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2010.05.29

ツイッターで人を救えるか?>>お兄さんが見つかりました

先ほど、お兄さんを探していた弟さんのツイートに気がつきました。



報告。見つかりました。でもダメでした。たくさんのご支援ありがとうございました。
約4時間前 Keitai Webから


弟さんによる経過:https://twitter.com/koji_toku




かけがえのない大切な存在を亡くした悲しみ、辛さ、怒り、虚無感・・・

今の私自身と重なり、涙が止まりません。

お兄さんは、これで楽になったでしょうか?

楽になったと信じたいですね。

これまで、お兄さんなりに、よく頑張りました。きっと。

心よりご冥福をお祈りいたします。



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ツイッターで人を救えるか?

失踪した兄の行方を捜すツイートに注目

【社会ニュース】 2010/05/28(金) 11:38

  5月27日にツイート主である得能浩二さんの兄が遺書を残して失踪した。得能浩二さんの兄が乗車している車のナンバーは「富山580 き 7980」、車種は「スズキのアルト」、色は「シルバー」なのだそうだ。

100529twitter1  得能浩二さんは昨晩から寝ずに心当たりのある場所の捜索を続けており、警察の方々も交通システムなどを駆使して捜索しているそうだ。

  今回の件に関するはじまりのツイートには携帯番号が掲載されており、そこに連絡をして欲しいと懇願している。しかし、心ない人間による悪戯電話があったらしく、いらだちのツイートが一度だけ見られた。現在では非通知拒否設定にしているそうだ。

  「このような内容を書いたことで、非難を受けることは覚悟しています。名前も電話番号も出しているのだから個人を特定されるのも覚悟しています。ただ兄が無事に戻れば良いんです。それだけです。」(本文ママ)

  真剣な、悲痛な想いがツイートの数々から漏れ出している。是非とも無事な姿の兄と再会出来ることを祈るばかりだ。この記事を御覧になった富山在住、若しくは富山隣接県在住の方々は失踪した兄の特徴を把握し捜索に協力していただきたい。

  尚、携帯電話に直接お電話するのは躊躇されるという方も居られるだろう。そんな方は高岡警察署(TEL:0766230110)へと連絡してみるのも手である。(情報提供:日刊テラフォー)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

5月27日(木)午後10時過ぎ、上記の件をRT(リツィート)で知り(なんとavexの松浦社長のRTで)、私もRTさせてもらい、以後、経過が気になっています。


最初はイタズラ?の疑いもあったんだけど、経過を見るにつけかなり深刻だということが伝わってきて、今はただただ、無事な姿でお兄様が発見されるよう祈り続けています。


車で移動しているようなので東京に来ている可能性もゼロではありません。
なので、このブログにもUPしておきます。


弟さんによる経過:https://twitter.com/koji_toku

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2010.05.26

2010年5月24日事業仕分け録画:JKA

取り急ぎ、忘れないうちにUPしておきます。
事業仕分け、JKA関連の全内容録画です。

※ ↓仕分け開始は 4分43秒 頃からです。それまでは会場内風景のみ。↓

shiwake20100524B37



下記アドレスからも視聴できます。
 http://www.ustream.tv/recorded/7168948

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2010.05.18

向田邦子さんの幻のデビュー作

5月15日(土)、向田邦子さんの幻のデビュー作を発見したフリー編集者・烏兎沼(うとぬま)佳代さん のお話を聞く機会がありました。

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デビュー作発見までの経緯や、向田家との係わり、それに向田さんトリビア(?)のようなことまで、二時間余があっという間に過ぎた。

(←幻の台本といわれたテレビデビュー作『ダイヤル110番』を収録)

ブログにもう少し詳しく書こうと思いながら、今のところ仕事の優先順位が滅茶苦茶になっており、とりあえず、直近に迫った仕事からやっているので、向田さんの話は、少し落ち着いてからということで・・・


