まだら記~Dear Mother
「すっごくショックなことがあって……聞いてくれる?」
数日前、九州の妹から電話があった。
「なになに? 聞く聞く!」というわけで、妹がショックを受けたという出来事を聞いて、一瞬、私の思考は停止してしまった。
以下、母と妹の会話、再現。
母「(突然)あんたとうちの間に、もう一人誰かいたね」
妹「(混乱)……もう一人って?」
母「誰やったかね……? 名前は……?」
母「(突然)あんたとうちの間に、もう一人誰かいたね」
妹「(混乱)……もう一人って?」
母「誰やったかね……? 名前は……?」
妹「(混乱しながらも)……もしかして、東京のKちゃん(私)のことかな」
母「ああ、Kさんやったかね」
妹「(反応できず)……」
母「あんたは、もう80になったんかね」
妹「ギョエ~、は、80?! 」
というわけで、50代後半の妹が母には「80」近くに見えたの?! ということが大ショックだったらしい。(その女心、わかるよ)
私はというと、一瞬の思考停止の後、出た言葉……
私「キター、ついにキタね! これは完全にまだらボケ状態じゃ!」
母はこれまで短期記憶障害が著しかったものの、見当識障害の方は心配なかった。
※見当識障害
年月日や季節、曜日、時刻、自分がいる場所、人と自分の関係などがわからなくなる症状。
ここまであからさまに、娘や人との関係性が分からなくなるというのは初めてだ。
妹によると「母さんはこれまで(画家として)人間の老若や美醜に目を向け、その観察眼を持っている。その母さんから見て80に見えたということ、それがショックでなくてなんなのよ」ということらしい。
そんな妹への私からの助言。
「ついにまだら(ボケ)が明らかになったわけで、その時、母さんが見ていた娘は娘ではなく、母さんの記憶の中にいる別の誰か。時間が経てば、今言ったことも忘れてしまうから、受ける側もまともに受け止めて悩む必要なし!!!」
妹「あ、そうか。言った本人は言ったことをすぐ忘れるのに、言われたほうが、いつまでもくよくよ悩んでいてもバカらしいね」
母に関しての妹との会話は、いつも最後は笑って終わる。
しかし、笑いながらも私も妹も口には出さないことがある。
それは認知症は不可逆的であり速度の違いはあれども進行しているということ。
次にどんな症状が現れてくるのかハラハラ、ヒヤヒヤしながらも、母を見守っているというのが現状。
セントを見舞ってくれた時の母
【認知症が現れてからの母】
数年前に妹から電話があって、最近母の様子がおかしいという。
妹一家と母は同じ敷地内の別々の家に住んでいる。
父は39歳で病死。その時母は29歳で、以後3人の娘を育てるためにがむしゃらに働いた。
それから10数年後、母は私たちを育てるためにやっていた仕事を引退。画家になった。二科展やその他大きな展覧会に出展したり、銀座の画商を通じて全国に絵を売ったりもしていた。
そんな母に、銀座で個展やれば? 地元で個展やれば?と何度も勧めてきたが「そういう晴れがましいのはすかん(=嫌)。絵が好きで描いてるだけなんでそれで充分」となんとも欲のない返事ばかり。そして、それに関しては頑固。
母は風景や静物画よりも人物画を得意としており、肖像画の依頼が多くなって、常にいくつかの依頼を抱えていた。そんな母の日常は、ほぼ絵を描くことを中心に回っていた。
ある日、その母の指が腱鞘炎になってしまい、筆が持てなくなった。
絵を描くこと以外では、古い友人たちと電話でおしゃべりすること、庭の草むしり、毎日数百歩のウォーキング……ということで、社交ベタの母の交友関係は狭く、また外の集団と係ることを嫌がっていた。
で、妹から腱鞘炎になった母が、「終日ぼんやりと家の中にいる。どうしよう」との連絡。
私のできることは、電話でできるだけ母と会話すること。
確かに、その時期の母の電話は重い雰囲気に満ちていた。
「この頃、物忘れがひどくて、すぐにいろいろ忘れてしまうんよ。もう自分が嫌になる」。かと思うと、すでに解決済みの過去の出来事に関して、「あれが気になる……これが気になる……どうしたらいいんじゃろうか……」とくよくよ考え込んでいる。
