映画『ファニーゲームU.S.A』:超不快な映画?! あの青年たちを戦争(という暴力)大国アメリカに置き代えたらすべて納得!
『ファニーゲームU.S.A』
2008年 アメリカほか
監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ
監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ
製作:クリスチャン・バウテ、クリス・コーエン、
ハミッシュ・マカルパイン、アンドロ・スタインボーン
ハミッシュ・マカルパイン、アンドロ・スタインボーン
製作総指揮:ナオミ・ワッツ、ヘンガメ・パナヒ、
ダグラス・C・スタイナー
出演:ナオミ・ワッツ、ティム・ロス、マイケル・ピット、ブラディ・コーベット、デヴォン・ギアハート
ダグラス・C・スタイナー
出演:ナオミ・ワッツ、ティム・ロス、マイケル・ピット、ブラディ・コーベット、デヴォン・ギアハート
【ストーリー】
ある夏の午後、パーマー一家が休暇を過ごすためにレンジローバーでクラシック音楽のクイズをしながら別荘に向かっていた。
途中、隣人と挨拶をかわす。そこには白いシャツと白いズボン、白い手袋を身に着けた見知らぬ2人組の男がいた。
別荘に着くと妻アン(ナオミ・ワッツ)は夕食の支度にかかり、夫ジョージ(ティム・ロス)と息子(デヴォン・ギアハート)は明日のセーリングの準備にかかる。
そこに、隣家にいた2人組の1人、ポール(マイケル・ピット)が隣家のトンプソン夫人の使いで来た、卵を4個分けて欲しいという。
アンはそれを受け入れて卵を渡す。が、ポールは2度も落として割ってしまう。
やがてもう一人の青年ピーター(ブラディ・コーベット)もやってくる。
「まだ卵は4個残っているはず」と要求するポールたちに、帰宅したジョージは「帰ってくれ」と追い返そうとして思わずポールを平手打ちにする。
その途端、ポールの態度は豹変し、近くにあったゴルフクラブでジョージの脚を殴りつけ、一家全員をソファーに縛り付ける。
ポールとピーターは「先に手を出したのはそちらだ」と悪びれた態度を微塵も見せず、くつろぐように家を占領し続けた。
夜になると、2人は一家にある提案をする。
「明日の朝まで君たちが生きていられるか賭けをしないか?」と・・・。
【感 想】
「ものすごく衝撃的な作品だった」と学生から聞き、近くのレンタルDVDを探したんだけどない。ネットレンタルで見るしかないかな・・・と思っていたところ、ヤフオクでレンタル落ちのDVDを発見。他の映画と併せてまとめて10本近く落札。
そういうわけでようやく見ることができた。
(オーストリア版でもリメイク版でもどちらでもよかったんだけど、すぐに落札できたのがリメイク版でナオミ・ワッツは『マルホランド・ドライブ』や『21グラム』などで大好きな女優さんなので、とりあえずリメイク版から鑑賞)
見終わって、いろんな意味で、ミヒャエル・ハネケという監督の凄さを知った感じ。
前もって学生から大体の内容は聞いていたし、ネットでもいろいろ調べた後に観たので、どんだけ“超不快”なんだろうと身構えていたんだけど、暴力描写に関しては直接的な描写はない。見せずに想像させるほうが残酷だといえばその通りだけど・・・。
ポールが卵を借りに来た時から“ファニーゲーム”は開始されている。
この二人の青年の行動を見ながら「彼らはどこから来て、なにが目的なのか? 彼らの成育歴は? 家族歴は?」などと青年二人の言動からそれを読み取ろうと必死に画面を見つめる。
そして、映画が後半に入って、両手を縛られたアンが究極の選択を迫られ、神への祈りを言わされるシーンになって、この映画がなにを描こうとしているのかパチンと弾けるように見えた気がした。
一見、無害そうな服装で隣人代理を装って入り込んでくる青年二人。
青年たちは次のファニーゲームのターゲットをパーマー一家に決めてやって来る。自分達の犯罪の痕跡(指紋)を残さないために準備万端、最初から白い手袋をはめて。
そして、わざと卵を落としてアンの感情を逆撫でし、ジョージに先に手を出させるように仕向ける。
これで青年たちの“大義”は整った。
「まだ、卵は残っているのに貸してくれないし、そのうえ殴られた」
礼儀がなってないのはどっちだ?! とファニーゲームを持ちかける。
大義を振りかざし、圧倒的に優位な立場からパーマー一家を威圧していく青年たち。
