映画『嘆きの天使』-2 原作と映画のテーマの違い。原作者は小説と映画の違いを理解し了解していた。
製作年度:1930年 上映時間:107分 製作国:ドイツ
監督 ジョセフ・フォン・スタンバーグ
原作 ハインリッヒ・マン 『ウンラート教授―あるいは、一暴君の末路』
脚本 カール・ツックマイヤー、カール・フォルメラー、ロベルト・リーブマン、
ジョセフ・フォン・スタンバーグ
音楽 フリードリッヒ・ホレンダー
製作 エリッヒ・ポマー
■キャスト
ラート教授:エミール・ヤニングス
ローラ・ローラ:マレーネ・ディートリッヒ
座長キーベルト:クルト・ゲロン
【感想】
ブレイク・スナイダー流にいうと「おバカさんの勝利」の逆パターンだ。
地位も名誉もあり社会的に成功した勝者である主人公が、なにかのきっかけで、どんどん敗者になっていく。
見事に、真っ直ぐに堕ちていく.
総てを失い、彼に残ったものは、最後にしがみついたあの机が象徴する“人間としての最低限の誇り”だけ。
ラストのシーンで、人が生きるうえで何が必要なのかを教えてくれる。この映画が名作といわれる所以は、そんな普遍的なテーマを観る人に感じさせてくれるからだろうと思う。
しかし、私の中では何かが引っ掛かる。
確かに名作だけど、プロットとしては、あまりにもストレートすぎやしないか?
その意味では、物足りない思いが拭いきれない。
そんな時、原作と映画を比較したサイトを発見、私が引っ掛かっていた理由が氷解した。
以下、http://www.t-net.ne.jp/~kirita/kiri/kiri58.html を参照。
この映画はジョセフ・フォン・スタンバーグ監督がマレーネ・ディートリッヒを発見して彼女の長編第一作目になったことから、スタンバーグ監督がウーファから依頼されて作られた、といわれているが、実際の成り立ちは違う。
※ウーファ(UFA=Universum Film AG):当時、ドイツ最大の映画会社。1917年、ドイツの国営映画会社として設立され、1921年に民営化された。
1905年 ハインリヒ・マンにより書かれた小説『ウンラート教授』が出版される。
※ハインリヒ・マン:1929年にノーベル文学賞を受賞したトーマス・マンの兄。
1923年 小説『ウンラート教授』を読んで感銘を受けた名優エミール・ヤニングスは、直接、マンに映画化を申し出た。しかし当時はサイレント映画の時代であり、この作品をサイレントで映画化することは困難だったため、一旦この話は立ち消えとなった。
1929年春 ベルリンの映画会社ウーファは、サイレント映画からトーキー映画の制作へ切り替えるため、ポツダムのノイバーベルスクにあった撮影所を大改修した。それと前後して、プロデューサーのエーリヒ・ポマーは、当時ハリウッドで活躍していたドイツ人俳優、エーミール・ヤニングスを主役にして映画を作ることを提案。ウーファはすぐにこの案を採る。
新しく作るトーキー映画で何としても成功しなければばらなかったウーファは、名前の知れ渡った人気俳優を主役に据えることを重視したのだ。
アメリカ滞在中、サイレント映画で大成功を収め、創設されたばかりのアカデミー賞を授与されたヤニングスは、巨額の報酬を約束され、ヨーロッパに凱旋する。
※エーミール・ヤニングス:ドイツでも有名な舞台俳優・映画俳優だったが、1927年アメリカのパラマウント映画と契約を結びハリウッドに移った。渡米第1作の『肉体の道』(1927年)と第2作『最後の命令』(1928)で第1回アカデミー賞男優賞を受賞。
ベルリンに到着したヤニングスがまず行った提案は、ロシアの怪僧ラスプーチンの話を映画化するというものだった。しかしこの案は、彼自身がハリウッドから呼び寄せた映画監督ジョセフ・フォン・スタンバーグによって拒否される。
そこでヤニングスが次に出した題材案が、ハインリヒ・マンの小説『ウンラート教授』だった。
つまり、この映画を作る際、最初にあったのは、“エミール・ヤニングスの映画”を作る、ということであり、題材も監督も主演俳優ヤニングスの提案によって決められたのだ。
1929年8月28日 ウーファの理事会で小説『ウンラート教授』の映画化について、いくつかの懸念が話し合われた。
小説は、学校から逃げ出した生徒が書いた陰険な復讐の書で、その「主人公(ラート教授)」は、反吐の出そうな悪辣漢として描かれている。そして、内容は当時の権威主義的学校への批判が顕著で、後半部では社会の偽善性が暴露されていた。
理事会では次のような意見が出た。
「これは、高尚なる学校に対しての悪質な攻撃であり、特に主人公ウンラート教授は、あまりにも共感の持てない人物として描かれている」
「ハインリヒ・マンのこの小説は、発表当時極めて活発な議論の的となっており、映画もまた、利害を持つ人びと(※政府や教育関係者)から攻撃を受けることが予想される」