それはそうと、我が家の向田さんのシナリオ集(全文庫:新潮10冊、文春2冊、講談社1冊)のうち初版本は6冊。あとは重刷を重ねたものばかり。

『男どき女どき』はなぜか同じ本が2冊ある・・・

  ① 昭和60年5月25日 発行  昭和60年6月20日 2刷

  ② 昭和60年5月25日 発行  平成 4年6月30日 28刷 

発行から1カ月も経たずに2刷が発行され、なんと、約7年間で28刷・・・

向田さんの人気のすごさがよく分かります。



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2010.05.14

また会いましょう

富永卓二監督とのお別れに渋谷・代々幡斎場へ。

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無宗教のお通夜で、監督が好きだったというジャズ・ヴォーカルが流れる中を献花。

ナレーションで、監督が人生の中で最も面白かったと言っていた作品は『6羽のかもめ』だったという。

ご遺体を安置した柩には『オレゴンから愛』の旗が掛けられていた。


本当に久しぶりにお会いした監督は、もう永遠に無言。

心の中は感謝の言葉で一杯。

5月12日に監督のご家族から電話をいただいた。
ご自分が亡くなった後の連絡先に私の名前も入っていたのだという。

不義理ばかりの私のような人間のことも、気に掛けてくださっていたと思うと、申し訳なくて涙がこみ上げてくる・・・。

毎朝、ラブとセントへのお祈りの時に、そちらへ逝ってしまったプロデューサーや監督へ感謝のお祈りをしている。秋田さん、吉村さん、階堂さん、坂本さん、香坂監督、そしてこれからは富永監督へも・・・。


帰りの車の中、最近いただいたジャズのテープからダイナ・ショアの「 I will be seeing you   また会いましょう」が流れてきた。

富永監督、お疲れさまでした。

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2010.05.13

オデッサの階段

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改めて「オデッサの階段」(『戦艦ポチョムキン』監督・脚本:セルゲイ・エイゼンシュテイン 1925年)のシーンを見たけど、何度見てもこのシーンは凄い迫力。

縦横、長短、明暗のカットバックの連続によるモンタージュの威力を知る。

10potemkin

授業で「オデッサの階段」を見せる前に『アメリカ消防夫の生活』(エドウィン・ポーター 米1902年)と『ロ-バーによる救出』(セシル・ヘップワース 英 1905年) を見てもらったんだけど、シーンを繋いでストーリーを見せる段階から、明確なテーマ、練られたストーリー、シナリオへという映画の進化がよく分かる。もちろん、演出、撮影、編集などの進化も。


映画初期(サイレント時代)の作品の中には今見ても面白い作品がたくさんある。、

『国民の創生』(D・W・グリフィス 1915年)、『イントレランス』(D・W・グリフィス 1916年)、『カリガリ博士』(ローベルト・ヴィーネ 1920年) など。

それらの作品は時間ができたら自分なりに構成を整理してみたいと思っている。


サイレント時代の作品はYouTube動画でも見ることができる作品が多々あるので、お暇な時にどうぞ。

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富永卓二監督

昨日、仕事に出掛ける直前、富永卓二監督ご逝去の連絡をいただいた。



フジテレビ・金曜エンタテイメント『おふくろシリーズ11 おふくろの逆襲』 (95年 出演:浜木綿子・松岡昌宏)、 『おふくろシリーズ12 おふくろの挑戦』 (96年 出演:浜木綿子・堀真樹)で仕事をご一緒させていただき、その後、企画のことなどでお世話になりました。


お年賀のやり取りで、体調がお悪いとは聞いていましたが・・・


数年前に「映画人九条の会」のホームページに富永監督のコメントを発見。嬉しくなって、葉書にそのことを書いてお送りしたものです。


小金井に引っ越してきて、近くになったのでお見舞いがてら、久々にお目にかかりたいと思いつつ、日が過ぎてしまいました。
自分の不義理さが今となっては痛いです。



『六羽のかもめ』 (74年 脚本:倉本聰/宮川一郎ほか)、 『北の国から』 (81年~ 原作:脚本 倉本聰)、 『早春スケッチブック』 (83年 脚本:山田太一)、 『オレゴンから愛 シリーズ』(84年~ 脚本:黒土 三男) その他、時代劇など多数。


