2006.08.29

創作:「天邪鬼タマ」の独白(1)

※注:ここに記されたことは、あくまでも創作であり、事実とは異なります。

創作:「天邪鬼タマ」の独白(1)


生まれて初めて見た色は青だった。
天空に広がる輝く空の青。
その青はきらきら光る海へとつながっていた。

空と海が青でつながるところ。
ここはフランス領ポリネシア。「南海の楽園」といわれる美しい島・タヒチ。

わたしはこの島で生まれた。

ジャーマンシェパードのママとパパは誰もが褒めるほど毛並みが美しく、賢そうな顔をしている。
だけど、わたしはママやパパのように美しくはない。
なぜなら、わたしは本当のパパが誰か知らないから。
私たちのご主人は、わたしが生まれた時、てっきりパパの子供だと思ったらしい。でも、一ヶ月経ち、二ヶ月経ち、毛並みや顔立ちからわたしはパパの子供ではないことが分かった。
どうやら、名前も寝床もない野犬とママが仲良くなってわたしが生まれたらしい。

「なぁんだ、雑種か。だったら・・・したのに」

「・・・」のところはよく聞こえなかったけど、ご主人をガッカリさせてしまったのは間違いない。
パパとママはちゃあんと血統書ってのがあるけど、雑種では血統書がもらえないらしい。
あまりご主人がガッカリするので・・・

(わたし、生まれてないほうがよかったのかなぁ)

一瞬だけど、そう思ってしまった。

でも、野犬に比べたら、わたしはずいぶん幸せだと思う。
餌を探して歩き回らなくても、朝と夜、ちゃあんとご主人が食事をくれるんだもの。

「クマ、ミツ、それからタマ、ご飯だよ」

あ、食事の時間だ。
今日のメインは予想通り鶏だ。なんで予想通りかっていうと、ご主人が車で出かけると時々、野生の鶏を拾ってくるの。

この島には野生の犬や猫だけでなくて野生の鼠や鶏もたくさんいて、車に撥ねられたそんな動物の死体が道端によく転がっている。

ご主人はこの島に住んで8年になるけど、楽しみの一つはドライブ中にそんな鶏の死骸を発見することなんだって。
この前もドライブ中、道端に茶色の塊を見つけて

「今夜のディナーは決まりだね」

と嬉しそうに笑った。
でも、近づいてよく見るとそれは野鶏じゃなくて野猫の死骸。

「チッ、残念」

ご主人は野猫の死骸から目をそらしてアクセルを踏んだ。

実はこの時、わたしも内心、(残念)と思った。
だって新鮮な鶏の死骸だったらお肉はご主人が食べて、骨はわたしたち犬のご馳走にもらえる。
もし、傷んだ鶏だったら、そのまま丸ごとわたしたちのディナーになるもの。

この前、日本からやって来たお客さんはその話を聞いてビックリしていた。
日本も昔は野犬や野猫がたくさんいて動物の死体が道端に転がっていた時代があったそうだ。それに、その時代には家で飼っている鶏を殺して食べていたという。だけど、今では野犬や野猫は減り、鶏の肉はすべてパックに詰められて売られているんだってね。
ここでは鶏の肉はスーパーで買わなくても道端に落ちている。いつもってわけじゃないけど。

車に撥ねられた鶏さえも粗末にせず、食べつくしてあげる。

「鶏も本望じゃないの。道端で腐っていくよりは」

ご主人はそう言っていた。
確かに、そうかもしれない。

ようやく私の前に鶏のお皿が来た。
美味しそうなお肉はパパとママが先で、わたしのお皿には骨の方が多いけど、でもわたし好き嫌いはないから。

(いただきま~す!)

美味しい物を食べている時に不機嫌になる人はいないって言うけど、本当に食べている時って幸せ。
でも、そんな幸せな気分も長くは続かなかった。
明日は月末だということを思い出してしまったのだ。

いつも月末になるとご主人はパペーテに行く。
パペーテというのは仏領ポリネシアの首都で、タヒチ島最大の都市。
仏領ポリネシアの118の島の中には椰子の木よりも高い建物を建てることを禁じている島もあるけど、パペーテには大きなビルやショッピングセンターやスーパーなどがあって大都会だ。
で、なぜご主人のパペーテ行きのことを思い出して憂鬱になったかというと、パペーテは車の渋滞がすごい。ご主人はこの渋滞が大嫌いなのだ。

