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2009.10.29

『それでも生きる子供たちへ』

09all_the_invisible_childrenそれでも生きる子供たちへ [DVD]

オムニバス映画を探していて、またまた観た作品だったけど、とても心に残る映画だった。


2002年、イタリアの有名な女優でありWFP(国連食糧計画)の飢餓撲滅大使でもあるマリア・グラッツィア・クチノッタが、映画監督のステファノ・ヴィネルッソとともに、この映画の製作を呼びかけ、ユニセフ(国連児童基金)とWFPが協力して、この映画が作られた。(この映画の収益の一部はWFPとユニセフに寄付されます)


搾取や戦争のために多くの子どもや青少年の人権が否定されている。
世界中で飢餓に苦しむ子どもは3億5千万人以上にのぼり、また学校へ通ったことがない子どもも1億人を超える。


“All the Invisible Children”(邦題:『それでも生きる子供たちへ』)は、このような子どもたちに捧げられた作品。


“All the Invisible Children”は直訳すると、『目に見えない子供たち』=『存在を忘れられた子どもたち』

まさに、存在を忘れられた子どもたちの生活がこの映画のテーマ。

どの作品の子供たちも、世界の無関心さの影に生きる、忘れられた存在。

この作品の中で、彼らは、世界中で貧困、権利の侵害などに苦しみながらも、たくましく希望を持って生きる同じ境遇の子どもたちを代弁している。
                              (参考:WFPホームページより)


   



第1話『タンザ』(ルワンダ)
    監督・脚本:メディ・カレフ


 主人公は、自慢のスニーカーを片時も離さぬ向学心旺盛な12歳の少年兵タンザ。

第2話『ブルー・ジプシー』(セルビア・モンテネグロ)
    監督:エミール・クストリッツァ    脚本:ストリボール・クストリッツァ


 主人公は、盗人一家の子供で少年院での出所をようやく迎えた15歳の少年マルヤン。

第3話『アメリカのイエスの子』(アメリカ)
    監督:スパイク・リー     脚本:サンキ・リー &ジョイ・リー


 主人公は、母子ルートでHIV感染した少女ブランカ。

第4話『ビルーとジョアン』(ブラジル)
    監督・脚本:カティア・ルンド

 主人公は、廃材回収業で日銭を稼ぐ幼い兄妹・ビルーとジョアン。

第5話『ジョナサン』(イギリス)
    監督:リドリー・スコット&ジョーダン・スコット 脚本:ジョーダン・スコット


 主人公は、岐路に立たされた戦場カメラマン。少年時代の自分と出会い・・・。

第6話『チロ』(イタリア)  
   監督・脚本:ステファノ・ヴィネルッソ  原案・脚本:ディエゴ・デ・シルヴァ


 主人公は、家族への不信から窃盗を繰り返す10代のチンピラ少年・チロ。

第7話『桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)』(中国) 
    監督:ジョン・ウー  脚本:リー・チャン


 主人公は、裕福な暮らしを送るソンソンと、身寄りのないシャオマオの二人の少女。
 それぞれが大人の身勝手により辛く厳しい境遇に置かれ・・・。


 ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

どの作品も、テーマがひしひしと伝わってくる。


そんな中でも、ストーリーが分かりやすかったのが、
第3話『アメリカのイエスの子』第7話『桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)』


『桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)』は「フェイス/オフ」などハードボイルド系のジョン・ウー監督が、「レッドクリフ」の前に撮ったヒューマン作品。

18分の作品だけど、セリフをできるだけ押さえ、内面や状況を映像で見せるシーンが多々ある。またフランス人形や鉛筆、花売りの花など小道具が非常にうまく使われていた。

何度観ても、クライマックス直前のシャオマオのひた向きに生きようとする強い意志を持った眼差しに涙があふれてしまう・・・・・。




日本でこのテーマの映画というと、『誰も知らない』(是枝裕和監督 柳楽優弥主演)が、ぴたりとこのオムニバスのテーマに当てはまるような気がする。

一見、物に囲まれ、物の溢れた国の中での、恐ろしいまでの他人への無関心。
その被害者は、子供たちだ・・・・・。

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2009.10.22

生と死の境

長門裕之さん、「介護は人生観を変えてくれた」=南田洋子さん死去


奥様が危篤になった時、そして亡くなられた直後の記者会見。


普通の人だったら、そんな時に記者会見が出来るほど強くない。
現実を受け入れるまでに、時間がかかると思う。


長門裕之さんの記者会見を見ていて、この人は本当に事実をきちんと直視できる強い人だと心底感じた。


そこに至るには、言葉に尽くせぬ一生懸命の介護があったからだろうと思う。




       一生懸命
    
いっしょういのちをかける       
 『メメントモリ』 藤原新也著





そして


洋子さんが長門さんがお仕事中に息を引き取られたと聞いて、
内心、よかったと思った。


危篤の記者会見で長門さんは
「もう洋子ではありません。機械で生かされているから(要約)」
と言った。


その時、私の脳裏に二つのシーンが甦った。



20年近く前、夫だった人の父が倒れた時。
急いで駆けつけたICUで、ドクターが心臓マッサージを続けていた。
担当の医師は夫に心臓マッサージを続けるかどうか聞いたようだ。
やがて、心臓マッサージを続けていた手が止まった。

その時、私は思わず大声で叫びそうになった。
「止めないでっ!」

しかし、叫びそうな自分の口を両手で塞いだ。
私よりももっと叫びたいのは息子である夫のはずだから・・・と。


自分の一言で、生と死の境が決まってしまう・・・・・。
これほど、辛く悲しいことはない。




やがて時が経ち、昨年、私はあの生と死の境に再び直面した。

セントを抱いて駆け込んだ病院で、手を尽くしてもらった後、最後に会ったセントはドクターに心臓マッサージをされていた。

担当医が心臓マッサージを続けても蘇生の見込みはないと告げる。
でも、私は百万年でもこのまま心臓マッサージを続けていて欲しいと願う。

しかし、そんなことが出来るはずがない。
だから、私は逃げた。

「何分経っても、何時間経っても、(心臓マッサージを)止めてとは言えない。だからお願いです。医学的にもう助からないとお医者様が判断した時に止めてください」

そして待合室に戻って、号泣することしか私には出来なかった。
そこまで来ても、まだ希望を持つ、奇跡を待つ不思議さ。

泣きながら「セント、帰っておいで。早くお母さんのところに戻っておいで・・・」と願い続けていた。




生と死の境に立たされ、選択を求められることの辛さ・・・・・


しょうがない・・・・・しょうがない・・・・・・


と思いつつも、やはり辛くて悲しいです。




一生懸命だった長門さんが、せめて、選択の辛さを背負わずに済んだだけでも、
よかったと思う。



女優 南田洋子様、お疲れさまでした。合掌。


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2009.10.20

悲しくてやりきれないです、加藤和彦様

加藤和彦さんが自殺=「あの素晴しい愛をもう一度」-遺書2通、軽井沢のホテル

天才ゆえの葛藤か 加藤和彦さん最後のインタビュー


大学に入って初めて、出身の有名人に加藤和彦さんがいると知った。

その時は、流行った『帰ってきたヨッパライ』を歌ったグループの人、というだけであまり関心はなかった。

大学のフォークソングクラブで先輩たちが『イムジン河』や『オーブル街』『アーサーのブティック』を歌っているのを聞いて、不思議な優しさに満ちた『アーサーのブティック』が大好きになり、自分でもギターを弾きながらよく歌ってた。