それまで平和だったパーマー一家はまるで蛇に睨まれたカエルのように抵抗できずに、彼らの言いなりになるしかなく、否応なく「ファニーゲーム」に巻き込まれていく。
「青年」を「アメリカ合衆国」に置き換え「ファニーゲーム」を「戦争」に置き換えたら、なんとピッタリ、ハマることか・・・
【感 想】
「ものすごく衝撃的な作品だった」と学生から聞き、近くのレンタルDVDを探したんだけどない。ネットレンタルで見るしかないかな・・・と思っていたところ、ヤフオクでレンタル落ちのDVDを発見。他の映画と併せてまとめて10本近く落札。
そういうわけでようやく見ることができた。
(オーストリア版でもリメイク版でもどちらでもよかったんだけど、すぐに落札できたのがリメイク版でナオミ・ワッツは『マルホランド・ドライブ』や『21グラム』などで大好きな女優さんなので、とりあえずリメイク版から鑑賞)
見終わって、いろんな意味で、ミヒャエル・ハネケという監督の凄さを知った感じ。
前もって学生から大体の内容は聞いていたし、ネットでもいろいろ調べた後に観たので、どんだけ“超不快”なんだろうと身構えていたんだけど、暴力描写に関しては直接的な描写はない。見せずに想像させるほうが残酷だといえばその通りだけど・・・。
ポールが卵を借りに来た時から“ファニーゲーム”は開始されている。
この二人の青年の行動を見ながら「彼らはどこから来て、なにが目的なのか? 彼らの成育歴は? 家族歴は?」などと青年二人の言動からそれを読み取ろうと必死に画面を見つめる。
そして、映画が後半に入って、両手を縛られたアンが究極の選択を迫られ、神への祈りを言わされるシーンになって、この映画がなにを描こうとしているのかパチンと弾けるように見えた気がした。
一見、無害そうな服装で隣人代理を装って入り込んでくる青年二人。
青年たちは次のファニーゲームのターゲットをパーマー一家に決めてやって来る。自分達の犯罪の痕跡(指紋)を残さないために準備万端、最初から白い手袋をはめて。
そして、わざと卵を落としてアンの感情を逆撫でし、ジョージに先に手を出させるように仕向ける。
これで青年たちの“大義”は整った。
「まだ、卵は残っているのに貸してくれないし、そのうえ殴られた」
礼儀がなってないのはどっちだ?! とファニーゲームを持ちかける。
大義を振りかざし、圧倒的に優位な立場からパーマー一家を威圧していく青年たち。
それまで平和だったパーマー一家はまるで蛇に睨まれたカエルのように抵抗できずに、彼らの言いなりになるしかなく、否応なく「ファニーゲーム」に巻き込まれていく。
「青年」を「アメリカ合衆国」に置き換え「ファニーゲーム」を「戦争」に置き換えたら、なんとピッタリ、ハマることか・・・
さらに、戦争大国アメリカは宗教大国でもある。
国民の約80%がキリスト教を信じ、また宗教心の強い白人の間で戦争支持者が多いとも。
青年がアンに神への祈りを強要した瞬間に、そんなアメリカが見えてきたというわけで。
この映画は大義や宗教を盾に戦争という暴力を振るい続けるアメリカ批判の映画か・・・そう見ると、この映画のラストも何もかもが頷ける。
この映画は、また違う側面からも捉えることができる。
私がそうであったように、ついつい既成の映画文法に則って映画を解釈しようとしてしまう。
しかし、ゴダールの『勝手にしやがれ』にあったように、突然観客に向かって話しかけてみたり、観客の期待通りに青年の1人を撃ち殺したかと思ったら、巻き戻してそれはなかったことにしてみたり・・・この映画があくまで虚構であることを観客に突きつける。
虚構をいかにリアルに見せるかに苦心する映画たちをあざ笑うように。
また、多くの映画評に書かれているように、最初、青年たちにイライラと怒りを感じていたのに、いつの間にか被害者であるパーマー一家に苛立ちを感じるようになる。
なぜなら、フツーのサスペンスやホラー映画なら、被害者は必死になって逃げ道を探し、武器を探して敵に立ち向かい、敵(悪)に勝つはずなのに、その点、アンもジョージものんびりしすぎというか間抜け・・・。
実際に恐怖のズンどこに落とされたら、思考回路がマヒして悲鳴さえも出なくなるもんだろうか、その意味ではなんとリアルなことかと思いつつも、やはりイライラしてしまった。
そして、これもミヒャエル・ハネケ監督の狙いなのだと気がつく。
つまり、これまで見慣れた映画文法にハメようとしているから、イライラするんだと。
暴力映画の偽善性を論破し、既成映画の枠を破壊したこの作品とこの監督、やはりスゴイの一言だ。
Youtubeにオリジナル版がUPされていた!
