2014.10.03

『叫び』で有名なエドヴァルド・ムンクの“永遠”

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ここ何ヶ月も、背後に迫り来る“死”を意識した“愛”について考えていた。

取り組んでいた作品の話です。
人生を四つの季節に分けた時、“冬の季節”に差し掛かった人たちの愛の物語。

余生を考えた時、あとどれくらい一緒にいられるか分からない彼らの愛を、全肯定し、祝福したい……そんな私の想いを支えてくれる言葉はないものかと思い巡らしていて、ふと上を向いたら、そこに求めていた言葉があった。

だいぶ前にネットを経巡っていて見つけた言葉で、とても共感できたので、A4に大きくプリントアウトして、デスクの上の壁に貼っていたのです。
その言葉とは……


From my rotting body, flowers shall grow and I am in them and that is eternity.

 私の朽ち果てつつある死体から花が成長するであろう。
 私はその花の中に生きる。
 それが永遠というものである。

              エドヴァルト・ムンク Edvard Munch(1863-1944)

死は自然の循環の一つの過程であり、生あるものはやがて土に還り、そこから花を咲かせ……その循環の中で永遠に生き続ける。

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5歳の時に母を、15歳で姉を亡くし、物心がついてから生の不安につきまとわれたムンク。その不安の中から有名な「叫び」も描かれている。
「叫び」は1893年 30歳の時の作品。

Munchfuan1

その前年、29歳の時に描いた「カール・ヨハン通りの夕べ」も、私自身のその年代を考えた時にものすごく共感できる。
【解説】
夕暮れの大通りを歩くブルジョア階級の人々は、まるで感情を殺した木偶人形のよう。
アリの軍隊のように無機質な集団の行進は、道を逆行するムンク自身の不安感を掻き立てる。 http://www2.plala.or.jp/Donna/munch.htm より


ムンクの代表作と言われる作品は「叫び」をはじめとして、このころ(30代)の作品が多いよう。しかし、ムンクは80歳まで画家として生き、後年は壁画などもたくさん残している。

この記事のトップの絵「太陽」はオスロ大学の壁画。46~48歳の作品。
【解説】
後期、ムンクは自分の中の病や悩みを乗り越えようとするかのように、どこかゴッホに似た、ヴィヴィッドで強い光の作品が増える。 
闘病を経て、正式にオスロ大学に依頼されたこの作品は、北欧の命の源となる太陽の輝きを描いたものとなった。http://www2.plala.or.jp/Donna/munch.htm より


私が見つけたあの言葉が、ムンクのどの時代に発せられた言葉なのかは分からないが、「太陽」を見る限りでは、死への不安を自然への回帰という形で昇華させた後の言葉のようにも感じられる。

自然回帰、永遠の循環……そのキーワードに支えられて作品を書き進めた。






そのさなか、9月に入って二つの大きな事件が発生。

【神戸小1女児死体遺棄事件】と【御嶽山噴火】

高校の時、倫理の先生が言った言葉を今でも覚えている。

「人間にとって一番悲惨な死は“難死”である」

突然の死に見舞われた被害者の方々、残された家族の方々の、この不条理に対する悲しみは、どんな言葉を持っても埋められないだろう……と現実の厳しさを痛感した。

ただただ、被害者の皆様のご冥福を心よりお祈りいたします。

 

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2003.12.01

与奪自在


    しゃんと生きていないと、いつの間にか人の言いなりになってしまいます。
    自分の生き方ができなくなるのです。

    つまり、人に心を奪われ、生き方を奪われているのです。

    そうなれば、その人の人生とは言えません。

    つまり、殺されたも同然。命を奪われたも同然なのです。

    与奪自在とは、活殺自在のことでもあります。

                 『ST 警視庁科学特捜班』今野 敏 著

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2003.11.23

R.P.G.(4)


   カズミは言っていた。ネットのなかの“家族ごっこ”は楽しかったと。
   そこでしか得られないものがあったと。大切だったと。

   “お母さん”も言っていた。孤独な人生を慰めてくれるものが、そこにはあったと。

   ミノルが斜に構えながらも、“家族”から目を離せなかったのも、“話せるオヤジって、
   ちょっと欲しかった”という些細な夢を、そこでなら、不完全な形ながら、かなえることが
   できたからだろう。

   もしも△△が、ネットのなかに足を踏み入れていたらどうだったろう?
   
   △△が自身の顔も見せず、声も聞かせず、ハンドルネームの陰に安全に身を隠して、
   その心の内を誰かに語る機会を得ていたら?

   怒りに暗く翳る瞳や、傷心に頑なに歪んだ口元は隠したまま、ただ言葉でそれを
   誰かに伝え、ぶちまけることができていたら?