日本のドラマ史上、名作といわれる作品を数多く演出された富永監督。
その監督とお仕事をご一緒させていただいたこと、シナリオライターとして誇りに思います。


心よりご冥福お祈り申し上げます。

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2010.05.11

心が痛む・・偏見とスティグマ

ある出来事から、晴樹(仮名)との日々を思い出した。


出会った当時、晴樹は18歳で高校二年生だった。

ある日、私が勤めていた京都の障害児・者専門の歯科診療所におじいさんが相談に来られた。

「自閉症の孫が一歩も家を出ないんだけど、歯が痛いようで診療に来てもらえないだろうか」 という相談だった。

当時は全国的に見ても障害児・者専門の歯科診療所は少なく、出張診療は基本的にしないというのが普通だった。

※当時、障害者歯科診療は大阪、京都、東京などのごくわずかの診療所や大学病院でしかやっていなかった。中でも大阪と京都は障害者歯科のパイオニアで、それぞれの取り組み方は大阪方式、京都方式といわれていた。

障害者歯科診療のパイオニアだったうちの診療所でも、出張は寝たきりの高齢者の義歯(入れ歯)の調整程度で、それ以外の治療行為は医療事故の恐れもあり、すべてお断りしていた。


晴樹のおじいさんは、それでも諦めきれないようで、何度も来院して出張診療を依頼してきた。


私は、理事会にて晴樹への出張診療を検討してもらった。だが、やはり答えはノーだった。


それから間もなく、私は十二指腸潰瘍で即入院を申し渡され、一ヶ月の入院を終えた後、歯科衛生士の仕事を辞めた。


もう勤め先の規則に縛られることなく自由に動くことが出来る。
なので、ずっと気になっていた晴樹の家を訪ねてみた。私の自宅から近くということもあったし。


初めて見た晴樹は、パジャマ姿のまま部屋の隅に座り込み、細かくちぎった絵葉書で山を作って、まるで砂遊びでもしているように、ちぎった絵葉書を上からサラサラと振り落としていた。・・・最近ではこの動作を一日中、やっているとのこと。


「こんにちは!」

と声をかけたら、晴樹はちらっと私のほうを見て、ニコッと笑った。
お~っ、今でいう「イケメン」じゃん! というのが私の第一印象(笑)


晴樹の両親は二人とも学校の先生で、昼間は隣に住むおじいさん、おばあさんが晴樹の世話をしているとのこと。

この日は、おじいさん、おばあさんから晴樹の歯の事をいろいろ聞いて、出張診療はダメなので、なんとか晴樹が治療にいけるようにするしかない。それと同時に、治療が難しいのなら、予防も頑張らなくちゃ・・・などと歯科衛生士の立場でいろいろとアドバイスした。


