2015.12.05

日独合作映画『新しき土』~一つのフィルムからファンク版と伊丹版の2つのバージョンが作られたその原因と時代背景~

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『新しき土』(The new earth:ドイツ語版タイトル Die Tochter des Samurai=侍の娘)

製作:1937年(日・独)
監督・脚本:アーノルド・ファンク、伊丹万作
撮影: リヒャルト・アングスト、上田勇
音楽: 山田耕作(作詞:北原白秋)
撮影協力:円谷英二
製作:東和商事映画部、J.O.スタヂオ、Dr. Arnold Fanck-Film

出演: 原節子/早川雪洲/ルート・エヴェラー/マックス・ヒンダー/小杉勇/英百合子/中村吉次/高木永二/市川春代/村田かな江/常盤操子



【あらすじ】
8年間の欧州留学を終えた大和輝雄(小杉勇)は恋人でもあるドイツ人女性ジャーナリスト、ゲルダ(ルート・エヴェラー)を伴って帰国する。日本では許嫁(いいなずけ)の光子(原節子)が輝夫の帰りを待ちわびていた。貧しい農夫の息子だった輝雄は、名門の大和家の養子になり、将来、一人娘の光子と結婚することになっていた。
東京のホテルで光子とその父の大和巌(早川雪洲)に温かく迎えられた輝雄。だが、西洋文明の影響を受け、古い日本的因習は忌むべきものと考えるようになった輝雄は許嫁という慣習に反発を覚え、その気持ちを光子と巌に告げる。そんな輝雄を見たゲルダは光子に同情し、輝雄の姿勢を非難する。
光子と巌と入れ違いにホテルを訪れたのは、実父・神田耕作(高木永二)と実妹・日出子(市川春代)だった。二人はすっかり変わってしまった輝雄に驚く。兄を思う日出子は欧州にかぶれた輝雄の目を覚まさせようと東京の街を連れ回し、彼が幼い頃教えを受けた老僧のもとへ連れていく。老師の言葉は輝雄の目を開かせた。
一方、大和家では巌と光子の婚約解消について親族会議が開かれていた。絶望した光子は、ひとり婚礼衣装を胸に抱いて噴煙を上げる山を目指し、火口に身を投げようとする。
ゲルダから光子の本心を聞かされた巌は光子の後を追って火山を登る……。


【監督について】

◆アーノルド・ファンク(Arnold Fanck、1889年~1974年)
ドイツの山岳映画の巨匠。
第一次世界大戦で荒廃したヨーロッパで、ダイナミックな自然美を背景にした作品を撮る。処女作『スキーの驚異』(1922)をはじめとしたサイレント映画時代から山岳を主題とした映画を撮り、多くの観客を魅了。映画ファンのみならず、山岳家、スキーヤーを始めとする一般スポーツマンにまで幅広い支持を集めた。
『聖山』(1926・無声)で、ダンサーだったレニ・リーフェンシュタールを主演に起用。レニ・リーフェンシュタールは後に監督としてナチスのプロパガンダ映画『意志の勝利』(1935)やベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』(1938)を撮影。


◆伊丹万作(1900~1946)
日本映画の礎となった監督の一人。
1927年、谷崎十郎プロに俳優として入社。翌年、伊藤大輔の推薦で片岡千恵蔵プロダクションに脚本家兼助監督として入社し、自身の脚本による『仇討流転』(1928・無声)を初監督。その後『春風の彼方へ』(1930・無声)、『花火』(1931・無声)、『国士無双』(1932・無声)など、機知に富んだ作品を次々と生み出す。
新興キネマで、トーキー第1作『忠次売出す』(1935)を作った後、千恵プロに戻ってナンセンス喜劇『気まぐれ冠者』(1935)を監督。ファンクはこの作品を見て伊丹を高く評価。1936年、志賀直哉の短編を縦横無尽に脚色した、日本映画史に残る傑作『赤西蠣太』が生まれる。


【キャストについて】

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◆原節子(1920~2015)
「永遠の処女」と呼ばれ、戦前から戦後の日本映画の黄金時代に活動。代表作に『わが青春に悔なし』(1946年 黒澤明)、『青い山脈』(1949年 今井正)、『めし』(1951年 成瀬巳喜男)、『東京物語』(1953年 小津安二郎)など。
1963年に女優業を引退し、以降、2015年に逝去が伝えられるまで表舞台には一切姿を表さなかった。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の第1位に輝いた。
1936年、山中貞雄監督『河内山宗俊』の撮影中に見学にきたアーノルド・ファンク監督の目にとまり、初の日独合作映画『新しき土』のヒロイン役に抜擢される。



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◆早川雪洲(1886~1973)
日本を代表する国際スター。1907年、21歳で単身渡米、1910年代に草創期のハリウッドで映画デビューして1915年セシル・B・デミル監督の『チート』(The Cheat)で一躍トップスターに。日本人排斥運動や二度の世界大戦、私生活での混乱などによるキャリアの中断を挟みながらも、晩年の『戦場にかける橋』(1958)でアカデミー助演男優賞にノミネートされるなど半世紀以上にわたって活躍した国際的映画俳優。

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◆小杉勇(1904~1983)
内田吐夢監督『生ける人形』(1929)で強烈なヒーロー像を演じ、大ヒットした『人生劇場・青春篇』で青成瓢吉を演じた、日活を代表するスター俳優。戦後は映画監督に転じ、東横映画、東映を経て、日活で数多くの娯楽作品を撮った。その一方、俳優としても他監督の作品にも出演。
『新しき土』でのその容貌に関しては、「海外に出すにはあのまま」では「誤解を招く惧れあるのみ」と当時の新聞評に書かれている。欧米の美男俳優に遜色ない、眉目秀麗な二枚目を起用せよと。
しかしファンクが主人公の輝雄に求めたものは、農民の出自を感じさせる風貌、雰囲気であり小杉勇はその点ファンクのイメージ通りだったと思われる。


