2014.05.22

脚本家のための団体って? 大きく分けて著作権管理団体と文化団体

日本の脚本家・放送作家の著作権管理団体は大きく以下の2団体があります。


 
概要:国内の主だった放送局、映画会社、番組制作プロダクション、有線送信事業者
    などと契約。連盟員から代理委任を受けて著作権を管理。
    世界各国の著作者団体ともつながり、CISAC(著作権作曲家団体国際連合)
    に加盟、10カ国11団体と双務契約を締結して、国際基準に立脚した作家の
    権利擁護活動を行っている。
会員:約1500名 著作権信託者1,900余人
入会資格:テレビ・ラジオドラマ、ワイドショー、ドキュメンタリー、バラエティ、映画、
    舞台の脚本家、劇画原作、小説などの作家。
    公表(放送、上映など)された作品2本以上。会員(2名)の推薦。
    その他条件あり。

 
概要:著作権管理内容は上記日本脚本家連盟とほぼ同じ。
会員:371名(2013年6月25日現在)
    ※一般社団法人シナリオ作家協会と同時加入。
入会資格:映画化された劇場用映画シナリオ1本以上、又は放映されたテレビドラマ
    のシナリオ合計2時間以上」の執筆経験。かつ会員(2名)の推薦。
    構成作家専業者の入会は認めていない。


私はデビュー間もなくから日本脚本家連盟(日脚連)に加入しています。著作権の管理をしてくれるということであまり深く考えないで入会しました。
 新人の頃、日脚連の座談会に参加。当時、某局の仕事で「二次利用権を含めた一括契約」の提示があり、よく分からないまま契約しようとしました。
 で、そんなケースの場合、諸先輩はどんなふうに対応しているのか座談会で質問したところ、「勝手に契約してはいけない」とのこと。
 なぜなら、日脚連は二次利用に関して放送局と契約しており、日脚連の会員になるということは日脚連を通して相手方と契約していることになるわけで、先に契約した内容が優先される、とのことでした。
 そのことがあって初めて、会員になる=国内の主だった放送局、映画会社、番組制作プロダクション、有線送信事業者などと契約していることになるんだということをやっと自覚。
 仕事着手時に契約書そのものはないけど、上記二団体に加入=団体を通して契約済みということになります。

 脚本・台本料や二次利用に関するトラブルなどが起った場合も、それぞれの団体に申し出れば、間に入って解決に向けて交渉してくれます。


 なにはともあれ著作登録により個別作品を守るアメリカとは違う形で著作権は守られています。
 しかし、雇用というか発注時に契約書がないというのは日本らしいところでしょうか。
 日本シナリオ作家協会では「発注内容は書面で確認する習慣を!」と映画&放送脚本発注書(見本)、劇場用映画脚本契約書(見本)を公開しています。

なお、上記二団体は任意加入。加入せず個人で著作権管理されているライターさんもいます。

脚本家関連の団体は、他に下記があります。
両方とも文化団体です。
1959年「社団法人日本放送作家協会」設立。著作権権利擁護、福利厚生などの活動は1966年に設立された協同組合日本放送作家組合(現・日本脚本家連盟)に移行。以後、文化事業を主軸とした活動を行っている。                      
会員数:920人(2014年1月現在)
1936年:任意団体「シャッポーの会」設立。1950年「社団法人シナリオ作家協会」設立。1965年「協同組合日本シナリオ作家協会」設立。以降は教育・出版を行なう団体として存続。
 
会員数:371名(2013年6月25日現在)


  

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2013.08.28

『原作と原案』・・・“原案”には著作権がないって本当?

前記事『原作と同じじゃなきゃダメですか?』に書いたように、原作者・脚本家はそれぞれ著作権法によってその著作権が認められている。

一方、原案には著作権がないのか?

