改めて感動、山中貞雄監督作品三本
『人情紙風船』 1937年(昭和12年)86分
製作:P.C.L.映画製作所
配給:東宝映画
監督 : 山中貞雄
原作 : 河竹黙阿弥(『梅雨小袖昔八丈』、通称『髪結新三』)
脚本 : 三村伸太郎
美術考証 : 岩田専太郎
出演
河原崎長十郎(海野又十郎)
中村翫右衛門(髪結新三)
山岸しづ江(又十郎の女房おたき)
霧立のぼる(白子屋の娘お駒)
助高屋助蔵(家主長兵衛)
市川笑太朗(弥太五郎源七)
市川莚司(=加東大介:猪助)
元は髪結いで、今では自分で賭場を秘かに開いている新三(中村翫右衛門)や、自分の父がかつて目をかけていた毛利三左衛門を頼りに仕官の口を探している海野又十郎(河原崎長十郎)と紙風船の内職をするその妻などが住んでいる江戸の貧乏長屋。
毛利三左衛門は海野を冷たくあしらい、自分の出世のために質屋白子屋の店主の娘お駒を、家老の息子の嫁にしようと画策していた。
ある時、白子屋を訪ねた毛利を待っていた海野はヤクザに叩きのめされてしまい、その場に来合わせた新三に助けられる。そしてある雨のお祭りの晩、雨宿りをしているお駒を見掛けた新三は、日頃の鬱憤を晴らそうと決意し、お駒を一晩だけ誘拐、海野又十郎をそれに巻き込んでしまう。その結果・・・。
『河内山宗俊』 1936年(昭和11年) 82分
製作:太秦発声映画(日活提携)
監督・脚本:山中貞雄
脚本:三村伸太郎
出演
河原崎長十郎(河内山宗俊)
中村翫右衛門(金子市之丞)
山岸しづ江(河内山宗俊の女房)
原節子(お浪)
市川莚司(=加東大介)
居酒屋に居候する河内山宗俊と用心棒の金子市之丞の二人のヤクザ者が、借金のために身売りをすることになった甘酒屋の娘・お浪を救うために立ち上がる…。
山中貞雄監督は、ヒロインにすべての無頼の男たちが「この美しい瞳のためなら死んでもいい」と思うような清純で可憐な女優を捜し求めた挙句、時代劇の女優の中にはどうしても見つからず、 現代劇の女優から一人の初々しい〈麗人〉を抜擢。それが、当時まだ16才の原節子だった。
『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』 1935年(昭和10年)92分
製作:日活京都撮影所
配給:日活
監督 : 山中貞雄
原作 : 林不忘
脚色 : 三村伸太郎
潤色 : 三神三太郎
構成 : 山中貞雄
出演
丹下左膳 (大河内傳次郎)
柳生源三郎 (沢村国太郎=長門裕之・津川雅彦兄弟の父)
お藤 (喜代三)
ちょび安 (宗春太郎)
柳生対馬守の祖先が百万両の隠し場所を塗り込んだという「こけ猿の壺」。何の変哲もないその壺は江戸の道場に婿入りした弟、源三郎(沢村国太郎)に祝いとして渡してしまった。が、そうとは知らない源三郎と新妻は小汚いその壺をくず屋に売ってしまった。
一方、父を殺され孤児となったちょび安を引き取った丹下左膳とお藤。ちょび安が大事に持ってきた金魚の入った壺こそ、くず屋からもらった問題の壺。しかし、誰もそのことに気がつかない。
そんな「こけ猿の壺」をめぐる騒動が丹下左膳と源三郎、左膳が居候をしている矢場の女主人櫛巻きお藤と孤児ちょび安のエピソードを絡めて、軽快なタッチで展開していく。
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『人情紙風船』は昨年、廉価版DVDを手に入れ、『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』はレンタルで2度目の視聴。 『河内山宗俊』は今回初めてレンタルで観た。
最初に『人情紙風船』と『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』を観て感じたのはなんとモダンな時代劇なんだろうという驚き。
今回初めて観た『河内山宗俊』も同じ印象が残った。
三作品ともに、まさに時代劇という形をした人間ドラマ。
セリフも、その言い回しも従来の時代劇の枠組みをひらりと超えて、「人間の言葉」として伝わってくる。
さらに、映画全体のテンポのなんと軽やかでスピーディーなこと。
説明過剰を排しつつ、想像力を刺激するような編集、縦の構図を使うことにより映像的と同時に心理的に残る余韻・・・。