【エピソード】
◆製作費
六十万円という巨額の制作費。(現在の額で12億~18億円)
ドイツ側(政府)
ゲッベルスは『新しき土』のために三十万円支出。
日本側(民間出資者)
川喜多長政:東和商事社長
大澤義夫:J・Oスタジオ専務
樺山愛輔:日本プレミアを主催した国際文化振興会理事長。伯爵。長男は当時J・Oスタジオ取締役、樺山丑二。
政府が全面的なバックアップをしているドイツとは異なり,日本での興行リスクは一民間人に負わされていた。


◆映画技術
◇ズーム・レンズ
昭和11年の「キネマ旬報」ではファンクを囲んだ座談会「アーノルド・ファンクと語る」を掲載。その中で日本の映画人が一番興味をもったのは,ファンクの芸術的センスではなくて,彼の持ってきたズーム・レンズだったという。
ズーム・レンズは『イット』(1929年・米)以来、欧米の映画で普及していたが、実物が日本にもたらされたのはこれが初めてだった。このズームレンズは1万3000円(現在の価格で約3000万円)というとてつもなく高価なもので、このレンズをファンクは二台もってきていた。


◇スクリーン・プロセス撮影
ドイツにはなかったスクリーン・プロセス撮影(特殊撮影技術の一つ)が、若き日の円谷英二の手によって行われた。当時は未だ特撮という言葉は使われていなかったため、円谷英二の名前は撮影協力としてクレジットされた。


◆シナリオ
ファンクはドイツから日本に向かう諏訪丸船上で、シナリオの第一稿「東の風・西の風」を書き上げていた。これは当時欧米で広く読まれていたパール・バックの同名作品を下敷きにしたものだった。

伊丹は,持ち味のシナリオに自信が持てないという理由で,再三,参加要請を固辞した。
最終的には伊丹が折れて,協同監督に就任することになるが,伊丹の危惧は不幸にも的中する。
製作が進行する中で二人の監督の見解はいよいよ相違し,事態は収拾がつかない所までもつれた。
作品の芸術的価値を基準とする日本側スタッフと、国家の認証を基準とするドイツ側スタッフとの間には、越えがたい溝があった。
ついにはファンク版,伊丹版を別途製作することで,決着をはかることになった 。

なぜドイツ側は伊丹万作の起用を強硬に主張したのか。
ファンクがストーリーを極力切り詰める監督であることは,すでに定評となっていた。
その欠点を補うため、かつて『死の銀嶺』ではG.W.パプストが共同監督に就いて成功を収めた。
ドイツ側は伊丹万作には『死の銀嶺』におけるパプストの役回りが期待されていたのではと言われている。

映画の冒頭に伊丹版では観客の反発を見越して、ファンク版にはない字幕を付け足した。
「これは日本を訪れたあるドイツ人が、彼の見聞を基礎にして作った一つの夢である」

ファンクは映画の完成を記念して、ドイツのプレス記事を集め、また映画の成り立ちを綴った文章を収めてベルリンで『記念帳』を私家出版した。
序文には、伊丹万作にあてた感謝の言葉が記されている。


「親愛なる伊丹さん  あなたは私の撮影の援助者である立場に加え、あなたが考え出したわけでもなく、また本質的に違和感を持たざるを得ないテーマについて御自分の版を製作される決心をされました。そのとき以降、あなたは初めから望みのない課題の前に立たされてしまったのです。
あのときのあなたを、今はっきりと理解できる唯一の人間は、ひょっとしたら私だけかもしれません。
そしてとりわけあなたを悩ましたのは、御自分のものではない映画の様式でした。私自身、芸術家ですので、いかなる芸術上の理由から、当時の私を不意打ちにしたこの決定をなされたのかはよく理解できました。もっともそれがあなたに悲劇的な運命をもたらすのではないかと初めから案じていたことも事実であります。


中略


すなわち、貴国日本をわがドイツの観衆に少なくともある程度合点させるためには、単純化した視点で、数千キロの高さから見下ろさねばならず、日本人の心の襞にわけ入ることは諦めねばならなかったのです。むろん私は芸術家ですから、個人的には共感をもってそれを観察していたわけなのですが。しかし初めて日本人を理解しようとするヨーロッパの多数の観衆に、それを求めることはできない相談なのです。
ドイツで試写会のあった日、宣伝相ゲッベルスは,武者小路駐独大使の晩餐会の席上,ファンクを前にして,(ファンク版について)次のような批評を口にした。


「此の次の映画にはもっと確りした脚本を準備し給え。一貫して纏った力強い筋が映画には一番大切なのだ。美しく変った景色や風俗の異った人間の陣列も一度は観衆の興味をひくが二度と繰り返すべきではないよ。」
さらに、ゲッベルスは当日の日記に次のように書きとめている。


「夕刻カピトール座にて独日合作映画『サムライの娘』の初演。独日協会主催による大々的な公式行事。映画は幻想的な映像を駆使し、日本人の生活と思想について好印象を与えるもの。また筋もまあまあ。しかし耐えがたい長さ。映画の魅力を著しく損なっている。すぐにハサミをいれる要あり、厳格に。」


【作品内容について】


  


◆富士山のふもと辺りに住んでるようなのに、なぜか家の裏に厳島神社(広島県)があって、鎌倉の大仏みたいなのもあったり、また一方には、噴煙を上げる浅間山(?)があったり...
富士山と厳島と浅間山がわけのわからない感じでつながっていたり(日本の地理を無視)
◆横浜に行く船が、まもなく松島の風景を横目に進んだり
◆輝雄とゲルダが夜の東京をタクシーで見物すると、大阪梅田の阪神電車のイルミネーションが光っていたり、あるいは二人の泊まるホテルが甲子園ホテル(ライト門下の遠藤新設計)だったり
◆輝夫の妹・日出子の勤め先が大阪の大阪紡績(現・東洋紡)