だいぶ後になってから、加藤さんが作曲した曲だと知った。



それからずいぶん経って、ある日、ふと耳にした曲が『あの頃、マリー・ローランサン』。


優しくて、柔らかくて、スタイリッシュな加藤和彦さんの歌の世界に魅かれてアルバム『パパ・ヘミングウェイ』『ベル・エキセントリック』『あの頃、マリー・ローランサン』『ヴェネツィア』と聴き倒し、加藤和彦&安井かずみの世界にはまった。


私にとって加藤和彦&安井かずみのカップルはジョンとヨーコに匹敵する、最高のカップル、憧れのカップルだった。


安井かずみさんが亡くなった時、加藤和彦さんは後追い自殺するんじゃないかと心配した。


その1年後に再婚のことを知った時は、まず信じられなかった・・・・・
でも、後追い自殺するよりは生きてて欲しいし、生きるために支える誰かが必要ならば再婚もありか・・・と勝手に納得した。

安井かずみさんを失くした心の穴が、そんなに簡単に埋まるとは思えなかったけど・・・。






うつだったのか・・・・・・・・・



加藤和彦さんの希死念慮がどれほどだったのか、誰も分からない。


ただ、


うつのせいで、仕事の出来ない辛さだけは分かる。




私の場合、2、3日の徹夜も平気で仕事にひたすら集中できた状態から、気がついたら5分とパソコンの前に座ってられない状態になっていた。

約7年ほど前のある日のことだ。
最初のうちは、いつになく重いだるさに襲われて、ベッドに横になってはパソコンの前にというのを繰り返しながらでもシナリオを書くことは出来た。

しかし、やがてベッドから起き上がってパソコンの前に座ると5分も経たずに異常なだるさが全身を包み、体を起こしておくことも出来なくなり、ベッドへ・・・。
こうなると当然集中力どころではなく、シナリオも書けなくなってしまう・・・。


ここまで来て、私はやっと自分の意志の力ではどうにも出来ない異常が自分の体に起こっているんだということを認めざるを得なくなった。


実はその1年くらい前に、人生の中でも最も愚劣で酷いトラブルに遭遇して、どこにいて何をしていても、自然に涙が出てきてしまうという状態が起こるようになった。心療内科では初期のうつ病の疑いと言われた。

その時、投薬での治療を断り、心理カウンセラーを紹介してもらった。

私は自分が遭遇したトラブルを客観と主観の両面から乗り切るために、家庭裁判所には客観的・法的な見解を求め、私自身の心のケアのためには約半年カウンセリングを受けた。


そして、すべて解決したと思っていた。


しかし、一度狂いはじめた脳内のセロトニンやドーパミンは、心の治療とは別のところで異常さを増していたらしい。


ベッドから玄関までのわずか数メートルの距離でさえ、異常なだるさのため這うようにして動かなければならなくなって、ついに私は以前行った心療内科に駆け込んだ。


「薬を飲みます・・・薬で治してください・・・」


うつ病が単に「心」や「気力」の問題ではなくて、内分泌系の異常から来る「体」の病気だということを身をもって認めた瞬間だった。


1日でも早く、もとのように仕事に戻りたい。
その一念で始まったうつの治療で約3年薬を飲み続け、仕事にも復帰することが出来た。



私の場合は、幸か不幸か、希死念慮だけはなかった。
思春期から20代前半までの多感な時期、リスカや自殺行為にとらわれ、たどり着いたのがキリスト教の洗礼を受けるということだった。

死は自分で決めなくても(決めてはいけない)、やがてその時になれば、誰にでも訪れるものだからと思うことが出来るようになった。


好きな人と恋愛もし、好きな仕事に就いていたのに、なぜか「生きていても意味がない」という思いにとらわれ続けていた若い頃の日々を思い出すにつけ、うつによる希死念慮がどれほどのものか、本人にとっては一般人の想像を超えた辛さ、苦しさなんだろうなということだけは想像できる。


それに加えて、集中力が続かず、創造的イメージを喚起することが出来ず、作品を作ることの出来ない辛さ、苦しさ・・・。



加藤和彦さんのファンの1人としては、そこを乗り越えて生きていて欲しかった。


でも、


今頃は、安井かずみさんのそばで子どものようにホッとしているのかもしれない。


どうか安らかに・・・・・・・。







【試聴できる私の好きなアルバム作品】

パパ・ヘミングウェイ(紙ジャケット仕様)

09kazuhikokatopapahemingway
1.スモール・キャフェ
2.メモリーズ
3.アドリアーナ
4.サン・サルヴァドール
5.ジョージタウン
6.レイジー・ガール
7.アラウンド・ザ・ワールド
8.アンティルの日
9.メモリーズ(リプライズ)


ベル・エキセントリック(紙ジャケット仕様)


09kazuhikokatobelle_exccentrique
1.ロスチャイルド夫人のスキャンダル
2.浮気なGigi
3.American Bar
4.ディアギレフの見えない手
5.ネグレスコでの御発展
6.バラ色の仮面をつけたマダム
7.トロカデロ
8.わたしはジャン・コクトーを知っていた
9.Adieu,Mon Amour
10.Je Te Veux


あの頃,マリーローランサン

09kazuhikokatolaurencin
1.あの頃、マリー・ローランサン
2.女優志願
3.ニューヨーク・コンフィデンシャル
4.愛したのが百年目
5.タクシーと指輪とレストラン
6.テレビの海をクルージング
7.猫を抱いてるマドモアゼル
8.恋はポラロイド
9.優しい夜の過し方
10.ラスト・ディスコ



ヴェネツィア


09kazuhikokatovenezia 1.首のないマドンナ
2.ハリーズ・バー
3.トパーズの目をした女
4.真夜中のバレリーナ
5.七つの影と七つのため息
6.スモール・ホテル
7.ノスタルジア

8.ピアツァ・サンマルコ
9.ソング・フォー・ヴェネツィア
10.水に投げた白い百合

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2009.10.17

高校同窓会へ

早っとちりの本領発揮。なぜか高校の同窓会の日にちを15日と思い込んでいた。
で、17日は日本脚本アーカイブズ倶楽部「てら」の講座受付予定が入っていたけど、12日になってようやく同窓会が17日だったと気がつき、急きょ、「てら」の受付を変わってもらって、同窓会へ。