   ひょっとしたらそのネットのなかの誰かは、血肉を具え行動力があるが故に、
   いたずらに△△に引っ張られていった××にはできなかった役割を、果たして
   くれたかもしれない。
   △△に捕まえられず、△△に巻き込まれることのない距離から、彼女に語りかけ、
   彼女を癒し、彼女の怒りを理解する役割を。
   中本のような理解者にも、出会えたかもしれないのに。

                     『R.P.G.』宮部みゆき著

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R.P.G.(3)

   私は偏見を持つほどに、ネット社会のことをよく知らないのでね。

   ただ、ある媒体があれば、そこに人間関係が生まれるということぐらいはわかる。

   現実社会に真実と嘘が混在しているのと同じように、ネット社会にも嘘と真実が混じり合って
   存在しているんだろう・・・ということぐらいはわかる。

                     『R.P.G.』宮部みゆき著

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R.P.G.(2)


   何が欲求不満よ。
   そうやって女をバカにするあんたたちのおかげで、あたしたちがどれほど嫌な思いをするか、
   ちょっとでも考えたことがあるの?
   
   もう若くないというだけで、夫がいなかったり、子供がいなかったりするだけで、まるで
   人間じゃないみたいに言われる女の気持ちが、あんたにわかるの?

   そんな現実に、私は心底うんざりしてるの! 疲れたのよ。だけど生きていかなきゃ
   ならない。働かなきゃ食べていけない。会社でも煙たがられているのはわかってる。だけど
   今さら仕事をやめて、どうしろっていうのよ。どこに行くっていうの?

   逃げ場が欲しかったの。だから楽しかった。
   “お母さん”になるのは楽しかったのよ。
   ネットのなかだけでもよかった。
   自分の人生まで変わったみたいな気持ちになって、それだけであたしは幸せだったの!

                     『R.P.G.』宮部みゆき著

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R.P.G.(1)


   サイバースペースで育まれる人間関係には、現実社会のそれと同じくらいの価値もあれば
   温かみもあるんです。
   デタラメや嘘ばかりが横行しているわけじゃありません。
   顔を合わせないからこそ、自分の姿や立場にとらわれないからこそ打ち明けあうことので
   きる本音もあれば、そこで育つ親愛の情だってあるんです。

                     『R.P.G.』宮部みゆき著

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2003.10.18

生きるとは


   生きるとはーみずからの中に巣くう暗き力と戦うこと。

   詩作するとはーおのれみずからの上に審をくだすこと。

                   イプセン(山室静訳)

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2003.10.16

<近松門左衛門・浄瑠璃作りの秘訣

  「虚実皮膜論」

   「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也」

   有名な「虚実皮膜論」(普通は「きょじつひまくろん」と読むが、原本には
   「きょじつひにくろん」と振り仮名があるという)の文句です。

   芸は、実際に似せて演じるが、同時に美化する。
   ある御所方の女房が、恋人と寸分違わぬ姿をした木像を作り、彩色させたところ、
   あまりに似すぎて、かえって興ざめ、恋もさめてしまったそうだ。
   実際すぎても、いけない。

   「虚(うそ)にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰(なぐさみ)
   が有るもの也」


   虚と実との微妙な境目にこそ、芸の面白さがあり、観客は魅了されるものである。

   浄瑠璃の文章も、その心得を忘れてはならない。

         http://homepage2.nifty.com/hay/hiketu.html より

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2003.09.26

研修生からのメッセージ

   さあ、どうでしょうか・・・。「もしかしたらスターになれるかもしれない」
   とか「有名になりたい」という希望があるのなら、もっと確率の高い近道があるはずですから、
   まずはそちらの方を当たってみましょう。 
   「大きな目標は持たない方が良い」とは言いませんが、“どんな小さな役でも楽
   しんで演じられるかどうか”、そこが分かれ目です。まず、自分自身に問い
   かけてみて、それでも歌舞伎の世界で生きていきたいという覚悟がある方は、
   険しい道ですが挑戦して下さい。

   でも、あなたが私の後輩になっても、私はあなたを引っ張り上げてあげること
   はできないのです。自分で這い上がってくるしかないのです。役者にゴールはありません。
   舞台に立っている限り、自分自身の腕の未熟さ、弱さと向き合い続けていかな
   ければならないのです。
    テクニックを教えることは出来ますが、テクニックだけではどうにも補えないもの
   がある、それが舞台、役者の仕事です。一生悩んで、苦労して、それでも歌舞伎が
   演じたいという人は、覚悟を決めて、どうぞいらしゃい !!


                   歌舞伎俳優 市川笑也
             http://www.ntj.jac.go.jp/jigyo/kensyu/yousei9.html より

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2003.06.09

人間の心には無数の扉があって

      人間の心には無数の扉があって、ある扉は、しょっちゅう開かれたり
      閉じたりしているのに別の扉は一生のうちごくわずかしか開かれない、
      ということがあると思う。

      そして、私はこの開かずの扉が何らかのきっかけで開く時に生じる
      「コミュニケーション」こそ、その人にとって、真のコミュニケーション
      ではないかと思うのだ。

      それ は恐ろしい自己発見の瞬間であるかもしれないし、あるいは深い
      喜びの爆発を伴う瞬間であるかもしれない。

      いずれにしても、それはだれか、あるいは何物かに対して、突然
      見えない橋が架かったというような驚きの瞬間であるだろう。
      
      私たちは日常生活でおびただしいコミュニケーションの網目の中に
      生きながら、実はそういう瞬間のために生きているのではなかろうか。
  
                      『青き麦萌ゆ』大岡信(中央公論社)

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