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◆富士山(浅間山?)が爆発して、原節子が草履で、さらに輝夫が足袋のまま噴煙もうもうたる火山に登って行くというようなあり得ないシーン。
◆冒頭いきなり地震の場面もある、地震で倒壊する日本家屋は、円谷特撮。
日本を知らない人が見たら、やたらと景色がいい国だが、年中地震が発生して、安心して住めない所との印象を与えてしまいそう。
日本人が観たら「ここはどこ?」「なんでこうなるの?」のオンパレード。


なぜ、こんなトンデモ映画になったのか、その答えは、時代背景にある。


【時代背景】
1925~1926年(大正14~昭和元年)アドルフ・ヒトラー『我が闘争』出版
第1巻第11章: 民族と人種
アーリア人種を文化創造者、日本民族などを文化伝達者 (Kulturträger)、ユダヤ人を文化破壊者としている。日本文明を、欧州文明の模倣に終始する亜流と位置づけている。
外交政策ではロシア(ソビエト連邦)との同盟を「亡滅に陥る」と批判し、「モスコー政権〔モスクワ政権〕は当にそのユダヤ人」であるとしている。また、ドイツが国益を伸張するためには、貿易を拡大するか、植民地を得るか、ロシアを征服して東方で領土拡張するかの3つしかないとし、前者二つは必然的にイギリスとの対決を呼び起こすため不可能であるとした。これは東方における生存圏獲得のため、ヨーロッパにおける東方進出(東方生存圏)を表明したものであり、後の独ソ戦の要因の一つとなった。


1931年(昭和6年)満州事変
ドイツは日本を非難する側に回っており,満州国も承認していなかった


1932年(昭和7年)
ヒトラー『我が闘争』日本語版出版(日本での最初のタイトルは『余の闘争』坂井隆治訳)


1933年(昭和8年)  ヒトラー内閣が発足
3月 ユダヤ系の社員を解雇してウーファを一変させる。
6月 帝国映画院(Reichsfilmkammer)を設立、ユダヤ系や外国人を排除して映画業界をコントロール。

1934年(昭和9年)2月 ドイツ「映画法」制定
強制的同一化のプロセスの一環として、ドイツのすべてのプロダクションはゲッベルス管轄下の国民啓蒙・宣伝省に属する帝国映画院の下に置かれ、映画産業に従事するすべての人々はReichsfachschaft Filmのメンバーでなければならなくなった。


アーリア系でない映画人や、政治的また個人的にナチに受け入れられなかった映画人は業界から締め出されることになる。これによって約3,000 名が影響を受けたと見られている。加えて、ジャーナリストたちも宣伝省の下に組織されることになり、
同年 8月 ヒンデンブルク大統領死去に伴い、大統領の権能をヒトラーが個人として継承(総統)
ヒトラーは人種主義、優生学、ファシズムなどに影響された選民思想(ナチズム)に基づき、北方人種(アーリア人)が世界を指導するべき主たる人種 (de) と主張。


1935年9月15日ニュルンベルク法制定
「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」と「帝国市民法」の総称。
ユダヤ人から公民権を奪い取った法律として悪名高い。
ニュルンベルク法や経済方面におけるアーリア化など、アーリア人の血統を汚すとされた他人種である有色人種(黄色人種・黒色人種)や、ユダヤ系、スラブ系、ロマとドイツ国民の接触を断ち、また迫害する政策を推し進める。
ドイツ民族であるとされた者でも、性的少数者、前衛芸術、障害者、ナチ党に従わない政治団体・宗教団体、その他ナチスが反社会的人物と認定した者は民族共同体の血を汚す「種的変質者」であるとして迫害・断種された(生きるに値しない命)。


1935年(昭和10年)
合作映画の構想は,日独協会の設立者の一人でもある,在ベルリン海軍武官事務所勤務の酒井直衛とハックの会話から生まれた。
ドイツ人の監督に日本人の俳優を使って日本映画を製作してもらったらどうだろう、ドイツ人監督の感覚で日本をとらえれば、観客にもアピールするのではないか。この酒井のアイデアに共感したハックはすぐに友人のファンクに連絡をとった。


日独双方には協定に反対する勢力が存在し,交渉の前途は難航が予想された。日独合作映画の企画には,文化交流によって政治交渉を側面援護する意図が込められていた。

日本の川喜多長政に話をもちかけたのはハック。ハックはすでに日独協会理事としてゲッベルスに接触し,十万マルクの資金援助をとりつけていた。
7月 川喜多長政がファンクやテラ社との交渉のために,ベルリンへ。
9月17日ハックが初めて駐独陸軍武官の大島浩と,日独協定問題について会談。
この頃,『新しき土』のプロジェクトはすでに動き出していた。


『新しき土』は,ドイツ政府の外交政策が反日から親日へ転換したことを国民に告げる役割を担っていた。
ファンクに与えられていた課題は,ドイツの新たな友邦を国民に紹介することだった。


1936年2月8日 ファンク撮影隊の訪日

日独軍事協定締結交渉の秘密使命を戴した政商フリードリヒ・ハック(日本海軍に武器を納入する貿易商)が同行。


1936年11月25日 日独防共協定が締結
スターリン率いるソビエト連邦への対抗を目指す。
ヒトラーは、日本を同列の文明国と見て防共協定を結んだわけではない。東方の生存圏獲得という大目標がなければ、日本に特別の関心をもつことはなかった。


1936年(昭和11年)11月27日ドイツ「藝術批評禁止法」を公布。

映画批評は禁止されFilmbeobachtung(「映画報告」)に取って変わられた。
ジャーナリストたちは映画の内容をリポートすることだけを認められ、作品にいかなる評価を下すことも出来なくなってしまった。


