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2009.06.26

ショック! 僧帽弁閉鎖不全症

P10004702_2 (←トリミング前のラブ)
 
先日、ラブのトリミングが終わってから狂犬病予防ワクチンのために動物病院へ。

1月以来、久々の病院。しかもはじめての病院です。

セントが旅立って間もなく1周忌。
まだセントの遺骨を手放すことができず、毎日毎日手を合わせて言葉をかけています。


思い出しては泣き、写真を見ては泣き・・・


そしてセントを抱いて通い続けた病院に行くのが辛くて・・・ついに病院を変えました。




P10004952_2              (トリミング後のラブ→)

予防注射のついでにいろいろ気になっているところを診てもらう。


少し前から、光の加減で黒目のところに白く膜が張り始めているような気が・・・。

もしや・・・まさか・・・の悪い予感は当たってしまった。

白内障が始まっているとのこと。

若くして両眼が白内障で真っ白になったワンちゃんを見たことがある。
いつかはあんなふうになってしまうのか、と思うと暗澹。


犬の場合は5才くらいで老化現象が始まり、白内障のワンちゃんが多くなるのだと。
今のところラブはまだしっかりと見えており、進行を少しでも食い止められるように目薬を処方してもらう。


皮膚のほうもちょっと痒がっているので薬用シャンプーを購入。




しかし、しかし、それらはすべて、この後の宣告に比べたらまだまだ序の口。
お楽しみ・・・じゃなくて“お苦しみ”はこれからだった。


P10005002 ラブは現在10才3ヶ月。人間でいえば56~60才。
昨年の6月15日に左乳腺全摘出と右最下の米粒ほどの悪性腫瘍摘出。同時に避妊手術をした。

術後は順調で、問題なく退院して、傷跡もきれいに治癒。
その後の大きな問題としては避妊手術後の肥満。
いつも食いしん坊セントよりは軽くて、6キロオーバーすることはあまりなかった。が、避妊手術後は7キロ近くに・・・。
なのでダイエットには気をつけている。


ドクターはラブの肥満を指摘した後、聴診器で心音を聴く。
なにやらとても慎重に、二種類の聴診器で丁寧に聴いた後、ついに・・・。



「心臓に問題があるようです」



そして、立てかけてあった本を開いて、該当のページを開いた。



僧帽弁閉鎖不全症



中高年以降の小型犬に多い心臓病だとのこと。


そう言われてみたら、最近のお散歩時に、じっと立ち止まってしまうことが多々あり。
また、時々、喉に骨が刺さった時のように「ゲッ」とやっているが、それは犬の咳だとのこと。

近々、詳しい検査をやってもらう予定。


目下のところ、ダイエットと塩分制限をしっかりとやらなければなりません。




セントに続き、ラブまでを失うことになってしまったら・・・
考えただけで恐ろしい事態。



なので、何が何でも、病気とうまく付き合いながらちょっとでも長く一緒にいられるように頑張りたいと思います。

それにしても、病院選びは難しい・・・。


今回行った新しい病院。とても立派な建物の中にあり、大手動物病院の分院。
初診料は普通よりお安いし、狂犬病ワクチンも期間割引料金だった。


心臓病が分かりショックで、お勧めの処方食を購入。
また薬用シャンプーもお勧めのものを。
そして、白内障用の点眼薬を出してもらう。


帰宅して、病院で購入したものの与え方や使用法を改めてネットで確認するために検索していて、驚きの事実を知ってしまった。


白内障点眼薬「ライトクリーン」がネットでは1000円~1500円くらい?!

病院での値段は全く同じものがなんと4200円!

セントの時も、処方されたお薬に関しては効能や用法や値段などをネットで調べていたが、3倍以上ものお値段のものってなかったと思う。

すでに支払っており、それに関してはいいんだけど、ただ、なぜそんなにお高いのかどうしても納得できずに、もしかして処置料も込みで外用薬に値段をつけているのか? と病院に問い合わせをしてみた。


