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2014.11.03

フェリーニの『道』…雨のシーンがないのに、“雨”にまつわる二つの台詞があるのは、なぜ? その理由がやっと分かった!

フェデリコ・フェリーニ監督の名作『道』(1957)のGyao!無料視聴が10月31日までだったので、その日の午後、とにかく観た。



実は、この作品、もうかなり昔に観て、もの哀しい名作だったことだけは記憶していた。

フェリーニの作品は『甘い生活』(1960)、『8 1/2』(1963)、『女の都』 (1980)、『ジンジャーとフレッド』 (1985)など観ているが、実は観たのはすべてシナリオの勉強を始める前のこと。

昨年、たまたま『甘い生活』を見直す機会があって、改めて観たところ、冒頭のヘリコプターで吊るされて運ばれてくる巨大なキリスト像に度肝を抜かれて、「やっぱ、フェリーニは天才!」と(心の中で)叫んでしまった。

(OPタイトルの後、1分37秒から本編)



話は『道』に戻って……

今回、自分でも驚いたのは、主人公であるジェルソミーナに対する印象が昔と全然違うこと。

ジェルソミーナは“頭が弱い子”というのが定説のようになっているが、私にはそうは見えなかった。

いつも海や火や木などと自然に会話できる想像力豊かな、感受性の強い女の子。家事は苦手で不器用だから、周りからは“変な子”と思われている。

今で言う、学習障害などの軽い程度……に感じた。

1万フランで旅芸人のザンパノに売られることが決まり、ジェルソミーナは皆に背を向けて、海のほうに歩いて行く。売られて故郷を離れる哀しさ……かと思いきや、海を見つめるジェルソミーナの目はキラキラ輝いていて、顔には嬉しそうな笑顔が広がっている。

いつも姉のローザと比べられて、“役に立たない子”と思われてきたジェルソミーナだが、死んだローザの代わりにやっと自分が役に立つ。そして、一度も離れたことのない故郷から外の世界へ行ける……まるで、冒険に旅立つ少年のようにワクワクしているジェルソミーナ……そんな彼女が私には“頭が弱い子”とは思えなかった。

そうなると、物語全体のイメージも(以前の印象とは)変わってくる。

物語の冒頭では、自分は“まったく価値のない人間”と思っていたジェルソミーナだが、なんとかザンパノの役に立とうとけなげに頑張る。

しかし、ザンパノはジェルソミーナを「私の女房」と客の前で紹介したかと思うと、平気で他の女たちと寝る。そんなザンパノに怒り「もう家に帰る」とジェルソミーナはザンパノと別れようとする。

ジェルソミーナ「私は何の役にも立たない女よ。生きてることがいやになった」

そういって泣き出したジェルソミーナに、天使の羽根をつけた綱渡り芸人、イル・マット(=the fool:大ばか者)が言う。

イル・マット  「惚れてるんだ」
ジェルソミーナ「ザンパノが? 私に?」
イル・マット  「奴は犬だ。お前に話しかけたいのに、吠える事しか知らん」
ジェルソミーナ「かわいそうね」
イル・マット  「そうだ、かわいそうだ」

イル・マットとザンパノはずいぶん昔からの知り合いだが、飄々とした自由人のイル・マットに比べて、威嚇と暴力でしか他人とコミュニケートできないザンパノにはイル・マットの冗談も通じず、二人は顔を合せば喧嘩ばかりしており、ついには警察沙汰になるほどの大喧嘩をしたばかり。それほどの仲だからこそ、イル・マットはザンパノのことがよく分かっている。

イル・マット  「しかし お前以外に誰が奴のそばにいられる?」
ジェルソミーナ「私は何の役にも立たない女よ」
イル・マット  「おれは無学だが、何かの本で読んだ。この世の中にあるもの
         は何かの役に立つんだ。例えばこの石だ。こんな小石でも、
         何か役に立ってる」
ジェルソミーナ「どんな?」
イル・マット  「それは……おれなんかに聞いても、わからんよ。神様はご存知
         だ。お前が生れる時も死ぬ時も人間にはわからん。おれには
         小石が、何の役に立つかわからん。何かの役に立つ。これが
         無益ならすべて無益だ。空の星だって 同じだとおれは思う。
         お前だって何かの役に立ってる。アザミ顔のブスでも」


