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2010.05.11

心が痛む・・偏見とスティグマ

ある出来事から、晴樹(仮名)との日々を思い出した。


出会った当時、晴樹は18歳で高校二年生だった。

ある日、私が勤めていた京都の障害児・者専門の歯科診療所におじいさんが相談に来られた。

「自閉症の孫が一歩も家を出ないんだけど、歯が痛いようで診療に来てもらえないだろうか」 という相談だった。

当時は全国的に見ても障害児・者専門の歯科診療所は少なく、出張診療は基本的にしないというのが普通だった。

※当時、障害者歯科診療は大阪、京都、東京などのごくわずかの診療所や大学病院でしかやっていなかった。中でも大阪と京都は障害者歯科のパイオニアで、それぞれの取り組み方は大阪方式、京都方式といわれていた。

障害者歯科診療のパイオニアだったうちの診療所でも、出張は寝たきりの高齢者の義歯(入れ歯)の調整程度で、それ以外の治療行為は医療事故の恐れもあり、すべてお断りしていた。


晴樹のおじいさんは、それでも諦めきれないようで、何度も来院して出張診療を依頼してきた。


私は、理事会にて晴樹への出張診療を検討してもらった。だが、やはり答えはノーだった。


それから間もなく、私は十二指腸潰瘍で即入院を申し渡され、一ヶ月の入院を終えた後、歯科衛生士の仕事を辞めた。


もう勤め先の規則に縛られることなく自由に動くことが出来る。
なので、ずっと気になっていた晴樹の家を訪ねてみた。私の自宅から近くということもあったし。


初めて見た晴樹は、パジャマ姿のまま部屋の隅に座り込み、細かくちぎった絵葉書で山を作って、まるで砂遊びでもしているように、ちぎった絵葉書を上からサラサラと振り落としていた。・・・最近ではこの動作を一日中、やっているとのこと。


「こんにちは!」

と声をかけたら、晴樹はちらっと私のほうを見て、ニコッと笑った。
お~っ、今でいう「イケメン」じゃん! というのが私の第一印象(笑)


晴樹の両親は二人とも学校の先生で、昼間は隣に住むおじいさん、おばあさんが晴樹の世話をしているとのこと。

この日は、おじいさん、おばあさんから晴樹の歯の事をいろいろ聞いて、出張診療はダメなので、なんとか晴樹が治療にいけるようにするしかない。それと同時に、治療が難しいのなら、予防も頑張らなくちゃ・・・などと歯科衛生士の立場でいろいろとアドバイスした。


その夜、おばあさんから電話が掛かってきた。

「初めて会った人に、晴樹があんなふうに笑ったのは初めてです。できたら、家庭教師ということで、週に二回でも三回でも来て欲しい」


家庭教師って? 一応、社会科教員の免許は持っているけど、家庭教師なんてやったことはないし・・・私に何が出来る? 突然の申し出に、返事を保留した。


その翌日、おばあさんは、突然倒れて亡くなってしまった。

昨日まであんなに元気だったのに、信じられないできごと・・・
そして、私への電話は私への遺言になってしまった。


そのことがきっかけで、私は週に三度、晴樹の家へ家庭教師として通うことになった。


出会った頃の晴樹の障害名は自閉症。
見た目は18歳の丹精な面持ちのイケメンだが・・・


▼言葉はオウム返し ▼ある日を境に、一歩も家から出なくなった ▼別のある日を境に、お風呂にも入らなくった ▼本人しか分からない何らかの理由で、石のようにその場に立ち竦んだまま動かなくなる ▼食事の時に箸やフォークは使えない(目を離すと手づかみで食べる) ▼排尿は一人でできない ▼排便後、トイレットペーパーで拭くことができない ▽週に一度、決まった時間にお父さんの車で決まったルートをドライブできる ▽どんな歌でもすぐ覚える ▽とにかく歌が好き ▽とにかく絵葉書が好き(ちぎって山を作るために) ▽笑顔が最高にかわいい ▽イヤなことだけは「やめとこか!」ときっぱり意思表示できる などなど


