2017.09.11

ちょっと変えてみました-Ⅰ

お久しぶりです……って1月からblog、ストップしたまま、もう秋……

時間だけは否応なしに、どんどん進んでいます。
と、また一つ歳を重ねて、時の速さをしみじみ。

ぼつぼつ、blog再開します。

最近ちょっと変化したこと。
一つは、朝食。

8月後半のある日の昼下がり、突然、猛烈な腹痛に襲われ、食中毒の症状が。
以後2日間、水しか飲めない状態に。
ポテサラのO157騒動の数日前のことです。
もちろん、ポテサラ食べてないし、原因は不明。
朝から冷たいボトルコーヒーばかり飲んでたし、体が冷えたのかも……。

そんなことがあって、食生活、ちょっと見直しました。
実は毎年、夏の主食はそうめん。
朝昼晩、そうめんでもOKなほどそうめん好きです。
(トッピングはいろいろ工夫して……)

しか~し、やはり栄養バランス悪くなるよね。
それが体の抵抗力、低下させてるのかも……などと考えて、
朝はシリアルに変えてみました。

★少し前にたまたま見たNHKの『ためしてガッテン!』でシリアルの栄養バランスの事やっていて、すっかり影響受けて……(^^;

 あ、『ためしてガッテン!』でおススメの
 「くねくね体操」と「がにがに体操」も、密かにやってますです、がにがに!

シリアルはいろんな種類があって、迷ったけど、いくつか試してみて、
私の結論は コレ ↓

Kellogg

2種類を混ぜて1食分にして、牛乳をたっぷりかけていただきます。

これで少しは、栄養バランス、マシになるかも。
放っておいても元気だった若い頃に比べて、食生活も気を付けなきゃと
しみじみ感じるこの頃。

さて、仕事頑張らなきゃ!

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2017.01.01

明けましておめでとうございます。

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今年も、超バタバタしながら新しい年を迎えました。
いつもながらの、我が家のお正月。
身体元気で、忙しいことは良いことです!


                      今の気持ち

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                 新しい年、頑張りましょう!!!

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2016.07.07

あの日から8回目の七夕

早いなぁ。あの日から8回目の七夕。

セントの8回目の命日。

8年前の7月7日のことを思い出すと、今でも泣いてしまう。

セントがくれた最大のプレゼントは笑顔。

泣いちゃいけないね、スマイルスマイル。

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                2000年 生後2か月で我が家の家族に

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            人見知りのラブ姉ちゃんは見慣れぬ生き物に超警戒

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                    少しづつ近づいて・・・

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              姉妹になりました(ラブもセントも女の子です)

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              それから5年後、丸々太った食いしん坊セント
              この後、クッシング症候群との戦いが始まり
                   よく頑張りました、セント
              そちらで、ラブ姉ちゃんと仲良くしててねlovely

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2016.04.01

まだら記(4)~DEAR MOTHER~気がつかなければ犯罪?!

久々に母が妹とお墓参りに。
帰りにスーパーに寄り、お買い物。
ここまで、何の問題もなかった。

問題は帰宅直後に起こった。

「立て替えてくれた分、渡しておくね」
と母は財布から折りたたんだお札を出して、妹に差し出した。

「別にいいのに・・・」
と思いつつ、お札を手にした妹は、一瞬、凍り付いた・・・。

なんと、その1000円札には“玩具銀行”の文字が!
はい、そうです。
母は、おもちゃのお札を本物と思い込んでお財布に入れていたのです。

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画像はhttp://blog.goo.ne.jp/kw1555/m/201402 さんより
ダイソーなどの100円ショップで売っているそう。


母はいったいどこでこの偽札(?)というかおもちゃのお札を手に入れたのか、早速、調査開始。

答えは簡単。デイケアセンターのものでした。
歌や踊りなどのボランティアが来た時に、通所者が“お捻り”として渡すのに、このおもちゃのお札を使っているとのこと。

母は、その時手にしたお札の、余った分を折りたたんで自分の財布に入れたらしい。本物の1,000円札と一緒に。玩具銀行札は本物に比べると一回りくらい小振りだが、折りたたむと「本物と勘違いするかも」と妹。

母はたまに一人ですぐ近くのスーパーやコンビニに買い物に行くことがあるので

「もし、本物と玩具の区別がつかないまま使ったとしたら、犯罪になる?」

と心配になったので、この件についてデイケアセンターに相談。
通所者が玩具銀行券を持ち帰らないよう、センターの方でも管理法を考えてくれるとのこと。

う~む、そこまで区別がつかなくなっているという事実はショック。

しかし、認知症になった人が「お金が失くなった!」「お金を盗られた!」と騒ぐことがあると聞くが、それはまだない。

認知症の人のお金への執着は「内面の寂しさ」も一つの原因らしい。
「自分を構ってもらってない」と感じるとお金に執着する傾向があるとのこと。

おもちゃのお金の大盤振る舞いは大いに結構!
母がお金のことを気にせず、大らかなまま毎日を過ごしてくれることを祈るばかり。

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2016.03.08

昨日は王子、今日は八王子・・・「八王子ラーメン」との遭遇で気分はちょっとだけエトランゼ

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昨日は京浜東北線の王子へ。

王子小劇場にて牡丹茶房 第四回公演「縋り雨」を観劇。

テレ朝アスク脚本講座の受講生の一人Fさんが、なんと女優さんとしてご出演。
彼女は東京芸大の大学院生で、いつも裏方担当と聞いていたので、その彼女がどんなお芝居をするのかドキドキ・・・

