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2013.07.25

Morrisのギターにラブ! 嬉しいプレゼントが届いた!

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思いがけないプレゼントが届きました。

大学(私は短期大学部)のフォーソング同好会で一緒だった昔の仲間から。

Facebookで当時の先輩や仲間たちと再会。
今、結構、交流しています。

先日は別の先輩から数十年前のコンサートのCDが送られてきて、聴きながら感涙してしまった。





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今日は“モーリスのギター”と“シーズー”が届きました。

手作りのペーパークラフトだそう。

手先が不器用な私からみたら、スゴイ!としかいいようのないすばらしい作品!


ありがとうございました
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2013.07.21

ロマンポルノとかAVとか・・・必然があればこだわりはないわけで。

映画『新・SとM劇場版』を観に行って、座席に座ってふと気がついた。

あらま、お客さんはほとんど男性?!

これから見る作品がエロティックサスペンス・・・いわゆるロマンポルノ系(←もう死語?)だということをすっかり忘れていた・・・。

上映後のトークショーが終わって、灯りのついた場内を見たら、女性も何人かはいたけど。

で、私が初めてロマンポルノを一人で観に行った時のことを思い出してしまった。

東京に転居して間もない頃、『夢野久作の少女地獄』が上映されていると知って、新宿の某映画館に期待に胸膨らませて一人で出かけた。

当時は夢野久作の小説の世界が大好きで『少女地獄』『ドグラ・マグラ』など夢中で読んでおり、無条件に、かつ反射的に「絶対に見なくては!」と思ったわけ。

※夢野久作に加え、レイ・ブラッドベリや赤江瀑、倉橋由美子などを読みまくっていた時代です。

小さな劇場は満杯で、ようやく端の席を見つけて座ったのを記憶している。
周りはびっしり男性ばかり。
映画が始まって、ようやく、どうやらロマンポルノらしいと気がついた。
ギャッ・・・女一人できてしまった・・・と一瞬、ビビッたが、それでも夢野久作の世界がどのように映像化されているのかどうしても観たい!という欲望のほうが強くて、「しょうがない。だって、観たいんだもん!」と内心居直って、しっかり最後まで見た!

映画の感想とかは、もうほとんど記憶にないけど・・・・・

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『夢野久作の少女地獄』(1977年)

監督:小沼勝
脚本:いどあきお
撮影:前田米造
製作:結城良煕
配給 にっかつ

出演:小川亜佐美・飛鳥裕子・桑山正一・三谷昇・絵沢萌子・江角英明

※画像は小説版。私が東京に転居したのは1981年なので、多分、映画はその年に観ているはず。

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その後1986年に映画『瓶詰め地獄』公開。
監督:川崎善広
脚本:ガイラ(小水一男)
原案:夢野久作『瓶詰の地獄』
企画:植木実・作田貴志
出演:小倉千夜子・沼岡淳・小川美那子・小俣賢治・小林ひとみ・江角英明

※画像は小説版。

小沼勝監督も脚本のガイラさんも、にっかつでは名作といわれている作品に多くかかわっておられるが、1988年にこのお二人と仕事をする機会を得た。

テレビの二時間ドラマで脚本家デビューした翌年、シナリオの勉強仲間だった知人の脚本家から「女性の視点が欲しいから」と声をかけてもらい脚本に参加させてもらったのが『箱の中の女2』だった。

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『箱の中の女2』
(1988年)
監督:小沼勝
脚本:ガイラ(小水一男)・清水喜美子
プロデューサー:半沢浩
出演:長坂しほり・中西良太・河村みゆき・小川真実・浅井夏巳・小原孝士・皆川衆・大場政則 他

前作の『箱の中の女 処女いけにえ』(1985年)はカリフォルニアで実際に起きた箱詰監禁事件をもとに小沼監督、ガイラ脚本で映画化。その続編。

妻に裏切られて女性を信じられなくなってしまったペンションのオーナー。表の穏やかな顔とは裏腹に、実は客として訪れた人妻を復讐の対象とし、箱の中に監禁していた…。そんなある日、訪れた人妻を監禁するが彼女はそれまでの女たちとは何かが違っていた。どんなに陵辱されても夫への愛を捨てない女・・・。監禁する男と捕らわれの人妻のねじれた愛が交錯する猟奇ロマン。