個人的認識では「原案には著作権がない」と思っていた。

そこで確認のために改めて調べてみた。

 
 ■ 「原案」の法律上の捉え方

 国によって多少の相違点はあるものの、日本に限らず、諸外国においても単なる
 アイデアは著作物ではないと解されている。
 これは、アイデア段階では具体性や明確性に欠けるため、かかる具体性のな
 いものに著作権という排他的な権利を認めてしまうのは「文化の発展」という観点
 から望ましくない、という考えに基づく。
 なお、「原案」は著作物ではないから対価は発生せず、「原作」は著作物だから対価が発生する、という理解をしているプロデューサーを見かけることがあるが、これは誤りである。
 原案であっても著作物として経済的価値を有するものも存在する。
 映画製作の実務上、原案とクレジットするか、原作とクレジットするかの問題
 と、権利処理が必要か否か対価を支払うべきか否かの問題は別個のもの
 であるから、書面化されて具体性、明確性のあるアイデアやコンセプトには、
 権利処理をすべきか否かの一応の検討を行う必要がある。
 
                平成22年度コンテンツ産業人材発掘・育成事業
                     (有望若手映像等人材海外研修事業)
                   プロデューサーカリキュラム  企画開発契約
                   E&R総合法律会計事務所 弁護士 四宮隆史
                           主催:経済産業省 UNIJAPAN
 

具体性や明確性に欠けるアイデア段階の「原案」は著作物とはいえない。

しかし、具体性、明確性があるアイデアやコンセプトを文書化した「原案」の場合、著作物として経済的価値のあるものも存在する。

なので「原案」といっても、その内容によって対価が発生したり、権利処理が必要な場合もあるということ。

《ケース1 アニメの場合》

著作権は「表現」を保護するものでアイデアは保護されない。
したがって、「原作」はともかく、世界観やキャラクターイメージは保護されない。
「原作」や実際の絵としての「表現」にするか、また提案の前に「勝手に使わない、公開しない」という秘密保持契約を結んでおくといいとのこと。


《ケース2 土屋アンナさん降板騒動の場合》


制作発表時・・原作:濱田朝美著「日本一下手な歌手」(光文社刊)。が、主な出演者とスタッフでは原案 浜田 朝美「日本一下手な歌手 」(光文社刊)となっていた。
http://www.value-press.com/pressrelease/111167

その後、【お詫びと訂正】が出されて、原案:濱田朝美著「日本一ヘタな歌手」(光文社刊)と「原案」に統一されている。
http://www.value-press.com/pressrelease/111201

作・演出・制作の甲斐氏(制作の高橋氏は甲斐氏と同一人物)は「原作」ではなく「原案」にすれば著作物に当たらないので対価も著作権も関係ないと判断して「原案」に統一したのではないだろうか。


しかし、ラストやサブ人物などが原案と違うとはいえ、アイデアやコンセプトなど濱田朝美さんの著作に依拠している部分が多く、原案だから好きなようにしていいというのはちょっと違うのではないかと思う。

この件で、先ず最初に変だなと思ったのは、出版社の立場。
濱田さんと甲斐氏を引き合わせたのは濱田さんの著作を担当した光文社の編集者であり、映像化や舞台化に際して両者の間を取り持つべき立場にあるはずなんだけど何やってたんだろう。

土屋アンナさんと彼女の所属事務所が甲斐氏が代表を務める制作会社から3026万円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こされたわけだけど、この訴訟は著作者の濱田さんとは直接は関係ない。

しかし、土屋さんが稽古に参加しなかった理由として、制作会社の間で交わした出演契約書に瑕疵があったとした場合(著作権がクリアにされていないなど)、濱田さんと甲斐氏の間の契約がどうなっていたかが一つのポイントになるのではないかと思う。

詳細が分からないので、これ以上軽々に判断はできないが、原作か原案か、またそれぞれの権利のあり方などとても興味深いケースで、行方を見守っていきたい。


【原案についての個人的体験】
脚本家デビューする前は、その足がかりとして多数の企画書(プロット)を書いた。

そして、二時間ドラマのオリジナルの企画が通ってやっと脚本家デビューのチャンスが回ってきた。しかし、企画が通るとすぐに放映日が決まり、逆算して制作開始日が決まった。プロデューサーは制作期日の迫った脚本を新人に書かせるにはスケジュール的に厳しいと判断したようで、今回は「原案」扱いにさせて欲しいとのことだった。

私の書いた「原案」はプロの脚本家に回され、クレジットには「原案」として私の名前が。
次に通ったオリジナル企画で脚本家デビューできたわけだけど、初めてテレビに私の名前が出たのは「原案」でだった。

原案料はしっかり払ってくれました。(当時のプロット料金の5、6倍の金額だったような記憶が)