「てら」受付変更、関係者にはご迷惑をおかけしてすみませんでしたm(_ _)m



0910171 というわけで、霞ヶ関ビル35階で行われた九州の母校の関東高校同窓会へ。
(←霞ヶ関ビルエントランスからの夜景。新橋方面)

母校単独の同窓会に出席するのは4、5年振りかも。
久しぶりに出席したら、同期の出席者の顔ぶれがほとんど入れ変わっていた。


大学教授で著書を90冊近くも出版しているというH氏。
大手保険会社の常務執行役員Y氏。
物流関連会社常務取締役M氏。
そして、郷里中津からはU氏。
U氏は幼稚園から小・中・高と同じ学校の幼馴染みで、今や大きな病院の院長。

男子はみなさん、ご立派になられて・・・・・
女子はガン手術したというのにいつ会っても超元気なOさんと私だけ。


他の学年では、1年先輩で同じ町内で生まれ育ったH氏。美術系の大学を出てNHKにお勤めで、同じ放送業界の仕事ということで、同窓会に行けばいつも一番H氏と話しているかも。


また、俳優の小野孝弘クンとも久々に会う。小野クンは出席者の中では最も若い卒業生だったみたい!


で、今回の幹事は脚本家・野依美幸ちゃんの回生。
美幸ちゃんとも久々に会場で会って、思わず抱擁。


そして、そして、高校の大先輩・元俳優で衆議院議員の横光克彦氏にもご挨拶。
日本脚本アーカイブズの活動について、ちょっとお話しさせていただいた。
脚本アーカイブズに関しては、ヨーロッパや韓国のように国が収集・保存管理に動いてくれるのが一番望ましいんだけれど、国会議員に対してこの後どういうふうにアプローチしていけばいいんだろうか・・・・・(迷)


0910172_2 一方、抽選会ではしっかり大分県産焼酎をいただきました。

私が選んだのは『なしか!』という麦焼酎

「なしか」というのは大分の方言で「何故?」「どうして?」という意味。

OBS大分放送に「夕方なしか」という番組があって、そこで取り上げた「なしか」の数々が本になっている。以前、妹がその本を送ってくれて、方言による「なしか?」の疑問に大分弁で答えているその面白さ、楽しさ、懐かしさにひとりで大笑いした。


焼酎『なしか!』のパッケージにはその“なしか坊や”が描かれており、パターンは13種類もあるらしい。
その一つがコレ。電信柱の張り紙が「松山恵子ショー」・・・うわっ、細かところまで懐かしい。

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同窓会終了後は同期の6人で銀座『天亭』へ。
銀座で飲むなんて、超久しぶり。しっかりご馳走になりました。

東京ではここでしか飲めないという宇佐神宮庁御用達の日本酒『民潮』をいただいたけど、濃くがあるのにフルーティーでとても美味しい日本酒だった。

で、このブログを書くために民潮のホームページを見てびっくり!
代表取締役の今戸公徳氏はな、なんと放送作家協会会員の大先輩なのです!

シナリオの勉強を始めた頃、シナリオセンターの先生から「確か大分県には今戸公徳というシナリオライターがいた」と聞き、お名前だけは昔から知っていました。
今戸氏は向田邦子さんとも同じ頃に『ダイヤル110番』を書かれているよう。

偶然とはいえ、郷里の大先輩の会社で作ったお酒を飲めたなんて、嬉しくて、かつ、ちょっと不思議な感じでした。


この日お会いした皆様、本当にありがとうございました。
そして、同期の男子、美味しいお酒と食事をご馳走さまでした♪

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2009.10.16

超スッキリ!

髪、約25センチ切った!


2009101615400000_2 久々にラブをトリミングに連れて行く。
夏場は自宅にてペット用バリカンで散髪してたけど、爪だけは怖くてどうしても切ってやることができない。
なので、爪がかなり伸びてしまい、ようやくペット美容室に予約した。

(←トリミング終了後のラブさん。今まで見た中で一番変な髪飾りを付けられている・・・。ちょっとアバンギャルド系?)


ついでに私も髪を切りに行く。

9月末のある日、突然、髪を切りたいと思った。
以来、毎日毎日、髪切りたい病に取り付かれて、ようやく。


20091016163800003 1年3ヶ月前に行った美容院で、1年3ヶ月前と同じ髪型に切ってもらった。
なので約25センチが1年3ヶ月で伸びた髪の長さ。
髪の伸びるの、早い方だと思っているんだけど、どうなんだろう? 平均的?



ヘビメタ系の髪形をした美容師さんだったので、思いっきりブッ飛んだ髪型にしてくれてもいい・・・と思ったけど、ちゃんと年齢にふさわしいような髪型になっていた(寂)

2009101615410000


カットとカラーをしてもらったけど、私の美容院代よりラブの美容院代のほうが高かった・・・(ゲッ)

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ギリヤーク尼ケ崎:青空舞踊公演

遅ればせながらのUPです。

10月12日(月・体育の日)
1時間前には到着しているつもりが、西新宿に着いたのが開演直前の午後2時少し前。
とりあえず、車をセンタービルの駐車場に入れてペンタクックスギャラリーの大坂忠さんの写真展目指して駆け上る。

で、大阪さんにご挨拶だけ済ませて、隣の三井ビルの広場へ走る。



広場はもう観客で埋まっていた。人を掻き分けてなんとか写真の撮れそうな位置を確保。

だが、開演時間が過ぎても始まらない。
10分を過ぎた頃に文化庁芸術祭関係らしい数人の人たちが着席。
それでも、ギリヤークさんは登場せず・・・。

どうやらテレビのインタビューを受けており、それが長引いているらしい。



開演直前の、最も精神集中の必要な時間にインタビュー?!
なに考えとんじゃ、テレビ局は!(怒)


20分を過ぎて、ようやくギリヤークさん登場。

(写真クリックで拡大します)

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登場したその瞬間から、“芸” はもう始まっている。

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衣裳を着、メークをし、“役” に、そして “自分の世界” に入り込んでいく。

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『じょんがら一代』
気合を入れてラジカセのボタンを押す。この動作もパフォーマンスの一つ。

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次は『念力』

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最後は『念仏じょんがら』
『念力』と『念仏じょんがら』の間に『よされ節』があって、バラの花一本口にくわえたギリヤークさんが、観客を舞台に引き込んでみんなで踊る、という楽しい演目もあったんだけど、ちょうどデジカメの電池が切れて、携帯のカメラで撮ろうとした時にはもう終わってました。


すべての公演が終わった直後、最初から隣で見ていたダンディな老人が「すごいですねぇ」と声をかけてきた。

ギリヤークさんの公演を見て、その内心の高ぶりを声に出さずにはいられない・・・その気持ちは100%分かるので、しばしその男性と言葉を交わす。
その人は、ギリヤークさんより年上なのだろうか年下なのだろうか?
「パワーをもらいました」と興奮されていた。