1937年(昭和12年)2月末
『新しき土』が日本で記録的なヒット。ハックは日本国政府より勲四等旭日小綬章を贈られる。


1937年3月10日
ナチス対外組織部東京支部長ルードルフ・ヒルマンは「ハックの滞日中の行動に関し、機密情報漏洩の疑いがある」という告発文をベルリンの本部に送る。


1937年3月23日『新しき土』ドイツ公開
宣伝省の通達によりヨーゼフ・ゲッベルスとアドルフ・ヒトラーが自ら検閲して最終許可を与えたことが大々的に報じられる。
ベルリンでの試写会の翌日、宣伝相ゲッベルスは『新しき土』に最高映画賞を与えた。
最高映画賞を与えることによって,国家の意思を国民に伝えたのだ。


1937年7月
ハック、ゲシュタポによって逮捕される。ナチスドイツでは党,軍,官僚組織の激しい権力闘争があり、ハックは統合参謀本部防諜部のラインに繋がっていた。


1937年の暮れ
日本海軍の尽力でハックは釈放。ひそかにスイスに亡命した。
やがて太平洋戦争に突入する日本にとって,以後ハックは貴重な情報提供者となる。


1937年11月6日  日独伊防共協定


1937年12月
『わが闘争 アドルフ・ヒットラー』 大久保康雄訳出版
日本人に関する差別的記述は削除されての出版だった。


1938年(昭和13年)独満修好条約によって満州国を正式承認


1939年(昭和14年)日本「映画法」制定
昭和10年以降、日中戦争遂行や総力戦体制構築のため、軍国主義政策を推し進める。映画も例外ではなく、この法律によって、日本の映画も娯楽色を極力排除し、国策・軍国主義をうたった映画を強制的に製作させられることになる。台本の事前検閲、映画会社(製作・配給元)の許認可制、ニュース映画・文化映画の強制上映義務、また外国映画の上映も極力制限された。


1939年 独ソ不可侵条約 
 
ソ連との秘密協定を元にポーランド侵攻を開始。同9月3日にはこれに対してイギリスとフランスがドイツへの宣戦布告を行い、これによって第二次世界大戦が開始された。10月中にポーランドはほぼ制圧され、ヒトラーの視線は西に向かった。
ナチスドイツは一時的に領土を拡大。この戦争の最中でユダヤ人に対するホロコースト、障害者に対するT4作戦などの虐殺政策が推し進められた。


【個人的感想】

歴史の流れを見れば一目瞭然。
生存圏獲得で対ソ連を目標にしていたナチスドイツは、日本に目をつけ日本と組もうとした。しかし、ナチスの人種主義では黄色人種の日本は劣等国。そんな国と手を組むことに国民からの反発が予想される。


そこで、日本がドイツと手を組むにふさわしい、いかに素晴らしい国であるかをドイツ国民にアピールする必要がある。そのために企画されたのがこの映画だった。
日本が伝統のある美しい国であることを強調、同時にヨーロッパにはない夜のネオンサインの光の洪水や工場を見せることで工業・産業的にも先進国であることのアピール、さらに、(ココが大事)地震国で国土も狭い日本には新しい土(満州国)が必要であること……ということで、この映画の大テーマは日本の満州国を認めることにより、ナチスドイツの領土拡大をも肯定することにあったのです。
まさに、ナチスドイツの国策映画だったわけで。


伊丹監督がこのシナリオに納得しなかったのももっともです。別バージョンが作れたことは奇蹟のような気もする。日本が舞台だったからこそできたことで、ドイツが舞台だったら、即収容所送りになっていたかもしれない。

ファンクの地理を無視したトンデモフィルムを、少しでも整合性のあるようにと編集し直した伊丹版だったが、日本での1週目の試写会ではぼろくそに言われたそう。どんなに編集し直しても日本人からみたら地理的にあり得ないことが多すぎたから。

2週目の試写会ではファンク版が上映。ファンク版のほうが断然評判が良かった。伊丹版の地理のデタラメぶりを先に知っている観客は、伊丹版に輪をかけたような地理無視には慣れてしまっていて、伊丹版よりも長い部分、たっぷりと山の情景などを見せたファンク版。さすが山岳映画の巨匠ファンク。


ゲッペルスはファンク版を見て「耐え難い長さ」と一刀両断だったが、日本の観客は壮大な火山や美しい日本の情景描写に引き込まれファンク版を支持したというわけ。


私が観たのもファンク版。できれば伊丹版も見てみたい。


さて、『新しき土』での原節子さんは本当に素晴らしかった。
『河内山宗俊』ではしっとりとした美しさゆえか、どうしても16歳には見えなかったが、『新しき土』の中ではしっとりとした美しさに加えて、可愛く、はつらつとした16歳の原節子さんをたっぷりと見ることができた。

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                       河内山宗俊


以下、『新しき土』

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映画の成り立ちはいろいろあったとしても、こんなにも美しく生き生きとした16歳の女優が日本にいたことが再確認でき、この映画を観て本当に良かった。


【余談】
ファンク監督のこの地理無視の編集って、ロシア・モンタージュ理論の元祖レフ・クレショフ(エイゼンシュテインの師匠)の「創造的地理」の概念?

