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2015.05.18

映画『嘆きの天使』-1 あまりにもストレートな中年独身男の破滅的転落物語

これまで日本語字幕なしで断片的に観ていた『嘆きの天使』、やっと全編日本語字幕で観た。

 

『嘆きの天使』 原題:DER BLAUE ENGEL

製作年度:1930年 上映時間:107分 製作国:ドイツ

監督 ジョセフ・フォン・スタンバーグ
原作 ハインリッヒ・マン 『ウンラート教授―あるいは、一暴君の末路』
脚本 カール・ツックマイヤー、カール・フォルメラー、ロベルト・リーブマン、
    ジョセフ・フォン・スタンバーグ
音楽 フリードリッヒ・ホレンダー
製作 エリッヒ・ポマー

■キャスト

ラート教授:エミール・ヤニングス
ローラ・ローラ:マレーネ・ディートリッヒ
座長キーベルト:クルト・ゲロン

まずはシナリオ分析してみよう。

以下、ネタバレ全開.ご注意を.

Theblueangel2

【ログライン】
謹厳実直なギムナジウム(ドイツの中等教育機関)の教授が、自由奔放で妖しい魅力を持つ歌手に魅かれ、結婚。旅芸人一座の中で過去のプライドを捨てきれずに破滅へと向かっていく話。


【構成】

全103分(私が観たのは103分だった) 

第1幕:ラート教授の日常 約18分30秒

第2幕:異質の世界、異質の人間たち。ローラに魅了されて 約60分30秒

   ミッドポイント(もう元に戻れない地点) 始まって55分頃              

第3幕:屈辱を抱えての帰還 発狂まで  約24分


【構成詳細】

第1幕:ラート教授の日常 

ハンブルグの街のウィンドーに旅芸人一座の魅力的な歌手ローラ・ローラのポスターが貼られている。

その街のギムナジウムの英語教授イマヌエル・ラートは中年の独身男。手帳や時間のチェックを怠らず厳格で生真面目な人間。カナリアと暮らしているが、ある朝、カナリアが死んでしまう。

賄いの女は「歌をやめたのね」と無造作に死んだカナリアを火の中に放り込む。ちょっと悲しそうなラート.

学校ではラートの融通の利かないあまりの堅物ぶりに、生徒たちはウンラートと渾名をつけて嘲っている

※ウンラート(Un-rat):汚物、汚水、不用物、廃物、塵芥、屑

ラートは授業中、生徒が見ていた写真を取り上げる。扇情的な女歌手のブロマイドだ。いじめられっ子の優等生から生徒数名がその歌手に会うため『嘆きの天使(The Blue Angel)』というナイトクラブに夜な夜な出入りしていることを知る。



第2幕:非日常の世界に踏み込むラート
                     

前半
規律の乱れを正すため、生徒を捕まえに『嘆きの天使』へ行くラート。

ところが、生徒を探して楽屋に迷い込んでしまったラートは例の写真の歌手・ローラと出会う。

「君は本校の生徒を誘惑してる」というラートに対して「ここは幼稚園じゃないわ」と言い返すローラ。

「迷惑のようだから、帰る」とたじろぐラートに「邪魔にならなきゃ、居てもいいわ」というとローラは舞台に出て行く。

入れ替わりにやってきた団長はラートがローラ目当てにやってきたものと勘違いし「さすが先生、お目が高い」

ラートは慌てて「私は抗議に来たんだ。学生を隠したろ!」と言ってる矢先、隠れていた学生たちが逃げ出す。

学生たちを取り逃がしたラートは、自室に戻りポケットからハンカチを取り出す。と、なんとポケットにローラの下着が入っている。学生の一人がラートをからかうために密かに入れたのだ。

複雑な顔でローラの下着を眺めるラートだった。

翌夜 、ラートはローラに下着を返すために再び『嘆きの天使』へ向かう。この夜もローラの部屋に来ていた学生たちは慌てて地下室に隠れた。

「また来てくれると思ってたわ」と余裕のローラに対して「これを間違って・・・」と言い訳するラート。そんなラートの心を見透かしたように、ラートの乱れた髪を梳かしてやったりと男の扱いに慣れているローラ。