ギリヤークさんにご挨拶を・・・と見ると、ギリヤークさんは黒山の人だかりの中に埋もれていた。



「すごい人がいる」とフリージャズピアニストの友人に連れられて、渋谷のハチ公前で踊るギリヤークさんとお会いしてからもう28年。
ちょうどシナリオセンターでシナリオの勉強を始めた頃だ。

自叙伝『鬼の踊り-大道芸人の記録』を読み、20枚シナリオにギリヤークさんのことを書いた。作品を提出したゼミで初めて人から自分のシナリオを褒められ、その意味でもギリヤークさんとの出会いは忘れられないものとなっていた。

その頃は、ギリヤークさんの踊りを奇異な眼で見る人も多く、路上公演は警官からも追い立てられで、公演後は熱烈なファン数人が残り、ギリヤークさんを囲んで飲んだりということもできた。


現在の二重三重の人垣に囲まれたギリヤークさんを見ていると隔世の感。


バカ正直に、無骨に、ただひたすら自分の道を究めようとするギリヤークさんの生き様に感動・共感する人たちがこれほど増えたのだと思うと、心から嬉しい。






しかし・・・・・・・・・・




数年ぶりに見たギリヤークさんの街頭公演、私は今までと違った反応をしていた。

まず、地面にチョークで舞台の円を描く・・・観客と舞台の境はチョークの白い線一本だった。けど、この動作がなくなっている。いつから? ちょっと寂しい気がした。


それから、昨年、心臓にペースメーカーを入れたと分かっているだけに、あまりに激しい動きはしないよう、無事に踊りを終えるよう祈り続けた。


ギリヤークさんの指が激しく震えているのも気になった。最初は緊張のせい? 寒さのせい? などと思っていたが、病気のせいらしい。

そして、ギリヤークさんが飛び跳ねるたびに、私は口の中で何度も小さな悲鳴をあげていた。無理しないで・・・無理しちゃダメ・・・と。


改めて考えてみると、ギリヤークさんは昭和5年生まれ。なんと私の母より1才下なだけ。


投げ銭だけを収入源とするギリヤークさんの生活は弟さんとお母さんに支えられてきた。
しかし、弟さんが先に逝き、お母さんも先に逝ってしまった。


『念仏じょんがら』で「ナムアミダー!」と叫ぶギリヤークさん、そして最後の最後に力尽き息絶える瞬間、人としての最後の絶叫は「かあさーーーーーんっ!」


母の胎内から始まり、母の元へ帰っていく魂・・・・・・・・。


芸術としての表現と同時に、ギリヤークさん個人としては踊り尽きてそのままお母さんの元に行く覚悟をしているのではないだろうか。毎回毎回踊るたびに。



命を削り、命をかけた踊り・・・・・・・・・


もういい、もういいよ、踊らなくても。
そう叫んでいる私がいる。

しかし、ギリヤークさんはこれからも踊り続けるんだろうな。
踊りの中で息絶える、今までになくその覚悟を感じた公演だった。



当日の様子は下記からもどうぞ。

ギリヤーク尼ヶ崎.com  http://gilyakamagasaki.com/

大道芸とピエロのホームページ  http://daido-gei.jp/index.php

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2009.10.11

ワインな日(10/14UP)

珍しくワインしか飲まなかった日だった。


北千住で3時から会議。
脚本展が終了してから初の会議で反省やら、次に向けての展望やらで約3時間半たっぷりと。


日本脚本アーカイブズの乗り越えなければならない課題は諸々あり、いくつかは本気で取り組めば今よりは前進するはず・・・と感じているんだけど、なかなか実行に移せない。


その一番大きな要素は構成員がボランティアであるということ。
みんな、本業と、そして自分の生活を抱えながらこの活動に参加しているわけで、エネルギーのすべてをこの活動に注ぎ込むわけにはいかない。


それでなくても、委員たちは、出来得る限りの時間をこの活動に割いているわけで、今で精一杯、という現実がある。


アーカイブズ先進国の欧米の足元にも及ばず、日本より後発だった韓国にさえ先を越されてしまった日本の脚本アーカイブズ活動。


(韓国は日本の脚本アーカイブズの活動を知り、自国でも脚本アーカイブズの活動を始めた。それからわずか数年後の2008年1月に韓国放送台本デジタル図書館が完成、開館した)

日本と韓国の決定的な違いは韓国は政府が力を入れてくれたこと。
韓国政府は10億ウォン(約1億4000万円)を放送台本デジタル図書館設立のために出した。二度と放送されない古い台本も文化資産、文化コンテンツと判断して出資したのだという。


中止になったアニメの殿堂の予算の1割、いや0.5割でもいいので脚本アーカイブズ活動に回してくれれば、廃棄の運命にある古い脚本・台本が命拾いをするんだけどね・・・。



改めてそんなことを感じているうちに会議終了。



【てら】担当の女三人、北千住駅近くのイタリアンの店でご苦労さまの乾杯。
グラスワイン2杯で会議の疲れが飛んでいく。


帰り道、⑦さんとそのまま千代田線に乗って乃木坂下車。
『COREDO』に立ち寄ったところ、本来日曜日は休業だけどこの日は演劇ライブがあって特別営業中。で、一般客の飲食はできないとのこと。

ならば、せめて桃井マスターに挨拶だけでも、と思ったところ結局、演劇のお客さんが引き上げた後に桃井さんと⑦さんと私とでゆっくり飲むことができた。

演劇がなかったら、スゴスゴと引き上げていたところ、なんともラッキー!
強運の⑦さんのおかげかも(笑)
ここでもグラスワイン2杯、美味しくいただく。



諸々、現実は厳しいけれど、ワイン4杯ほろ酔いで良い一日でした(とりあえず平和に感謝)

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2009.10.10

現代恐怖話 「電話で・・・」

昨日の夕方、同業のM君より電話。
自宅の近くに仕事場を借りていたんだけど、この不況の波にもみくちゃにされ、ついに仕事場を引き上げることになったのだという。

M君とはシナリオセンターの同じクラスで勉強した仲。当時、彼は大学生だった。
なので年齢は離れているけど同志的な気持ちが強い。

不況に負けずにお互い頑張ろうぜ、M君!
そんなこんなで、電話で約1時間。




夜、10時前、仕事関連で聞きたいことがあって、同業T氏に電話を入れる。

聞きたいことは一つだけだったのに、話があっちこっちに飛んで、ついに途中で自宅電話子機の電池が切れてしまった・・・

話が中途半端だったので携帯電話から掛け代えて、またお喋り再開。やがて、携帯も電池切れのピッピッピッ。
なんと時間は午前1時前。




なんてこったい! この日、電話で計4時間以上も長話をしてしまった・・・





電話代が怖い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・shock

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2009.10.09

写真展と青空舞踊のお誘い

camera大坂 忠 写真展

Tadashi_osaka1 先日出会った、札幌在住の写真家・大坂忠さんの写真展。

期間  2009年9月20日(水)~10月12日(月・祝)

時間  10:30~18:30 最終日16:00終了

入場無料

場所  フォトイマジネーションスペース
     「ペンタックス フォーラム」
西新宿・新宿センタービル ペンタックス スクエア



footギリヤーク尼ヶ崎 青空舞踏公演「祈りの踊り」

1
平成21年度 第64回 文化庁芸術祭参加公演

日時 2009年10月12日(月) 14時〜(雨天決行)

場所 東京・西新宿  三井ビル55広場

入場無料・投げ銭歓迎

出演:大道芸人 ギリヤーク尼ヶ崎

演目:じょんがら一代、念力、よされ節、念仏じょんがら


郵送できたご案内の「平成21年度 第64回 文化庁芸術祭参加公演」の文字が心のどこかに引っかかる・・・。


毎年、三井ビル広場での公演だけはご案内を送っていただいている。
昨年はどうだっただろうか・・・・・?