そして、電話のたびに同じことを繰り返す。
挙句「……こんな自分は(イヤ)……もう死にたい……」
その言葉を聞いた時、これ以上、昼間母を一人で家にいさせてはダメだと思う。
同じ敷地に住んでいる下の妹と、すぐ近くに住んでいる上の妹と電話で相談し合う。妹は二人とも昼間は仕事を持っており、母とベッタリ居ることができない。そんな現実も踏まえて、昼間だけでも母をデイケアにお願いすることにした。
デイケアに関しては、姉妹3人で意見が分かれた。
《期待する点》
・一人きりで昼間、家に閉じこもっているよりは他人から多くの刺激が入ってきて、認知症の進行を遅らせるにはいいかも。
《不安な点》
・集団が苦手な母が馴染めなかった場合、それがストレスになって認知症が進んでしまうかもしれない。
そんな話し合いの結果、とにかくデイケアを試してみようということになった。
いくつかのデイケア施設を見学して、結局、掛かりつけの病院の系列のデイケア施設に決定。
【デイケアと母】
最初はいろいろな不安や心配があったが、それは1か月も経たずに解消されていった。
1回目の通所の夜、母に電話して感想を聞いてみた。
「大きな声を出すオジサンが怖かったわ。それに知らない女の人ばかりでつまらん。もうあそこには行かん」と母はほんとうに嫌そうに言った。
嫌がることを無理にさせるのもなぁ……
とこっちが悩んでいる間にも日は経ち、恐る恐る母に電話してみる。
私「デイケア、どう? 行ってる?」
母「それ何ね?」
私「あ、この前、大きな声出すオジサンがいるって言ってたところ」
母「ああ。会社ね。会社なら行ってるよ」
私「は? 会社?」
母「行ってみたらなかなか良いとこよ。年寄りばっかりの会社で、お昼は出してくれるし、昼寝したい時には勝手に寝れるし。のんびりしてるわ」
私「で、大きな声を出すオジサンは? もう怖くない?」
母「ああ、Kさんやったかね」
妹「(反応できず)……」
母「あんたは、もう80になったんかね」
妹「ギョエ~、は、80?! 」
というわけで、50代後半の妹が母には「80」近くに見えたの?! ということが大ショックだったらしい。(その女心、わかるよ)
私はというと、一瞬の思考停止の後、出た言葉……
私「キター、ついにキタね! これは完全にまだらボケ状態じゃ!」
母はこれまで短期記憶障害が著しかったものの、見当識障害の方は心配なかった。
※見当識障害
年月日や季節、曜日、時刻、自分がいる場所、人と自分の関係などがわからなくなる症状。
ここまであからさまに、娘や人との関係性が分からなくなるというのは初めてだ。
妹によると「母さんはこれまで(画家として)人間の老若や美醜に目を向け、その観察眼を持っている。その母さんから見て80に見えたということ、それがショックでなくてなんなのよ」ということらしい。
そんな妹への私からの助言。
「ついにまだら(ボケ)が明らかになったわけで、その時、母さんが見ていた娘は娘ではなく、母さんの記憶の中にいる別の誰か。時間が経てば、今言ったことも忘れてしまうから、受ける側もまともに受け止めて悩む必要なし!!!」
妹「あ、そうか。言った本人は言ったことをすぐ忘れるのに、言われたほうが、いつまでもくよくよ悩んでいてもバカらしいね」
母に関しての妹との会話は、いつも最後は笑って終わる。
しかし、笑いながらも私も妹も口には出さないことがある。
それは認知症は不可逆的であり速度の違いはあれども進行しているということ。
次にどんな症状が現れてくるのかハラハラ、ヒヤヒヤしながらも、母を見守っているというのが現状。
セントを見舞ってくれた時の母
【認知症が現れてからの母】
数年前に妹から電話があって、最近母の様子がおかしいという。
妹一家と母は同じ敷地内の別々の家に住んでいる。
父は39歳で病死。その時母は29歳で、以後3人の娘を育てるためにがむしゃらに働いた。
それから10数年後、母は私たちを育てるためにやっていた仕事を引退。画家になった。二科展やその他大きな展覧会に出展したり、銀座の画商を通じて全国に絵を売ったりもしていた。