           ジェルソミーナはイル・マットが手にしている小石を貰う。
          小石をじっと見て頷き、小石を握り締めるジェルソミーナ。

ジェルソミーナ「私がいないと 彼は独りぼっちよ」

           元気になったジェルソミーナを見て喜ぶイル・マット。

このイル・マットとのシーンで、ジェルソミーナは大きく成長する。

51_2
マズローの欲求階層でいうと、第4層の「承認の欲求」が満たされたシーンだと感じた。
ジェルソミーナは、買われたとはいえザンパノに少しづつ愛情の欲求を確認し始めている。だから、平気で他の女を抱くザンパノに怒り(嫉妬)を募らせ、彼と別れようとする。

しかし、ジェルソミーナは、初めて自分の存在を全肯定してくれる(下手なトランペットさえ“上手だ、いいぞ!”と褒めてくれる)イル・マットに出会うことにより、自分が生きていることに充実感を感じ、“求める愛”から“与える愛”を知る。

行動分析的にいうと……

ジェルソミーナ   I am NO、You are OK
ザンパノ       I am OK、You are NO
イル・マット     I am OK、You are OK

イル・マットと出会うことによって、ジェルソミーナは「I am OK、You are OK」と変化した。

あとのシーンで、ジェルソミーナは海を見ながら言う。

ジェルソミーナ「前には家へ帰りたくて仕方なかった。でも今では どうでも
         よくなったわ。あんたといる所が私の家だわ」


小石でも役立つなら、この人と一緒に暮らそうと決意しているジェルソミーナ。

そんなジェルソミーナに対して、ザンパノはいつもながらに憎まれ口を言い、ジェルソミーナを怒らせる。しかし、ザンパノは怒っているジェルソミーナを見て、多分初めて、心から楽しそうに笑った。

ザンパノが変わった! と見えたが、本当の悲劇はその後から始まった……。


ここまで見てきて、ジェルソミーナが頭の弱い知的障害者だとはどうしても思えない……というのが、今回観た感想だ。


「神の愛は信じぬ者にも及ぶ」というフェデリコ・フェリーニ監督の思いがひしひしと伝わってくる作品だった。



観終わってから、どうしても気になる台詞があった。

前半、「きらめく炎 かがやく火  とぶ火花 夜!」と焚き火を見ながらマントを翻すジェルソミーナはそのあと「あさっては雨」と言う。

そして中盤、結婚披露宴で大道芸を見せた夜、女からもらった服を上機嫌で着ているザンパノに「覚えてる?」とあの曲をハミングし「雨の日に聞いた歌よ」と言うジェルソミーナ。

雨? 雨のシーンはなかったはず……私が見落としたんだろうか……雨にまつわる二つの台詞が気になって気になって……。

ネットで調べてみたけど、この二つの台詞の起源を気にしている記述は見当たらない。

では、“頭の弱い”ジェルソミーナの妄想から生じた言葉なのだろうか?
だとすると、“頭の弱い”女ではないという私の感想はもろくも崩れて、やはり、どこか“頭が変”な女だということになる。

納得できないというか、諦めきれずに、さらに調べたところ、すべてが解決する答えが見つかった。

答えは“削られたシーン”の中にあったのだ。

以下、大学の先生らしいひとの記事より抜粋。
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-08-24

○外のシーン。四つ角。日中。土砂降り。

   日が暮れかかっていて、ザンパノとジェルソミーナが到着したばかりの
   ほとんどがらんとした通りでは、すべてが古びていて活気がない。
   カメラに写らないところにあるラジオからかすかに音が流れる
   (17世紀の曲)。
   ザンパノとジェルソミーナは、ある家の壁にもたれ、屋根の軒下で立って
   いる。
   互いに話しかけることもない。二人とも虚空を見つめている。とても寒い。
   彼らはコートの襟を立てる。
   通りの向こうの小さな作業場の通路で、機械工がバイクのエンジンの
   修理の仕上げにとりかかっている。
   ジェルソミーナの顔は、ますます深くなる悲しみを表している。
   通りの向こう側には明かりのついた窓がある。中に何があるのは判らない。
   ときどき、その部屋を静かに歩き回る女性の横顔が見えるが、その中から
   ラジオの柔らかな音が聞こえてくる。
   ジェルソミーナはその窓をじっと見つめる。
   機械工が立ち上がり、通りの向こう側のザンパノに向かって大声で叫ぶ。