まず最初は、一歩づつ玄関の方に向かうことから始まって、一ヶ月、二ヶ月・・・そして数ヶ月後(その間、本当にいろんなことがあったが)・・・晴樹は私の車に乗ることができるようになり、歯の治療にも行くことができた。

次の目標は学校へ。晴樹の自宅は京都の北、通う養護学校は南のほうにある伏見区。北から南への大移動だ。

最初は私の車で学校へ送り迎え。
それがうまく行くと、次はバスと電車を乗り継いでの通学へ。


何ヶ月も何ヶ月もかけて、ようやっとここまで辿り着いた。

食事の時も私が「お箸は?」というと、ぎこちないなりにお箸を使って食べるようにもなった。 (ただ、おじいさんや両親がいると意地のようにお箸は使わない。彼なりに家族を観察している、と感じた)



そんなある日、学校帰りのバスの中でのこと。

バスに乗り込んだ晴樹が、いつもの席に向かったけど(自閉症児特有の同一性の保持で)、そこにはすでに人が座っていた。が、晴樹にとってはいつもの席であり、なんと座っている人の膝の上に座ろうとした!


なので、まず、相手に謝って、晴樹には、「他の人が座っているところには、座っちゃダメなんだよ。晴樹は若いんだし、座らなくても大丈夫! 今日はしっかり立っておうちに帰ろう!」


晴樹は納得したのかしないのか、とりあえずは私の横でつり革につかまってバスに揺られた。


そして、ふと気がついたら、混んでいたはずのバスなのに、私と晴樹の周りだけポカッと空間ができていた。

黙って立っていたら18歳のイケメンなんだけど、口の中でいつもの「やめとこか」をぶつぶつぶつぶつ、繰り返し呟(つぶや)いている。


どうやら乗客たちはそんな晴樹を気味悪がって、安全な距離に引いてしまっているらしい。


私は思わず叫んでしまった。もちろん心の中でだけど。



「晴樹がいつあなた方を傷つけましたか? 
 晴樹は決して人を傷つけません。
 晴樹は晴樹として自然のまま、ここにいるだけ。

 たまたま、自閉症という病気を持って生きているだけです。
 誰よりも一生懸命、生きようとしています。

 そんな晴樹を傷つけているのは、あなた方ではありませんか?
 偏見やスティグマ(烙印)という一方的な視線の刃で、晴樹を串刺しにしている・・・」



世間の偏見や差別ってのはこういうことかと、私は晴樹を知っているからこそ、晴樹以上に傷ついた気持ちになった。


今はもう、例えば、エイズだからといって「握手しただけでエイズがうつる」なんて信じている人はいないだろう。と思っていたんだけれど、現実にはそういう人がまだまだ、いるらしいと知って、かなり驚いている。


医療は日進月歩で、以前は原因不明だった病気やその治療法について、解明してきたり、治療法が分かってきたり、それらの情報をインターネットをはじめとするメディアで手に入れることができる。


しかし、一度染み付いた古い偏見やスティグマを疑うことなく頭から信じ込んで、病名や障害名だけで一方的に相手を決め付ける人を見ると、私はその人の心の在りようのほうがよほど心配になってしまう。


相手が凶器を持っていたり、威嚇してきたりと、明らかに犯罪を予兆させる何かがあったなら、まず自分の身を守ることが大事だが。
いたずらに印象だけで、古い偏見やスティグマに翻弄されている人は痛いなぁ・・・春樹とのことを思い出してしみじみ、そう思ってしまった。



高校を卒業した晴樹は、両親たちが合同で作った作業所で頑張っているとのこと。

私が東京に住みだして以来、20数年以上会ってないけど、晴樹との日々は時々思い出し、いつも「ガンバレッ!」とエールを送ってます。

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