したくて、母に頼み込んだ。というか「進学できなければ死ぬ」と親を脅迫したというか・・・
そうまでして入った最初の学校だったけど、そこは教職課程しかない学校だっために違和感が付きまとい、ついに勝手に中退・・・となってしまったわけ。

短大では念願の社会福祉を学びながら部活にものめりこんだ。
部活は社会福祉系ではなく、フォークソング同好会へ(正式名はなんと世界民謡研究会)
高校生の時に初めてアマチュアのフォークコンサートを見て、舞台照明の美しさに感動したが、それ以来、心の奥底に舞台への憧れがあったのかもしれない。

龍谷大の場合、短大は大学の学部の一つであり、部活などは全て大学と合同だった。
なので私は経営学部の一つ先輩の男子学生・Aさんとデュオを組んで、当時流行っていたアメリカやカナダのプロテストフォークなどをコピーして、ギターを弾きながら毎日歌ったものだ。

このAさんとは歌のことでは意見の対立は全くなかったけど、それ以外の考え方ではよく対立していた。

例えば、戦時中、特攻隊で出撃していった若者達は最後にどんな言葉を言って死んでいったか?
私は咄嗟に「おかあさん」か恋人の名前ではないか、と思った事に対してAさんは「天皇陛下万歳」という言葉のはずだと信じ込んでいた。

それが、初めて「天皇って、なに?」「日本人にとってどういう存在なの?」と調べてみるきっかけになった。

本を数冊読んだだけだったけど、それでも私の考えは変らなかった。
しかし、Aさんの考えも変らなかった。

結局、Aさんは経営学部を卒業後、自衛隊に入隊した。
先に卒業していた私に届いた手紙には「大砲は自分の恋人です」と書いてあり、私は唖然とした。
この平和な時代に、仮想敵国が現実に攻めて来るとリアルに危機感を持っている人と出合ったのはAさんが最初で最後だったような気がする。

(ネットの世界では未だいるようだけど)
(その後、Aさんがどのような人生を送ったかは不明)
(この時のAさんとの議論は、シナリオライターになった今でも、何らかの影響を残していると感じている)

卒論は「少年犯罪」がテーマだった。
その頃の私は世間知らずで思い込んだら一直線。徹底的な性善説でどんな犯罪者も話し合うことで分かりあえると単純素朴に思い込んでいた。

そこで自分と同性である少女達を理解したいと思い、「非行少女の性的非行」というタイトルで卒論を書いた。(“非行少女”は今では死語だけど)

そのために大阪のある教護院に数ヶ月実習に通った。
そこで出会ったのは、小学校低学年から高学年の少女達で、ほとんどが“売春”で教護院に入っていた。おじさんたちから(当時の)五十円、百円を握らされて“売春”していたのだという。

彼女達に将来の夢を聞いたら「お嫁さんになること」とはにかんで答えた。
彼女達にとって“売春”が“悪”だという自覚はほとんどなかったような気がする。

何度も通った割には、彼女達とやった作業などほとんど記憶がないんだけれど、唯一鮮明に覚えているのは、一人の少女が打ち明けてくれた内緒話のこと。

母親が面会に来るたびに、隠れてタバコを吸わせてくれるのだという。
小学校五年の少女にタバコを差し入れする母親がいるのだ・・・

世の中は、私が考えるほど単純ではなく、話し合っただけでは解決しないことが多い、ということを思い知った実習でもあった。

卒論の内容については・・・
「テレビや週刊誌などマスコミの過激・過剰な性描写が若年層に大きな影響を与えているのではないか」という内容だったと思う。

(後に私はシナリオライターとして、にっかつロマンポルノの一作品を共同執筆した。その時、一瞬、自分の卒論のことを思い出し、自己矛盾に陥った。

しかし、作る側に立ってみた時、表現はロマンポルノであろうとテーマは“人間の心の深部を描く”ことであり、そのために何日も徹夜して議論して一本の脚本を作った。刑法に触れるような表現は論外だが、表現の自由内での作品であれば、あとは見る側の自己規制の問題だろうと結論付けた。