別々の実在の景観の「要素」を組み合わせることにより、ありもしない景観が合成される。
つまり任意のショットによって任意の空間が生み出される「創造的地理」という映画独自の概念。


この映画一本で世界史、映画史をたっぷり勉強できた……

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2015.07.19

金子兜太さんの語るトラック島のエピソードの中に元日本放送作家協会理事長の故・西沢実(西澤實)先生のお名前を発見

Listening:<戦後70年>「国のため死んでいく制度は我慢できぬ」 俳人・金子兜太さんインタビュー

2015年06月23日


金子兜太さんの語るトラック島のエピソードの中に元日本放送作家協会理事長の故・西沢実(西澤實)先生のお名前を発見。

以下引用・・・

 サイパン島が陥落したとき、矢野兼武(海軍主計中佐。詩人で、筆名・西村皎三=こうぞう)という元上官が戦死したんです。この人が「金子、句会をやれ。(戦況悪化でトラック島は孤立し)今に食糧が逼迫(ひっぱく)する。皆が暗くなる」と言っていたことを思い出した。その遺言に従い、句会を開きました。

すると散文詩をやっていた西沢実(戦後、放送作家)という陸軍戦車隊の少尉が、同僚将校を4、5人ほど連れてきた。最上級は少佐です。こちらは工員10人ほどですから、驚いた。しかし、西沢は「関係ねえ。おんなじ人間だ」。たったの3カ月でしたが、すっかりと打ち解けた。無季(季語のない句)も気にしなかった。ただ、戦場は戦場。神経は張り詰めていた。

引用終わり・・・

西澤先生が理事長の時、私も理事の一人として会議でお目にかかっていた。
見るからに紳士然としたあの西澤先生にそんな戦争体験があったということ、今になって初めて知りました。
憲法無視の安保法案、西澤先生なら何と言われるだろうか。

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西澤實先生プロフィール

大正7年1月2日生 長野県出身  

中央大学法学部卒

放送劇作家
http://www.liberty-feel.co.jp/bp/bre/ より


トラック島で終戦を迎える。

戦後は、NHK専属契約作家として活躍。架空実況放送「関が原」「タイタニック」「フランス革命」「古代オリンピック」等の脚本を書く。

芸術祭入賞作品ラジオドラマ「狐切支丹」舞台「裸の皇帝」等がある。

NHK時代、アナウンサー・ディレクター研修に係わる。

日本大学芸術学部放送学科の発足と同時に非常勤講師となり、以後40年間「放送脚本論」を講義。脚本ゼミから多くの脚本家を輩出する。

「言語表現研究西澤ゼミ」話芸集団「ぶれさんぽうず」を主宰し、文化庁主催芸術祭にも参加。

元日本放送作家協会理事長・文化庁芸術祭文部大臣選奨審査委員・日本民間放送連盟民放大賞中央審査員。現放送番組センター理事・NHK全国高校放送コンテスト(ドラマの部)審査員長。

放送界への功績により、昭和59年紫綬褒章、平成3年勲四等旭日小綬章受章。平成8年NHK放送文化賞受賞

平成12年春、「創始期ラジオドラマとラジオドラマのことば研究」の論文により芸術学博士となる。

著書に「脚本とは―その歴史と実際」「ラジオドラマ集―富士怒る」「ラジオドラマの黄金時代」「西澤實の朗読の教科書」西澤實 朗読・話芸脚本集「へんな本」上下巻 等がある。

2013年(平成25年)7月2日 死去 享年95歳

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2015.07.18

アベ政治を許さない!!

Abe

アベ政治を許さない!! 
同じポスターを全国一斉にかかげよう
7月18日(土)午後1時きっかり

ネットから賛同します!

憲法を都合のいいように捻じ曲げて、誰が見ても明らかな『戦争法案』をごり押しで通そうとする自民党・アベ政権!

気が付けば若者たちが戦場へ・・・そんな法案は絶対許せない!!!

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2011.05.09

緊急シンポジウム 「原発事故とメディア」へ

遅ればせながらUP。
先週、緊急シンポジウム 「原発事故とメディア」へ行ってきました。

    日時:2011年4月30日(土)午後1時30分~4時30分
    会場:新宿区立新宿歴史博物館講堂

    基調講演:広河隆一さん(フォトジャーナリスト)

     パネリスト:渡辺実さん(防災・危機管理ジャーナリスト)
              後藤政志さん(元東芝原子炉設計技術者)
            寺尾克彦さん(福島放送労働組合)

    コーディネーター:砂川浩慶さん(立教大学准教授)

    主催:メディア総合研究所/開かれたNHKをめざす全国連絡会


◆基調報告 広河隆一氏① 約13分
       http://www.ustream.tv/recorded/14370665 
◆基調報告 広河隆一氏② 約30分
       http://www.ustream.tv/recorded/14370938
◆基調報告 広河隆一氏③ 約20分
              http://www.ustream.tv/recorded/14371478
◆ ~ パネルディスカッション① 約30分
◆パネルディスカッション② 約50分 
              http://www.ustream.tv/recorded/14372372 
◆パネルディスカッション③ 約45分 
              http://www.ustream.tv/recorded/14372880

 四谷駅から会場に向かい始めたところ、先に会場に着いていた知人から電話。すでに立ち見も一杯でもう会場に入れないらしい。よって、知人は諦めて帰るとのこと。

 映画「COVE」シンポジウムの例もあるので、入れなくてもいいから行くだけ行ってみようと、新宿歴史博物館へ。
 途中、入場を諦めて帰る人たちとすれ違う。かなりの人数。

 それでも、とにかく会場に到着。やはり入れない。
 せめてレジュメだけでももらって帰ろうと思いコピーが届くのを待つ。
 で、遠方からわざわざ来た人もかなりいるみたいで、ロビーで音声だけでも聞けないかなどと交渉が始まる。
  先にも書いたけど映画「COVE」の時も会場には入れなかったけど、音声だけでもとお願いして、その結果、ロビーのモニターで映画とシンポジウムを見ることができた。
 なので、諦めずに交渉の輪に加わったところ、手を挙げた十人余だけだったら近くの事務所で音声だけ聴けるようにしてくれるとのこと。