この作品に取り掛かるについて、先ず思ったのは、テレビでは描かない、描けない部分の夫婦・男女の関係を描くのがロマンポルノであり、テレビ作品とは表裏の関係にある。

両方ともに変わらないのは“人間を描くこと”。

妻に裏切られた男の悲しみや怒り、一方、暴力で体を犯されても心(愛)までは奪い取ることはできない女の悲痛さ・・・そんな男女が行き着いた愛の形とは?
脚本はそのテーマを外さないように作っていった。

その後、AVの脚本も何本か書いた。
当時、新進の若手監督ともAVの脚本を作り(何度か直しも入り)、三浦半島のロケ現場を見学させてもらった時には、俳優さんから「こんなにきちんとした脚本があるAV作品ははじめて」と言われたり。

ロマンポルノでもAVでも、基本は人間を描くこと。その見せ方として濡れ場が多いか、少ないか、また過激かどうかなどの映像表現がある。

確かに、劣情を煽るのを第一にした作品もあることは確かだけど、ロマンポルノに名作といわれる作品が多いのは人間をきちんと描いた作品が多いからだと思う。

そういうわけで、一見、ポルノ作品といえども女が見ても、笑ったり、唸ったり、感動できる作品があることを知っているので、観たい作品は一人でも観に行くっ!

そういえば、以前「女による、女のためのポルノ作品」作るべきじゃなかろうかなどと女たちで話し合ったこともありました。
その計画は実現しなかったけど・・・

 

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映画『新・SとM 劇場版』トークショーのじゃんけん勝ち抜きでメイン出演者サイン入りポスターゲットしたよん!

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先日、池袋シネマロサにて井田國彦さん主演の『新・SとM 劇場版』を見てきた。

映画が終わってからのトークショーに井田さんの妻役の宮内知美さんと部下役のにわつとむさん、そして井田さんがご登場。

トークショーがあることは知っていたけど、井田さんが出られるかどうかは不明だったので、劇場で久々に井田さんにお会いできてラッキー!

さらに、3名限定の出演者直筆サイン入りポスター、じゃんけんゲーム(笑)で勝ち抜いてゲットでき、さらにラッキー!

観客は男性ファンが大半で、じゃんけんゲームは遠慮すべき?かと迷ったけど、ここは無邪気に楽しめばいいじゃん、って感じて参加してしまった(^_^;)

井田さんのファンとして、家宝にしますですから(*^^)v

『SとM』は累計200万部突破の大ヒットコミックが原作の“戦慄のエロティックサスペンス・ムービー”

オリジナル版DVD『SとM』は7月に入ってからGyao!で二部構成で配信。
『新・SとM 劇場版』を見る前に、まずはオリジナル版『SとM』を視聴。

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『SとM  DVD版』(2010年)

監督:仰木豊
脚本:清水匡
原作:村生ミオ(日本文芸社/週刊漫画ゴラク刊)
製作:山田浩貴

出演:川村りか、小田井涼平、西本はるか、蒼井そら 他

※DVDは劇場版(104分)でカットされた部分を加えて二部(二章)構成に。

【第一章ストーリー】
はじめに・・・SとMといってもいわゆる“SM”の話ではありません。

「ま」っすぐで「ま」じめな性格で通称M男の戸田誠。
「す」きもの「さ」せ子からS子というあだ名がつけられた誠の同級生・天海早織。
その早織の娘の沙耶を中心とした女たち(全員頭文字はS)の愛憎渦巻く話です。

真面目一筋に生きてきたサラリーマン・戸田誠(小田井涼平)は、妻(西本はるか)と娘の三人で、平凡ながらも幸福な家庭を築いていた。だが、ある日誠の勤める会社に一人の新入社員が配属されて来る。
沙耶(川村りか)と名乗るその女は、さまざまな手を使い誠に迫り、いつしか二人は関係を持つようになる。二人だけの秘密で終わるかにみえたこの情事は、次第にエスカレートを極め、遂には戸田の家庭を崩壊へと向かわせ……。そして、そこには驚愕の事実が待っていた…。

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【第二章ストーリー
沙耶の策略で、社内情事の最中を部下の咲子(蒼井そら)に見られてしまった誠。妻・佐和子にも“浮気”の事実を知られ、家族は崩壊の危機に瀕し始めていた。
沙耶の燃えたぎる復讐心はさらに留まることをしらず、誠の娘の家庭教師・早川(山本剛史)を利用し、佐和子に誘惑の罠を仕掛け、遂には驚愕のクライマックスへ!!