原案扱いされた作品は後にも先にもその一作品だけでした。


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2013.08.26

『原作と同じじゃなきゃダメですか?―映画『やわらかい生活』脚本の「年鑑代表シナリオ集」 への原作者による収録・出版拒否事件 全記録』 を読む

Gensaku



『原作と同じじゃなきゃダメですか?』

―映画『やわらかい生活』脚本の「年鑑代表シナリオ集」 への原作者による収録・出版拒否事件 全記録
        

     シナリオ作家協会 (編集・発行)


「原作」と「脚本」に関してのトラブル・・・脚本家としてはとても気になる問題であり、映画『やわらかい生活』の件もシナリオ作家協会のサイトなどで裁判の経過を見守ってきた。

しかし、ネット上の情報は断片的で詳細かつ具体的な争点や全体像が見えなかったが、シナリオ作家協会から発行された全記録によって、この事件の経過・全体像を知ることができた。

本全体の構成は前半がシンポジウムの記録、出版と映像のメディアミックスを最初に打ち出した角川春樹氏や多数の原作を脚色してきた中島丈博氏へのインタビュー、プロデューサー、監督、脚本家によるコメントやアンケート、さらに戦後日本映画史に見る映画と原作の関係など「脚本は原作の二次的著作物なのか?」という根源的な問いへの考察。後半が全裁判記録となっている。


【事件概要】
絲山秋子氏の小説『イッツ・オンリー・トーク』を原作とした映画『やわらかい生活』を巡り、制作会社ステューディオ スリーが、2003年に作品の著作権を管理する文藝春秋との間で原作使用契約を締結し、脚本家・荒井晴彦氏が脚本を執筆。

その後、この脚本が社団法人『シナリオ作家協会』が編纂・発行する『年鑑代表シナリオ集』の収録作品に選ばれ、収録して出版することになったが、絲山氏側が「脚本を活字として残したくない」として出版を拒否したため、収録不可能となり、出版できなくなった。

契約には「慣行に反する許諾拒否は行わない」と明記されていることから、荒井氏並びにシナリオ作家協会側は「出版拒否は契約違反」と主張し、絲山氏を相手取って出版妨害の禁止等を求め東京地裁に提訴。なお、この時請求した損害賠償額は1円。

関係者
原告→脚本家(荒井晴彦)・シナリオ作家協会
被告→原作者(絲山秋子)
その他→制作会社(ステューディオ スリー)・出版社(文藝春秋)