シナリオ勉強中に初めてギリヤークさんの踊りを見てから20数年、正確には30年近くになる。

最初の頃は渋谷のハチ公前でも踊っていた。いつからだか、渋谷では踊らないというか踊れなくなったみたい。渋谷も変貌したしね。

あとは三井ピルの広場で見た回数が一番多いが、一度だけ大きなホールの舞台の上で踊るギリヤークさんを見たことがある。

もう10年、いやそれ以上前かも。
青空舞踏で芸術祭参加を申し込んだら、屋根のないところの舞踏はダメだといわれたとかで、屋根のあるホール公演になったと聞いた。

確か、その時、芸術祭参加は却下されたと聞いたように記憶している(記憶間違いかもしれませんが)

形は大道芸ではある。発表の場は戸外である。しかし、ギリヤークさんは自分の作品に誇りを持って演じている。命を掛けて「人間」を表現している。

舞台装置は街の空間。

しかし、ギリヤークさんの踊りには、どんなにお金を掛けた大舞台とも同等、もしくはそれ以上の強烈なメッセージが込められている。


ギリヤークさんが芸術祭参加にこだわるのは、きっと高いお金を取るのだけが芸術ではない、舞台装置を街とする舞踊も同等の芸術なのだという孤高のプライドからのような気がする。


ギリヤークさんってこんな人 ↓ 










なんと写真展の新宿センタービルとギリヤークさん公演の新宿三井ビルは隣です。
12日は両方とも・・・・・・になりそう。

また、偶然だけど、大坂忠さんは札幌在住、ギリヤークさんは函館出身とお二人とも北海道の人。

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2009.10.08

四谷コタンにせんだみつおさん?!

四谷『コタン』立川侊志ん、こと放送作家・奥村侊伸さんの落語ライブへ。

過去10年では最大級という台風18号の襲来で、交通網は混乱。朝の段階では首都圏の電車はほとんど運転見合わせ。

しかし、自称“晴れ男”の奥村さん。午後から風も収まってきて夕方には電車はほとんど通常運転に。



この夜の落語ライブは立川侊志んさん、立川こしらさん、立川らく次さん(立川志ららさんのピンチヒッター)。

が、それにそれになんとあの“ナハ、ナハ”のせんだみつおさんが飛び入り参加。

091008kotan1 店に入った途端、客席にいたせんださんの顔が目に飛び込んできた。

客で来ていたはずのせんださん、最初の出演者ご挨拶タイムに奥村“先生”から呼ばれてステージに立った途端に長年培った“話芸”で独壇場・・・になりそうなほど勢いがありました。

乗ってきたついでに、芸能界の裏話をペロリ・・・
今話題の芸能界薬物疑惑、いづれ逮捕されるであろう某有名俳優の名前を言っちゃいました。(裏づけ証言はあるそうで)
真相は分かりませんが。

(↑写真:なぜかせんださんだけブレてます。力入って動きが激しかったのか?)

そして、せんださんはついには高座に上がって落語まで披露しちゃいました。

その時の様子は『コタン』BBSの写真(10月8日)をご覧ください。

せんださん、バラエティの話芸はさすがですが、しかし、落語に関してはプロにはかないません。(ご本人も、もっと落語勉強しますと恐縮してました)



こしらさん、らく次さんともにそれぞれ個性豊かな前振り、かつ舌のいい落語の語り、さすがです。

特にこしらさんは、無類のゲーム好きそして子どもの心を捉える才能があるようで、前振りも電車の中でのゲームをめぐる(見知らぬ)子どもとのやり取り。微笑ましいを通り過ぎて爆笑しちゃいました。


こしらさんと志ららさんには日本脚本アーカイブズの出前講座がきっかけで、11月には松戸市で落語をお願いしています。親と子のコミュニケーションをメインテーマにした落語講演会ですが、こしらさんの前振り話の中にもコミュニケーションのコツが見え隠れ。
11月は楽しい落語講演会になりそうな予感。


立川侊志んさんはさすが放送作家。セルフプロデュースでご自分の落語のスタイルを確立されている。
若い二人とはまた違った味のある落語でした。


演目(出演順)
  立川こしら   『寿限無』
  立川らく次   『紙入れ』
  せんだみつお 『 ? 』
  立川侊志ん  『死 神』





客席には放送作家のM氏も。同席していたのは大学時代の学友で北海道在住の写真家・大坂忠さんご夫婦。
お二人を紹介していただき、ライブ終了後はM氏と大坂ご夫婦と食事へ。
大坂ご夫婦はもともとは翻訳家で語学学校を経営されていたのだとか。


新しい出会いでしたが、終電間際まで話が盛り上がり、その意味ではとても充実した1日でした。

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2009.10.07

はじめまして、横洲かおるさん

放送評論家のS氏のご紹介で、女優・横洲かおるさんとお会いした。

横洲さんは劇団四季出身の歌って踊れる女優さん。

また、「My Lovely Mum 2008~素敵なお母さんコンテスト」で4カ国10都市の代表10名の中から、準グランプリを受賞した笑顔のとびっきり素敵な女性でした。


ミュージカルの話で盛り上がり、新企画誕生の予感!






この日、新宿通りの紀伊國屋書店の前で待ち合わせて、久々に新宿の表通りを歩く。
最近、新宿は車で通り過ぎるか、裏道しか歩いてないし・・・。

Sjstoioiyoung で、その変貌振りに改めてびっくりした。
紀伊國屋書店の斜め前にカラオケ館がどど~んとそびえているけど、以前その場所にどんな店があったのか、思い出せない・・・・・。
(画像:まちカードより)

あれほどよく来ていた新宿なのに。

カラオケ館のド派手なネオンサインに目がチカチカして、一瞬不安が過る。

もしかして「新宿高野」「新宿中村屋」も無くなった?!