その夜、おばあさんから電話が掛かってきた。

「初めて会った人に、晴樹があんなふうに笑ったのは初めてです。できたら、家庭教師ということで、週に二回でも三回でも来て欲しい」


家庭教師って? 一応、社会科教員の免許は持っているけど、家庭教師なんてやったことはないし・・・私に何が出来る? 突然の申し出に、返事を保留した。


その翌日、おばあさんは、突然倒れて亡くなってしまった。

昨日まであんなに元気だったのに、信じられないできごと・・・
そして、私への電話は私への遺言になってしまった。


そのことがきっかけで、私は週に三度、晴樹の家へ家庭教師として通うことになった。


出会った頃の晴樹の障害名は自閉症。
見た目は18歳の丹精な面持ちのイケメンだが・・・


▼言葉はオウム返し ▼ある日を境に、一歩も家から出なくなった ▼別のある日を境に、お風呂にも入らなくった ▼本人しか分からない何らかの理由で、石のようにその場に立ち竦んだまま動かなくなる ▼食事の時に箸やフォークは使えない(目を離すと手づかみで食べる) ▼排尿は一人でできない ▼排便後、トイレットペーパーで拭くことができない ▽週に一度、決まった時間にお父さんの車で決まったルートをドライブできる ▽どんな歌でもすぐ覚える ▽とにかく歌が好き ▽とにかく絵葉書が好き(ちぎって山を作るために) ▽笑顔が最高にかわいい ▽イヤなことだけは「やめとこか!」ときっぱり意思表示できる などなど


まず最初は、一歩づつ玄関の方に向かうことから始まって、一ヶ月、二ヶ月・・・そして数ヶ月後(その間、本当にいろんなことがあったが)・・・晴樹は私の車に乗ることができるようになり、歯の治療にも行くことができた。

次の目標は学校へ。晴樹の自宅は京都の北、通う養護学校は南のほうにある伏見区。北から南への大移動だ。

最初は私の車で学校へ送り迎え。
それがうまく行くと、次はバスと電車を乗り継いでの通学へ。


何ヶ月も何ヶ月もかけて、ようやっとここまで辿り着いた。

食事の時も私が「お箸は?」というと、ぎこちないなりにお箸を使って食べるようにもなった。 (ただ、おじいさんや両親がいると意地のようにお箸は使わない。彼なりに家族を観察している、と感じた)



そんなある日、学校帰りのバスの中でのこと。

バスに乗り込んだ晴樹が、いつもの席に向かったけど(自閉症児特有の同一性の保持で)、そこにはすでに人が座っていた。が、晴樹にとってはいつもの席であり、なんと座っている人の膝の上に座ろうとした!


なので、まず、相手に謝って、晴樹には、「他の人が座っているところには、座っちゃダメなんだよ。晴樹は若いんだし、座らなくても大丈夫! 今日はしっかり立っておうちに帰ろう!」


晴樹は納得したのかしないのか、とりあえずは私の横でつり革につかまってバスに揺られた。


そして、ふと気がついたら、混んでいたはずのバスなのに、私と晴樹の周りだけポカッと空間ができていた。

黙って立っていたら18歳のイケメンなんだけど、口の中でいつもの「やめとこか」をぶつぶつぶつぶつ、繰り返し呟(つぶや)いている。


どうやら乗客たちはそんな晴樹を気味悪がって、安全な距離に引いてしまっているらしい。


私は思わず叫んでしまった。もちろん心の中でだけど。



「晴樹がいつあなた方を傷つけましたか? 
 晴樹は決して人を傷つけません。
 晴樹は晴樹として自然のまま、ここにいるだけ。

 たまたま、自閉症という病気を持って生きているだけです。
 誰よりも一生懸命、生きようとしています。

 そんな晴樹を傷つけているのは、あなた方ではありませんか?
 偏見やスティグマ(烙印)という一方的な視線の刃で、晴樹を串刺しにしている・・・」



世間の偏見や差別ってのはこういうことかと、私は晴樹を知っているからこそ、晴樹以上に傷ついた気持ちになった。


今はもう、例えば、エイズだからといって「握手しただけでエイズがうつる」なんて信じている人はいないだろう。と思っていたんだけれど、現実にはそういう人がまだまだ、いるらしいと知って、かなり驚いている。


医療は日進月歩で、以前は原因不明だった病気やその治療法について、解明してきたり、治療法が分かってきたり、それらの情報をインターネットをはじめとするメディアで手に入れることができる。


しかし、一度染み付いた古い偏見やスティグマを疑うことなく頭から信じ込んで、病名や障害名だけで一方的に相手を決め付ける人を見ると、私はその人の心の在りようのほうがよほど心配になってしまう。