こうした指摘に対し当時のウーファ 制作部長だったコレル氏は
「この題材は完全に改作され、ウンラート教授の人物像は人間的に分かりやすい形で表現されます。だから心配されるような攻撃を受ける要因は残らないでしょう」
と説明している。(1929年8月28日の理事会議事録)
それから間もなく製作者のポマー、監督のスタンバーグ、主演のヤニングス、脚本のツックマイヤー、フォルメラー、ハインリヒ・マンが一堂に会し、映画の大まかな内容について相談した。
そこで決められたことをもとに、ツックマイヤーが「映画のための短編小説」といえるものを書いて、ハインリヒ・マンに見せた。
ハインリヒ・マンは、映画と小説は違うのだ、という映画人たちの説明を受け入れ、映画のために改変された「映画のための短編小説」を承認しただけでなく、映画という媒体にうまく適合させていると言って誉めた、という。
そして、ツックマイヤー、フォルメラー、リープマンの三人によって台本は完成された。
撮影が終わるころ、これに携わっていた人びとの多くは、「エーミール・ヤニングスの映画」として計画され、宣伝もされていたこの映画が、「マレーネ・ディートリッヒの映画」になったことを悟っていた。
ディートリッヒは、ハリウッドの映画会社パラマウントと契約を交わし、『嘆きの天使』のプレミアに隣席したその晩のうちに、アメリカへと旅立った。同席したヤニングスは終始機嫌が悪かったという。
なぜ「エミール・ヤニングスの映画」として計画され、宣伝もされていたこの映画が、「マレーネ・ディートリッヒの映画」になってしまったのか?
原作では、主人公ラート教授は、実は学生憎悪、人間憎悪に凝り固まった男として描かれている。
自分をウンラート(汚物)と呼ぶ学生を憎み、かつてそう呼んだ卒業生を憎み、ひいては街の人々をも憎んでいた。
そして今、『嘆きの天使』に通う三人の学生の中でも、特にローランという学生を最も憎んでおり、彼の悪行(素行不良)を暴いて自らの手で没落させたいという怨念や、彼の恋人である女歌手(まったくのラート教授の妄想なのだが)を、彼の手から奪い取って鼻をあかしてやりたいという執念に燃えていた。
こんな原作通りの主人公では観客の共感を得られないばかりか、教育関係者からの批判攻撃も予想される。
そこで1929年8月28日の理事会でのコレル氏の発言にあったように、映画では教師による学生憎悪や人間憎悪の部分が削除された。
つまり、小説には学校への批判や世代間の葛藤という一つ目のテーマと、転落していくラート教授の運命、という二つ目のテーマがあり、後者のほうが映画のテーマに選ばれたのだ。
テーマが絞られると、そのテーマに沿って脚本が作られる。
一人の男を転落させた歌手は、誰が見ても魅力的でなければならない。
そのため、マレーネ・デートリッヒの魅力が強調され、映像的にも素晴らしい脚線美で観客を魅了した。
こうして、『嘆きの天使』はマレーネ・デートリッヒの映画になったのだ。
エミール・ヤニングスが演技者としてこの原作に惹かれたのは、人間憎悪や固定観念に凝り固まったいびつなラート(=ウンラート)の内面を演ずることだったのだろうが、残念ながらヤニングスの狙いは外されてしまった。
理事会でコレル氏が言ったように「この題材は完全に改作され、ウンラート教授の人物像は人間的に分かりやすい形で表現されます」の通りに、あまりにも分かり易い中年男像の転落劇となった。
私が、何かが足りない・・・と感じたのは主人公を取り巻く社会的、経済的背景がまったく描かれておらず、それらについての葛藤が抜けていることによる物足りなさだったようだ。
今だったら最悪の教師・ラート教授を原作に近い形で映画にすることが出来るのでは?
それも見てみたいような気がする。
カナリアを使ったキャラクターの描き方、プロマイドや粉化粧など小道具の効果的な使い方、からくり時計のチャイムや鶏の鳴き声などの伏線はさすがだった。
『嘆きの天使』以前のマレーネ・デートリッヒの作品『カフェ・エレクトリック』(1927)については コチラ へ。
| 固定リンク
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- 今年は読む、書くをもっと!(2021.01.01)
- アニエス・ヴァルダ監督 ドキュメンタリー映画『顔たち、ところどころ』(2020.07.18)
- 『仮面/ペルソナPERSONA』(1966)と『魔術師』(1958)(2020.03.13)
- 名優マックス・フォン・シドーさん(2020.03.13)
- 映画『ある少年の告白』(2020.03.03)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント