『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 キアヌ・リーブスが製作&ナビゲーターのドキュメンタリー映画(1)映画を見るその前に
2012年
監督:クリス・ケニーリー
企画・製作・ナビゲーター:キアヌ・リーブス
映画のはじまり
1893年:キネトスコープ~トーマス・エジソンによりシカゴ万博で公開
1895年:シネマトグラフ~ルイ&オーギュスト・リュミエール兄弟によりパリで初上映

て覗くピーピング(覗き見)・スタイルだった。
よって、現在の公開形態と同じリュミエール兄弟のシネマトグラフが映画の起源
とする説が有力。

勝太郎はリュミエール兄弟の兄・オーギュストと学友で、パリでシネマトグラフ
を観てリュミエールと契約。1897年、シネマトグラフを日本に輸入した。

この時、公開されたのは1人ずつ覗き込んで見るエジソンの「キネトスコープ」
だった。
サイレントからトーキーへ
1927年:俳優の声と歌をシンクロさせた『ジャズ・シンガー
発表(WB社)・・部分トーキー。
1928年:セリフ、伴奏音楽、効果音などすべての音を聞くことの出来る
『紐育の灯火』(ブライアン・フォイ監督)(WB社)・・完全トーキー


「Wait a minute, wait a minute. You ain't heard nothin' yet!」
(待ってくれ、お楽しみはこれからだ!)


1931年 『マダムと女房

モノクロからカラーへ
1935年:本格的なカラー長編映画『虚栄の市
「テクニカラー」と呼ばれる3色法を採用(総天然色映画)。
『風と共に去りぬ
カラー映画に多用される。

1951年 『カルメン故郷に帰る

3D(立体)映画のはじまり
1903年 初めての立体映画がフランスのリュミェール兄弟によって公開。
1950年代 ハリウッドでは、テレビに奪われた観客を取り戻すために「ナチュラル・
ビジョン」と銘打ってギミック(仕掛け)映画として売り出す。
3D映画第一弾の『ブワナの悪魔』(52)や『肉の蝋人形
立体映画はブームに。しかし、厚紙で出来た3Dグラスをかけることを観客
は嫌がり、長時間の観賞は目を痛めたり頭痛の原因となったりした上に、
質の悪い3D映画の乱発で観客に早々に飽きられた。
デジタルシネマへの道程
コンピュータグラフィックス(computer graphics、略称:CG)の始まり
冷戦時代(1945~1989)の米軍がソ連の大陸間弾道ミサイルを迎え撃つための
シミュレーション技術としてスタート
1964年 ニューヨーク世界博覧会にてグラフィックスフィルムズ社が全天周映像
作品『To the Moon and Beyond』を上映。
これに興味持ったスタンリー・キューブリックが『2001 年宇宙の旅』特撮
チームにスタッフを招聘。
1968年 『2001年宇宙の旅
監督・脚本:スタンリー・キューブリック
ダグラス・トランブルの特殊撮影と「スリット・スキャン技術」によって見事に
再現された宇宙世界はSF映画のイメージを一変させた。
1977年 『スター・ウォーズ エピソードIV/新たなる希望
監督・脚本ジョージ・ルーカス
SFブームを巻き起こす。また特殊効果(SFX)が注目を浴びる。

1982年 『トロン
監督・脚本:スティーブン・リズバーガー
世界で初めて全面的にコンピューターグラフィックスを導入した映画として
話題を集める。
フルCGシーンは15分(286カット)。
当時最速のスーパーコンピュータを使用して6ヶ月かけて作ったCG画像を
ディズニーのスタジオに集め、実写部分と手描きのアニメーションを加えて
フィルムに。CG画像作成以外はすべて手作業によって制作された。

1980年代後半 ソニーによるCCDキャメラやアヴィッド社のノンリニア編集ソフト
の開発
1993年 『ジュラシック・パーク
監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:マイケル・クライトン、デヴィッド・コープ
CGが従来のストップモーション・アニメーションに全面的に取って代わった。
1995年 『トイ・ストーリー
監督・脚本:ジョン・ラセター
脚本:ピーター・ドクター、アンドリュー・スタントン、ジョー・ランフト 世界初長編フルCGアニメーション |
同年 デンマークで ドグマ95 運動が始まる。
『ドグマ95 』:ラース・フォン・トリアーを中心とした新人監督たちによって
はじめられ、ロケーション撮影や手持ちカメラによる撮影、種々の視覚効果
の禁止といった無数の制約(純潔の誓い)を課した特異な映画製作集団。
第1作は『セレブレーション』(1998年)監督:トマス・ヴィンダーベア
予算の都合上、ソニーのハンディカムPC7を用いた先駆的なデジタル撮影
を行い、映画界に大きな波紋を呼んだ。
当時のデジタル撮影は解像度がきわめて粗く、とてもフィルム撮影の実現
する美しい肌理を補いうるレヴェルのものではなかった。
撮影監督A・ドッド・マントルはドグマ95のキャメラを手掛けたあと、
『スラムドッグ$ミリオネア
同年 「インターネット元年」でもある。
マイクロソフトが「Windows95」をリリース。
「Yahoo!」と「Amazon.com」が事業を開始。
2002年 『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃
監督・脚本ジョージ・ルーカス
この作品からヨーダも完全CGIで表現。
長篇でははじめて全編ソニーのF900によるデジタル撮影。
デジタルシネマの評価が上向きに変わりはじめる。