観るごとに山中貞雄という監督がなぜ伝説になったのかということがしみじみと理解できる。
『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』はとにかく爆笑の連続。左膳とお藤の会話はまるで夫婦漫才だ。一方の柳生源三郎と新妻の夫婦関係も傑作。
ユーモアと人情にあふれた人間模様と男女、夫婦の本音が笑いの中に描かれている。
『河内山宗俊』も江戸庶民の生活が生き生きと描かれる一方、宗俊と金子市之丞の二人のヤクザ者が命を掛けて堅気の娘を守ろうとする男気、そして宗俊と妻の夫婦の絆などがユーモアを交えてテンポ良く描かれている。
お浪の弟を逃がすために体を張って下水道を堰き止める宗俊が、義経を守って幾多の矢を受けても立ち尽くした弁慶を髣髴とさせた。
「わしはな、これで人間になったような気がするよ」
「人のために喜んで死ねるようなら、人間、一人前じゃないかな」
「ここらがわしの潮時だ。人間、潮時に取り残されると、恥が多いというからな」
いいセリフもたくさんありました。
この作品の中に、紙風船が出てくる。
お浪の家は雑貨屋をやっており、そこに子供が紙風船を買いにやってくる。
弟・市太郎のしでかしたことの重大さに激しいショックを受けているお浪に代わって、市太郎が子供に紙風船を渡してやる。
重大さの自覚のない弟に、つい手を上げてしまうお浪。子供はびっくりして後ずさる。
次のシーンで、雪の降っている中、子供が紙風船をつきながら帰って行く。
『人情紙風船』は残存する山中貞雄監督作品三本の中でもっとも悲惨で暗い作品といわれている。
確かに、長屋住まいの老武士の首吊り自殺に始まり、新三の死の予感、そして海野と妻の無理心中で終わるストーリーは悲惨だといえば悲惨。しかし、なぜか単純に“暗い”とだけの印象は残らない。
ヤクザの世界のルールからはみ出し、あくまで一匹狼の自由人としての新三。
武士という身分制度からはじき出されても、なお武士としてのプライドを保とうとする海野とその妻。
二人の暮らす長屋では大家と店子たちが、死さえも明日生きるためのエネルギーとすべく深刻な事態をユーモアに代えて明るく逞しく生活している。
そんな中、人情も人の心もお構いなしで自己の利益に執着する大店の商人と武士に反発した新三は、一晩だけ困らせるつもりで大店の娘を連れ帰ってしまう。成り行き上、新三を助けることになる海野。
その行為が重大な誤解を招き、新三はヤクザの親分に、海野は武士としてのプライドを守ろうとした妻によって命を絶たれる。
1937年(昭和12年)7月、日中戦争勃発。同年8月25日の封切り当日に山中に召集令状が届き、中国に出征。
翌1938年9月17日、中国河南省の野戦病院で急性腸炎により戦病死。満28歳だった。
遺書とも言われる手記には「紙風船が遺作とはチト、サビシイ、友人、知人には、いい映画をこさえてください」と記されてたという。
組織・体制からはみ出しては生きていけず、プライドを失くしても生きていけず・・・
『人情紙風船』には国の始めた戦争に抗えない当時の世相が反映されているとも言われる。
【作品の中の“水”】
『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』:お屋敷の大きな池で金魚釣りならぬ鯉釣りを
する源三郎。お屋敷に閉じ込められ澱んだ水の中にいるような
退屈さに辟易。立派なお屋敷や百万両よりも“自由”が恋しい
源三郎だ。
『河内山宗俊』:雨と同じく、誰にも平等に降り注ぐ雪の中、紙風船をつきながら
歩く子供。
水の中に立ち、命をかけて塵芥のような男たちを堰き止める宗俊。
『人情紙風船』:ラスト、水の上をすべるように流されていく紙風船。
水の流れを人生の流れと喩えたとしても、紙風船を虚無や寂寥感の象徴とはしたくないという気持ちになってしまう。
確かに息の吹き込まれた紙風船は、ひとつの命を現しているのかもしれない。
なにがあっても、人生は流れていく。自然のままに、流れのままに、いつかしぼむまでしぶとく流れ続けろ紙風船・・・。
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