相手が凶器を持っていたり、威嚇してきたりと、明らかに犯罪を予兆させる何かがあったなら、まず自分の身を守ることが大事だが。
いたずらに印象だけで、古い偏見やスティグマに翻弄されている人は痛いなぁ・・・春樹とのことを思い出してしみじみ、そう思ってしまった。



高校を卒業した晴樹は、両親たちが合同で作った作業所で頑張っているとのこと。

私が東京に住みだして以来、20数年以上会ってないけど、晴樹との日々は時々思い出し、いつも「ガンバレッ!」とエールを送ってます。

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2010.05.08

魅力的な主人公って

ここ数日、20本の1時間シナリオと1本の長編シナリオをひたすら読んだ。


20本のシナリオは若手のシナリオライターの卵たちの作品。
長編シナリオは60代のシナリオ修行の人が書いた脚本。


20本全作品は、カタチはきちんとシナリオのカタチになっている。
そのうち、数本は作者なりの個性が垣間見えた作品だったが、多くの作品はストーリーはあってもドラマにはなってない。


書き上げた直後はすごく面白い脚本を書いた、という充実感で一杯だろう。
だが、1時間後、数時間後、1日後と時間を置いて読み直してみると、きっと自分の作品に足りない何かに気がつくはず。


自分に足りないものに気がつく人はきっと伸びていくと思う。


20本の作品のうち、何人が自分の作品に足りないものに気がついているだろうか?


60代の人が書いた長編シナリオはペラ250枚にもなる時代劇の力作だった。
私はまず、250枚を書き通すそのエネルギーは“スゴイ!”と心から思った。

しかし、この作品も残念ながらストーリーはあってもドラマがない。



ストーリーはあってもドラマがないって?


分かり易くいうと、あらすじに添ってシナリオは書かれているが、登場人物、特に主人公の心と心の変化が描かれていないということ。


主人公の心が見えない(感じられない)と、作品を観る人は主人公に感情移入できないし、作品そのものが上っ面との印象しか残らなくなる。


観る人に心が伝わらない主人公は、主人公として魅力のない人物となってしまう。




ところで、魅力的な主人公というと・・・


シナリオを書き出してから、実生活の中で私自身がとても気をつけていることがある。


ドラマの中で主人公を描く時に、“伝聞に振り回される”人物は魅力がないとされる。

“噂話”などの伝聞で誤解や勘違いが生じて、話が思わぬ方向に進んでいくというのは、ドラマを進めていく上で必要な設定だったりする。

しかし、“偶然”ばかりのドラマだと話が嘘っぽくなってしまうのと同じく、いつもいつも伝聞に振り回されて右往左往する主人公は、ただのおバカな人間になってしまう。


そんなことを意識してシナリオを書いていると、実生活の中でも“伝聞による情報”はできるだけ鵜呑みにしないようになってくる。


伝聞情報は、だいたいがそれを伝える人のフィルターを通した情報であり、事実かどうかは別の話。


ネット上で得られる情報も主観・客観両方とも一つの情報だけを鵜呑みにしないで、できるだけ多角的に調べて確認するようにしている。


自分の人生の主役は自分であり、伝聞に振り回される間抜けな主人公にならないよう、気をつけなくちゃ、ってことで。

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ホッと一息ついて、武蔵小金井の和菓子屋さんへ。

小金井の名物は買ったことがなかったけど、以前、桜の花を使ったサブレのことをネットで見て、一度買ってみようと思っていた。


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真ん中に桜の花の塩漬け。

この塩気がちょうど良い塩梅で、サクリと美味しいサブレでした。

「桜花サブレ」お気に入りに決定!