【感 想】
いやはや、あな恐ろしや・・・

一口でいえば・・・究極
の逆恨み女ストーカーのお話です。

高校時代、早織から告白されても逃げてしまうほど生真面目でうぶだった誠。
沙耶は母・早織が強姦されて自分を身ごもり、出産直後に死んでしまったのはすべて誠のせいだと思い込んで、誠の人生を破滅に追い込もうとする・・・


って、あのあの、誠に復讐する前に、母を強姦した男(=沙耶の父親)を探し出して復讐するのが筋というものでは・・・(ーー;)


ましてや、強姦されている早織を見捨てて逃げたのならともかく、誠は早織が強姦されたなんてことは全く知らないことだし。

それなのにそれなのに、十数年経ってから突然、早織の娘と名乗る女が現れて「あんたの人生、メチャクチャにしてやる」といわれても、ねぇ。

原作には誠への復讐を決意させるほど勘違いしてしまう何かがちゃんと描かれているんでしょうか。

男性のストーカーも怖いけど、女性もストーカー化すると違った意味で怖いデスネェ~。
“女の武器”で責められると、男性というのはあまりにももろいものなんでしょうかねぇ。

こういう作品を見ると、理性や理屈を超えた“人間のもろさ”というものをしみじみ。

それにしても、あのクライマックスには目がテン!
誠がなんとスーパーマンというかスパイダーマンというか、超人(鳥人)になっちゃった!
『ET』の自転車のシーンそっくりに、巨大な月を背景に宙を飛ぶ誠・・・
一瞬、唖然・・・そのあと爆笑してしまいました。

これは妻への命をかけた愛の寓話でかね(笑)


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『新・SとM 劇場版』 (2013年)99分

監督:SHUN
脚本:SHUN・橘慎
原作:村生ミオ(日本文芸社/週刊漫画ゴラク刊)
製作:藤田裕之・高橋正行
プロデューサー:藤田裕之・清澄真

出演:宮内知美・井田國彦・川村りか・かでなれおん・三輪あすみ 他

【ストーリー】
不条理な理由を掲げては巧妙な復讐計画を仕掛けてきた天海沙耶(川村りか)の攻撃を食い止め、妻・佐和子(宮内知美)との関係も元に戻り、会社でも大きなプロジェクトを任されるようになった誠(井田國彦)。
だが、自宅への侵入を契機に沙耶は再び誠たちを脅かすように。彼女は自分に好意を示す小坂(にわつとむ)、誠の元部下であった坪井(三輪あすみ)をも利用して復讐(ふくしゅう)を激化。これまでにない危険を感じる誠だが、そんな状況にもかかわらず社長秘書の滝川静江(かでなれおん)に惹(ひ)かれてしまう。やがて沙耶の忠実なしもべと化した小坂によって、佐和子が拉致されてしまい……。そして、それまで明らかにされなかったある事実が明るみになり・・・。

【感 想】
8月にDVD発売だそうなので、ネタバレは止めときますね。

オリジナル版で“そ、そんな殺生な・・・”と感じた部分は今作できちんとフォローされてます。多分・・・。

それにしても、井田さんの脱ぎっぷりには脱帽・・・
脱いでぽっちゃり体形に見せるために、体重を増やしたのだそうです。

時々、会場から笑い声が聞こえましたが、その意味でも原作のテイストが上手く取り入れられているよう。
原作は読んでないけど、エロティックサスペンスでありながらもコメディテイスト満載の漫画だそう。

『或る夜の出来事』(1934年フランク・キャプラ監督)のオマージュシーンもあったりして、それなりに楽しめました。

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井田さんとは、だいぶ前にフジTVの昼ドラ『幸福の予感』で仕事をさせていただきました。
あまりにも激しい嫁姑の闘いに耐え切れずに家出してしまった主人公の夫。その夫の恋人役=サラリーマン同士のゲイの役で。
その後は『間寛平少年物語』に出てくださったりと、シリアスからコメディまで、そして平凡な中にも複雑な葛藤を抱えた役柄をとても上手く演じられる俳優さんで、気になる役者さんの一人です。

『新・SとM』DVDは8月2日発売だそうです!