いつもは物静かな印象の彼女。舞台の前半は彼女らしい抑えた演技。が、しかし、後半の感情爆発のシーンで、ギリギリと胸をえぐられた。

舞台脚本も、キャラの変化が大きいほど、観客の心を動かすものなんだと改めて実感。

舞台で感情の揺れを体現した彼女が、これからどんな脚本を書いてくるのか楽しみ。

王子に降り立ったのは初めてだったけど、どことなく庶民的な街なのかな。
終演後、初めて舞台を見たという受講生のN君と、王子の街でちょいと一杯beer
が、歯が痛くて何も食べられず、ビールだけグイグイ。


で、今日は朝から八王子で健診。2年ぶりの八王子だ。
身長が154.8㎝・・・ウウッ、1㎝縮んでるshockと言っても2年前と同じ。
体重は昨日から何も食べられないせいもあって37㎏。
この何十年37~39㎏の間なので、まあまあ普通。

問題は骨密度。
腰椎の骨密度は同年齢平均より101%・・・安心じゃhappy01
しかし、大腿骨の骨密度が同年齢比較59%・・・いつ骨折してもおかしくない危険水域、らしいshockshockshock

同じ体なのに、なんでこんなに差が・・・・・・crying

適度な運動に、バランスの良い食事、そしてけ躓かないよう足元注意一秒ケガ一生danger
あまりのショックに、サプリ嫌いの私もグルコサミン・サプリを買って帰りました・・・。


健診を終えて、目指すは八王子ラーメン。
まだ歯は痛いけど、ラーメンなら大丈夫かもということで、昨夜、ネットで調べておいた八王子ラーメンの名店「タンタン」 を探す旅へ(大ゲサ・笑)

八王子は中央線で小金井から20分余。しかし、こっちの方に来ることって滅多にないし、前回は車で行ったので街探訪はしてない。今回、改めて八王子について調べていたら、八王子ラーメンに出くわした。

八王子ラーメンの特徴は醤油スープになんと刻み玉ねぎ !!!
こりゃ、食わずには帰れまい!!!

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八王子駅南口から地図を見ながら歩いていくと、とても地味目なお店「タンタン」発見。
行列ができるほどの人気店らしい。しかし、お昼12時を数分すぎた頃で店の前に並んでいる人はいなかった。だが、中に入ったら・・・全11席が満席。数分店内で待って、ようやく着席。
メニューはラーメン(並・大・特大)とチャーシューラーメン(並・大・特大)の6種類だけでシンプル。この時点でチャーシューは全売り切れとのことなので、並みラーメン(550円)を注文。

女性三人で切り盛りしているよう。テキパキとしていて気持ちいい。

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そして、いよいよ八王子ラーメン到着。一口目は玉ねぎの甘みと同時に醤油スープの醤油の味が強くて、「えっ、普通の醤油ラーメン?!」と思ったが、食べるごとにチャーシューの油がスープ全体に回って来て、醤油味がどんどんマイルドに、そしてコクのある事!

久々にラーメンを食して、これは美味い!と心から思いました。

素晴らしい八王子ラーメンとの遭遇。
機会があったら、また食べたい!


ささやかな旅を終えて、帰宅。現実に戻る。
グルコサミン・サプリ飲まにゃ・・・coldsweats01 

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2016.03.02

久々に寄り道~小金井公園・梅満開

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いつもは素通りしている小金井公園。久々に寄り道してみました。
まだまだ梅が満開。
この梅林には28品種、約100本の白梅・紅梅の古木があります。

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↓写メの操作間違ったかも・・・なんか、絵画的?

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梅林を歩いていると、どこからか尺八の音色が。『うれしいひなまつり』の曲。「あかりをつけましょ ぼんぼりに~♪」のあの曲です。

ン? 公園にBGM? と思ったら、なんと桜の木の下でおじさんが吹いてました。
おじさん、GJ! 雰囲気バッチリでしたnotes

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今はまだ裸の桜の樹。でも3月末になると公園中の桜、約1700本が開花して公園の中は桜一色に。

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古木の中に、こんな若木が!
先輩たちに比べると、まだ生まれたての赤ちゃん木(笑)

空に向かって、伸びろ~!!!