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2010.05.04

メモリアルビデオ

Yさんが贈ってくださったラブ&セントのメモリアルビデオです。
私のブログの写真を構成して作ってくれました。
・・・何度見ても泣いてしまいます・・・

Thank You Mr.Yumadog




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2010.05.03

田園調布 貴島

5月2日 田園調布へ

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S監督と吉祥寺で待ち合わせて、田園調布へ。

東急東横線は昔、叔父が住んでいた中目黒やドラマの取材で都立大学までは行ったことがあるけど田園調布は初めて。

(写真:左が現駅舎、右が復元された旧駅舎)

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復元駅舎を通ってすぐの「田園調布 貴島」へ。

田園調布というと都内屈指の高級住宅街。その街にある料理屋さんということで、確かに見るからに高級感漂うお店で、ワクワクすると同時にちょっと緊張。

店内は広くもなく狭くもなく、落ち着いた上品な雰囲気のお店で、お料理も吟味された食材を使っていて、本当に美味しかった。

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いも焼酎「黒霧島」のお湯割をいただきながら、このお店を紹介してくれたプロデューサーM氏、そしてS監督と仕事の話を。

実は、脚本家としてはとても苦手なギャラに関しての話をするために行ったわけで。

M氏のプロデュースで映画のためのシナリオを第二稿まで書いたが、その後、資金繰りが混迷、結局中止となってしまった。

私が惚れ込んでいた漫画原作の映画化で、原作もきちんと押さえてシナリオ書き入ったけれど、残念な結果となってしまった。

テレビの場合は企画が通れば、よほどの事情がない限り製作が中止になることはない。が、映画の場合はどこかギャンブルと同じようなところがあって、製作途中で諸々の事情で中止になることはままある。

これまで、映画ではシナリオ第一稿、二稿の途中で中止になってしまったケースは何度か体験してきている。

で、映画の脚本料に関しては、第一稿が上がった時点で半額支払い、決定稿が上がった時点で全額支払い(私の場合はほとんどがそのカタチ。それが普通と聞いているが、実際には他の脚本家がどんな契約をしているかは個々によって違うかもしれない)

なので、映画製作が中止になったとしても第一稿を上げた時点で脚本料は発生しており、ここはビジネスライクに請求をしなければならない。

脚本家は身一つ。一つの大きな仕事を請けたら、他の仕事との掛け持ちが出来なくなり、一本の作品に集中して取り組むことになるので、他の仕事が入っても断らざるを得ない。
しかし、一度断ってしまうと同じプロデューサーからの仕事が次からは来なくなるかもしれないというリスクがある。そのリスクを承知で一本の作品に取り組むわけで、製作が中止になったから脚本料は「結構です」なんて甘いことは言ってられない。シナリオを書いている間は無給状態だから、最低限の脚本料は支払ってもらわないと生活できないわけで。

そういうわけで、S監督が間に入ってくれて、M氏と脚本料の支払いに関して再確認をする。

そして、改めて製作中止になった理由について経過を聞く。
資金繰りの当初の予定が狂ってしまったのは、リーマンショックの余波だという。
やはり、リーマンショックが関係していたのか・・・。
自分とは関係ないと思っていたリーマンショックだけれど、もろに影響を受けていた現実に溜め息ばかり。



メインの話を終えて、「黒霧島」をグビグビ。

ママさんが同年齢で、しかも鹿児島出身とわかり、九州女二人で話が盛り上がる。

鹿児島のRさんをはじめ九州の女性とは話していて本当に楽しいし安心できる。
裏も表もなく本音だけで話せるし・・・。



10時前に店を出て駅へ。
そして、驚いた。町全体が寝静まったように静寂に包まれ、ほとんど人がいない。
都内でありながら、どこか違った空間にいるような不思議な雰囲気。
さすが、田園調布でした。



若者たちで賑わう吉祥寺に戻って、監督と新しい企画について話が弾む。
最近書いたオリジナル企画書を送る約束をして、最終電車に飛び乗る。


いろんな意味で前向きの一日だった。
早く“良い風”に乗りたいものです。
風よ吹け!