が、両店とも健在でホッ。

東京に住んで20余年、「新宿高野」はプライベートの待ち合わせに便利だったし、「新宿中村屋」は1人で安心して入れる店なのです。
特に、「新宿中村屋」は中高年の男女一人客が多いような気がする。昔からのお馴染みさんなのか中村屋カリーのファンなのか。
1人で動くことの多い私にとって中村屋のように“おひとりさま”でも安心して入れるお店は貴重です。


この日のもう一つのびっくりは、S氏のこと。
放送評論家とか中小企業診断士とか見た目にもちょっとお堅く感じていたS氏だけど、実はピアノを習いに行ったり、ジャズダンスまでされるのだとか。

横洲かおるさんとの出会いもジャズダンスのレッスンで、と聞いて、まさに人は見かけじゃないと実感。
で、話をすればするほど、S氏が中身は熱い人だということが分かってくる。

アラカンのS氏が、だんだん“不思議おじさん”に見えてきた・・・・・


この“不思議おじさん”のプロデュースで横洲さんと面白い何かが作れるかも。

乞うご期待!

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2009.10.06

立場逆転に複雑・・・

毎月25日発行予定の日本脚本アーカイブズ・メールマガジン。


9月は作協50周年イベント&脚本展で日本脚本アーカイブズ委員全員忙殺されたので、編集担当(私)の判断で、原稿締切日と発行日を変更した。


で、9月末には発行予定だったのだが、原稿が揃わない。



とりあえず『催促』してみる。



『催促される』側に長くいて、『催促される』ことに慣れているので、『催促する』側になってなんだか複雑。


原稿が遅れた際の言い訳って、なんとなく背景が見えてくるし・・・。
数え切れないほど遅れた言い訳を言い続けてきた経験からしてね(汗)


商業誌だったら締め切り厳守は当然のこと。
しかし、書くことのプロである放送作家&脚本家にほとんどボランティアで原稿をお願いしている。
その“弱み”が、締め切り厳守を強く言えない原因となっている(トホホ)



メールマガジンに関して、ひとつだけ本能的(ん? 経験的?)に感じているのは、発行予定日の決まりを緩くしてしまったら、なし崩し的に発行日が不確定になり、やがては消滅してしまう・・・・・・・・・・・という予感。



締め切り厳守! 鬼の編集になるべし!


ハァ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(溜息)



編集者って、シナリオライターに一番向いてない仕事だったりして。











けど、がんばらんば。

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2009.10.05

お疲れさまでした、綾瀬麦彦さん。

テレビの向こう側では、某政治家の突然の死に騒然としている渦中、8月に一人の同業者が亡くなっていたことを知った。


綾瀬麦彦さん、1954年長崎県島原南千本木出身の55才。
8月6日、肺炎のため急逝されたとのこと。


綾瀬さんの訃報をこの日まで知らなかった自分にもショック。
日脚連からの会報には出ていただろうけど、ここのところ読んでなかったし・・・・・。


綾瀬さんに実際にお会いしたのは一度しかない。
十数年前、当時の若手脚本家の飲み会でお目にかかった。


ドラマ『がんばらんば』の脚本家と知り、話が盛り上がった。
『がんばらんば』は1993年にNHKで放送されたドラマで、1991年の雲仙普賢岳災害で故郷を追われた人々を描いたドラマ。綾瀬さんの体験から生まれたドラマだそうだ。


同じ九州出身でも大分県では“がんばらんば(頑張らなくては)”という言い方はしないので、主役の山田昌さんの存在感とともにこの言葉は私の中に根付いた。
以来、何かあると自分に向けて「がんばらんば」と呟いている。


作品のこと以外でも綾瀬さんとは忘れられない、エピソードがあって・・・


十数年前のある年、記憶にないお名前の人から年賀状が届いていた。
どういう人だったか? 前年いただいた名刺の束を調べると、確かにその人の名刺はある。とてもシンプルな名刺でお名前と住所など連絡先だけの名刺。

そのお名前の人に心当たりがなく、どこで会ったのかも思い出せない。
が、とりあえずその人にお年賀を出す。


翌年も翌々年もまたその人からお年賀が届いた。
相手がどんな人だったか分からないままに私も年賀状を出し続けた。
しかし、それはとても失礼な話である。相手が誰か分からないままにお年賀を出し続けるなんて・・・。

どうしてもその人のことが気になって、ついに電話をしてみた。


「いつもお年賀いただきありがとうございます。ところで、あの、Iさんとはどこでお目にかかったでしょうか? どうしても思い出せなくて・・・・・」

「綾瀬麦彦です・・・・・・・」

差出人の名前は、綾瀬さんの本名だったのだ。



やっぱ、私ってば本当に失礼なヤツである(汗)


そういうことがあって、以後も、綾瀬さんとのお年賀のやり取りだけはずっと続いていた。


テレビドラマで綾瀬さんのお名前を拝見するたびに、私も「がんばらんば」と思ってきた。


綾瀬麦彦さん、お疲れさまでした。合掌。





お亡くなりになった直後の8月12日、小説家としてのデビュー作『壁わり伝六、日々立腹 めおと餓鬼』が発売されたそうです。              

          

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2009.10.04

テレビ台本、散逸を防げ 放送文化理解する“手がかり”(産経新聞)

以下の記事、さっき気がついたのでUPしておきます。

テレビ台本、散逸を防げ 放送文化理解する“手がかり”

2009年9月28日(月)産経新聞

■日本放送作家協会が保存推進

 「樅(もみ)ノ木は残った」「犬神家の一族」「太陽にほえろ!」といったテレビドラマやバラエティーなどの台本の保存を、日本放送作家協会が進めている。特にビデオテープが貴重だった30年ほど前までの作品は、映像が残っていない番組も多いが、「台本さえあれば内容を知ることができる」と同協会理事長で脚本家の市川森一さん。既に3万5千冊を収集し、将来は保存施設の設立を構想している。(草下健夫) 

                   ◇

 東京・新宿で今月23日まで開かれた同協会の50周年イベントで、戦前のラジオ番組や「私は貝になりたい」(昭和33年)など多くの台本が展示され注目を集めた。これらは東京都足立区の生涯学習施設内にある「日本脚本アーカイブズ準備室」や同区立図書館に保存されているものだ。

 「台本は放送史を理解するかけがえのない手がかりだが、映像に比べて軽視され、制作や放送が終わると散逸してしまう」と危惧(きぐ)した同協会のメンバーが、文化庁やNHK、民放連などの支援を受け、平成17年10月に準備室を発足させた。

 今年3月に女優の三田佳子さんが自身の出演作を中心に約1千冊の台本を寄贈するなど、放送作家や制作スタッフ、出演者、遺族から既に3万5千冊あまりが集まった。昨年9月にはデジタルデータ化の研究も始めた。

 市川さんは「今は収集と管理に手いっぱいだが、将来はセンターを作って公開し、放送研究者の調査や若手放送作家の勉強はもちろん、昔の番組を懐かしむ一般の方に役立ててほしい」と意気込む。

 ただ、台本は書籍とは異なり、もともと制作スタッフや出演者らに限って配布する前提で作られている。公開するには、放送作家や遺族の了解を得る必要もある。「手をこまねいていると、所有者が亡くなって遺族が廃棄するなどして、時間とともに台本は失われていく。保存活動は待ったなしです」と市川さん。