ローラの優しさにとろけそうな顔になるラートだ。学生たちは地下室の入り口から密かにそんなラートを盗み見ている。

『嘆きの天使』の店主がローラ目当ての客・船長を案内してきて、ローラに船長の相手をするように強要する。嫌がるローラを見てラートは船長に乱暴を振るい警察沙汰になってしまう。

警官が謹厳実直な街の名士ラートの肩を持ったことで一件落着。

一部始終を見ていた学生たちがついにラートに見つかった。

「ここに何しに来た?」と問うラートに「先生と同じです」と反抗的な学生たち。次の瞬間、ラートは生徒たちを殴り飛ばし、店から追放した。

「悪ガキ相手じゃ先生も大変ね」とローラや団長から一目置かれ、ラートは特別席に案内されてローラの歌を聴く。ローラの甘い歌声にラートの厳しい顔がどんどんほぐれていく。ローラに魅了されているラート。

MP(ミッドポイント) 翌朝、飲みすぎたラートはローラの部屋で目を覚ます。


後半
ローラが用意してくれた朝食を食べようとした時、街のからくり時計のチャイムの音が響き渡る。ギムナジウム始業の時間だ。慌ててローラの部屋を飛び出すラート。初めての遅刻だった。

「先生、女くさいですよ」と学生たちは大騒ぎで、その騒ぎについに校長までやってくる。

「そんな女のために信用を落とすのは損ですよ」と忠告する校長にラートはキッパリという。「失礼ですぞ、校長。彼女は私の未来の妻です」

かくて、ラートは校長からクビを宣言されてしまった。

ラートは一大決心をしてローラに会いに行く。そしてローラにプロポーズ。最初、ローラは何かの冗談かと笑い転げたが、ラートの気持ちは真剣で、ついに二人は芸人仲間や店主たちの祝福を受けて結婚した。
この世で最も幸せな鶏の鳴き真似をするラートとローラ。

「歌を止めた」死んだカナリヤの代わりに、生き生きと歌い続ける歌姫ローラを手に入れた幸せなラートだった。

一座は巡業の旅を続けていく。

最初の頃は「自分の蓄えがあるうちはブロマイドなんか売るな」と言っていたラートも段々と蓄えがなくなり、いつの間にかローラの歌が終わると客席を回って彼女のブロマイドを売り歩くほど落ちぶれていた。

しかし、かつて教授であった頃のプライドだけは捨てきれずに、髭を伸ばしたままの見た目は教授の時のままだ。

ローラや団長に髭を剃れと言われてラートは「こんな暮らしを続けるより、野垂れ死にする方がマシだ!」と部屋を飛び出ていく。

しかし、行く当てのないラートはすぐに舞い戻ってきた。ローラはそんなラートを見透かしていたように余裕で「そこの靴下取って」と顎でラートをこきつかう。黙って妻の足に靴下を履かせるラートだ。

