3万日を過ぎて:高齢の母に親しい人の死をどう伝えるか悩んでしまった……
母は今年85歳。
ここ何年かは電話のたびに 「このごろ物忘れが激しくてね」とボヤクようになった。
「物忘れなら私も負けんよ、アハハ」と私は気楽に母を励まし電話を切ればいい。
ただ、すぐそばに住んでいる妹からの連絡だと、調子の良い時と悪い時で記憶力の度合いが違ったりして、たまに一人でドヨンと落ち込んでいたりと、とても心配になる時があるらしい。
母は夫(私の父)が早くに病死した後、その仕事を引き継ぎ私たち姉妹三人を育ててくれ、体を壊す一歩手前でその仕事を辞めた。
その後は独学で好きだった絵を描き始め、初めて出品したコンクールで市長賞を取ったり、白日展や二科展などにも出品するようになった。
また東京の画商を通して、全国的に自作の絵を売ってもらったりもして、気がついたらプロの画家になっていた。
私や千葉の叔父(母の弟)なんかは、「いつか銀座で個展をやろうよ」と励ましも含めて言っていたのだが、本人にはそんな欲はサラサラなかったよう。
東京の画商の“商売っ気”に嫌気がさしたようで、いつの頃からかその画商との取り引きをやめて、知り合いからの依頼のみで絵を描くようになった。
依頼は絶えなかったようで、いつも何件か抱えており、絵を描く事は母の生甲斐でもあった。
そんな母だったが、今年に入ってから利き腕の右手が腱鞘炎になり、筆が持てなくなってしまった。加えて、足の指が陥入爪(巻き爪)で歩くのが辛くなった。
自由に歩けないわ、絵は描けないわじゃ羽根をもがれた鳥と一緒。
妹と一緒に整形外科、皮膚科通院の日々が始まった。
そんなある日、妹から電話が掛かってきた。
どちらかの病院に行った時、待合室に母の絵のタッチとそっくりな絵が掛かっていて、
「母さんの絵に似てるネエ」
「そう言われたら、そうじゃネエ」
で、妹が絵のサインを見に行ったら、母のサインが描かれていた!
廊下にある別の絵も母の絵だった!
「か、母さん、これ母さんの絵よ」
「あら、ウチの絵ね?」
と母……
「以前の母さんなら、自分の絵が分からんはずないのに……」
妹は、目に見えないところで母の認知症が進み始めているのではないかと、深刻に考え始めていた。
今までは家にいて、庭の手入れをしたり、絵を描いたり、たまに親しい人と会うくらいで、母の生活圏はすごく狭い。
そこで、このまま家にいるばかりでは認知症が進むだけかもしれないので、外の刺激に接したほうがいい……ということで母に合ってそうなデイケアセンターを探して、週のうち何日か通う手続きをとった。
これまでマイペースで仕事をしてきた母は、ある意味、一匹狼体質で知らないグループの中に放り込まれるのを嫌うのではないか……その危惧どおり、最初の何回かはかなり苦痛のようだった。
だが、今になってみて結果、オーライ。
母の裏表のない性格は、みんなに受け入れられて頼られているらしい。
隔日で通うことを日課の一つとして、絵を描くことも再開した。
そんな母にとって、家族以外で最も頼りにしていたのが、幼馴染で大分市に住むT子さんだった。
妹によれば、T子さんの御主人が亡くなって以後、この1年は2日に一度くらい二人で長電話するのが日課になっていたとのこと。
そして、この夏、妹から深刻そうな声で電話が掛かってきた。
T子さんが、突然亡くなったとご親族から連絡が来たというのだ。
二日前に電話で話したばかりの人が突然亡くなったことを、ストレートに伝えるべきか?
妹は、そのショックで母の認知症が急激に進行するかもしれないと危惧していた。
しかし、妹の連れ合いは「事実は事実としてきちんと伝えるべき」という意見で、妹はどうすべきか迷いに迷っていた。
私はといえば、電話で話す母は確かに同じ話を繰り返す傾向はあるけど、それは老化現象の一つと受け止められる程度としか判断できず、日常の母の様子が分からない。
もう一人の上の妹に電話で意見を聞いてみた。
上の妹も母のすぐ近くに住んでおり、母とは毎日接している。
その妹は、大切な人の死で認知症の進行の可能性が大きいから「伝えないほうがいい」という意見だった。
何度か妹たちと電話で話し合った結果、私が出した結論は……
今、伝えなかったとしたら、母はいつものようにT子さんに電話をして、T子さんの親族から亡くなったことを知らされるだろう。
時間が経過して死を知らされた時のショックと、今伝えた時のショックを考えたら、どっちのショックが母にとって大きいか?
そして結論は……母には事実を伝えて、お葬式に参列し最後のお別れをさせてあげたほうがいい、ということ。
後になってお別れができなかったことをずっと悔やみ続けるよりも、お葬式という儀式を経てT子さんの死を受け止めたほうがよいと考えた。
母は元々、心の強い人だ。現実を受け止め、悲しみや寂しさを乗り越える強さを持っているはず……そんな母の強さを信じてみよう。
妹の連れ合いと近い意見であり、妹はその意見に納得。
上の妹も「母の強さを信じてみよう」ということで納得してくれた。
かくて、母は妹二人に付き添われてT子さんのお葬式に参列した。
その後の様子が気になり、妹と連絡を取り合ったが、周りで心配するほど母は落ち込んだ様子はないということでホッ。
実はそれから1週間後にまたしても長年お付き合いの合った母の友人M子さんの訃報が届いた。
妹はまだT子さんのショックが続いている時に、どうしよう……とまたまた悩んだが、T子さんのことで母には死を受け止める力も、乗り越える力もあると分かっているので、きちんと伝えると結論を出すのは早かった。
私にできることは電話で母の愚痴を聞くことだけ。
「T子さんもM子さんも亡くなってしまったんよ。早すぎず遅すぎず、うちたちも、もうそんな歳だからねぇ」と母。
「淋しくなったねぇ。でもまだOさんもSさんも元気だし、母さんにはおばあちゃんの歳までは元気でいて欲しいからね」と私。
昔から親しいOさんは95歳、Sさんは母と同い年の85歳の女性たちで、二人とも子供とは同居せず一人暮しを続けている元気な高齢者。
おばあちゃん(母の母)は96歳で大往生した。
“忘却”が加齢現象の一つであるなら、辛いことや悲しいことはどんどん忘れていいと思う。母には、楽しかったことや幸せな記憶の中で生きていって欲しい。
(一人で上京してきて、セントの通院に付き添ってくれた母 2008年3月)
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