【事件経緯】
2003年(H15)
 7月 :映画プロデューサー、監督、脚本家により絲山秋子氏の小説『イッツ・オンリー・
    トーク』(文藝春秋刊)の映画化を企画。
 9月 :プロデューサーの所属制作会社と文藝春秋により著作権使用予約完結権契約
    締結。
2004年(H16)
 2月 :脚本第1稿執筆。
     原作者の注文を受け、書き直す。
 3月 :脚本(決定稿)完成。
 11月:制作会社と文藝春秋、原作使用許諾契約締結。
  11月:映画、クランクイン。
  12月:映画、クランクアップ。
2005年(H17)
 2 月:映画完成
 4 月:シンガポール国際映画祭上映。
2006年(H18)
 6 月:国内一般劇場で公開。
 9 月:映画のDVD(セル・レンタル)利用のため、原作者側に許諾申請。
     原作者、DVD(セル・レンタル)利用を許諾。
2007年(H19)
 1 月:映画のDVD(セル・レンタル)販売開始。
 3 月:シナリオ作家協会、脚本を「'06 年鑑代表シナリオ集」の1つに選ぶ。
 6 月:シナリオ作家協会、脚本の「'06 年鑑代表シナリオ集」収録・出版につき、原作
    者側に許諾申請。
         原作者、脚本の収録・出版を拒否。
 7 月:シナリオ作家協会会長、文藝春秋を訪問。担当編集者・法務部長と面談、
    収録・出版の許諾をお願いするも進展なし。
 8 月:映画、テレビ放送される。
          この頃、映画の海外セールス行なう。
          修正案として、原作者名を外した形での収録・出版を原作者側に許諾申請。
          原作者側、修正案の収録・出版を拒否。
 9 月:シナリオ作家協会刊行の「シナリオ集」に本件脚本の収録を断念。
2008年(H20)
 4 月:脚本家とシナリオ作家協会、プロデューサーから原作使用契約の説明を受け、
    3条5項但書の存在を知る。
 6 月:映画会社から被告側に、原作使用契約3条5項に基づき、脚本の「'07 年鑑
    代表シナリオ集」収録・出版を許諾申請。
         原作者側、許諾申請に対し、回答なし。
 11月:映画会社から被告側に、再度、回答の依頼を催促、拒否の時にはその理由
    を明らかにするように依頼。
          催促に対し、文藝春秋よりプロデューサーに、電話で掲載拒否の回答。拒否
    の理由の説明はなし。
2009年(H21)
 3 月:脚本家とシナリオ作家協会から原作者側に、脚本の「'07 年鑑代表シナリオ集」
         収録・出版の拒否が原作使用契約3条5項但書に該当しない理由を明らかに
         されたいという質問状を送付。
          2週間の回答期限経過も原作者側からは回答なし。
 7 月:脚本家とシナリオ作家協会が共同原告となり、出版妨害禁止、損害賠償請求
    等を求め、東京地方裁判所に提訴。
 ※以後、6回の口頭弁論
2010年(H22)
 9 月10日:東京地裁結審:脚本家とシナリオ作家協会の請求をすべて棄却。
     判決は、原作使用契約はステューディオ スリーと文藝春秋の間に結ばれて
    いて、当事者ではない脚本家並びにシナリオ作家協会側が許諾を求めること
    はできない、としている。
     また、脚本の利用に関して脚本家の権利は原作者の合意によらなければ行
    使できない、としている。
 9 月24日:東京地裁判決を不服として、知的財産高等裁判所に控訴。
2011年(H23)
 3 月:知財高裁は脚本家とシナリオ作家協会の控訴を却下又は棄却し、控訴審で
    も原作者の勝訴となる。
    控訴審では、原作者の出版拒否が権利濫用に該当するか否かが争われた。
         脚本家とシナリオ作家協会は、脚本の出版を阻止することによって守られる
    原作者の利益は、脚本家並びにシナリオ作家協会の逸失利益に比べて客観
    的に小さいものなので、権利濫用にあたるとした。
    
    判決は、原作者が許諾を与えないことは、正当な権利行使の範囲内のもので
    あって、権利濫用にはあたらない、とした。
 4 月:知財高裁の判決を不服として、最高裁判所に上告。
2012年(H24)
 2 月:最高裁は脚本家とシナリオ作家協会の上告申し立てを不受理とし、知財高裁
    の判決(原告側:脚本家とシナリオ作家協会の敗訴)が確定。
【参考】
          一般社団法人シナリオ作家協会 http://www.scenario.or.jp/symposium.htm
     一審担当弁護士サイト http://song-deborah.com/copycase5/
 
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【私的雑感】
脚本家としては、昨年7月20日に行われた「『やわらかい生活』裁判を考える会」(シナリオ作家協会主催)で一般社団法人シナリオ作家協会の当時の会長・柏原寛司氏の言葉に共感・同意できる。

柏原会長「昔は原作者も大人で、映画は別モノと割り切ってくれる方が多かった。昨今
      は原作者が脚本に口を挟み、出版社も原作者の肩を持つようになっている。
      何が問題かというと、本作は完成、公開、DVD発売もされ、映画として評価さ
      れている作品であり、どの局面においても口出しせず、原作料、著作権使用
      料収入などの映画化に伴う対価を得ていた原作者が、脚本の雑誌掲載に限
      り拒絶したことだ。我々、脚本家のアイデンティティはどこにあるのか。
      著作権法という難しいところで争いたくなかったが、再三交渉しても門前払い
      された。嫌ならはじめから許可しなければいい」

私自身はオリジナル脚本でデビュー後、これまで小説、漫画、エッセーなどを原作にした脚本も多数書いている。
当然だが、原作はそのままでは映像作品にならない。きっと、ほとんどの脚本家がそうしているように私も「原作をぶっ壊す」ところから始まる。「ぶっ壊す」というのは乱暴すぎる言い方だけど、つまり原作を「分解」するということ。


