深刻な問題を扱う軽い映画のほうが、軽い問題を扱う深刻な映画よりも価値がある(ジャック・ドゥミ)…『ジャック・ドゥミ 映画/音楽の魅惑』展へ
『ローラ』(1961)と『天使の入江』(1963)を観たのは昨年のこと。Gyao!で公開されていたのでたまたま観たのだが、驚いた。
まず、第一にあの『シェルブールの雨傘』(1963)のジャック・ドゥミ監督のデビュー1作目と2作目だということに。
さらに、『ローラ』のアヌーク・エーメ(当時29才)、『天使の入江』のジャンヌ・モロー(当時35才)が驚くほど奇麗だったこと。
アヌーク・エーメは『ローラ』の前年の『甘い生活』(1960)にも出ているのだけどあまり印象に残ってなくて、『男と女』(1966)の“大人の女”のイメージが強かった。
ジャンヌ・モローは『死刑台のエレベーター』(1957)や『突然炎のごとく』(1962)などで個性的な美人だとは思うものの、個人的にはそれほどとは思ってなかった。
だが、『ローラ』と『天使の入江』を見て、それまでのイメージがぶっ飛んだ。
二人とも本当に奇麗……とくにジャンヌ・モローがどれだけ奇麗な女優だったかということがよく分かった。
『ローラ』の撮影は、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどのヌーヴェルヴァーグの作品を多く手がけているラウール・クタール。
『天使の入江』の撮影は、この作品に続いて『シェルブールの雨傘』を撮ったジャン・ラビエ。
『ローラ』…7年前に街を去った恋人。彼の子供を生み、彼が戻ってくるのを一途に待ち続けるキャバレーの踊り子、ローラ。このローラの周りでいくつかの出会いと別れがある。巧みに構成された“すれ違い”は見事だった。
また、何が待ち受けていたとしても「人生は美しい」という素敵なセリフにも出会った。
一見、娼婦的だけど、内面は純粋なローラをアヌーク・エーメが魅力的に演じていた。
『天使の入江』…キャンブルにのめり込む金髪の美女・ジャッキー(ジャンヌ・モロー)。そんなファム・ファタールと出会ってしまった真面目な若い男。すっからかんになっても「金持ちと貧乏の両方を味わえるのがギャンブルよ」というジャッキーに悲壮感はない。ギャンブル依存症の女の危うさと強さをジャンヌ・モローが美しく演じていた。
カトリーヌ・ドヌーブの『シェルブールの雨傘』も素晴らしかったけど、私は『ローラ』と『天使の入江』のほうが好き。ちなみに音楽はすべてミシェル・ルグラン。
というわけで、わくわくしながらジャック・ドゥミ展を訪れた。
【ジャック・ドゥミ監督 プロフィール】
1931年:フランスのロワール・アトランティック県ポン・シャトー生まれ。
1945年:14歳の時、ロベール・ブレッソンの「ブーローニュの森の貴婦人たち」を見て、映画の魔力にとり憑かれる。
人形劇を自作自演してみたり、幻燈を作ったりしながら、映画の世界へのめり込んでいく。
やがて、父の反対を押し切り、ナントの美術学校に学ぶ。
1949年:18歳の時、パリに出て、'51年(20歳)まで写真映画学校に通う。
その後、アニメのポール・グリモーやドキュメンタリーのジョルジュ・ルキエらの助監督をつとめる。
1956年:25歳の時に短編映画第一作『ロワール渓谷の木靴屋』を撮り、以後59年まで短編映画を5本撮る。
1961年:(30歳)『ローラ』で長編映画デビュー。
1962年:映画監督アニエス・ヴァルダと結婚。
1990年10月27日没。59歳。死因は白血病。
しかし、
2008年に公開された妻のアニエス・ヴァルダ監督の映画『アニエスの浜辺』(Les Plages d'Agnès)の中で、ジャック・ドゥミ監督の死因がAIDSであったことが明かされている。
『ジャック・ドゥミ 映画/音楽の魅惑
Le monde enchanté de Jacques Demy』
概 要 (※抜粋)
昨年パリのシネマテーク・フランセーズで行われた展覧会の初のアジア巡回で、スチル写真や撮影スナップ、美術デッサンや製作資料、さらにドゥミ本人のアート作品も紹介しながら、ある時は晴れやかに、時にはメランコリックに、色とりどりのファンタジーを観客に届けてきたその生涯と業績を振り返ります。
展覧会構成 (※作品名は当ブログで加筆しました)
ナントという磁場 <1931-1963>
『ローラ』Lola(1961)、
『新・七つの大罪』より「淫乱の罪」Les Sept Péchés capitaux , La Luxure(1962)
『天使の入り江』 La Baie des Anges (1963)
しあわせのメロディ <1963-1967>
『シェルブールの雨傘』 Les Parapluies de Cherbourg (1963)
『ロシュフォールの恋人たち』 Les Demoiselles de Rochefort (1967)
ロサンゼルスへの旅 <1968-1969>
『モデル・ショップ』 Model Shop (1968)
夢のリボン <1970-1978>
『ロバと王女』 Peau d'âne (1970)
『ハメルンの笛吹き』 The Pied Piper (1971)
『モン・パリ』(1973)
L'Événement le plus important depuis que l'homme a marché sur la lune
『ベルサイユのばら』Lady Oscar (1978)
心の鼓動 <1979-1990>
『都会の一部屋』 Une chambre en ville (1982)
『パーキング』 Parking(1985)
『想い出のマルセイユ』 Trois places pour le 26 (1988)
ドゥミの世界
以下は撮影が許可されていたポスター
『ローラ』 『シェルブールの雨傘』
『ロバと王女』『ロシュフォールの恋人たち』
その女とは『ローラ』の中で待ち続けた恋人・ミシェルと再会して彼とアメリカに渡った芸名ローラことセシル(アヌーク・エーメ)だ。あれから数年が経ち、ミシェルと別れたセシルは、故郷ナントに置いてきた息子のためにもフランスに帰ろうとモデルショップで写真のモデルをして旅費を貯めていた。セシルの部屋にはフォトアルバムがあって、その中には『ローラ』の頃のミシェルやお客だったアメリカ兵・フランキーや幼い息子の写真があった。
『シェルブールの雨傘』はロマンティックな悲恋物語ではなく、
「これは戦争に反対する映画です」
『シェルブールの雨傘』はアルジェリア戦争、『モデル・ショップ』ではベトナム戦争という背景があり、悲恋や若者の虚無感を描くことで、戦地ではない場所でも戦争が人々の人間性を奪っていた残酷さや愚かさを告発している。
またおとぎ話を描くことで、権力や宗教の欺瞞を描いたという作品の数々。
ジャック・ドゥミ監督の作品は調べれば調べるほど深くて、未見の作品もぜひ見てみたい。
(フランス語版だけど……)
ドゥミ監督が主役のジョージ役に切望していたのは当時まだ無名だったハリソン・フォードで、会場にも無名時代のハリソン・フォードの写真がありました。
『モデル・ショップ』のハリソン・フォード テストフィルム わっ、若いっ
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