すると、処置料は含まれず、あくまでも白内障点眼薬「ライトクリーン」だけのお値段とのこと。


処方食もシャンプーも、全く同じものがネットよりは病院のほうが少しはお高い。それは納得できる。

しかし、1000円~1500円くらいのものが4200円もするとなると、う~む、これから先のことちょっと考えてしまう。



病院選びは、まず病院やドクターへの信頼感が第一。


やはり、少し遠くても前の病院のほうがいいかなぁ・・・。


ああ、悩みは尽きないっす。

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2009.06.21

どくだみシスターズ近況

昨日土曜日は死んでいた・・・・・


金曜日、西葛西の帰り、ふと思い立って“どくだみシスターズ末っ子”⑦さんと連絡を取り合って新宿で合流することになった。


いつもなら、木曜・金曜と西葛西が続いた日の金曜は、少しでも早く帰ってまずは眠りたい・・・なんだけど、この金曜日は⑦さんが夕方から脚本展の打ち合わせで西新宿の芸能花伝舎に行っているってことが分かっていたので、そんなことやあんなことやいろいろ情報交換もしたかったし。


ということで、午後9時過ぎに⑦さんのお知り合いの新宿の居酒屋『千草』へ到着。


このお店の店主はベテランの狂言師で、昔から放送・演劇関係のお客さんが多いとのこと。

この夜も⑦さんのもと上司だったという超ベテラン演出家でありプロデューサーのS氏がお仲間の送別会とかでいらしていて、皆様をご紹介いただく。
劇団の演出家、ある財団の関係者、外務省の方、演劇関係の会社の社長さん…。

普段なら出会えない方々と出会え、含蓄のあるお話をうかがう。


そんな皆様についつい日本脚本アーカイブズをPRしているどくだみシスターズの長女と末っ子。
脚本アーカイブズの重要性、一人でも多くの人に分かっていただきたく・・・。

長女と末っ子は終電間際の中央線で場所を変えて西荻のちょっとお洒落なバーへ。

世も更けるほどに、どくだみシスターズの毒舌は止まる事を知らず・・・

ということで久しぶりに朝帰りの土曜日、ほとんど動けず。
貴重な出会いと同時に、いかに回復力が衰えてきているかを如実に知った週末だった。



ところでどくだみシスターズがついに公認デビューしてしまった。

090621dokudamisisters3 13日の脚本塾開講特別講座終了後、市川森一作協理事長を囲んでの懇親会があり、市川先生から脚本アーカイブズには「三姉妹」がいるらしいと指名された我々。

思わず「どくだみシスターズどぅぇ~す」と長女、次女、末っ子自ら自己紹介。

(どくだみシスターズイメージ画(あくまでイメージ)→)

先日、アーカイブズの仕事のことで某委員氏と電話で話していたら、「(どくだみ)長女ということで、ぜひ協力を」なんて言われてしまった(驚)

「どくだみ」という名前があまりにもピッタリの三人だったのか、皆様の記憶にピッタリとハマってしまったらしい(爆)


どくだみ・・・語源はドクダメ(毒溜め)らしく、名前はおどろおどろしいけど、とても有用な薬草なのです。

分 類:植物 双子葉植物離弁花 多年草 ドクダミ科
学 名:Houttuynia cordata
分 布:本州、四国、九州、沖縄
環 境:平地の林や日かげ

名前と違って、清楚で可憐な白い花が咲くドクダミ。

生命力と繁殖力は、他の薬草よりはるかに強く、いくらむしり取っても、根茎が残っていると、翌年は、地面いっぱいになるくらい繁殖する

独特の臭いがあり、何か毒でも入ってるのではないか? ということからドクダメ(毒溜め)がドクダミへと変化してこの名がついたと言われている。

古来より、民間薬として利用。 漢方名を「十薬」という。
江戸時代に貝原益軒著の「大和本草」の中に「十種の薬の能ありて十薬となす」と記されています。十種だけではなく、もっと多くの効能をもっている。



ということなので、うまく利用していただけば素晴らしい効能を発揮するどくだみシスターズです。

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2009.06.16

京都河原町ジュリー伝説

読み始めた都市伝説の本の中に、“横浜メリーさん”と並んで、懐かしい人を発見!

その名は、“京都河原町ジュリー”。

といっても、当時、あの人に、“京都河原町ジュリー”なんて名前があったとは知らず、とりあえず“レゲエのおじさん”と呼んでいたような気がする。

090616kawaramachijury2_2  前から見たら、極太のドレッドヘアで、お顔はじめ全体が長年の垢が積もり積もって薄黒い。

このおじさんが動くと、モーゼの十戒で海が割れたように、人並みがサーっと割れる。

京都河原町での存在感は抜群だった。

私は結構、このおじさんを見かけたほうかもしれない。

京都の短大を出てブラジルの幼稚園に就職予定が諸々の事情で中止になって、大学の紹介である法人に勤め始めたんだけど、どうしても馴染めず数ヶ月で辞め、大学のクラブ(フォークソング)の先輩の紹介で入社したのが河原町三条の音楽プロモートの会社。