そして、1925年から1929年と時が経った。

ラートは今、ピエロの格好をして、ドーランを塗っていた。そこにご機嫌な団長がやってくる。

「喜べ。あんたが一座の花形になるんだ」

なんと、ラートの故郷ハンブルグのあの『嘆きの天使』で興行が決まったというのだ。

「嫌だ。あの町だけは絶対に行けない。それだけは許してくれ」

ローラもそんなラートの気持ちを思うと『嘆きの天使』での興行に反対する。

しかし、団長は「5年も女に養われた教授先生が、金の稼げる所へは行かんとおっしゃる。明日の朝、出発だ!」と強引にハンブルグ行きを決めた。


第3幕:屈辱を抱えての帰還 

まもなく、ハンブルグの町の隅々に、「ラート教授 来演!」のポスターが貼られていく。

もとギムジナウム教授のラートのことはたちまち街中の噂になり、当時のもと同僚や生徒たちだけでなく市長までもが『嘆きの天使』に詰め掛けた。

団長と団長夫人によってラートの顔にピエロの化粧がされていく。開演ベルが鳴る。しかし、ラートは石のように固まったまま動かない。

ローラは自分に言い寄る男を適当にあしらいながらラートに「早く出なさいよ」と言い放つ。

それでも動かないラート。が、結局一座の者に押されるように、ラートは舞台に出ることになった。

舞台に出たラートの中で、何かが壊れていく。
この世で最も悲痛な鶏の声で鳴くラート・・・

そして、ラートの精神は悲劇的な終末へと向かう・・・

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映画『嘆きの天使』-2 原作と映画のテーマの違い。原作者は小説と映画の違いを理解し了解していた。

『嘆きの天使』 原題:DER BLAUE ENGEL

製作年度:1930年 上映時間:107分 製作国:ドイツ

監督 ジョセフ・フォン・スタンバーグ
原作 ハインリッヒ・マン 『ウンラート教授―あるいは、一暴君の末路』
脚本 カール・ツックマイヤー、カール・フォルメラー、ロベルト・リーブマン、
    ジョセフ・フォン・スタンバーグ
音楽 フリードリッヒ・ホレンダー
製作 エリッヒ・ポマー

■キャスト

ラート教授:エミール・ヤニングス
ローラ・ローラ:マレーネ・ディートリッヒ
座長キーベルト:クルト・ゲロン

                  Theblueangel1

【感想】

ブレイク・スナイダー流にいうと「おバカさんの勝利」の逆パターンだ。
地位も名誉もあり社会的に成功した勝者である主人公が、なにかのきっかけで、どんどん敗者になっていく。
見事に、真っ直ぐに堕ちていく.

総てを失い、彼に残ったものは、最後にしがみついたあの机が象徴する“人間としての最低限の誇り”だけ。

ラストのシーンで、人が生きるうえで何が必要なのかを教えてくれる。この映画が名作といわれる所以は、そんな普遍的なテーマを観る人に感じさせてくれるからだろうと思う。

しかし、私の中では何かが引っ掛かる。
確かに名作だけど、プロットとしては、あまりにもストレートすぎやしないか?
その意味では、物足りない思いが拭いきれない。

そんな時、原作と映画を比較したサイトを発見、私が引っ掛かっていた理由が氷解した。

以下、http://www.t-net.ne.jp/~kirita/kiri/kiri58.html  を参照。


この映画はジョセフ・フォン・スタンバーグ監督がマレーネ・ディートリッヒを発見して彼女の長編第一作目になったことから、スタンバーグ監督がウーファから依頼されて作られた、といわれているが、実際の成り立ちは違う。

※ウーファ(UFA=Universum Film AG):当時、ドイツ最大の映画会社。1917年、ドイツの国営映画会社として設立され、1921年に民営化された。

1905年 ハインリヒ・マンにより書かれた小説『ウンラート教授』が出版される。

ハインリヒ・マン:1929年にノーベル文学賞を受賞したトーマス・マンの兄。

1923年 小説『ウンラート教授』を読んで感銘を受けた名優エミール・ヤニングスは、直接、マンに映画化を申し出た。しかし当時はサイレント映画の時代であり、この作品をサイレントで映画化することは困難だったため、一旦この話は立ち消えとなった。

1929年春 ベルリンの映画会社ウーファは、サイレント映画からトーキー映画の制作へ切り替えるため、ポツダムのノイバーベルスクにあった撮影所を大改修した。それと前後して、プロデューサーのエーリヒ・ポマーは、当時ハリウッドで活躍していたドイツ人俳優、エーミール・ヤニングスを主役にして映画を作ることを提案。ウーファはすぐにこの案を採る。
新しく作るトーキー映画で何としても成功しなければばらなかったウーファは、名前の知れ渡った人気俳優を主役に据えることを重視したのだ。