 ということで、みんなで事務所に移動。着いたのは民放労連の事務所だった。

 USTREAMで生中継しており、広河隆一さんの基調講演を後半から視聴。

 チェルノブイリに50回以上行っているという広河さんのチェルノ・ルポ、それに今回の福島原発事故の現地ルポはUSTREAMやYoutubeでかなり観た。

 なので、今回は生の話が聞けることを楽しみにしていたんだけど、民放労連でモニターの準備などで時間がかかってしまい、広河さんの基調講演はまともに聴けず残念。

 パネルディスカッションは、まずパネリスト一人一人が自己紹介を兼ねて挨拶。

 元東芝原子炉設計技術者の後藤政志さんもUSTREAMやYoutubeでかなり視聴しており、動画で見た通りの、ブレのない語り口。

 パネルディスカッションは時々、厳しいブ゙ーイングが入ったりして、時々荒れ模様。

 特に、今回の震災では日本テレビのコメンテーターとして局に詰めていたという防災・危機管理ジャーナリストの渡辺実さんはマスメディア側の人間として認識されてしまったのか、時に激しいブーイングに晒されていた。


 テレビ出演を求められた後藤さんは、あらかじめ作られたシナリオ通りの発言しかできなかった、自分の意見を言おうとしても、司会者がシナリオ通りまとめようとして、自由な意見が言えなかったことを明かした。
 「ここ(テレビ局)は自分のいるべきところではないと思った」という言葉が鋭く突き刺さった。


 また、 福島放送のアナウンサーでもある寺尾克彦さんは今回の震災の取材の応援に駆り出されたという。そして、ローカル局とキー局の取材体制の違いについての話が意外だった。
 というのも、ローカル局の場合、地元に密着した取材で放射線を浴びる量も当然多くなる。なので、取材に入る範囲については局から××キロ以内には入るななどの制限があった。しかし、キー局の人間は一度取材に来て、サッと帰っていける。被爆量を気にしなくてすむのだという。
 地元局はキー局より深い取材をしているものと思い込んでいた私としては、その話は本当に意外だった。


 タイトルでありテーマである「原発事故とメディア(報道)」について、この一回だけではどうしても話し足りない印象だった。

 全体を通して感じたのは、今回の震災による原発事故で国民の間に脱原発・反原発の意識がすごく高まっているということ。

 四ッ谷駅まで一緒に帰った中高年の2人の女性は原発のことをすごく勉強しており、そのうちの1人、千葉から来たという女性は前日の明治大学で行われた小出裕章氏の講演にも行ったとのこと。


  それから、多くの人がマス・メディアの報道に大きなフラストレーションを抱いているということを強く感じた。
 事故を過小評価しようとする政府の発表をそのまま追認、まるで政府の広報であるかのごときマス・メディアの在り方への怒りと苛立ちがブーイングになったのではないだろうか。

【参考】

     宮嶋茂樹 情けないアリバイ工作取材

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2009.09.16

チェンジ! に期待

特集 鳩山内閣発足 時事ドットコム

16年ぶり 政権交代 時事ドットコム

鳩山内閣総理大臣記者会見 政府インターネットテレビ


政権交代のメリットの一つは、政府、官僚などの不正や癒着などそれまで覆い隠されていた事実が暴かれていくこと。
長期政権の闇の部分がどこまで暴かれ、是正されていくのか期待。


個人的には、どうしても納得できずにいるETCに関連して、高速道路がどうなるのか注目。
もちろん、年金問題や諸々、注目していることは多々あります。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

いよいよ日本放送作家協会の50周年イベントが間近に迫り、昨日、今日と準備で忙殺。


15日は荻窪で⑦さんと合流。⑦さんのお知り合いの演出家氏より脚本展に展示する脚本をお借りするために車で赤坂へ。

全国的に超有名なテレビドラマの脚本。各所に演出家の書き込みがあり、貴重な脚本です。



赤坂から北千住に向かい、脚本アーカイブズ準備室で私はまずは広報のお仕事。
全テレビ局のワイドショー関連にイベントご案内のFAXを。

準備室内では脚本展に展示する脚本のリスト作りやら荷造りやらで戦争状態。
広報仕事を早く済ましてこっちを手伝うつもりだったのに、結局、時間ギリギリまで掛かってしまう。



帰りは北千住から新宿経由で帰路へ。
新宿では赤坂とは別の⑦さんのお知り合いの演出家から寄贈していただいた脚本を受け取る。

こちらの脚本も演出家の書き込みがビッシリで、その当時のドラマ作りの熱が伝わってくるような感じ。
寄贈いただいた脚本の中には、某有名脚本家の手書きの差し込み原稿などが挟まっていたりして、資料としても貴重な脚本ばかり。



「脚本展」では、そんな貴重な脚本を多数展示しています。
18日~23日、どうぞお越し下さい!


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2009.09.12

『アトミック・カフェ』

「核なき世界」へ決意表明=対北・イラン決議の順守要求-安保理首脳会合の米議長案 9月12日時事通信

隗より始めよ。
核軍縮、ぜひアメリカから始めてください > オバマ様


実のところ、アメリカの一般大衆の核に対する意識は、1982年『アトミック・カフェ
(The Atomic Cafe)で描かれた頃とあまり変わってないのではと私は疑っている。


今でも、広島・長崎への原爆投下についてのインタビューで核兵器を「戦争を終わらせた兵器」として肯定的に受け止めているアメリカ国民は少なくないみたいだし。


アメリカにとって日本は遠い他国。その他国で核爆弾一発でどんな悲惨な地獄が出現したか、銃の国の人々には想像も出来ないことだと思う。


『アトミック・カフェ』は1982年アメリカで公開されたドキュメンタリー作品。
監督はジョージ・W・ブッシュの従兄弟で、マイケル・ムーアが師と仰ぐケヴィン・ラファティら3人。

1940~50年代のアメリカで放映された原爆、反共にまつわる政府製作の広報フィルムやニュース映像だけで構成、アメリカの大衆プロパガンダの実態を浮かび上がらせたラジカルなドキュメンタリー作品だ。