全編を固定デジタルハンディカムで撮った低予算ながらも野心的な作品。
同年 ハリウッドメジャーがDCI(デジタルシネマ・イニシアティヴ)設立。
デジタルシネマを正式に規格化。

デジタルシネマの映写及び配給に関する技術仕様を制定することを目的に、ハリウッドのメジャー映画制作スタジオ7社が設立した業界団体(①ウォルト・ディズニー・カンパニー②20世紀フォックス③メトロ・ゴールドウィン・メイヤー④パラマウント映画⑤ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント⑥ユニバーサル映画⑦ワーナー・ブラザーズ)
2005年 DCIが制度化される。
これによって、2000年代後半のハリウッドはデジタルシネマ化へ大きく舵を
切っていく。

◆映像は2K (2048×1080) または4K (4096×2160) の解像度でJPEG 2000で圧縮
◆フレームレートは24fpsまたは48fps(2Kの場合の3Dなど)
◆音声はWAVEフォーマットで量子化深度は24ビット
◆サンプリング周波数は48kHzまたは96kHz
などなど。詳しくはこちらを(英文)
同年 YouTubeが生まれる。
2008年 『スラムドッグ$ミリオネア
監督:ダニー・ボイル 脚本:サイモン・ビューフォイ
撮影監督アンソニー・ドッド・マントル
デジタル撮影初のオスカー。
2009年 『アバター
全世界歴代興行収入新記録を達成。
ジェームズ・キャメロン監督はハリウッドにおけるVFX技術の先駆者・
牽引者。『アバター』の成功でデジタル革命を決定的なものにした。
3D映画ブーム。
同時期 TwitterやFacebookがキャズム(市場に浸透するための深い溝)を超え、
世界的に普及していく。
2012年 クリストファー・ノーラン『ダークナイト ライジング
撮る。クリストファー・ノーラン監督は断然、フィルム派!
2013年4月 富士フィルムが国内唯一の映画用フィルムの生産終了を発表。
2014年 米・パラマウント・ピクチャーズが前年公開の「アンカーマン2: ザ・レジェン
ド・コンテニューズ」を持って35ミリフィルムの配給を終了したと発表。
同年 コダック社フィルム製造工場閉鎖の危機に。
踏み切ろうとしたところ、クエンティン・タランティーノ、J・J・エイブライムス、
クリストファー・ノーラン、ジャド・アパトー、マーティン・スコセッシ監督らが
立ち上がり、ハリウッドの映画会社と交渉の末、工場閉鎖の危機を救った。
タランティーノ監督らによるハリウッドの映画会社との交渉の末、コダック社
からフィルムを長期的に購入する契約にこぎつけた。
これにより、コダック社から4億5,000万リニアフィート(約1億3,716万メートル)
のフィルム生産が決定。
コダック社のみとなった。
J・J・エイブライムス監督
「フィルムには紛れもない美しさと、本質的で自然な素晴らしさがある」と述べ、
「もはや今では到達不可能な水準を設定したのは確実にフィルムである」と、
フィルムがあってこそ現代の映画があるのだと力説。
クエンティン・タランティーノ監督
撮影は映画の中のテレビにすぎない」とまでの過激なコメントを残す。
2000年代初期:映画館ではフィルム上映がまだ主流
撮影はフィルムで行い、そのフィルムをデータに変換してデジタル上でポスト
プロダクションの作業を行う=DI(Digital intermediate)
DI作業後、データをフィルムに再度変換してネガを作り上映用プリントを作成。

2010年:VPF(Virtual Print Fee)が日本にも導入される

2012年:2011年末、40%強だった映画館のデジタル化は、1年の間にシネコンを
中心に倍の80%以上(約2800スクリーン)にまで急増。
2013年12月:全国の映画館3318スクリーンのうち3172(約96%)のスクリーン
2014年末:全国スクリーン総数3,364のうち、デジタル設備3,262スクリーンと
増加(約97%)
現在:映画館でのDCP(Digital Cinema Package)での上映が主流
素材を作る
国内のインディーズ映画ではほぼ全ての作品がデジタルカメラで撮影されている。
地方やミニシアターで、映写のデジタル化ができなければDCP上映ができない。


ということで、フィルムからデジタル化までの映画史を駆け足で見てきました。
さて、では、監督はじめ映画関係者はデジタル化の波をどのように捉えているのか、『サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ』から、その声を聞いてみましょう。
『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』(2)へ
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