大人の場合は、自分で見る見ないを判断できるが、子供に対しては親は“自由”の名のもとに野放図に情報を与えないで、親の責任で情報や作品などを取捨選択するべきだと思う)

そして、いよいよ、就職を決めなければならなくなった時期、ひとつの求人情報に心を奪われた。
龍谷大学は西本願寺系の大学で、西本願寺のブラジル別院の保育園からの求人だった。
私は教職課程(中学社会科)しか取っておらず保母の資格はない。その件で担当教授に相談に行ったら、教職の資格でもOKということだったので、母から一方的に承諾を取って、ブラジルの保育園への就職を決めた。

それで、てっきり就職は決まったと思い込んでいたが、更なるハードルが立ち塞がった。
それは宗教の壁。

就職の条件として、得度(とくど・キリスト教の洗礼のような儀式)を受けろといわれたのだ。

私の実家は西本願寺系だが、私個人は無宗教だ。
龍谷大学を選んだのも、仏教系だからではなくて学費が安かったから。
なのに、就職のためにだけ宗教を利用する(得度を受ける)ことは自分自身が許せない。
それで得度だけは断り続けた。
しかし、結局、受けなければならないことになってしまった。

その時のことは今でも忘れない。
御影堂にびっしりと埋まった全国から集まった信徒さん達の最前列に座った私は、ご門主さまの“おかみそり”が軽く髪に触れた瞬間、滂沱の涙が溢れてきて、歯を食いしばって声を殺そうにも嗚咽が漏れて、ハンカチがぐしょぐしょになるほど泣いてしまった。

信徒さん達から見たらその涙は“ありがたくて感激した涙”に見えたかもしれない。
でも、私にとっては“宗教に妥協してしまった自分に対する悔し涙”でしかなかった。

(私は、浄土真宗を拒否していたわけではない。子供の頃から親戚のオバサンに仏陀や親鸞の話は聞いてきたし、親鸞の映画も素直な気持ちで見たことがあるし、それに対する拒否反応はなかった。

ただ、高校生の頃から「人間にとって宗教ってなんだろう」という漠然とした疑問があり、その疑問を引きずっている渦中に、就職のために特定の宗教に入らなければならない状況に陥ったため、どうしても得度を受け入れられなかった。

この時、私が親鸞に強く興味をもって、もっと知ろうとしたならば、私の将来も変っていたかもしれない。でも、その時点では、組織の力で宗教を強要されているように感じてしまったのだ)

得度の件が影響したのかどうかわからないけれど、結果的にはブラジル保育園就職の話は流れてしまった。

それで、就職先が決まらないまま私は卒業。
だが、心配してくださった担任教授の紹介で西本願寺宗務所の婦人青少年部に就職することになった。

しかし、そこは三ヶ月ももたなかった。
男性の職員はほとんどが僧衣の人で女性職員は少なかった。
浄土真宗に対しては無知のまま、内心は無宗教の私が長く勤められるはずがない。
夏の日、真っ直ぐ伸びた廊下をフワフワとよろけながら歩いている自分に気がついた。
まるで自律神経失調症・・・
夏が過ぎて秋に入った頃、退職届を出した。

(新たに見つかった年金記録によると、ここでの記録は7月15日から10月1日となっている。私はてっきり試用期間三ヶ月の間に辞めたと思い込んでいたが、もしかしたら試用期間3ヶ月を過ぎて本採用になってから辞めたのかもしれない。う~む、そこんとこ記憶が曖昧)

無職になって二ヵ月後、部活の別の先輩の紹介で就職することになるんだけど、それは全く社会福祉とは関係のない仕事で、この仕事辺りから社会福祉から離れて、私の人生は大きく変わって行くことになる・・・

(つづきは不定期に)

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