アメリカ滞在中、サイレント映画で大成功を収め、創設されたばかりのアカデミー賞を授与されたヤニングスは、巨額の報酬を約束され、ヨーロッパに凱旋する。

エーミール・ヤニングス:ドイツでも有名な舞台俳優・映画俳優だったが、1927年アメリカのパラマウント映画と契約を結びハリウッドに移った。渡米第1作の『肉体の道』(1927年)と第2作『最後の命令』(1928)で第1回アカデミー賞男優賞を受賞。

ベルリンに到着したヤニングスがまず行った提案は、ロシアの怪僧ラスプーチンの話を映画化するというものだった。しかしこの案は、彼自身がハリウッドから呼び寄せた映画監督ジョセフ・フォン・スタンバーグによって拒否される。
そこでヤニングスが次に出した題材案が、ハインリヒ・マンの小説『ウンラート教授』だった。

つまり、この映画を作る際、最初にあったのは、“エミール・ヤニングスの映画”を作る、ということであり、題材も監督も主演俳優ヤニングスの提案によって決められたのだ。



1929年8月28日
 ウーファの理事会で小説『ウンラート教授』の映画化について、いくつかの懸念が話し合われた。

小説は、学校から逃げ出した生徒が書いた陰険な復讐の書で、その「主人公(ラート教授)」は、反吐の出そうな悪辣漢として描かれている。そして、内容は当時の権威主義的学校への批判が顕著で、後半部では社会の偽善性が暴露されていた。

理事会では次のような意見が出た。
「これは、高尚なる学校に対しての悪質な攻撃であり、特に主人公ウンラート教授は、あまりにも共感の持てない人物として描かれている」
「ハインリヒ・マンのこの小説は、発表当時極めて活発な議論の的となっており、映画もまた、利害を持つ人びと(※政府や教育関係者)から攻撃を受けることが予想される」

こうした指摘に対し当時のウーファ 制作部長だったコレル氏は
「この題材は完全に改作され、ウンラート教授の人物像は人間的に分かりやすい形で表現されます。だから心配されるような攻撃を受ける要因は残らないでしょう」
と説明している。(1929年8月28日の理事会議事録)

それから間もなく製作者のポマー、監督のスタンバーグ、主演のヤニングス、脚本のツックマイヤー、フォルメラー、ハインリヒ・マンが一堂に会し、映画の大まかな内容について相談した。

そこで決められたことをもとに、ツックマイヤーが「映画のための短編小説」といえるものを書いて、ハインリヒ・マンに見せた。

ハインリヒ・マンは、映画と小説は違うのだ、という映画人たちの説明を受け入れ、映画のために改変された「映画のための短編小説」を承認しただけでなく、映画という媒体にうまく適合させていると言って誉めたという。

そして、ツックマイヤー、フォルメラー、リープマンの三人によって台本は完成された。

1929年11月4日 撮影が始まり、UPは翌1930年1月末だった。

撮影が終わるころ、これに携わっていた人びとの多くは、「エーミール・ヤニングスの映画」として計画され、宣伝もされていたこの映画が、「マレーネ・ディートリッヒの映画」になったことを悟っていた。
ディートリッヒは、ハリウッドの映画会社パラマウントと契約を交わし、『嘆きの天使』のプレミアに隣席したその晩のうちに、アメリカへと旅立った。同席したヤニングスは終始機嫌が悪かったという。


なぜ「エミール・ヤニングスの映画」として計画され、宣伝もされていたこの映画が、「マレーネ・ディートリッヒの映画」になってしまったのか?