 

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2013.07.03

映画『ミスト』 まさか! しばし絶句のラスト。原作者のスティーヴン・キングは賞賛?! 賛否両論確信犯の監督の意図は?

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『ミスト』 The Mist 
2007年/アメリカ/125分
監督・脚本:フランク・ダラボン
原作:スティーヴン・キング 『霧』
製作:フランク・ダラボン、リズ・グロッツァー
製作総指揮:リチャード・サパースタイン、ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン
音楽:マーク・アイシャム
撮影:ロン・シュミット
編集:ハンター・M・ヴィア

出演:トーマス・ジェーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ローリー・ホールデン

【ストーリー】

キャッチコピー 「映画史上かつてない、震撼のラスト15分

■嵐が過ぎて…

7月19日の夜、メイン州西部の全域が、未曾有の激しい雷雨にみまわれた。嵐に脅える住民たち。湖のほとりに住むデヴィッド(トーマス・ジェーン)は、妻のステファニー(ケリー・コリンズ・リンツ)、5歳の息子ビリー(ネイサン・ギャンブル)と地下室に避難していた。
翌日は晴天。しかし、デヴィッドは湖の向こう岸に発生した霧の壁を見て不安になる。それは不自然にこちらに流れてくるのだ。とにかく彼は、息子と隣人の弁護士ノートン(アンドレ・ブラウアー)と買出しに行くことにした。

大通りに着いたデヴィッドは妻に連絡を取ろうとするが、携帯電話も公衆電話も不通だった。

■霧がくる
3人がスーパーマーケットの中へと入ると店内は大混雑。スーパーマーケットのレジ・カウンターには長い行列ができ、その中には骨董品店の女主人カーモディ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)、軍服を着た3人の兵士、老女教師アイリーンや新人の教師アマンダ(ローリー・ホールデン)がいた。
突然、鼻血を流した中年男ダンがマーケットに駆け込んできて必死の形相で叫んだ、「霧の中に何かがいるっ!」
人々が窓ガラスの方へ群がると、深い霧が駐車場の半分以上を覆っているのが見える。マーケットが霧に包まれると、突然大きな衝撃音が響きわたり、壁や天井にひび割れが起きた。
カーモディが言う「外は死、この世の終りよ」

■恐怖の襲来
発熱したビリーのため、デヴィッドが毛布を取りに店の倉庫に入った時、不気味な物音を聞く。
発電機を動かすために、外にある排気口を調べに行った男ノームが、突然、触手を持った不気味な物体の襲撃を受ける。デヴィッドたちは懸命に彼を助けようとしたが、彼はその生物と共に霧の中へ消えた。
デヴィッドは皆がパニックを起こさないよう、まずは、弁護士のノートンに事件を説明するが信じてもらえない。そこで全員に呼びかけた。「霧の正体は不明だが、その中に危険な生物が潜んでいる」と。
周囲から笑いが起きた。カーモディは、「終末の時が来た」と持論を展開するが、アマンダに一蹴される。
デヴィッドが店長のバドを連れて倉庫へ行き、床に転がった不気味な触手を見せて、ようやく事態を納得してもらう。


■醜悪な対立とサバイバル

デヴィッドを信じた者たちは、肥料やドッグフードの袋を防御用砂袋のように積み重ねバリケードを作る。また、武器になるようなナイフ、モップの柄、液体燃料を集め闘いの準備をする。
一方、カーモディは「神の意志に逆らうことはできない」と言い「今夜、彼らはやってきてあなたたちを捕まえる」と人々を不安に陥らせる。
ノートンと数人の男性たちは、未だにデヴィッドを信じようとしなかった。また、3人の兵士は、離れたところで激論を戦わせている。 
 夜になり、男がランプをつけた。すると突然、霧の中から巨大な虫や鳥のような生物が飛来。ガラスを打ち破りマーケット内に侵入。
人々はパニックに陥り、悲鳴が響き渡った。巨大生物の飛来に逃げ回る人々。      
デヴィッドも火をつけたモップで巨大生物たちと必死で戦う。
カーモディは神の怒りを語り、聖書の引用文を叫んだ。