 米国、フランスなどでは台本の保存施設が充実している。韓国でも昨年1月、政府の支援で台本のデジタル図書館が設立されており、「日本は大きく後れを取っている」と市川さんは指摘する。

 運動を推進する脚本家の香取俊介さんは「今村昌平監督は生前、『映画の成否の7割は脚本、2割が役者、1割が監督』と言っていた。よい作品には必ずよい台本があり、後世に伝える必要がある」と話す。

 市川さんは「残すという概念のないところに文化はない。手元に眠っている台本があったら、ぜひ連絡してほしい」と呼びかけている。同準備室はTEL03・3882・1071。

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2009.10.03

『向田邦子の恋文』

amazonで注文していたdocomoのUSBケーブルと数冊の本が届き、早速、届いた本の中から『向田邦子の恋文』を読み始める。


向田邦子さんの作品は文庫になったもの十数冊持っており、最近、改めて読み直したいと思っていた。
そんな時、脚本展のイベントに妹さんの向田和子さんがお見えになり、妹さんから見た向田邦子さんのことも知りたくなって、この作品を注文してみた。

30代の半ば近く、向田邦子さんは雑誌のカメラマンと恋をしていた。そのカメラマンはかなり年上でしかも戸籍上は既婚者。
第1部は向田さんから彼にあてた手紙と、彼の日記で構成されている。


衝撃的なのは、彼は最後の日記を書いた次の日、自殺している・・・・・


一番大事だと思っている人に突然自殺され、残されてしまった人の胸中は、苦悩は、計り知れない。


その彼のことはどんなふうに彼女の作品に昇華されていったのだろうか。

今度から彼女の作品を読むときはそこらへんも意識して読んでみたいと思う。



第2部は妹・和子さんから見た姉・邦子さんのこと。

読んでいて、昨日見たDVD『ママの想い出』のママと向田さんの存在が重なってくる。
どんな時も家族を第一に考えて、不平不満を言わずに太陽のように明るく、逞しく、家族のために尽力し、支える存在。

向田邦子さんは素晴らしく頼りになる一家の長女だったんだということが分かる。

しかし、単純に今の家族のありようと比べることは出来ないと思う。
なぜなら、向田邦子さんは私の母と同じ昭和4年生まれであり、母の時代の家族観と今の時代の家族観では明らかに違ってきているから。

でも、一つ絶対に言える事は、女性はいつも粘り強く、逞しいということ。


この原作はタイトルはそのままに、2004年のお正月に主演・山口智子さん、演出・久世光彦さんで放送されたんですね。見逃してました。

 

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2009.10.02

『ママの遺したラヴソング』&『ママの想い出』

母物二本、借りていたDVDをようやく観る。

09a_love_song_for_bobby_long2 『ママの遺したラヴソング』
製作 2004年
ジャンル ヒューマンドラマ
監督&脚本  シェイニー・ゲイベル
原作  ロナルド・イヴァレット・カップス

出演  ジョン・トラヴォルタ 、スカーレット・ヨハンソン 、ガブリエル・マック 、デボラ・カーラ・アンガー 、デイン・ローデス


繊細に揺れ動く思春期の少女(18才)役のスカーレット・ヨハンソン、上手いです。
中年というか初老のジョン・トラヴォルタはちょっとショック。でも見事役にはまっている。

観終わった印象は悪くない。
しかし、なんか中途半端。


【メインキャラ設定】

◆パーシー(スカーレット・ヨハンソン)
 始まり:フロリダ州で母親に見捨てられたというトラウマに支配され、高校を中退して男と同棲中のパーシー。ジャンクフードばかり食べている。
  ↓
 母の訃報をほったらかしにしていた同棲相手に怒り、別れを告げる。
  ↓
 ルイジアナ州ニューオリンズの母の家へ。そこで、母の家に暮らす二人の男と出会う。
  ↓
 この男たちとの出会いによって変化していくパーシー。
 ◇ジャンクフードを食べるシーンがなくなる
 ◇自堕落だった彼女が家の手入れなどし始める
 ◇衣装も、ドレスなどに変化していく

 ※矛盾&疑問
  これほど母の愛に飢え、母を求めていた少女だけど、自分の父親に関しては一度も話が出てこない。これって不自然では?


◆ボビー・ロング(ジョン・トラヴォルタ)
 始まり:アル中の自堕落な中年男。
  ↓
 もと大学文学部教授で、作家の言葉を借りてしか自分を語れない男。
 T.S.エリオット、ジョルジュ・サンド、モリエール、ロバート・フロスト、ロバート・ブラウニング、アーサー・ミラー、マーク・トウェイン、ウィリアム・バロウズ、チャールズ・ディケンズなどなどの作家の言葉。
  ↓
 後半、ついに切れた弟子から“自分の言葉で喋れ”といわれる

 ※矛盾&疑問
  最初、このキャラ設定はさすがと思った。作家の言葉が次から次に出てきて、もと文学部教授というキャラを上手く表現している。

  しかし、ボビー・ロングの語られなかった過去が分かってくるにしたがって・・・彼も心に深い傷を持っていると分かる・・・他人(作家)の言葉や歌でしか自分を表現しようとしないということは相当心が病んでいる証のように見えてくる。

  この部分の追求と描写が弱い。
  弟子のローソン(ゲイブリエル・マック)によって、ボビーの不幸な過去が語られるが、その過去があまりにもありきたりの過去。ありきたりの過去でも、トラウマの深さは人それぞれなのでいいとは思うのだけれど、それにしてもいまいちボビーという男に人間性の深みが感じられない。

  たとえ過去の自分の不幸に囚われ、自責・自虐の人生を送っていたとしても、新しく心引かれ、寝た女性が妊娠したとしたら、誰の子なのか気にならなかったのだろうか?

◆ローソン(ゲイブリエル・マック)
 なぜここまでボビーの言いなりになっているのかよくわからない。

 ボビーとの関係をパーシーに語ることでボビーとローソンの関係が分かってくる。

 ローソンはボビーの優秀な生徒であり、ローソン自身、文学部教授のボビーに憧れていた。
  ↓
 ローソンとボビーは親しくなり、ボビーはローソンの若くて刺激的な仲間たちと過ごすことが多くなる。その挙句、ボビーは浮気をして離婚。可愛がっていた幼い息子と定期的に会っていた。が、そんなある日、ボビーはローソンに引き止められて息子との面会に遅れてしまう。そのせいである不幸に襲われる。
  ↓
 ローソンはボビーの不幸はすべて自分のせいだと自分を責めている。
 そしてボビーの言いなりにボビーの自伝を書くことに人生を費やしている。
 二人の関係はいつまで経っても教授と生徒の関係。
  ↓
 ローソンはボビーの下を去って、ジョージアナ(デボラ・アンガー)と暮らそうとする。しかし、ローソンとジョージアナとの間に愛はないとボビーからズバリ指摘されされてしまう。
  ↓
 惹かれ始めているローソンとパーシー。
  ↓
 深く傷ついているはずのジョージアナだが、現実を受け止めて(多分?)、ローソンにもパーシーにもボビーにも優しい・・・・・・