分解して組み立て直す(構成)のが脚本。原作には書かれていない登場人物の生育歴などをセリフの端々から拾い上げ、人物の過去を推測し、生々しい人間像を創り出す。
原作に書かれていない部分、原作から抽出してより肥大化させた部分、映像作品としてテーマを明確にするために構成され直した部分・・・原作そのままでは脚本にならないことは明確だ。

しかし、そのように書いた脚本で原作者と大きく揉めた経験はない。
テレビの場合は、原作者が撮影所に来られた折に「原作と映像は違いますから」と自ら言われたこともある(多分、その認識の原作者がほとんど)。

また、夜を徹し朝まで会議室で議論を重ねるほど揉めた作品もある。だが、それは原作者とではなくプロデューサーたちとのストーリー展開や人物の捕らえ方の相違が原因で。
私自身は人間の生き様は多様であり自分の想像外の生き方でも、「そうか、そういう生き方もあるのか」と自分が理解できれば、どんな直しでも応じるが、人間としてどうしても納得できない生き方を「書け」と言われても書けないわけで・・・。
(今では、朝まで議論するほど作品に真剣に向き合ってくれたプロデューサーたちに感謝と尊敬の念を持っています)

映画の場合、『箱の中の女2』で共同脚本を書かせていただいて以後、数本映画脚本を書いた。すべて、小説か漫画が原作の作品だった。

その内の一本は有名な長寿連載漫画で、「送った企画書ではどうしても原作者がOKしてくれないので」と企画書の作り直しから始まった。幸いにも私の書いた企画書で原作者からのOKが出て脚本へと進んだ。が、第一稿が上がって間もなく出資予定者の事業失敗などで製作費の目処が立たなくなり、制作中止。

同じように脚本第二稿まで書いて制作中止になった作品もあった。この作品の場合、私がその世界観に惚れ込んでいる漫画家の作品で、交渉はすべてプロデューサー・監督と原作の代理人である某大手出版社とだった。

一度だけその出版社にプロデューサー、監督と同行し、その際、著作権使用予約完結権契約の延長に立ち合ったことがある。
原作のある作品に取り組む場合、まず「その作品が他社に押さえられてないかどうか」がプロデューサーなどによって確認され、フリーの場合は「押さえる」ところから企画書作りが始まる。この「押さえる」というのが正式には「著作権使用予約完結権契約」というのだと知った。

私的経験の中で、原作者と大きなトラブルがなく、いかに良いドラマを作るかに専念できたのは原作者との間に立ったプロデューサーたちのお陰だと、今、改めて感謝にたえない。

話は『やわらかい生活』の件に戻って、では今回の場合、原作者がそれほど映画に対して頑迷だったのかというと、『原作と同じじゃなきゃダメですか?』を読む限りではそうでもない。

原作者は映画化の話が来てすぐに同監督・同脚本家の作品『ヴァイブレータ』を観に行き、原作に忠実な映画化だと安心して自作の映画化にGOサインを出している。

第一稿を読んだ後に、具体的に直して欲しい個所を数点に絞って具体的にプロデューサーを通して脚本家に伝えている。

原作者の意を受けて、脚本家も直しを入れている。

第二稿を読んだ原作者は、自分の申し入れが理解されてない(直ってない)部分があるとして、次の打ち合わせの時には脚本家の同席を求めている。

しかし、同席して欲しいという原作者の要望は脚本家には伝わっていない。プロデューサーの判断で原作者の要望を脚本家には伝えなかったらしい。

もし、この時点で原作者と脚本家が顔を合わせ作品について話し合ったら、どうなっていただろうか?
決裂か・・・・
前進か・・・・

原作者は裁判の中で「年鑑代表シナリオ集」への掲載拒否の理由を次のように述べている。
「本映画は原作者の注文を入れて直したが、脚本はそうせず、問題が解決しなかったから」と。
しかし、制作した側からいうと完成した映画とその脚本はいずれも原作者の注文を入れて直して作られている。

両者の主張は一方が「表現の自由」を主張し、一方は「著作権」を盾にして、両者噛み合わないまま最高裁まで行ってしまった。

映画はOKだが、脚本はNOの原作者。

原作者は監督とは会っており、ラストの曲についてなど原作とは違う点について監督からの説明に納得している。

ところが、脚本家と会って話すことを希望したにも関わらず、脚本家は姿を現さなかった(脚本家は原作者の同席して欲しいという希望を聞いていなかった)