■脱出
生物の襲来から生きのびた人々は絶望の中にいた。襲われて死んだ者、やけどを負う者、恐怖から自殺した者…。
1人の女性が、カーモディが正しかったと言い出し、少しずつ彼女の信者が増えていった。
そんな中、霧と軍の関係を疑ったカーモディによって、兵士の1人が儀式の生贄として外に放り出されてしまう。兵士は霧の中に潜む生物に捕まり連れ去られてしまった…。
贖罪のため生贄を求め始めたカーモディから息子ビリーを守るためにも、ついにデヴィッドはマーケットから脱出することを決めた。
カーモディは「神の意志に反する」と言って激怒するが、デヴィッドは賛同する数人と一緒にマーケットから出る。
ついに姿を現す“霧”の正体とは?
人間は見たことのない恐怖の前にどのような選択をするのか。
絶望の果てに待っている衝撃の結末とは…。

参考 週間シネママガジン

【感 想】

冒頭、スーパーマーケットに向かうデヴィッドの車がなにやら慌しそうな軍の車とすれ違った時、弁護士のノートンとこの街の軍についての噂について会話する。


ノートン「(軍の)“アローヘッド計画”? 君は地元民だ。何か知ってるか?」
デヴィッド「ミサイル防衛に関する研究らしい」
ノートン「基地には墜落したUFOと宇宙人の冷凍死体があるとか…」

えっ、じゃあここはロズウェル事件で有名なエリア51の近く?
ということは、怪物ってのは映画『スーパー8』みたいなやつ?
と即、思ってしまった。

『ミスト』の設定ではデヴィッドたちの住む街の名前はキャッスルロック。
スティーヴン・キングが自作の舞台によく登場させる、アメリカ合衆国メイン州にある架空の街だけど、ノートンとの会話からエリア51を連想させる。
正直“またエリア51絡みの怪物かぁ”と安直に予想してしまったのだが、この予想は見事、裏切られた…。

デヴィッドらがスーパーマーケットに入って以後は、ほとんど店内の密室劇。

密室劇の部分がとにかく長い・・・それでやっと気がつく。この作品は得体の知れない生物の存在という外部からの恐怖と同時に、人間の心という内面の闇の恐怖を描くのが目的なんだと。

人間同士の普段は見えなかったもの、抑圧されていたものがこの密室の中で露わになっていく。

・田舎(現地人)と都会(よそ者)の反目
・学歴についてのコンプレックス
・職業差別
・隣人同士の反目
・キリスト教原理主義とリベラルの対立
・宗教と科学の対立

この中で、最も重いのがカーモディを代表とするキリスト教原理主義者の描き方だ。
街の人々から“変人”として嘲笑されていたカーモディが、外からの得体の知れない恐怖を前にして、人々を洗脳していく過程が段階的に分かり易く描かれている。
ついにカーモディは恐怖に慄く人々にまるで預言者のごとく振舞うようになる。

そして、軍の兵士の話から今回の事態の原因が分かってくる。
軍内の噂では、“アローヘッド計画”というのは、この世界は異次元の世界に囲まれており、そこに”窓”を開けて、異次元を観察する研究だった。ところがその研究に失敗して、異次元の生物が我々の世界に侵入してきたらしい。

カーモディは神に背く、そんな人間の傲慢を激しく糾弾する。

カーモディ「(デヴィッドに向かって)あなた。まだ分からない?真実が見えない?
  私たちは罰を受けている。神のご意志に背くことをしているから。禁じられた神の
  古き掟を破っているから。月面を歩いたり、原子を分裂させたり、幹細胞の研究や、
  中絶!生命の神秘を破壊する。神だけに許された世界への冒涜よ! 」

カーモディの信奉者たちから拍手がおきる。

カーモディ「だから罰を受けている。神の審判が下ったのよ。地獄の魔物が解き放た
  れた。燃える星が、天から落ちてきた。彼のせいよ(兵士を指さす)」
兵士「違う、僕じゃない!」
カーモディ「彼らがやった。神を冒涜したのよ!」

そして兵士を生贄として、外に放り出す。


さらにカーモディは脱出しようとするデヴィッドらの前に立ち塞がり「神の意志に反する」と行く手を阻む。

このシーンを見た途端、映画『ファニーゲーム』を思い出した。
「最高に後味の悪い映画」として有名な『ファニーゲーム』だけど、あの二人の青年を“アメリカ合衆国”に置き換えてみると、あの映画の全てが納得できる。