そんな母に、銀座で個展やれば? 地元で個展やれば?と何度も勧めてきたが「そういう晴れがましいのはすかん(=嫌)。絵が好きで描いてるだけなんでそれで充分」となんとも欲のない返事ばかり。そして、それに関しては頑固。
母は風景や静物画よりも人物画を得意としており、肖像画の依頼が多くなって、常にいくつかの依頼を抱えていた。そんな母の日常は、ほぼ絵を描くことを中心に回っていた。
ある日、その母の指が腱鞘炎になってしまい、筆が持てなくなった。
絵を描くこと以外では、古い友人たちと電話でおしゃべりすること、庭の草むしり、毎日数百歩のウォーキング……ということで、社交ベタの母の交友関係は狭く、また外の集団と係ることを嫌がっていた。
で、妹から腱鞘炎になった母が、「終日ぼんやりと家の中にいる。どうしよう」との連絡。
私のできることは、電話でできるだけ母と会話すること。
確かに、その時期の母の電話は重い雰囲気に満ちていた。
「この頃、物忘れがひどくて、すぐにいろいろ忘れてしまうんよ。もう自分が嫌になる」。かと思うと、すでに解決済みの過去の出来事に関して、「あれが気になる……これが気になる……どうしたらいいんじゃろうか……」とくよくよ考え込んでいる。
そして、電話のたびに同じことを繰り返す。
挙句「……こんな自分は(イヤ)……もう死にたい……」
その言葉を聞いた時、これ以上、昼間母を一人で家にいさせてはダメだと思う。
同じ敷地に住んでいる下の妹と、すぐ近くに住んでいる上の妹と電話で相談し合う。妹は二人とも昼間は仕事を持っており、母とベッタリ居ることができない。そんな現実も踏まえて、昼間だけでも母をデイケアにお願いすることにした。
デイケアに関しては、姉妹3人で意見が分かれた。
《期待する点》
・一人きりで昼間、家に閉じこもっているよりは他人から多くの刺激が入ってきて、認知症の進行を遅らせるにはいいかも。
《不安な点》
・集団が苦手な母が馴染めなかった場合、それがストレスになって認知症が進んでしまうかもしれない。
そんな話し合いの結果、とにかくデイケアを試してみようということになった。
いくつかのデイケア施設を見学して、結局、掛かりつけの病院の系列のデイケア施設に決定。
【デイケアと母】
最初はいろいろな不安や心配があったが、それは1か月も経たずに解消されていった。
1回目の通所の夜、母に電話して感想を聞いてみた。
「大きな声を出すオジサンが怖かったわ。それに知らない女の人ばかりでつまらん。もうあそこには行かん」と母はほんとうに嫌そうに言った。
嫌がることを無理にさせるのもなぁ……
とこっちが悩んでいる間にも日は経ち、恐る恐る母に電話してみる。
私「デイケア、どう? 行ってる?」
母「それ何ね?」
私「あ、この前、大きな声出すオジサンがいるって言ってたところ」
母「ああ。会社ね。会社なら行ってるよ」
私「は? 会社?」
母「行ってみたらなかなか良いとこよ。年寄りばっかりの会社で、お昼は出してくれるし、昼寝したい時には勝手に寝れるし。のんびりしてるわ」
私「で、大きな声を出すオジサンは? もう怖くない?」
母「ああ、もう慣れた(笑)」
私「(ホ~~~ッ)!」
私「(ホ~~~ッ)!」
母はデイケアセンターを気に入ったよう。
昨年、妹からちょっと嬉しい連絡が来た。
主治医の先生によると、母の場合「最初と比べると、ほとんど認知症が進んでいない。こういうのは稀なケース」とのこと。
日常の細々したことで、毎日母を見ててくれるのは妹(とその旦那さん)。
薬飲まない、お風呂を嫌う、何度も同じことを言う、注意してもすぐ忘れてしまう……などなどそんな母と毎日向き合っている妹。彼女の優しさと頑張りのおかげだと思う。
それと同時に、毎日、デイケアセンターに向かうという習慣化された日常リズム。
朝、迎えのマイクロバスが到着するまでに化粧して、身支度を整えて、バスを待つ。そしてデイケアでの他人との接触、帰宅して疲れてぐっすり眠れる……それらが概日リズム(=体内時計)を整えることに役立っていると思う。