原作では、主人公ラート教授は、実は学生憎悪、人間憎悪に凝り固まった男として描かれている。
自分をウンラート(汚物)と呼ぶ学生を憎み、かつてそう呼んだ卒業生を憎み、ひいては街の人々をも憎んでいた。

そして今、『嘆きの天使』に通う三人の学生の中でも、特にローランという学生を最も憎んでおり、彼の悪行(素行不良)を暴いて自らの手で没落させたいという怨念や、彼の恋人である女歌手(まったくのラート教授の妄想なのだが)を、彼の手から奪い取って鼻をあかしてやりたいという執念に燃えていた。

こんな原作通りの主人公では観客の共感を得られないばかりか、教育関係者からの批判攻撃も予想される。
そこで1929年8月28日の理事会でのコレル氏の発言にあったように、映画では教師による学生憎悪や人間憎悪の部分が削除された。

つまり、小説には学校への批判や世代間の葛藤という一つ目のテーマと、転落していくラート教授の運命、という二つ目のテーマがあり、後者のほうが映画のテーマに選ばれたのだ
かくして、原作にあった主人公ラート教授の人間憎悪を核とした内面心理の掘り下げが、映画ではまったく切り捨てられ、孤独でロマンチスト(冒頭の飼っていたカナリアの死を悲しんだり)で謹厳実直な初老の独身教授が、受け持っているクラスの三人の問題児の生活指導のために自らキャバレーに出向いたことで起こる転落の悲劇というストーリーになった。


テーマが絞られると、そのテーマに沿って脚本が作られる。
一人の男を転落させた歌手は、誰が見ても魅力的でなければならない。
そのため、マレーネ・デートリッヒの魅力が強調され、映像的にも素晴らしい脚線美で観客を魅了した。
こうして、『嘆きの天使』はマレーネ・デートリッヒの映画になったのだ。


エミール・ヤニングスが演技者としてこの原作に惹かれたのは、人間憎悪や固定観念に凝り固まったいびつなラート(=ウンラート)の内面を演ずることだったのだろうが、残念ながらヤニングスの狙いは外されてしまった。

理事会でコレル氏が言ったように「この題材は完全に改作され、ウンラート教授の人物像は人間的に分かりやすい形で表現されます」の通りに、あまりにも分かり易い中年男像の転落劇となった。


私が、何かが足りない・・・と感じたのは主人公を取り巻く社会的、経済的背景がまったく描かれておらず、それらについての葛藤が抜けていることによる物足りなさだったようだ。


今だったら最悪の教師・ラート教授を原作に近い形で映画にすることが出来るのでは?
それも見てみたいような気がする。


カナリアを使ったキャラクターの描き方、プロマイドや粉化粧など小道具の効果的な使い方、からくり時計のチャイムや鶏の鳴き声などの伏線はさすがだった。


『嘆きの天使』以前のマレーネ・デートリッヒの作品『カフェ・エレクトリック』(1927)については コチラ へ。
           


  

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2015.05.16

『ヒッチコック映画術/トリュフォー』:PC不調のおかげで一挙に読み終えた!

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昨年の夏購入して半分ほど読んでいたけど、PC不調で立ち上がりなど動作があまりにも遅くなったので、待ち時間の間に読み進めてやっと読了。

『ヒッチコック映画術』 フランソワ・トリュフォー (著)  山田宏一・蓮實重彦 (訳)

全編、トリュフォー監督によるヒッチコック監督へのインタビューで構成。

なによりも感動的なのは、トリュフォーのヒッチコックとその作品への愛。
本当に本当にヒッチコックの作品をよく観ているし、きちんと分析している。


トリュフォーやゴダールなどヌーヴェル・バーグで敬愛されたハワード・ヒッチコック主義というのがいまいちピンと来てなかったんだけど、この本を読むと彼らの言う作家主義というのが理解できた。


それから、ヒッチコックの言葉の中に、小津安二郎監督と共通する点も.