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2010.05.02

シネマテーク・フランセーズとBiFiとマイルス・デイビス

4月30日
 早朝、目が覚めてすぐに借りていたDVD『おくりびと』『少年メリケンサック』を見た。

 『おくりびと』、朝から泣いてしまった。本木君、脇役の全てが素晴らしい。
 『おくりびと』も『少年メリケンサック』もシナリオ本を購入したままなので、改めてシナリオを読んでもう一度見てみようと思う。


 午後、メルマガの原稿がやっと揃って、いざ編集に入ったところで詰まってしまう。

 シネマテーク・フランセーズ(Cinémathèque française)とBiFi(La Bibliothèque du Film)の記事中、ふと疑問が湧いてしまった。

 シネマテーク・フランセーズ(フランス・フィルムライブラリー)は創設された1936年以来、映画作品(フィルム)の保存、修復、上映。同時にカメラ、ポスター、出版物、衣装、装飾、セットなど、映画に関するあらゆる物品の収集を行っている。

 一方、BiFi(フィルム図書館、映画図書館、映画文献資料図書館、映像文献資料館など邦訳はまちまち)は1963年創立。映画のシナリオやシノプシス、ポスター、セット等のデザイン画、スチル写真等の写真資料など非フィルム資料の収集を行い、同時に映画のDVDやビデオの閲覧が可能となっている。

 2007年に、BiFiはシネマテーク・フランセーズに統合され、隣接した建物にある。

 メルマガ原稿ではBiFiもフィルムの修復をやっているような記述になっていたので、果たしてBiFiもフィルムの修復をやっているのか? その疑問を解明するためにフランス取材に同行した放送作家たちに電話で確認。

 しかし、2年近くも前のことで、いまいち記憶が曖昧。

 こうなったら、直接、それぞれのホームページで確認するしかない、ってことで、シネマテーク・フランセーズとBiFiのホームページをフランス語から日本語に翻訳して、一ページづつ確認。

 が、が、こちらが知りたい記述が見つからずに、そんなことをしている間に夜が明けて、4月30日発行予定がもう5月1日・・・(汗)

 結局、原稿担当の筆者と話し合って、事実確認が出来ない曖昧な部分は原稿から削ろうということで合意。
 ようやくメルマガ発行準備完了してホッ。

 上記に関してご存知の方がいたら教えてください。


5月1日
 昼過ぎ、校正のためにメルマガのテスト送信を筆者たちに送って、顔を洗って、化粧して飛び出していく。

 北千住にて会議。少し遅れると前もって電話していたが、結局一時間遅れで会議に出席。新年度、新体制についての会議。

 いつもながらの“なんだかなぁ”会議。しかし、いくつか決まったことがあるので、いつもの会議よりはまし? それでヨシとすべしか。

 私はメルマガとホームページを担当しているので広報部長になってしまった。

 実は、少し前に何人かから放作協の理事に立候補して欲しいという打診があったんだけど、今はそんな余裕はないのでお断りした。

 10年ちょっと前、理事をやってみて、そういう役職は私には向かない・・・と思っているので、やはり断って正解だと思っている。

 部長ってのも本当は勘弁して欲しいんだけど、やることは現行通りんなので、粛々と自分の出来ることをやっていくしかない。


 会議終了後、準備室のパソコンでメルマガを正式発行手続きを終え、50円焼き鳥の店へ直行。

 森下の50円焼き鳥のチェーン店が北千住にあることが判り、しっかり、ぐるなびのクーポンを持って店へ。

 本日の10円サービスはお刺身。安くて美味くて感激っす。
 Mさんと腹いっぱい飲んで食べて、〆はjazzの流れるお蕎麦屋さん『碧夢』へ。
 

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Mさんから思いがけずのプレゼント。

マイルス・デイビスのCD『Sketches of Spain』

昔、初めての海外旅行がスペインで、現地でスパニッシュ・ジャズのLPレコードを買ったけど、なかなか良かったと記憶している。

帰宅後、夜中にマイルス・デイビスのアランフェス協奏曲を聴く。

こんなにじっくり音楽を聴くなんて、久しぶり。
昼間のちょっとざわついた気持ちが静かに沈んでいく。

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