ごく平凡で平和な家庭に、「卵を貸して欲しい」と無害そうな顔をして現れる二人の青年。ところが青年はわざと卵を落としては、壊れたからもっとちょうだいと要求する。そんな青年たちに不審を感じ、不機嫌になった主婦とその夫に対して青年たちは突然、ぶち切れ、凶暴さを露わにして…ついには…。

真っ白なテニスウェアのような上下を着ている二人の青年はまさに「白い悪魔」だ。
理由を捏造して、他国に戦争を仕掛け多くの他国民を殺戮してきた「白い悪魔」=U.S.A.

オーストリアのオリジナル版では青年の1人は濃い色のズボンをはいている。がアメリカ版ではわざわざ二人とも上下真っ白の衣装になっている。

この「白い悪魔」は、平和だった一家を惨殺した後、次のゲームを始めるべく別の家のドアを叩く。「白い悪魔」をU.S.A.に置き換えた場合、当然のラストだ。

『ファニーゲーム』は戦争という暴力大国アメリカ、さらに暴力をエンターテイメント化して稼ぐハリウッド映画に対するミヒャエル・ハネケ監督の批判と告発に溢れた作品だと受け止めた。

では『ミスト』と『ファニーゲーム』の共通項は何だろう…?

密室に閉じ込められたことで見えてくる人間たちの内部の闇の中でも、見えない恐怖に怯える人々がカーモディという狂信者に操られていく集団心理の描写が最も印象に残る。


 (「福音派(evangelicals エバンジェリカル)」または「原理主義者(fundamentalists ファンダメンタリスト)」の伝統の重要な一部である神学=)ディスペンセーショナリズム(天啓史観、経綸主義、前千年王国説)は、米国が反キリスト教国かキリスト教国かで揺れ動いているが、前者のウェートが高いところ、ディスペンセーショナリストの中には、9.11同時多発テロは、米国の世俗化・・・すなわち、米市民的自由連合(American CivilLiberties Union) や中絶提供者、同性愛者の権利の支持者、学校の祈祷に関する連邦裁判所の判決などにより、霊的に弱体化した米国民への「神の審判」である・・・という主張を行った者すらいる・・・
 その後、ディスペンセーショナリストを多く含む福音派・原理主義者はブッシュのイラク侵攻・再建を支持することで、より愛国主義的で楽観的な後者の見解と完全に一体化してしまったかのようである。
参考 http://blog.ohtan.net/archives/51459495.html
    http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/bitstream/harp/2324/1/kenkyu2006280403.pdf


U.S.A.の人口の4分の1を占め、レーガン大統領やパパ・ブッシュ、子ブッシュ(大統領)の支持母体であり、外交や軍事にまで影響を及ぼすといわれているキリスト教原理主義。

『ファニーゲーム』の好戦的な「白い悪魔」を操っているのはキリスト教原理主義ではないのか?(ラスト近くで「白い悪魔」は主婦にキリスト教の祈りの言葉を言わせる。しかし、主婦は祈りの言葉を知らない・・・)

『ミスト』で描かれたカーモディにもそんな原理主義者の姿が投影されている。

そのカーモディと対立するのがデヴィッドをはじめ新人教師アマンダらリベラリスト(自由主義者)たち。

「霧の中に危険な生物がいる」というデヴィッドの言葉を信用せず、論理的・合理的に助けを呼んでくると外に出て行こうとする黒人弁護士ノートンに対して、

カーモディ「知的で結構ね、弁護士さん。でも神のご意思には逆らえない。地獄で
  上告はできないわ」


女子トイレの暗闇の中、蝋燭の下で一人祈るカーモディ。

カーモディ「どうか私に、この人たちを助けさせてください。あなたの言葉を説かせ
  てください。光で導かせてください。悪人ばかりではないはず。全員が悪人では
  ありません。何人かは救うことができるはずです。そう、あなたの赦しによって
  ・・・天国の門をくぐれるはずです。でも彼らのうちの多くは・・・永遠の地獄の炎
  の中にいる。もし何人か救えたら、たとえ1人でも・・・私の人生に意義が見いだ
  せます。私は役割を果たせるのです。そしてあなたのおそばへ行ける。あなた
  のご意思をまっとうできるのです」