感情的にも大きくこじれだしたのはこの辺あたりではないのか。


例えばラストの曲。(この項は 8/28 に加筆)
原作では、親友の墓参りに行った主人公が帰りの車の中でキング・クリムゾンの『エレファント・トーク』を聴く。この曲の出だしの歌詞が小説のタイトルにもなった「イッツ・オンリー・トーク(すべてはムダ話さ)」で、このフレーズは曲中、何度も繰り返される。

しかし、映画では
キング・クリムゾンの曲は使われなかった。
脚本ではラスト曲はジャニス・ジョプリンの『A Woman Left Lonely』になっている。(『原作と同じじゃなきゃダメですか?』裁判記録より)


原作者にとってキング・クリムゾンの曲はタイトルに使ったほど意味のある曲だったが、「
キング・クリムゾンの曲は著作権料が高すぎて使えない」と監督から直接事情を説明されて、了承している。
だが、キング・クリムゾンに代わってジャニス・ジョプリンの曲を入れることについては拒否している。


では実際に公開された映画はどうなっている? とドキドキしながら映画を観たら、ラストは優しい感じのインスツルメンタルで終わっていた。


映画は原作とは全く違うラストになっており、個人的にはこのラストだったら大好きな
ジャニス・ジョプリンのA Woman Left Lonely』でも良かったような気もする。
しかし、よりベストだったのは実際の映画で使用された
インスツルメンタルだと思う。
映画の余韻の余白を、歌詞という言葉によらずに思い巡らすことができたから。


脚本ではラストの
ジャニス・ジョプリンのほかに尾崎豊の曲も使われている。裁判記録の中で脚本家はなぜジャニスと尾崎の曲を使ったのかを説明している。二人に共通するのは若くして死んだミュージシャンであること。この二人の曲を通して「どんなことがあっても生きよう」というメッセージを伝えたかったのだと。


もし脚本作りの過程で原作者と脚本家が直接会い、脚本家からその思いを聞いていたらここまでこじれることはなかったのではないか。             


コミュニケーションの断絶・・・
たとえ大喧嘩になったとしても(喧嘩もコミュニケーションの一種だから)、顔を合わせて言葉を闘わせていたら、裁判にまではならなかったのではと思う。

この裁判全記録は、他人事ではなく「日本映画の現状」や「映画力」というものを見つめ直すきっかけを与えてくれた本となった。

【参考】レポート/「『やわらかい生活』裁判を考える会」後篇    
      http://www.bunkatsushin.com/varieties/article.aspx?id=1785


【復 習】(8/27追記)

原作・脚本・映画の関係

A:原作と脚本
Gensaku_siryou1

 



B:原作・脚本と映画

Gensaku_siryou2






原著作物の著作権者(Aの場合:原作者。Bの場合:原作者脚本家=原作者と脚本家は映画に対して同等の権利を有する)


著作権者は、著作権法上、著作者人格権(著作権法第18条、第19条、第20条)が認められている。
著作者人格権とは、以下の権利を総称したもの。
公表権(著作権法第18条)
氏名表示権(著作権法第19条)
同一性保持権(著作権法第20条)
名誉声望保持権(著作権法第113条第5項)

◆公表権
 著作物を公表するか否かを決定する権利(他者の公表行為を禁止する権利)に加え、公表の時機や方法も決定することができる権利。
◆氏名表示権
 「著作物の公衆への提供・提示に際し」、自らが著作者である旨表示するよう請求する権利。
◆同一性保持権
 著作物の「題号」や「内容」に関して、他人が意に反する改変を行うことを禁止する権利。
◆名誉声望保持権
 著作物の改変を伴わない場合でも、その利用態様によっては表現が著作者の意図と異なる意図を持つものとして受け取られる可能性がある。
 そのため、著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、著作者の著作者人格権を侵害する行為とみなされる。


『やわらかい生活』裁判では、原作者の映画ならびに脚本に対する著作権行使を正当と認め、脚本家&シナリオ作家協会の訴えは、「そもそも両者は契約者ではない」として退けられたわけです。

脚本に対しても映画に対しても原作者は著作権法上の権利を有しており、原作のある作品に取り組む場合は、いかに原作者とのコミュニケーションが大切かを改めて教えられました。

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