この会社はオフィスとプレイガイドが河原町を挟んで分かれていたために、チケット管理の仕事をしていた私は日に何度もオフィスとプレイガイドの間を往復していた。

それでおじさんを見かける機会が多かったというわけ。


一度、あと半歩というところでおじさんと大衝突しそうになったことがある。

よそ見をしながら歩いていて、ハッと立ち止まったところ、目の前に真っ黒い大きな塊があった。
その黒い塊は、なんと京都河原町ジュリーのゴテゴテに固まった後ろ髪だった・・・。
前から見たらドレッドヘアだけど、後ろから見たら黒い塊。

私の嗅覚は人と比べるとどうも鈍感らしいんだけど、この時ばかりは鈍感でよかったと思った。


おじさんは、私が東京へ転居する前後あたりに亡くなったらしい。

保健所に保護されて風呂に入れられ髪を切られた。しかし、そのせいで風邪を引いてしまい、ついには亡くなってしまったと知人から聞いたような気がする。


実際は、ある冬の寒い朝、円山公園のベンチで、体中に新聞を巻き付けて息絶えているところを、巡回中の警察官が発見。
京都新聞の夕刊には、『さようなら、河原町のジュリー』という見出しで、かなり大きな 死亡記事が掲載されたという。

ジュリーの亡骸は市の職員によって火葬、京都市内の寺に無縁仏として安置され、最後まで本当の名前は知られることはなかったそうだ。


が、諸々の伝説を残した京都河原町のジュリー


「昔は大会社の社長だったけど、会社が倒産してルンペンになった」
「実は円山公園の桜の木の下に大金を隠し持っている」
「恋人に先立たれたショックで狂ってしまった」
「ジュリーに会ったら、幸せになれる!」
「ジュリーは、実は、少林寺の達人である」
「ジュリーは、ルンペンは仮の姿で、実は、大富豪である」   などなど。


そんな噂の根底には日本古来から伝わる貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)の影響があるのかもとは都市伝説の著者のコメント。

貴種流離譚とは、折口信夫が日本における物語文学の原型として論じた概念で、『もともと高貴の家に生まれた者が理由あって不幸の境遇に置かれ、その恵まれない境遇の中で旅や冒険をしたり巷間で正義を発揮する』という話型。


ふ~む、なるほど。


横浜メリーさんは、ドキュメント映画になったり、舞台のモデルになったりしているけど、京都河原町ジュリーに関してはいまだ闇の中。


ホームレスのカリスマ・京都河原町のジュリー、死して伝説を残す。
死後20年以上経っても、語り継がれているって、改めて、すごい人です。



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2009.06.15

【てら】脚本塾特別講座 御礼

放送映画文化講座【てら】第1回 開講特別講座 脚本家・市川森一氏の講座は補助席が必要になるくらい多くの皆様にご来場いただき、ありがとうございました。


引き続き6月27日(土)からは脚本基礎講座が始まります。
脚本に関心のある方ならどなたでも、受講できます。
(1回500円 足立区民400円 その他割引あり)


今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



           by 日本脚本アーカイブズ【てら】担当委員 より

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2009.06.13

【てら】脚本塾本日開講:市川森一特別講座

準備に忙殺される日々が続き、やっと本日、開講となりました。

定員締め切りまで、少しだけ余裕があります。

脚本に関心のある方ならどなたでも、どうぞいらしてください。

PDF版 チラシ表
      チラシ裏

日本脚本アーカイブズ倶楽部ホームページ

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2009.06.08

サッカー熱

「新たな挑戦」「これからが勝負」…日本代表が帰国会見

W杯予選 対ウズベキスタン戦、試合が始まって間もなく電話が掛かってきて、結局2時間半近い長電話になってしまった。
電話をしながら、目は音声を消した画面の中の試合を追って・・・。


サッカー熱はかなりダウンしたけど、それでもサッカーの試合は見てしまうね。

W杯フランス大会から始まったサッカー熱。
日本代表の国内試合にはいつも必死でチケットをゲットしたものだ。

スタジアムへは友人たちと行くこともあったけど、半分は一人で行った。
日本代表を応援するスタジアムでの一体感と爽快感って、他では味わえないんだよね。
中毒みたいなものだったりして。