母のために何がベストなのか? みんなでいろいろ悩んだが、デイケアを選んだことは母にも娘たちにとっても良い選択だったと思う。
そんなことを思っている矢先、昨夜、珍しく母から電話があった。
一つ気になることがあって、私にそれを伝えるための電話だった。
母の口調はしっかりしているし、話の内容もきちんと伝わってくる。
が、が、が……実はその件、昨年末から3回くらい同じ内容のことを母から聞いている。
しかし、「もう3回も聞いた」とか「言ったこと忘れたの?」とかは禁句。
母の話を最後まで聞いて、その件は解決済みだから、もう心配しなくていいよと母を安心させてやる。
母は、どうやら記憶が曖昧で妹に聞きにくいことを私に電話かけてくるらしい。
電話で話す母は、“同じ話”以外は、昔の母。最後には東京で暮らす私をいつも気遣ってくれる。
実は、少し前から母との電話で、私は“悩み”をボヤいてみることにしている。
なぜなら、そうするとたちまち母は「娘3人を女手一つで育てた気丈な母」の顔を蘇らせ、いろいろな励ましと教訓を言ってくれる。
若い頃は「ウザッ!」とイライラしていた母の叱咤激励の言葉、今はその言葉を母の口から聞けることが、本当に嬉しい。
いつか、聞けなくなる時が来るかもしれない。その時が来ませんように……。
母のように一生懸命、人生を駆け抜けた人を見ていると、「忘れていくこと」は、もしかしたら神様からのプレゼントなのかもしれない、という気もしてくる。
辛いこと、苦しいこと、悲しいこと……みんな忘れていって、最後に楽しい記憶だけ残ってくれたらいいなぁ。
先はまだ長いけど……
昨年、妹からちょっと嬉しい連絡が来た。
主治医の先生によると、母の場合「最初と比べると、ほとんど認知症が進んでいない。こういうのは稀なケース」とのこと。
日常の細々したことで、毎日母を見ててくれるのは妹(とその旦那さん)。
薬飲まない、お風呂を嫌う、何度も同じことを言う、注意してもすぐ忘れてしまう……などなどそんな母と毎日向き合っている妹。彼女の優しさと頑張りのおかげだと思う。
それと同時に、毎日、デイケアセンターに向かうという習慣化された日常リズム。
朝、迎えのマイクロバスが到着するまでに化粧して、身支度を整えて、バスを待つ。そしてデイケアでの他人との接触、帰宅して疲れてぐっすり眠れる……それらが概日リズム(=体内時計)を整えることに役立っていると思う。
母のために何がベストなのか? みんなでいろいろ悩んだが、デイケアを選んだことは母にも娘たちにとっても良い選択だったと思う。
そんなことを思っている矢先、昨夜、珍しく母から電話があった。
一つ気になることがあって、私にそれを伝えるための電話だった。
母の口調はしっかりしているし、話の内容もきちんと伝わってくる。
が、が、が……実はその件、昨年末から3回くらい同じ内容のことを母から聞いている。
しかし、「もう3回も聞いた」とか「言ったこと忘れたの?」とかは禁句。
母の話を最後まで聞いて、その件は解決済みだから、もう心配しなくていいよと母を安心させてやる。
母は、どうやら記憶が曖昧で妹に聞きにくいことを私に電話かけてくるらしい。
電話で話す母は、“同じ話”以外は、昔の母。最後には東京で暮らす私をいつも気遣ってくれる。
実は、少し前から母との電話で、私は“悩み”をボヤいてみることにしている。
なぜなら、そうするとたちまち母は「娘3人を女手一つで育てた気丈な母」の顔を蘇らせ、いろいろな励ましと教訓を言ってくれる。
若い頃は「ウザッ!」とイライラしていた母の叱咤激励の言葉、今はその言葉を母の口から聞けることが、本当に嬉しい。
いつか、聞けなくなる時が来るかもしれない。その時が来ませんように……。
母のように一生懸命、人生を駆け抜けた人を見ていると、「忘れていくこと」は、もしかしたら神様からのプレゼントなのかもしれない、という気もしてくる。
辛いこと、苦しいこと、悲しいこと……みんな忘れていって、最後に楽しい記憶だけ残ってくれたらいいなぁ。
先はまだ長いけど……
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