「なんてことなの。日本の渋滞が嫌でタヒチに移り住んだというのに、タヒチでも渋滞に遭うなんて。そもそも、渋滞に甘んじる心理は、社会の流れに唯々諾々と従う心理に繋がるのよ。つまり渋滞は、人が自由に生きたいと思う欲求を無意識に潰す効果を生み出している。だからそれに巻き込まれるなんて我慢できないの」

だったら、まずは車に乗らなきゃいいのに、とわたしは思ってしまった。
だって渋滞ってたくさんの車が走るから生じるわけで、そんなに渋滞が嫌いなら車に乗らなきゃ“自由に生きたいと思う欲求を”潰されることもないわけでしょう。
あ、もう一つの方法として、自分だけの抜け道を発見する努力をするとか。
などと、わたしは思うんだけどね。

そういうわけで、パペーテから帰って来るとご主人は必ず不機嫌になっている。そのことが一番辛い。
ご主人が喜んでくれることがわたしたち犬にとっても一番の喜びなわけで、どうすればご主人のご機嫌が早く良くなるかいろいろ考えてしまう。
この前、土に埋めておいた取っておきの骨をご主人にあげようと思ったけど、

「汚い骨なんか持ってこないで!」

って怒らせちゃって、骨はゴミ箱に捨てられてしまった。

パパやママは何もしなくてもそこにいるだけでご主人を和ませることができる。
でも、わたしはどんなに努力してもご主人をイラつかせてしまうらしい。
だから、パパとママには立派な犬小屋があるけど、わたしにはない。
わたしが雑種だから嫌われてしまうの・・・?

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創作:「天邪鬼タマ」の独白(2)

※注:ここに記されたことは、あくまでも創作であり、事実とは異なります。

創作:「天邪鬼タマ」の独白(2)

夜、お庭のバナニエ(バナナの木)の根元にうずくまって星空を見上げた。
まるで降ってくるような満点の星。

(アイタペヤペヤ!)

わたしは星に向かって微笑んだ。
(アイタペヤペヤ)っていうのはタヒチ語で「なにも問題ないさ」という意味
。つまり細かいことは気にせずにケセラセラってこと。タヒチの人の好きな言葉でわたしも大好きな言葉。

ところが、突然、空と海が青白く光り、遠くに雷鳴が聞こえた。
いつの間にか風は爽やかなアゼリ(貿易風)からマッラム(季節風)に変わっ
ている。マッラムが吹くと常夏の島といえども夜は冷える。
おまけに、雷雲が急速にやってきたようで、雨粒がバナニエの木にポツリポツ
リと音を立てて落ちはじめた。

こういう時、犬小屋のないわたしは早速、床下に避難だ。
やがて雷は地面を轟かせるほどの音でわたしを怖がらせ、本格的に降り出した
雨はわたしの体温を奪っていく。
寒さに丸くなってうずくまっていると、背後にふと温かい気配を感じた。

[イアオラナ!(こんばんは!)]

その声に振り向くと、知らない雄犬がいた。
わたしは返事をしなかった。だって、ご主人から野犬と仲良くしてはいけない
って禁じられていたもの。
その雄犬は、気を悪くした様子もなく、わたしの横に座ってわたしと同じ格好
で雨を見つめた。
急に周りの空気がほんわりと暖かくなった。
一人でいた時には寒さに震えていたのに。

[雨が上がったら、すぐに出て行くから]

彼は遠慮がちに言った。
なんと彼は野犬ではなくて、ちゃんと帰る家があるんだって。
彼の名前はトトラ。タヒチ語でチョコレート、美味しそうな名前。なるほど毛
の色がチョコレート色をしている。

雨が上がるまでの間、わたしはトトラがタヒチに来るまでの話を聞いた。
トトラはランギロア島で生まれたそう。
同時に生まれた兄弟は9匹。そのうち2匹は体が弱すぎて生まれて間もなく死
んでしまい、3匹は引き取り手が見つかった。だけど残った4匹は引き取り手がなくて、タヒチの獣医さんのところへ送られた。そこで出合った里親が彼のご主人だった。

トトラのご主人はもと黒蝶貝真珠の核入れ技術者で、なんとタポネ!(日本人
わたしのご主人と同じタポネと分かって、わたしは急激にトトラに親しみを感
じた。

雨が上がり、空が白みはじめてトトラは自分の家へ帰って行った。

[マウルル(ありがとう)]

