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2016.05.25

『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 キアヌ・リーブスが製作&ナビゲーターのドキュメンタリー映画(1)映画を見るその前に

ドキュメンタリー映画『サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ』
2012年 
監督:クリス・ケニーリー 
企画・製作・ナビゲーター:キアヌ・リーブス 
昨年の12月末、Gyaoのラインナップでこの作品を見つけて、早速、視聴。
映画製作がフィルムからデジタルに移行しているということは理解していたけれど、実のところ技術系については疎いもので、半分勉強のつもりで観.る。
俳優キアヌ・リーブスによるさまざまな監督、映画制作関係者へのインタビューが中心で、それぞれが係った作品の裏話なども含めて、ハード系に疎い私でも、十分に楽しめる内容。
映画は技術革新とともに発展してきた。
サイレントからトーキーへ、モノクロからカラーへ、2Dから3Dへ。そして、フィルムからデジタルへ・・・これからの映画製作がどのように変化していくのか、とても興味深く、勉強になる作品だった。
ということで、各映画人の発言内容をまとめる前に、その前提としての映画史の流れを超速で復習。


映画のはじまり

1893年
:キネトスコープ~トーマス・エジソンによりシカゴ万博で公開
1895年:シネマトグラフ~ルイ&オーギュスト・リュミエール兄弟によりパリで初上映

 slateエジソンのキネトスコープは、箱に仕込まれたフィルムを一回ごとコインを入れ
  て覗くピーピング(覗き見)・スタイルだった。

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 slate一方、リュミエール兄弟のシネマトグラフは、パリのグラン・カフェ地階のサロン・
  ナンディアンで映像をスクリーンに拡大投影して有料公開。

  よって、現在の公開形態と同じリュミエール兄弟のシネマトグラフが映画の起源
  とする説が有力。

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slateパリのグラン・カフェでシネマトグラフを観て、映画製作に乗り出したのがSF
 映画の祖と言われるジョルジュ・メリエス。

 『月世界旅行&メリエスの素晴らしき映画魔術』  『ヒューゴの不思議な発明

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 slate1877年から8年間、染色技術の習得でフランスに留学していた京都の稲畑
  勝太郎
はリュミエール兄弟の兄・オーギュストと学友で、パリでシネマトグラフ
  を観てリュミエールと契約。1897年、シネマトグラフを日本に輸入した。

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 slate日本の映画の日(12月1日)は、1896年に神戸市で日本で初めて映画が一般
   公開されたのを記念して制定された記念日。
   この時、公開されたのは1人ずつ覗き込んで見るエジソンの「キネトスコープ」
   だった。


サイレントからトーキーへ

1926年:伴奏音楽と効果音をシンクロさせた『ドン・ファン 』(アラン・クロスランド監督
      公開(WB社)。             

1927年
:俳優の声と歌をシンクロさせた『ジャズ・シンガー 』(アラン・クロスランド監督
      発表(WB社)・・部分トーキー。                

1928年
:セリフ、伴奏音楽、効果音などすべての音を聞くことの出来る
      『紐育の灯火』(ブライアン・フォイ監督)(WB社)・・完全トーキー

 slateジャズ・シンガー』の大ヒットよって、映画はサイレントからトーキーに移行していく。よって、映画史的にはトーキーの始まりは『ジャズ・シンガー』から。

 slateジャズ・シンガー』の有名なセリフ
    「Wait a minute, wait a minute. You ain't heard nothin' yet!」
     (待ってくれ、お楽しみはこれからだ!

 slate音楽やセリフ、効果音のおかげで映画はよりドラマティックでエキサイティングになり、豪華な歌と踊りが売りのミュージカル映画、テンポの速い会話を売りにしたソフィスティケーテッド・コメディ、カー・チェイスやマシンガンの派手な効果音を売りにしたギャング映画など新しいジャンルを生んだ。

 slate日本初のトーキー映画
 1931年 マダムと女房 』監督:五所平之助 脚本:北村小松 主演:田中絹代

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モノクロからカラーへ

1935年:本格的なカラー長編映画『虚栄の市 』公開。
      「テクニカラー」と呼ばれる3色法を採用(総天然色映画)。
      『風と共に去りぬ 』(39)、『オズの魔法使 』(39)などのハリウッド黄金期の
      カラー映画に多用される。

 slate日本初の国産カラー映画
1951年 カルメン故郷に帰る 』 監督・脚本:木下恵介 主演:高峰秀子

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3D(立体)映画のはじまり


 1903年 初めての立体映画がフランスのリュミェール兄弟によって公開。

 1950年代 ハリウッドでは、テレビに奪われた観客を取り戻すために「ナチュラル・
      ビジョン」と銘打ってギミック(仕掛け)映画として売り出す。

     3D映画第一弾の『ブワナの悪魔』(52)や『肉の蝋人形 』(53)の成功によって
     立体映画はブームに。しかし、厚紙で出来た3Dグラスをかけることを観客
     は嫌がり、長時間の観賞は目を痛めたり頭痛の原因となったりした上に、
     質の悪い3D映画の乱発で観客に早々に飽きられた。