 ※疑問
 ローソン、そしてジョージアナの苦悩や葛藤がどこか中途半端で曖昧にされている。
 なので、この二人の在り方もどこかご都合主義に感じてしまう。
 シナリオには描かれていたが、編集で切られたとしか思えない。



【ストーリー展開】
 分かりやすい、心温まるストーリーなんだけど、ところどころ誤魔化して曖昧にしてストーリーを進めているところが気になってしまう。

 ◆3人で暮らすことになるが、ローソン(ゲイブリエル・マック)はボビーに「(パーシーに)あのことを秘密にしていていいのか」と気にする。
  
  いかにも重大な秘密のように語らせるけど、見ている側にはそれほど気を持たせるような重大な秘密とは思えない・・・・・。
  もしかして、まだ語られていないすごい秘密でもあるのかと期待して観たが、結局、すでに映画の中で語られていることをパーシーだけが知らないというだけの秘密。

  かつてのパーシーの同棲相手が乗り込んできて、彼女はやっとある事実を知って、一挙にクライマックスへと向かうのだが、観客はこの秘密のことをすでに知っているために、パーシーが受けたほどの衝撃は受けない。

  映画全体がボヤけて感じるのは、そのせいだろうか・・・・・・・・・・・・・・・。

 ◆映画の起の部分でパーシーは母の形見の入った箱を見る。しかし、その箱をほったらかしにして、ラストのラストになって箱の中を見る。そこには観客にも明かされていない、新しい事実が入っていた・・・・。んだけれど、全体を見ていれば予想のつく展開。

  このラストのために、ご都合的に最初、箱をほったらかしにさせたようで、この展開もなんだかスッキリしない。

 ◆全体的にご都合主義的な展開が気にはなるけど、ただ、パーシーの感情の流れは分かりやすく描かれている。

  自分は母親に放棄(ネグレクト)された人間だと思い込み、自分の存在を自己肯定できない少女(かなり荒んでいる)
    ↓
  母親の死を知り、故郷に飛んでいく(内心は母との繋がりを求めている)
    ↓
  母の知り合いだという二人の男たちと同居する羽目になる(一度は反発するが、戻ってくる)
    ↓
  二人の男、そして周囲の人々によって、それまで知らなかった母の姿を知っていく。
    ↓
  母がパーシーを愛していたこと、パーシーの名前にも母の愛がこもっていることを知る。(ただ、なぜ幼いパーシーを祖母に預けたのか、その事情は不明のまま)
    ↓
  少しづつ変化する少女、自分の夢を語る(少しづつ自己肯定していく)
    ↓
  男二人は少女の夢をかなえてやるために、高校復学に尽力する。
    ↓
  荒んだ少女から普通の年頃の少女に変化していくパーシー(自分が母から愛されていたことや男二人との心の交流の中から、自分の存在意義と自分の居場所を見つけて安定していく)
    ↓
  血尿の出ているボビーの体を心配し、ボビーとの関係で荒れているローソンの気持ちを宥め・・・自分以外の人間の心配をし、彼らのアル中を治そうとするパーシー。(立場の逆転、パーシーの成長)
    ↓
  一つのファミリーのように気持ちが近づいていく3人。
    ↓
  そんな時、もと同棲相手がパーシー宛の弁護士の手紙を持って現れる。そこで、男二人がある事実を隠していたことを知り、激怒。パーシーは二人を追い出し、家を売ろうとする。
    ↓
  やっと母の遺品を整理する気になるパーシー。その遺品の中に、誰も知らなかったある事実が書かれており激しいショックを受けるパーシー。
  母は遺言で自分の死後、1年間だけ二人の男にこの家に住むことを許していた。そんな母の遺言の理由=遺志=贈り物にやっと気がつくパーシー、そして男たち。



分かりやすいストーリーだし、役者さんもみんないいのに、絶賛できないのはどこか、なにかを端折っているからのような気がする。
シナリオがもともとそうなのか、編集でそうなったのか・・・・・ちょっと残念。

09mamanoomoide2_2『ママの想い出』
製作 1948年アメリカ  マズルカ形式
原題 I REMEMBER MAMA
監督 ジョージ・スティーヴンス
原作 キャスリン・フォーブス 小説「ママの銀行預金」
脚本 ウィット・ボディーン
出演 アイリーン・ダン、バーバラ・ベル・ゲデス、オスカー・ホモルカ

1910年のサンフランシスコ。ノルウェー移住の大工の一家。両親と4人の子供たちのハンソン一家は、貧しいながらも幸せに暮していた。毎週土曜日の晩にパパの稼ぎをみんなで勘定するのだが、いつもギリギリ・・・ママは銀行にかなくても済んだというのが口癖だった・・・。

口うるさいオバたちからも頼りにされ、いつも一家の太陽であるママ。
ママの励ましで小説家としてデビューする長女が、そんな母親の思い出を語る形で展開していく心温まるホームドラマ。

 

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2009.10.01

『デカい女』

09dekaionna2_2 体力、気力、ようやく回復の兆し。

で、オオタスセリさんからいただいた『デカい女』を読む。

←スセリさんのサインとスセリさんが描いたポストカード入り。





オオタスセリさんって知ってます?

もと“ペコちゃん”というお笑い女性二人組の大きい方。

それから、『ストーカーと呼ばないで』が話題になったシンガーソングライター。


2005年だったか2006年だったか、ネットストーカーと長年係わっていた私はネットで『ストーカーと呼ばないで』という歌があると知り、即検索。

歌詞を読んで大笑いすると同時に、ちょっと切なくもなった。
あのストーカー女性もこんな気持ちなんだろうか・・・とか。
もっとも、私の知っているネットストーカー女性は(自分が構ってもらえないことに対して居直って)慰謝料と称して相手に金を要求したりしていたので、悪質な恐喝者に近かったけど・・・・・。


そんなことがあったために、オオタスセリさんのお名前は強烈に私の中にインプットされていた。


50周年イベントの後半、会場で放送作家の奥山侊伸さんがとても大柄な女性とお話をしていた。

な、なんとそれがオオタスセリさんだった!

スセリさんは、奥山さんの落語ライブにゲスト出演したりの仲なんだそう。

周りにいた数人にスセリさんは著書『デカい女』を贈呈してくださった。
体だけでなく心もデカいスセリさんでした。



「なぜか気の合わない人を好きになる」
「いつか飽きてしまう日」
「飲んで目が覚めたら、」

など、B型人間同士“わかる、わかる”って感じのとても楽しい内容の本で、爆笑しながら一気に読みました。


オオタスセリさんホームページの「ストーカーと呼ばないで」歌詞
オオタスセリさん 視聴できます

                 

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