そう言って去って行く彼の後姿をずっと見送っていた。
冷えていた体はいつの間にか温まり、心までも温かかった。
わたしは、彼に恋をしていた。

その日以来、わたしとトトラはご主人に見つからないように逢引を重ねた。
わたしは、もうちっとも寂しくなかった。

血統書がないことや雑種であることも・・・
パパやママよりもらえるお肉が少ないことも・・・
ご主人の微笑がわたしには向けられないことも・・・
犬小屋がないことも・・・

なにひとつ不足はない。
トトラさえいてくれたら、わたしは幸せな犬でいられた。
そして、もっと素晴らしいことに、わたしはトトラの子供を身ごもった。
これ以上の幸せがある?

わたしがそんな自分の幸せに浸っていた時、家の中から悲痛な鳴き声が聞こえてきた。ハナの声だ。

この家には、三匹の犬以外に、サクラ、チヨ、ハナという名の三匹の雌猫がいる。
彼女達は年に何度か切なそうな声で鳴き続ける。
その季節が過ぎると、彼女達のお腹は日々大きくなり、やがてその中に新しい
命が宿っていることが誰の目にも明らかなほど膨らんでくる。
そして、いよいよ出産の時を迎える。

だが、わたしは生まれた子猫の姿を見たことがない。
生まれた子猫の鳴き声を聞いたことがない。

そのかわりにハナたちの悲痛な鳴き声を聞く。
生まれた自分の子猫を必死で探す母猫の鳴き声・・・。

猫に母性などあるものか、ですって?

では、、ニューヨーク州ポートワシントンのスカーレットと名付けられた猫のことを知っている?
ある空家が火事になった。消防士でさえ入って行けないほど燃え盛る家の中に
一匹の母猫が入っていき、子猫をくわえて出てきた。その母猫は大火傷を負い体を真っ黒に焦がしながら何度も何度も炎の中に向かっていき、ついに5匹の子猫を助け出した。
大量の煙を吸い、全身火傷で瀕死の重傷を負った母猫は多くの人々の祈りが通じて一命を取りとめ、その勇敢さから映画「風と共に去りぬ」に出てくる勇気あるヒロインにちなんでスカーレットという名前がつけられた。

子を産んだ獣の本能の中に、母性はあるんです。
その母性がどう育つかは個体差による。それは人間も同じでしょう?

ところで、一度も見たことのないハナたちの産んだ子猫は一体どこへ行ってしまったんだろう。
いつもそれだけは不思議に思う。
ご主人しか知らない謎・・・。

それから数日後、ハナはついに子猫探しを諦めたらしく子猫を求めて鳴くことは止めた。
そして、ご主人が誰かと電話で話している声を聞いて、謎の一端が見えた。

「不妊手術はどうも気が進まないのよ。それって、人間の都合を押し付けているだけで、不自然よ。できるだけ自然なカタチで処分するのがベストじゃない
ちょうど、うちの隣の崖の下が空地になっているの。だから、生れ落ちるや
、まだ目が開かないうちに、そこに放り投げるのよ。
残酷? それは人工的な
都会生活に毒された人の感覚にすぎないわ。うちの周りは、草ぼうぼうの空地や山林が広がっていて、そこには野良犬や野良猫、野鼠などの死骸がごろごろある。子猫の死骸が増えたところで、人間の生活に何の被害も及ぼさないし、子猫たちは自然に還るだけ。
日本だって昔、いえ、今でも田舎の方に行けば、
生まれたばかりの子猫や子犬を川に流して間引きする、それと同じことよ」

隣の崖の下・・・放り投げる・・・

そういうことだったのか。
でも、わたしはその事実を確かめる勇気はない。
崖の下を覗いて見る勇気も、その事実をハルたち母猫に打ち明ける勇気も。

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創作:「天邪鬼タマ」の独白(3)

※注:ここに記されたことは、あくまでも創作であり、事実とは異なります。

創作:「天邪鬼タマ」の独白(3)

わたしの体がどんどん重くなっていく。
新しい命の重さ。
時々、お腹の中で新しい命の動く気配も感じるようになった。
そして、ご主人もやっとわたしの妊娠に気がついた。
同時にお腹の子供の父親がトトラであることにも。
途端にご主人の形相が鬼のように変わった。