デジタルシネマへの道程

 コンピュータグラフィックス(computer graphics、略称:CG)の始まり
 
 冷戦時代(1945~1989)の米軍がソ連の大陸間弾道ミサイルを迎え撃つための
 シミュレーション技術としてスタート

1964年 ニューヨーク世界博覧会にてグラフィックスフィルムズ社が全天周映像
     作品『To the Moon and Beyond』を上映。
     これに興味持ったスタンリー・キューブリック『2001 年宇宙の旅』特撮
     チームにスタッフを招聘。

1968年
 『2001年宇宙の旅 』 
     監督・脚本:スタンリー・キューブリック
     ダグラス・トランブルの特殊撮影と「スリット・スキャン技術」によって見事に
     再現された宇宙世界はSF映画のイメージを一変させた。

1977年 『スター・ウォーズ エピソードIV/新たなる希望 』 
     監督・脚本ジョージ・ルーカス
     SFブームを巻き起こす。また特殊効果(SFX)が注目を浴びる。

 slate当時のコンピュータでは、3ヶ月かけて90秒のシーンを作成するのがやっとで、かつそのコストは膨大なものだった。

1982年 『トロン
     監督・脚本:スティーブン・リズバーガー
     世界で初めて全面的にコンピューターグラフィックスを導入した映画として
     話題を集める。     
     フルCGシーンは15分(286カット)。
     当時最速のスーパーコンピュータを使用して6ヶ月かけて作ったCG画像を
     ディズニーのスタジオに集め、実写部分と手描きのアニメーションを加えて
     フィルムに。CG画像作成以外はすべて手作業によって制作された。

 slate『スター・ウォーズ』第一作の1977年から『トロン』の1982年までの5年間でコンピュータを使って映画用のCG画像を作るコストは劇的に下がり続け、約8分の1に下がったといわれる。



1980年代後半
 ソニーによるCCDキャメラやアヴィッド社のノンリニア編集ソフト
     の開発

1993年 『ジュラシック・パーク
     監督:スティーヴン・スピルバーグ  
     脚本:マイケル・クライトン、デヴィッド・コープ
     CGが従来のストップモーション・アニメーションに全面的に取って代わった。


1995年 『トイ・ストーリー
     監督・脚本:ジョン・ラセター   
     脚本:ピーター・ドクター、アンドリュー・スタントン、ジョー・ランフト
     世界初長編フルCGアニメーション

         


 同年 デンマークで ドグマ95 運動が始まる。
     『ドグマ95 』:ラース・フォン・トリアーを中心とした新人監督たちによって
     はじめられ、ロケーション撮影や手持ちカメラによる撮影、種々の視覚効果
     の禁止といった無数の制約(純潔の誓い)を課した特異な映画製作集団。

     第1作は『セレブレーション』(1998年)監督:トマス・ヴィンダーベア
     予算の都合上、ソニーのハンディカムPC7を用いた先駆的なデジタル撮影
     を行い、映画界に大きな波紋を呼んだ。

     当時のデジタル撮影は解像度がきわめて粗く、とてもフィルム撮影の実現
     する美しい肌理を補いうるレヴェルのものではなかった。

     撮影監督A・ドッド・マントルはドグマ95のキャメラを手掛けたあと、
     『スラムドッグ$ミリオネア 』(2008年)でデジタル撮影初のオスカーを獲得。

  同年 「インターネット元年」でもある。
     マイクロソフトが「Windows95」をリリース。
     「Yahoo!」と「Amazon.com」が事業を開始。

2002年 『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃
     監督・脚本ジョージ・ルーカス
     この作品からヨーダも完全CGIで表現。
     長篇でははじめて全編ソニーのF900によるデジタル撮影。
     デジタルシネマの評価が上向きに変わりはじめる。

slateHDW-F900:デジタルHD映像と映画界で長年愛用されてきた24fpsのフレームレートを組み合わせるという革新的な組み合わせのもと生まれた。
 同年 『28日後... 』 監督:ダニー・ボイル 脚本:アレックス・ガーランド
     全編を固定デジタルハンディカムで撮った低予算ながらも野心的な作品。

 同年 ハリウッドメジャーがDCI(デジタルシネマ・イニシアティヴ)設立。
      デジタルシネマを正式に規格化。
slateDCI(Digital Cinema Initiatives:デジタルシネマ・イニシアティヴ)
 デジタルシネマの映写及び配給に関する技術仕様を制定することを目的に、ハリウッドのメジャー映画制作スタジオ7社が設立した業界団体(①ウォルト・ディズニー・カンパニー②20世紀フォックス③メトロ・ゴールドウィン・メイヤー④パラマウント映画⑤ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント⑥ユニバーサル映画⑦ワーナー・ブラザーズ

2005年
 DCIが制度化される。
     これによって、2000年代後半のハリウッドはデジタルシネマ化へ大きく舵を
     切っていく。

slateDCI規格 例えば下記のような要件が規定されている
◆映像は2K (2048×1080) または4K (4096×2160) の解像度でJPEG 2000で圧縮
◆フレームレートは24fpsまたは48fps(2Kの場合の3Dなど)
◆音声はWAVEフォーマットで量子化深度は24ビット
◆サンプリング周波数は48kHzまたは96kHz
 などなど。詳しくはこちらを(英文)