機械工「全部なおったぞ!」

   ザンパノは壁から離れるが、ジェルソミーナはついて行かない。
   彼女は、またここを去らなければならないことを理解していなかったようだ。
   ザンパノが歩きはじめて初めて彼女はハッとする。
   彼女は、涙を目に浮かべ声を苦痛でつまらせて、突然こう告げる。

ジェルソミーナ「わたし帰る!」

   ザンパノは立ち止まり彼女を見つめる。わけが判らない。
   さらにいっそう声を荒げて、ジェルソミーナはこう告げる。

ジェルソミーナ「わたし家に帰る!」

   ザンパノは脅すような沈黙のうちに彼女をしばらく見つめる。彼は返事を
   しない。
   彼は通りをわたり、バイクのもとにやって来る。
   通りの向こう側で、彼は、意を決し、叫びはしないが強い口調でこう言う。

ザンパノ「行くぞ!」

   ジェルソミーナは、もう数秒間、壁に張りつくようにもたれ、悲しみから
   黙っていた。
   それから、今度は自分が通りをわたる以外にすべがないと知り、雨に打
   たれてザンパノのもとに行く。
   暗転

このシーンは、ザンパノが酒場で知り合った女と一夜を過ごした翌日、ジェルソミーナと次の目的地に向かう途中で「どんな女とでもいいの?」と荷台からジェルソミーナがつめ寄るシーンと、田舎の農場での結婚式のシーンの間に置かれる予定だった。
ザンパノが誰とでも寝る無節操な男であることがわかり嫌気がさしたジェルソミーナが、「もう帰りたい」という気持ちを募らせるシーンだ。



「あさっては雨」のジェルソミーナの予言は当たり、「雨の日に聞いた歌よ」はこの削られたシーンのことだったのだ。

※当初、音楽は17世紀の音楽を使う予定だったが、実際にはニーノ・ロータのあのメロディーに変わったらしい。

ジェルソミーナの「わたし帰る!」「わたし家に帰る!」は「雨の日に聞いた歌よ」のシーンの後に、まったく同じように繰り返される。

繰り返しを避けるために、上記のシーンを削ったようだが、それによって“雨”にまつわる台詞に整合性が取れなくなってしまった。

それでも“雨”にまつわる台詞を残したということは、フェリーニ監督の中に何か意図があったのか?

フェリーニ監督は、この作品の最初のイメージについて次のように語っている。

 「僕が『青春群像』を撮影している最中に、(共同脚本の)トゥリオ・ピネッリがトリノの家族に会いに出かけたことがあった。 

当時は、ローマと北部の間に自動車道路などなかったので、山道を進んで行かなければならなかった。

くねくねと曲がりくねった道の一つで、一人の男がカレッタ(防水布に包まれた荷車の一種)を引っぱっている姿が見えた・・・。小柄な女性が後ろから荷車を押していた。

ローマにもどると、トゥリオは自分が見たことや、路上での彼らのつらい生活を物語にしたいという願望を僕に語った。   

「次の映画にうってつけのシナリオになるよ」と彼は言った。僕も同じようなストーリーを夢想していたのだが、決定的な違いがあった。僕のストーリーは、旅回りの小さなサーカス団とジェルソミーナという名前の頭の弱い少女が中心のストーリーだった。

そこで僕たちは、僕のみすぼらしいサーカスの人々と、トゥリオの火をおこして自炊しながら山々を放浪する人々を一つにしたのだ」(http://en.wikipedia.org/wiki/La_Strada)。


“雨”が“頭の弱い少女”の妄想だと受け止められても構わない……と、そのままその台詞を残したのだろうか?

「あさっては雨」の台詞に関しては、ジェルソミーナに予言的性格があるというよりも、海辺で暮らしていた生活の知恵で身についた知識からの台詞だと受け止めており、私の中では整合性は取れていたが、「雨の日に聞いた歌よ」を残した意図については、いまだ分からない。

その台詞さえなければ、あの有名なメロディーはイル・マットのバイオリン(フィドロ?)で初めて聴いたという印象を観る人に与えるし、イル・マットとの絆を思い起こさせる。

あの曲はイル・マットを想起させるための曲ではなく、孤独な魂たちにそっと寄り添うための曲だとしたら、あえてそのままあの台詞を残したということだろうか。

深い……また、観たくなってしまった……。


(ジェルソミーナの原イメージ)   (ザンパノの原イメージ)

Lastrada1

Lastrada2

 













http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-08-22 より


  

 

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