しかし、そのサッカー熱も中田英寿選手の引退で終わったみたい。
他人事みたいだけど自分でも不思議なくらい褪めてった・・・。


Confede01_02 もともとは、たまたま見つけた中田選手のホームページで、彼の文章を読んで共感することが多かった。そして、中田選手に関心を持ってサッカーを見始めたのが始まりだった。

出来たばかりのclub.nakata.netにもいち早く入会したし、イタリアに移籍した中田選手を観たくてスカパーにも入った。

ペルージャでの衝撃的なデビューも観たしその後の彼の活躍を追い続けた。

Japan01_2  数度に渡るイタリア国内での移籍、イギリスへの移籍・・・何がどう動いても、彼自身が決めたことなのだから大丈夫、それでいいのだと受け止めてきた。

だから、引退も彼が決めたことなのだから、それでいいのだと自然に受け止めた。


大事なことは自分の人生の選択は「自分で決める」こと。


何冊も彼に関する本を読んだ。なので彼がどんな選択をしても自分の人生に対しては自分で責任の取れる人間だ(決して他人に責任転嫁はしない)ということはわかっている。

引退後、旅人だろうが事業家だろうが、彼がどんな人生を歩もうと頑張って欲しいと遠くから見守っている。(かなり遠い距離からになってしまったけど)


そして今・・・

すっかり下がってしまったサッカー熱を感じるにつけ、私は“中田英寿というサッカー選手”が好きだったのだということがよくわかる。


残念ながら、“中田英寿というサッカー選手”はもういない・・・


でもでも、頑張っている日本代表の選手たちには以前と変わらぬ声援を送りたい。
そして、また、スタジアムに行って応援したいという気持ちが甦りはじめている。

頑張っている人たちは本当にいい顔をしているし、元気をもらえるしね。




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2009.06.03

やはりすごい、アースマラソン

間寛平さんのアースマラソンの昨日の特番、見ていてもらい泣きしてしまった。

千葉・鴨川を出発してからの日記とビデオはほとんどチェックしている。

清志郎さんの訃報が届いた日、寛平さんはショックと悲しみがギュッと詰まったようなコメントを出されていた。


昨日の特番では、訃報の電話を受けている寛平さん、電話機を持ったまま叫ぶように号泣する寛平さん、立っていられずに座り込んだ寛平さん・・・その姿が短い時間だけど映されており、清志郎さんを亡くした寛平さんの痛いほどの悲しみがひしひしと伝わってきた。




それでも、残されたものの人生は続く。
歩き、そして走り続けなければならない。


テレビ放映は時間内でアースマラソンの意味と意義をちゃんと伝えるために構成作家によりプログラムが構成されている。


しかし、日々UPされる寛平さんの走りはまさにライブ。
ちょっとばかり時差はあるものの、毎日毎日のライブの出会いを見るにつけ、なぜかジワリと涙ぐんでしまうことが多々ある。


旅をすることの最大の楽しみは出会い。
もし、またいつか同じ道を通ることがあったとしても、同じ出会いは二度とない。

ましてや、ヨットとマラソンで世界一周なんて二度とチャレンジできることではない。
ということは、寛平さんは一生に一度の出会いを日々重ねている・・・。
見知らぬ人たちが、寛平さんを探して応援に来てくれる。


ただ、淡々と好きなことを一生懸命やっているだけの寛平さん。
でも、その姿が多くの人の心を動かしている。


昨日、「パンプキン」を嬉しそうに連呼する寛平さんを見て、なんば花月で寛平さんの“引きずり女”を初めて見た時の衝撃を思い出した。(引きずり女、映像で見るのと実物では全然、存在感も迫力も違う!)



寛平さん、あなたは、喜劇人としてもひとりの人間としてもスゴイい人です!



そういえば、なんば花月の楽屋にご挨拶に行った時、楽屋ロビーに明石家さんまさんがいたけど(ほかにもたくさん吉本の芸人さんがいたと思うけど、さんまさんしか記憶にない)、なるほど仲がいいんだ。







    foot    foot    foot    foot    foot

アースマラソンにインスパイアされて、これまでの自分の旅を整理してみようかという気になった。
まずは世界旅行から。
写真などのUPはかなり時間がかかるので、すでに整理されている旅の記録だけでも先にUPしておきます。

写真や思い出などは、時間がある時に埋めていこうと思ってます。

Something else』 → 「World Wander Travel --世界ぶらり旅--」

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