 同年 YouTubeが生まれる。

2008年 『スラムドッグ$ミリオネア
     監督:ダニー・ボイル 脚本:サイモン・ビューフォイ
     撮影監督アンソニー・ドッド・マントル
     デジタル撮影初のオスカー。

2009年 『アバター 』 監督・脚本:ジェームズ・キャメロン
      全世界歴代興行収入新記録を達成。
      ジェームズ・キャメロン監督はハリウッドにおけるVFX技術の先駆者・
      牽引者。『アバター』の成功でデジタル革命を決定的なものにした。
      3D映画ブーム。

 同時期 TwitterやFacebookがキャズム(市場に浸透するための深い溝)を超え、
      世界的に普及していく。

2012年 クリストファー・ノーランダークナイト ライジング 』(2012年)をフィルムで
     撮る。クリストファー・ノーラン監督は断然、フィルム派!

      


2013年4月
 富士フィルムが国内唯一の映画用フィルムの生産終了を発表。

2014年
 米・パラマウント・ピクチャーズが前年公開の「アンカーマン2: ザ・レジェン
     ド・コンテニューズ」を持って35ミリフィルムの配給を終了したと発表。

 同年 コダック社フィルム製造工場閉鎖の危機に。
     コダック社の映画フィルムの販売量は2006年以降96%下落。工場閉鎖に
     踏み切ろうとしたところ、クエンティン・タランティーノJ・J・エイブライムス
     クリストファー・ノーランジャド・アパトーマーティン・スコセッシ監督らが
     立ち上がり、ハリウッドの映画会社と交渉の末、工場閉鎖の危機を救った。

     タランティーノ監督らによるハリウッドの映画会社との交渉の末、コダック社
     からフィルムを長期的に購入する契約にこぎつけた。
     これにより、コダック社から4億5,000万リニアフィート(約1億3,716万メートル)
     のフィルム生産が決定。 
     富士フィルム撤退後、大手で映画撮影用フィルムを生産している会社は
     コダック社のみとなった。

J・J・エイブライムス監督
 フィルムには紛れもない美しさと、本質的で自然な素晴らしさがあると述べ、
 もはや今では到達不可能な水準を設定したのは確実にフィルムであると、
 フィルムがあってこそ現代の映画があるのだと力説。

クエンティン・タランティーノ監督
 「僕の意見にすぎないが、デジタル撮影になることは映画の死だ」、「デジタル
 撮影は映画の中のテレビにすぎない
」とまでの過激なコメントを残す。
 

日本の現状
◆映画製作で最も早くデジタル化されたのはポストプロダクション:編集やカラーコレクションなど

2000年代初期映画館ではフィルム上映がまだ主流
 撮影はフィルムで行い、そのフィルムをデータに変換してデジタル上でポスト
 プロダクションの作業を行う=DI(Digital intermediate)

 DI作業後、データをフィルムに再度変換してネガを作り上映用プリントを作成。

slateDI(Digital Intermediate):現像したネガ・フィルムをスキャン後、デジタル処理を行い上映素材を作るまでのプロセス
2006年:デジタル上映可能なスクリーン数は96スクリーン

2010年VPF(Virtual Print Fee)が日本にも導入される
slateVPF(Virtual Print Fee):映画館がデジタルシネマ化すれば、配給会社が35mmプリントを製造するコストが軽減し、そのかわりにヴァーチャルなプリント代を払うという金融システム

2012年:
2011年末、40%強だった映画館のデジタル化は、1年の間にシネコンを
    中心に倍の80%以上(約2800スクリーン)にまで急増。

2013年12月:
全国の映画館3318スクリーンのうち3172(約96%)のスクリーン
        がデジタル設備

2014年末:全国スクリーン総数3,364のうち、デジタル設備3,262スクリーンと
       増加(約97%)

現在:映画館でのDCP(Digital Cinema Package)での上映が主流
 DI作業を経たデータをDCPデータ(現状では2Kが主流)に変換して上映用
 素材を作る
 フィルムでの撮影は高価なものとなり予算に余裕のある作品でしか選択できず、
 国内のインディーズ映画ではほぼ全ての作品がデジタルカメラで撮影されている。

 地方やミニシアターで、映写のデジタル化ができなければDCP上映ができない。

slateDCP(Digital Cinema Package):暗号化・圧縮化された映像・音声・字幕データ等全てを含む上映用ファイル。


slateフィルム上映館が、デジタル上映システムを導入する為の経費は、最低でも数千万円。デジタル導入の予算が厳しく、惜しまれつつも閉館、または縮小した名画座やミニ・シアターも少なくない。

ということで、フィルムからデジタル化までの映画史を駆け足で見てきました。
さて、では、監督はじめ映画関係者はデジタル化の波をどのように捉えているのか、『サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ』から、その声を聞いてみましょう。

『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』(2)へ

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