そこへアマンダが入ってくる。入れ違いに出て行くカーモディにアマンダが心配そうに声をかけた。
アマンダ「当然のことだわ。恐れるのは誰でも同じよ。友達か、話し相手が必要な
  時は私が・・・」
カーモディ「友達はいるわ、天の神様よ。毎日、話をしてる。偉そうにしないで!」
アマンダ「私が?そんなつもりはないわ」
カーモディ「あなたを友達にするくらいなら、トイレの汚物のほうがマシ!」


以後、カーモディとアマンダはお互いを敵視するようになってしまう。

トイレから出てきたカーモディは何かに取り付かれたように演説を始める。

カーモディ「怪物が哀れな若者をさらった。霧の中にいる物を疑うの? そうなの?
  なら外へ出て。挨拶でもしなさい!」
男 「黙れよ!頼むから。子供たちが怯えてるじゃないか」
カーモディ「怯えるべきよ。そう、怯えるべきだわ。(少女の頬を撫ぜ)彼らの美しく
  純粋な心は、多くの嘘で汚されたのよ。空疎な”現代の神”や無神論にさらされて。
  神はただひとつ。ユダヤの神よ。過酷で、復讐心を持つ神。我々は神を無視して
  きた。だから神は償いを求めている。今こそ立場を選ぶ時、救われるか、呪われ
  るか。聖書にあるとおり、生贄が必要。血よ!」
アマンダ「何ですって?」
カーモディ「血よ!ノームは最初の生贄。神は我々の犠牲を望んでいる。神へのツケ
  を支払わねば。アブラハムが息子の命を差し出そうとしたように」
アマンダ「(思わずカーモディの頬を叩く)やめなさい!」
カーモディ「(切れた口からの血を指につけ見せつける)これも支払いの一部、血の
  一滴よ。怪物が襲う、 たぶん今夜、闇と共に。今夜襲いに来て、誰かの命を奪う。
  見てなさい。怪物が来た時、あなたたちは神に叫び、この私に導きを求めるのよ。
  (アマンダに)あんた、今度ひっぱたいたら。もし、やれるなら・・・。私にひざまず
  いて、助けを乞うはず」

理性で会話しても通じないカーモディに呆れ果てるアマンダ。


アメリカの政治を左右しかねない勢力であるキリスト教原理主義とリベラルとの対立がくっきりと描かれている。

民主主義もリベラリズム(自由主義)から生まれた概念。しかし、キリスト教原理主義から見たら、“人間の意志”によって全てが決定されるリベラリズム(民主主義も含む)は反キリスト教である。キリスト教原理主義にとっては“神の意思”がすべてだから。

まさに、現代アメリカの宗教的、政治的現実を描いている『ミスト』。
その意味で『ファニーゲーム』と同じ臭いがしたのです。


デヴィッドやアマンダら脱出組は命の危機を感じ、カーモディを殺して、外に脱出する。

「神の名の下に“好戦的”なキリスト教原理主義」を抹殺?!

ということはリベラリズムの勝利?

普通ならば、主人公であるリベラリストたちの脱出成功!を描くところだけど、フランク・ダラボン監督は原作とは全く違う結末を用意した。

普通に考えればあり得ない結末を・・・。

これはリベラリズムの傲慢さに対する警告でもある?

映画評論家・町山智浩氏がダラボン監督から直接聞いた話として・・・
「勘違いしている人がいるから言っておく。『ミスト』のラストが意味するのは、人類は霧に勝利しつつあった、主人公たちは最後まで頑張るべきだった。絶対に希望を捨てるな!あきらめるな!というメッセージ」だそう。

それにしても・・・
目の前の絶望に打ちひしがれたとしても、せめてヒッチコックの『鳥』のようなラストにして欲しかったような気もする。

脅威・恐怖がどこまで、いつまで続くか分からなくても、待っているのが希望なのか絶望なのか分からなくても、ひたすら前に進むような・・・

しかし、『ファニーゲーム』より、より絶望的な結末にしたことで、このように観た人に決して忘れられないような問題提起が出来たのだと思うと、ダラボン監督の凄さにひれ伏すしかない・・・。

原作者のスティーヴン・キングは、原作とは違うダラボン監督の結末に、もし自分がその結末を思いついていたらそうしただろうと賞賛したそうだ。


   

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