(ナレーションは一切なし。ラファティ監督は個人的信条として、ナレーションは「天の声」であり、映像そのままに語らせることがあるべき姿だとしてナレーションを排除。バックミュージックはすべて核兵器に関する音楽を使用)


この作品から見えてくる、当時のアメリカ人の核に対する意識・知識はもう笑うしかない。
プロパガンダの怖さを知るには最適の作品。

       アトミック・カフェ [DVD]

イラストの亀はバート君。
1950年代の初めにつくられた子供向け民間防衛映画『ダック&カヴァー(Duck and Cover・さっと隠れて頭を覆え)』の中で子供たちに原爆への対処法を説明するバート君。   

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                   輸入版09atomiccafe2

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2009.03.05

同じ穴のむじなだったりして

『かんぽの宿』売却疑惑がどこかにいっちゃいましたねぇ。

メディアも検察情報から小沢民主党代表を突いてばかりだけど、西松建設政治献金問題は突つきどころ満載。
洩れなく突ついて欲しいものですけど。

西松建設「新政治問題研究会」「未来産業研究会」
献金先一覧
  献金先 95~06年
全献金額※1
(※2+※3)
95~03年
推定
献金額※2
04~06年度
総務省届出分
献金額※3
【民主党】 計 4200万円
小沢一郎   ※4  4000万円 2600万円 1400万円
山岡賢次 200万円 . 200万円
. . . .
【自民党】 計 6632万円 . .
尾身幸次 2080万円 1680万円 400万円
加藤紘一 1400万円 . .
二階俊博 868万円 90万円 778万円
藤井孝男 600万円 200万円 400万円
森喜朗 500万円 200万円 300万円
藤野公孝 400万円 . 400万円
山口俊一 200万円 . 200万円
加納時男 200万円 . 200万円
中島真人 . . 200万円
川崎二郎 140万円 . 140万円
林幹雄 100万円 . 100万円
山本公一 114万円 14万円 100万円
古賀誠 16万円 . 16万円
渡辺具能 14万円 . 14万円
平成研究会(旧橋本派) . . 60万円
. . . .
【改革クラブ】 . . .
渡辺秀央 300万円 100万円 200万円
. . . .
【国民新党】 . . .
亀井静香 ※5 . 97~01年 約
1300万円
.
自見庄三郎 30万円 . .
. . . .
【自治体首長】 . . .
広瀬勝貞大分県知事 . . 100万円
石川嘉延静岡県知事 . . 100万円
阪口善雄吹田市長 . . 100万円
矢田立郎神戸市長 . . 30万円
村井仁長野県知事 . . 20万円

※1:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-01-26/2009012615_01_0.html
    
より。資金提供を受けた側の政治家の資金管理団体、関連政治団体、
    政党支部などの収支報告書を二つの政治団体の設立時まで遡って
    調べた金額。

※2:単純に(※1)の金額から(※3)の金額を引いたもの。

※3:総務省に届け出た政治献金。

※4:民主党岩手県連 900万円も含む

※5:http://yawanews.blog82.fc2.com/blog-entry-1073.html より
   元記事は東京新聞 2008年12月30日朝刊


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上記表以外で、西松建設がダミーに使っていた政治団体「新政治問題研究会」と「未来産業研究会」から献金を受けていたり、パーティ券を購入してもらっていた議員たち。

(議員リストは順不同。元議員や地方自治体の首長も含む)

阿部 正俊・甘利  明・石井 正弘・泉   信也・板垣 正・井上 孝・上野 公成
衛藤 晟一・大村 秀章・奥野 誠亮・小此木 八郎・越智 伊平・片岡 久議
亀井 善之・河村 建夫・菅  義偉・木村 義雄・後藤田 正晴・後藤田 正純
坂井 隆憲・桜井 新・清水 達雄・滝  実・武見 敬三・竹本 直一・竹山 裕
田村 憲久・棚橋 泰文・月原 茂晧・中川 昭一・中谷 元・中山 利生・林 芳正
細田 博之・堀之内 久男・松下 忠洋・三原 朝彦・目片 信・茂木 敏充
山崎 拓・山下 善彦・山本 公一・横内 正明

http://www.asyura2.com/09/senkyo59/msg/684.html より

細田さんも河村さんも山崎さんも、西松サンにはお世話になってるんだね。

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以上 『しだらでん』より転記

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2008.04.10

映画人九条の会 抗議声明

『プログ・しだらでん』に下記UPしました。

●「映画人九条の会」が抗議声明を発表

●備忘録:「ハリウッドの映画人は“戦争”を告発する」


 

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2008.04.09

映画『靖国』・・坊主憎けりゃ袈裟まで憎い?

『プログ・しだらでん』に下記UPしました。

  ●備忘録:映画「靖国」に政治圧力! & 映画『靖国』 予告編 

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『映画 日本国憲法』をご存知だろうか?

 昨年12月、初めて 「映画人九条の会」第2回交流集会 へ参加した時のこと。
会場で販売されていた書籍やビデオの中から、あまりにもダイレクトなタイトルに惹かれて購入したDVD。

 帰宅してそのDVDを見るまで、会場で私の隣に座っていた大きくて優しそうな外国人がこの作品の監督・ジャン・ユンカーマン氏だとは気がつかなかった。

 米国人で、流暢な日本語を話し、映画人九条の会代表委員でもあるジャン・ユンカーマン監督。

 この作品は、日本の『平和憲法』について世界の歴史学者や政治学者、人権運動家や映画監督などにインタビューしたドキュメント作品だ。
 GHQ民政局で憲法草案作成に携わった女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんもインタビューに答えている。

 女優・吉永小百合さんは、この映画に対して下記のようなコメントを寄せている。

  日本が世界一強力ですばらしい武器を持っていることを知っていますか。
  それは憲法第9条です。「映画 日本国憲法」をみて下さい。
  世界一の武器の秘密を教えてくれます。
                                吉永小百合(俳優)