「雑種のバカ犬の子供を孕むなんて、お前もどうしようもないバカ犬だ!」

ご主人は庭にいるトトラを見るなり、そばにあった棒切れで何度も何度もトトラを叩いて追い出した。
足が傷つき、血を流しながらトトラは逃げて行った。
その途中、ふと振り返った。

[ごめんよ。出産まで一緒にいてあげられなくて]

トトラの目はそう言っていた。

(大丈夫。きっと可愛い子供を産むから)

わたしは目でそう返事をした。

そして、いよいよ出産の時。
ベビーたちがお腹の中から外に出たがっている。
同時に今にもお腹が割れるんじゃなかろうかと思うほどの痛みが襲ってくる。
ここで踏ん張らなきゃ・・・
早く出ておいでベビーたち。
ようやっと最初のベビーがこの世に姿を現した。
続いて次のベビーが・・・全部で三匹。
羊水で濡れたベビーたちを急いで舐めてやる。
するとどの子も“キューッ”と小さな声を発して、空気を食べるように口をパクパクさせている。

(わたしたちの世界にようこそ。わたしのベビーちゃんたち!)

安心すると同時にどっと疲れが押し寄せてきて、いつの間にかわたしは泥のように眠っていた。

水が流れているようなさらさらという音でわたしは目を覚ました。爽やかなアリゼ(貿易風)が椰子の葉をそよがせている音だ。
赤いブーゲンヴィリア、ピンクのティパニエ(プルメリア)、そして白いティアレ・・・咲き誇る南国の花々の香りの中でいいようのない充実感と幸福感に包まれた。

だが、次の瞬間、わたしは信じがたい現実に直面してしまった。
わたしのベビーたちの姿が忽然と消えている。
いったいどこへ行ったの?

わたしは必死になって探し回った。
床下、物置き、庭の隅々・・・

そして、ハッとした。
トトラが隣の崖の下を覗きこんでいる。

「ちょうど、うちの隣の崖の下が空地になっているの。だから、生れ落ちるや、まだ目が開かないうちに、そこに放り投げるのよ」

ご主人の声が脳裏に甦る・・・。

(そんな、バカな・・・)

わたしはトトラのそばにとんで行き、崖の下を覗こうとした。

[見ない方がいい]

トトラはそういうけど、でも、今こそわたしは勇気を出して確かめなければならない。
わたしのベビーたちがどこにいるのかを。

わたしは勇気を振り絞って、崖の下を覗いた。
するとその空き地には・・・

ご主人が捨てた生ゴミが散らばっている。
よく目をこらして見ると、子猫の残骸が何体も何体も転がっている。
野鼠にかじられ、鳥についばまれ、腐り、干乾び、骨になり・・・。

そして、ついに見つけた。
目も開かぬわたしのベビーたちがゴミの中に投げ捨てられ、ベビーたちの死体に蟻が群がっている。
この子たちも、野鼠にかじられ、鳥についばまれ、腐り・・・

そう思うとわたしの体中に悲しみがこみ上げ、代われるものなら代わってやりたい、あの子たちのそばにいてやりたい・・・
わたしの体は、崖の向こうに一歩踏み出していた。
片足が宙を踏みグラッと体が揺れた。
その時、トトラがわたしの体の上に覆いかぶさった。

(行かせて・・・)

わたしは絶望的な目でトトラに懇願した。
しかし、トトラは首を横に振った。

[きみまで失いたくない・・・]

わたしはどうすればいいの?
わたしはあの子たちに死の苦痛を味あわせるためにだけに、あの子たちを生んだの?
あの子たちのために何が出来るの?

わたしは泣いた。
宇宙の果てにいるかもしれない神様に、わたしの悲しみが届くようにわたしは泣いた。声が涸れるまで。

わたしの体は軽くなった。
あの子たちがいなくなっただけじゃない。わたしの魂の一部も欠けてしまったから。

ママだけはそんなわたしの悲しみを察してくれて、塞ぎこんでいるわたしに自分の犬小屋で休むようにと言ってくれた。

わたしはママの犬小屋に入って目を閉じた。
ああ、なんだか、とても懐かしい匂いがする。
生まれる前から知っているようなママの匂い。

「あら、タマってば、ミツの犬小屋にいれば、ミツになれると思ってるんだわ。あんたはどこまでいってもミツにはなれないの。バカな犬。これから天邪鬼タマって呼んでやろうかしら」

