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2015.12.05

 原節子さんを偲んで映画『新しき土』をやっと観た~プロローグ

12月に入って、“伝説の大女優”原節子さんの訃報が伝えられた。

9月5日に肺炎で亡くなっていたことが明らかになった。享年95歳。

1963年の小津安二郎監督の葬儀以降、42歳の若さで突然、映画界を引退、その後一切表舞台に姿を現さなかったことで伝説になった原節子さん。

小津安二郎監督生誕110周年(2013)の時に原節子さん出演の小津映画はすべて観た。
『晩春』(1949)『麦秋』(1951)『東京物語』(1953)、『東京暮色』(1957)『秋日和』(1960)『小早川家の秋』(1961)

その中でも、『東京物語』で姑とみの葬儀が終わり、紀子(原節子)が帰京する朝の紀子と舅・周吉(笠智衆)の会話で、紀子がそれまで抑えていた感情を周吉にぶつけるシーンはいつ思い出しても心が揺さぶられる。

小津作品の他に記憶にある作品は山中貞雄監督の『河内山宗俊』(1936)
現存する山中監督作品『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935)『人情紙風船』(1937)を三本一挙に観て、観終わってから『河内山宗俊』の原節子さんがデビュー1年目でまだ16歳だったと知り、驚いた。

出来の悪い弟に対して気丈な姉を演じた原さん。着物の立ち姿が美しくて、とても16歳だとは思えなかったのだ。

  

この『河内山宗俊』の撮影中に、ドイツから来た監督が原節子さんを見染めて、彼女を主演に撮られた映画が『新しき土』だということは知っていた。

しかし、この『新しき土』はナチス・ドイツとの合作映画で国策映画であると聞いていたので、これまで積極的に見る気がしなかった。

原節子さんの訃報に接し、『河内山宗俊』では16歳に見えなかった原さんの16歳時代を改めて見てみよう、というか見ておかなければ……そんな思いがこみ上げて、やっとやっと『新しき土』を観た。

 

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