 この映画だけでなく、ここ数年、外国人の撮った日本に関わる作品が続いて話題になった。

2005年
 「あんにょん・サヨナラ」


 日韓共同ドキュメンタリー。日韓共同で靖国神社の問題に取り組んだ世界初の
 ドキュメンタリー。
 
釜山国際映画祭で最優秀韓国ドキュメンタリー賞受賞。
 山形国際ドキュメンタリー映画際2005アジア千波万波特別招待作品

 監督は韓国の金兌鎰(キム・テイルKim Tae-il)氏

 恥ずかしながら、私はこの作品のことは知らなかった・・・

2006年
 「硫黄島からの手紙」

 監督: クリント・イーストウッド、製作: クリント・イーストウッド、スティーヴン・スピル
 バーグ、ロバート・ロレンツ、製作総指揮: ポール・ハギス

 紛れもないハリウッド映画。

2007年
  『TOKKO 特攻』

 日系二世のアメリカ人、リサ・モリモト監督作品。
 リサは日本に住んでいた叔父が「カミカゼ」パイロットだったことを知って驚き、アメリカで一般に信じられている「カミカゼ」のイメージの真実に迫りたいと思う。

 カナダのトロントで開催された北米最大のドキュメンタリー映画祭でプレミア上映され、大きな反響を呼んだ。北米の人々が持っていた「カミカゼ」のイメージとまったく違うものがそこにあったから。それだけではなくこのドキュメンタリーは、日本人が持っている従来の「特攻隊」のイメージをも変えるものだった。そこで急遽日本公開が決定されたという。

 外務省系のジャパン・ファウンデーション(独立行政法人国際交流基金)の制作助成作品。


  『ヒロシマナガサキ』

  日系三世のアメリカ人、スティーヴン・オカザキ監督作品。
 
広島、長崎への原爆投下から60余年を経た今、“原爆の被害に対する認識と関心を世界に呼び起こしたい”と、監督自身が日本で500人以上の人に会い、取材を重ねた。
 14人の被爆者、原爆投下に関与した4人のアメリカ人の証言を軸に、貴重な記録映像や資料を交え、広島と長崎における原爆投下の真実に迫る。
 被爆者の想像を絶する苦悩と真正面から向き合い、25年の歳月かけて完成された渾身のドキュメンタリー。

  アメリカのケーブルテレビ局・HBOドキュメンタリーフィルムの援助により製作。




 外国人の撮った上記の作品に、“上映中止”に追い込まれるような事態は起こっただろうか?

 『映画 靖国』に対して公開前の試写を要求した国会議員は、「政治的意図のある映画ではないか」と疑義を呈し、そのような映画に政府が資金援助する事を疑問視して、映画を見せろと迫ったという。

 『映画 靖国』は、文化庁所管の独立行政法人・日本芸術文化振興会より平成18年度芸術文化振興基金、記録映画、募集分の助成対象に採択されて750万円の公的助成金を受けた映画だ。

 映画『TOKKO 特攻』も外務省所管のジャパン・ファウンデーション(独立行政法人国際交流基金)の制作助成作品である。

 アメリカ人監督の作った映画『TOKKO 特攻』には黙んまりだったのに、中国人監督の作った『映画 靖国』はなぜ事前検閲するのか?

 中国人監督だからと、頭から反日というフィルターで見ているとしか感じられない。

 この『映画 靖国』は日本芸術文化振興基金の助成だけでなく、韓国釜山国際映画祭アジアドキュメンタリーネットワーク基金の助成作品でもあり、日本、中国、韓国の3カ国の協力により、真のアジア友好を目指す合作映画として製作されている。

 この作品に疑義を呈した議員達からみれば、中国に韓国が加わった作品となれば反日という言葉以外に想像力が及ばないのだろう。

 見る前に決め付けるな!

 といっても、政治と芸術の境界がつけられない人々にとっては、そんな言葉は無駄のようだ。

 作品がどうよりも、中国人監督の作った作品に日本が助成金を出した・・・それだけで頭に血が上っているらしく、何を言っても・・・坊主憎くけりゃ袈裟まで憎いらしい。

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2006.09.09

イラクとレバノン

先日はほぼ一日かけてイラク情勢をチェック。
6月半ばから更新が止まっていた「●最近のサマワ」を2ヵ月半分整理。

7月半ば陸上自衛隊が一応無事にサマワから撤退して、今さら更新? と一瞬思ったけれど、ある意味定点観測してきたので撤退まではきちんと整理しておこうと思って。

陸自は一応無事撤退できたけれど、航空自衛隊は名目米軍・国連軍関連輸送という以前よりもっと危険な任務を(戦闘地域で)継続して行っている。

「しだらでん」●最近のサマワ 6/17~9/5
http://see-saw.way-nifty.com/shidaraden/cat5089167/index.html

早くイラクに平和が訪れますよう・・・



イラクの昨今をチェックすると同時に、イスラエルvsレバノン、パレスチナ情勢も改めて辿ってみる。
ニュースのたびに断片的に見て来たレバノンの被害状況。

今回は特に子供達の犠牲が多く、胸が痛む。

レバノンの被害を伝えるビデオ
「To Lebanon With Love (More Time To Bomb)」

http://www.youtube.com/watch?v=ogiSMfjOrk0&eurl= 

名目中東和平のために行ったはずなのに、ユダヤ教のキッパ(帽子)を被った映像を世界に流し、アラブ社会を激怒させた無神経な首相がいる(言わずもがな・・・。この人は卒業旅行に忙しいらしい)

■9/8 22日までにレバノン完全撤退か=イスラエル(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060908-00000012-jij-int



これ以上、子供の犠牲者が増えませんよう・・・

そして、ゴラン高原でPKO活動の自衛隊員の皆様が無事でありますよう・・・

(「しだらでん」より転記)

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