ご主人は愉快そうにカラカラと笑った。
本来、ご主人が喜ぶことは犬にとっても喜びである。
だけど、今のわたしは喜べない。悲しみのほうが大きいから。

わたしはご主人から顔を背けようと体を動かした。
その時、わたしは初めて気がついた。
わたしの乳房から母乳がにじみ出ている。

あの生まれる前から知っている懐かしい匂いは、わたしの体から出ていたのだ。

わたしの目から、ポタポタと涙がこぼれ落ちる。
わたしは犬。
なのに、涙がとまらない・・・。

わたしは犬。
人間は神様なのですか?
私の子犬たちの命を、放り投げて殺すというのは人間だけに許された権利なのですか?
それがあなたにとって自然を大切にするということなのですか?
自然であること、野生であることが動物にとって本当に幸せなことだと思うのなら、なぜ“動物を飼う”という不自然なことをするのでしょう?
もし、動物と人間がいい関係で共生できるとして、ならば、せめて、あの子たちに恐怖と苦痛を味あわせなくて済む方法はなかったのですか?

いろんな疑問が脳裏に飛び交う。だが、ご主人にそう問うすべもない。
わたしは犬だから。

今、私が分かっていることは“極楽と地獄は紙一重”だということ。
やはり、涙がとまらない・・・。

表に数台の車がやってきた。
動物愛護協会の車と警察の車と通報者の車。
ちょうど通りかかった人が、ご主人が子犬たちを崖の下に放り投げるのを見て、通報したのだ。
トトラが彼らを崖の方に案内して行く。

ああ、まだ希望は残っている。
すべての犬や猫が、二度とこんな辛い思いをしなくていいように・・・。

おわり

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創作:「天邪鬼タマ」の独白(参考)

参 考

■この創作のモチベーションになった事件の経過が詳しく載っています。

「子猫殺し 坂東眞砂子」
 http://news.80.kg/index.php?%B5%B4%C3%DC%BB%D2%C7%AD%BB%A6%A4%B7%BA%E4%C5%EC%E2%C3%BA%BD%BB%D2#n1ae18e5

■仏領ポリネシア(=タヒチ)にも動物愛護団体「Fenua Animalia(主要ポリネシア動物愛護協会)」があり、動物の保護や繁殖の問題に熱心に取り組んでいます。

「FENUA ANIMALIA」HP
http://www.fenua-animalia.org/FA/index-us.htm

和訳してHPを読むと「虐待は、法律によって罰せられます」とハッキリ書いています。

■「J-CASTニュース 「子猫殺し」直木賞作家 タヒチ刑法に抵触か」によると
http://www.j-cast.com/2006/08/28002728.html

「Fenua Animalia(主要ポリネシア動物愛護協会)」によれば、「子猫殺し」にはフランス刑法「art.R655-1」が適用されるという。
これには、「むやみに、飼っているあるいは管理している動物を意志を持って殺害すると762.25~1,524.5ユーロの罰金(再犯の場合は3,049ユーロまで)が課される」とある。

「むやみに(必要なしに)」が該当すれば、あきらかに「違法」だ。
また崖から突き落とす行為が「残虐行為」に該当すれば、「禁固2年と30,000ユーロの罰金」が該当し、さらに罪は重くなる。

J-CASTニュースがコンタクトをとった同協会副会長のエリックさんは、「子猫殺し」のエッセイで描かれた行為は、「個人的な安楽死行為」にあたり、フランス刑法「art.R655-1」が適用され、「法律に触れる」と見ている。

「ペットの安楽死は獣医にのみに許されている行為です。個人によるすべての安楽死行為は法によって虐待とみなされ、最も重い刑を科されます」
しかし、こうした事例によって実際に法が適用されて処罰されるケースは日本と同様にタヒチでもほとんどないという。

タヒチ観光局では、坂東さんの「子猫殺し」のエッセイに対して次のよう述べた。

「すごく残念です。結果的にタヒチに対して悪いイメージを持たれたかもしれない。坂東さんが持っていた意志とは違った意味で捉えられてしまったのだと思います」

タヒチの動物愛護団体も観光局も、「タヒチでも到底受け入れられることではない」といった思いが強い。法的にも、倫理的にも、である。

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