「シナリオライターの一番大きな罪は難しいシーンになるとすぐ『ここに台詞を入れればよかろう』 といって難関をあっさり切り抜けようとすることだ。台詞というのは単にサウンドのひとつに過ぎないということを知るべきだ。人物の口から発せられるというだけで、他の音と変わらない。人物の眼や動きのほうが、視覚的に語る力を備えているのだから」

これを読んだ時、小津さんが笠智衆さんに言ったという言葉を思い出した。
俳優の演技について、笠さんが自分なりの演技プランを伝えようとした時、小津さんは「俳優の演技なんてどうでもいい。(自分にとって)大事なのは構図だ」(意訳)ということを言ったとか。
つまり、映画は“絵”で見せることが大事ということ。

デビッド・リンチも『インランド・エンパイア』のインタビューで同じことを言っている。


『ヒッチコック映画術』には、作品分析、映画の裏話だけでなく、各作品ごとに映画技法も詳しく語られており、映画を志す人は一度は読んでいたほうがいいと思うよ。


さて、一度目はまず読み通すことが目標だったが、次はヒッチコックの言葉を拾い集めながらじっくりと二度目、読んでみよう。

  

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湘南新宿ライン+横浜地下鉄ブルーライン・・・電車の中にドラマあり

昨日、横浜に行くのは数年ぶり。
ずいぶん便利になってるのね。

以前は中央線で東京駅まで行って、乗り換えて……だったのに、今は新宿から湘南新宿ラインで30分ちょっとで横浜。
初めて湘南新宿ラインに乗ったんだけど、これだと新宿の次が渋谷! 早ッ!

横浜の地下鉄にも初めて乗った。
中華街近辺や関内あたりは何度も行ってるけど、地下鉄に乗った記憶がない。

ということで、久々におのぼりさん気分の一日でした。

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                       こんなアヤシイ風体でウロウロしてたのはワタシです。
いつもなら外に出ると止まるクシャミと鼻水が、新宿を出た辺りから再発・・・その対策でこの恰好。
電車の中にドラマあり。
今日のドラマは “結婚したくない男”

新宿に向かう中央線の電車内。
朝、8時過ぎ、通勤客でかなり混んでいる。
たまたま優先席の前のつり革に掴まっている時に、それは起こった。
三鷹で優先席の席が一つ空いた。
その時、中年女性が声を上げた。
「この方、妊娠してますから・・・」
巨漢の30代前後のスーツを着た男は、なにやら口の中でブツブツ言ってその声を無視するようにドカッと空いた席に座った。
そして、すぐに寝たフリ。

中年女性も、妊娠5、6ヶ月らしい妊婦さんも、ワタシもこの無神経男に唖然・・・
優しさも思いやりのカケラもない、この男に対して悲しいと同時にモーレツに腹が立つ。
きっと、みんな同じ思いだったと思う。誰も、声にはしなかったけど。

何かの理由で寝不足だったのかもしれない。
しかぁーし、席を譲られてもいいくらいの年齢のワタシでさえ、どんなに寝不足の時でも高齢者や妊婦さんがいたら、席譲ります。

バカヤロー!こんな自己中男とは、ぜーーーったい、結婚したくないや。
もし、こんな男と結婚したら、ことごとく仕事を理由に大事なことは見て見ぬふり・・・
などと、妄想は膨らむ。

朝からとんだドラマを垣間見てしまった。
人間観察とはいえ、ストレス溜まる・・・電車移動の功罪ですなぁ。

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2015.05.05

幸か不幸か、連休中にご臨終。あ、マイPCのことで……

5月1日、昼過ぎ、同業のAさんとある企画のことで打ち合わせ。

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夕方になり、“さり気なくグルメ”のAさんお勧めの亀戸の串揚げ店『一喝』へ。

(写真は http://www.hotpepper.jp/strJ000130459/ より)

サクサクと軽く、かつ熱々に揚がった串揚げは何本でも食べられて、その美味しさに、しばし至福の時。

この前は、打ち合わせ後に東陽町の焼き鳥バル『TORIKO』に連れてっていただき、ふわふわジューシーな焼き鳥はもちろん、とりわけ“いぶりがっこのチーズサンド”がすごく美味しくて、彼女のお勧めの店は「また行きたい!」と思わせるお店ばかり。

しかし、一番のご馳走は、彼女との会話。
Aさんとはなんとなくウマが合うというのか、打てば響くような会話のやり取りが出来、深刻な話題も“停滞”することなく前に進む感じで、彼女と話すことでストレスの発散にもなる。

この夜も、いくつかの話題で盛り上がったが、中でも安倍総理のアメリカ上・下院での演説が俎上に。
私はライブ中継を見てなかったので、Aさんの感想を聞きながら、ではネットで全演説を聴いてから、改めて私の感想を、ということになった。

前置きがすご~く、長くなってしまったけど、そういう訳で翌朝、首相官邸ホームページで安倍総理の演説を聴こう! と張り切ってデスクトップPCのメインスイッチを入れたところ、画面が何度か瞬いた後、ウンともスンとも反応しなくなった.

ついに、四代目デスクトップ君、ご臨終……weep 

じつは、数日前から立ち上がりが不安定で、そろそろ寿命かな、とは感じていたが、まさかこんなに早く、その時が来るとは。

ここ二年ほどのメールとマイピクチャの画像がすべて取り出し不能に。

だが、しかぁーし、仕事関連のファイルは総て外付けのHDに保存しているので、その点は余裕。
仕事用にファイリングしていた画像が取り出せないのは惜しいけど、外付けHDがあれば仕事に大きな支障はない。

すぐにサブで使っているノートPCをメインに昇格。

二代目デスクトップ君の時に、突然、息絶えられて、全身の血が凍るような思いをして以来、もしもの時に仕事に支障が出ないようサブのノート君を常時、待機させているのです。

ここ数年、ノート君はDVDの再生くらいしか使ってなかったんだけど、難点はかなり年季が入っていること。
んで、動作がすごく遅いっ!

(延び延びになっている)映画の脚本料が入るまでは、新しいPC購入もままならず、当分はロートルのノート君に頑張ってもらうしかない。

という訳で、サブPCをメインPCとして使うために、少しでも軽くサクサク動くように、ノート君の中を大整理.

長年使ってない不要なソフトはすべて削除、デスクトップ君と同じ使い勝手にするために必要な画像編集ソフトなどは新たにインスト。
ずいぶん前にメモリ増設したけど購入した時のままになっていた仮想メモリも改めて調整。

あ、一番大変だったのは、メール。常時無線LANでデスクトップ君と同期にしていたため、niftyのサーバーに残っていた4月22日以降の二万件近いメールがドドドッと押し寄せてきた。

メインのデスクトップ君はメールの自動振り分けをかなり細かく設定していたので、多量の企業のPRメルマガなんかは自動的に削除フォルダーへ行くようにしていたんだけど、ノート君の場合は一から振り分けを設定しなければならず、結局、これだけでまるまる一日半くらいはかかってしまった…………。

ソフトのインスト、アンインスト、メールの振り分け、PCのネット接続設定し直し、などなどに忙殺されて、気がつけばもう5日。連休の大半がPC対策に明け暮れた shock

とにかくノート君の動作が遅いため、それぞれの設定の待ち時間がもったいなくて、三日間で本四冊読んだよ。
むむ、これも幸か不幸か、喜んでいいのか……。


楽あれば苦あり……
禍福はあざなえる縄の如し……

これだけ厳しい目に遭ったんだから、次はきっと、目の覚めるような朗報が飛び込んでくる……ことを祈ろうhappy01



あ、本日ようやく、首相官邸ホームページよりかの演説を聴くことが出来た。
なんと、“ポチ”振りは小泉さんよりはるかに進化してますなぁ(爆)

演説の前段でゲッティスバーグの演説を引用して人民の人民による民主政治を称えながら、
後段で“安保法制(戦争法案)”をこの夏までに成立させると約束………
って、えええっ、まだ国会に提出さえされていない安保法案を、何で勝手にアメリカに約束するの?!
ゲッティスバーグを思いっきり踏みにじる、国会無視、国民無視の安倍独裁といわれても仕方ないっしょ!
安倍さんの論法って、教育、環境、人権問題などどの国も抱える普遍的な問題への取り組みをまずぶち上げて、それがTPPの意義とか必要性、はては積極的平和主義=戦争法案に摩り替わっている。

正体見たり……用心用心!

 

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