ミヒャエル・ハネケ監督の『ピアニスト』もどちらかというと喉に小骨が刺さったような(?)作品だったなぁ。
過干渉の母親と二人暮らしで恋愛もしたことのないエリカ(イザベル・ユペール)。彼女の趣味はポルノショップに行くことと覗き・・・。
もうこの設定だけで違和感増大。そのエリカが若いピアニストと恋におち・・・悲劇へと突入していくんだけど、この作品の場合、私はラストが気に入っている。
悲劇ではあるけれども、希望も見える。
『ファニーゲーム』の場合、ラストは希望どころか・・・
なので、史上最高に超不快映画なんて思われるんだろうな。
国民の約80%がキリスト教を信じ、また宗教心の強い白人の間で戦争支持者が多いとも。
青年がアンに神への祈りを強要した瞬間に、そんなアメリカが見えてきたというわけで。
この映画は大義や宗教を盾に戦争という暴力を振るい続けるアメリカ批判の映画か・・・そう見ると、この映画のラストも何もかもが頷ける。
この映画は、また違う側面からも捉えることができる。
私がそうであったように、ついつい既成の映画文法に則って映画を解釈しようとしてしまう。
しかし、ゴダールの『勝手にしやがれ』にあったように、突然観客に向かって話しかけてみたり、観客の期待通りに青年の1人を撃ち殺したかと思ったら、巻き戻してそれはなかったことにしてみたり・・・この映画があくまで虚構であることを観客に突きつける。
虚構をいかにリアルに見せるかに苦心する映画たちをあざ笑うように。
また、多くの映画評に書かれているように、最初、青年たちにイライラと怒りを感じていたのに、いつの間にか被害者であるパーマー一家に苛立ちを感じるようになる。
なぜなら、フツーのサスペンスやホラー映画なら、被害者は必死になって逃げ道を探し、武器を探して敵に立ち向かい、敵(悪)に勝つはずなのに、その点、アンもジョージものんびりしすぎというか間抜け・・・。
実際に恐怖のズンどこに落とされたら、思考回路がマヒして悲鳴さえも出なくなるもんだろうか、その意味ではなんとリアルなことかと思いつつも、やはりイライラしてしまった。
そして、これもミヒャエル・ハネケ監督の狙いなのだと気がつく。
つまり、これまで見慣れた映画文法にハメようとしているから、イライラするんだと。
暴力映画の偽善性を論破し、既成映画の枠を破壊したこの作品とこの監督、やはりスゴイの一言だ。
Youtubeにオリジナル版がUPされていた!
ミヒャエル・ハネケ監督の『ピアニスト』もどちらかというと喉に小骨が刺さったような(?)作品だったなぁ。
過干渉の母親と二人暮らしで恋愛もしたことのないエリカ(イザベル・ユペール)。彼女の趣味はポルノショップに行くことと覗き・・・。
もうこの設定だけで違和感増大。そのエリカが若いピアニストと恋におち・・・悲劇へと突入していくんだけど、この作品の場合、私はラストが気に入っている。
悲劇ではあるけれども、希望も見える。
『ファニーゲーム』の場合、ラストは希望どころか・・・
なので、史上最高に超不快映画なんて思われるんだろうな。
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