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2016.03.01

まだら記(3)~DEAR MOTHER

昨夜、9時過ぎに母から電話。

特に何かあったわけではないようで、私の仕事のこととか暮らし向きについて心配してくれてるよう。
認知症が進み、母の記憶から消えていく家族の順番を考えた時、真っ先に消えていくのが私の存在だろう・・・と予測というか覚悟しているので、母から電話をくれるということは“まだ忘れられてない”とホッ。
なにしろ、数年に1度しか帰省しない、親不孝長女ですから・・・coldsweats01

前日の昼間は妹から電話があり、気が付けば2時間近くダベリング。
同じ携帯電話会社で、通話料無料なもので、ついつい話し込んだ・・・

その中で、母の薬についての話が出る。
今現在、母の薬の管理は妹が行っている。
最初の頃・・・まだ、妹が母の認知症を完全受容できてなかった頃・・・毎日の薬の服用は母自身に任せていた。

ところが、毎日飲んでいるものと思っていた薬を、母はほとんど飲んでなかったことが発覚。大病をしたことがなく、薬そのものが好きでなかった母なもので、妹に「飲んだ?」と聞かれるたびに「飲んだよ」と適当に答えていたらしい。
飲まれなかった大量の薬発見以後、妹は目の前で母が薬を飲むのを確認するようにしている。

しかし、それで安心は禁物だった。
数日前、デイ・ケアセンターから電話があり、予想外の事態が発生。

その朝、妹はいつものように母の昼食後用の薬を所定の袋に入れてデイ・ケアセンターへ送り出した。センターでは所定の時間に所定の袋から薬を出して母に飲ませてくれた。
が、が、母は何とその日に限って、自分のポケットの中に薬を持っていったらしい。別の職員が、母がまだ薬を服用していないものと思い、飲ませた。
結果、職員同士の会話で母が二重に(所定の2倍の)薬を飲んだことが判明。
センターから帰宅後、体調の変化など心配になったら、すぐに連絡を・・・とのこと。

母は先ほど飲んだ薬のことをきれいさっぱり忘れて、「あら、まだ飲んでないの?」と言われれば「飲んでないよ」・・・これが認知症coldsweats02

薬2倍の結果はその夜現れ、母は吐き気がひどくて食欲がなかったという。

母の認知症の薬の処方は聞いてないので薬名は不明だけれど、その効果については初期の頃から感じていた。
母とのコミュニケーションは、私の場合、電話のみ。だから、声の調子の変化で母の状態が大体わかる。

妹が母の薬服用で格闘していた頃、母の声が極端に暗いと、「あっ、薬をサボってるな」とすぐ分かった。そういう時の電話の内容は「最近、物忘れが激しくて、自分でも嫌になる」「このままスッと消えてしまいたい」・・・とかひどいうつ状態が明らか。

薬をきちんと飲んでいる時は、声も明るい。
恐るべし、認知症薬の効果!を実感。

この件について、母が自分で薬をポケットに入れて持っていくという、薬に対する積極的行動は喜ぶべきかも。しかし、行動が予測付かず、「油断も隙もならないぞ、認知症め!」って感じ。

昨夜の電話では、ごく普通に母と近況を話し合う。
まずまず、調子は良好・・・。

で、一番心配な亡くなったI叔父のことについて、恐る恐る聞いてみた。
「I叔父さんのこと、寂しくない? 大丈夫?」

母の答え・・・「ああ。Iなら元気にしてるようよ」

・・・・・・・・・・その答え、やはり、ちょっとショック。

「そう・・・それならよかった」と、それ以上は言えなかった。

母が電話をくれるほど元気で、明るければそれが一番happy01

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2016.02.20

まだら記-2

1月末、母にとって、かなりハードルの高い出来事が起こった。

ちょうど母の87歳の誕生日の夜、妹からメールが届いた。
I叔父さんが亡くなったという。

母の誕生日が、叔父さんの命日になってしまった・・・

母は5人兄弟のちょうど真ん中で、上に2人の兄、下に2人の弟がいるが、上2人は数年前に既に亡くなっている。
すぐ下の弟・T叔父は早くに宇佐市の実家を出て千葉に居を構えている。

一番下のI叔父は、宇佐市内で独立して事業を始め、順調に業績を伸ばしてきたと聞いている。
距離的にも一番母と近かったI叔父は、29歳で未亡人になってしまった姉(=母)を折にふれ、気遣ってくれていた。

私が高三の時、「どうしても社会福祉の勉強がしたい」と大学進学を望んだ時、「福祉というなら、長女として、まず家の福祉を考えろ!」とガツンと言ってくれたのはこの叔父だけだった。

なんだかんだあって京都の短大の社会福祉科で学び、そのまま京都で仕事をしていたある日、電報が届いた。
「ハハ、キトク。スグカエレ」
急いで列車に乗ったものの、よくよく考えたら何かおかしい。卒業しても実家に帰らない私に対して強硬手段で連れ戻す・・・電報はI叔父の窮余の一策か?!
私は、気が付いたら夜の岡山駅に途中下車していた。
このまま帰るべきか、帰らざるべきか・・・初めて降り立った街で途方に暮れた・・・。

はっきり分ったことは、I叔父がいつも母の立場で心配してくれていたこと。

いつも母の味方でいてくれた、この叔父の死を母はどう受け止めるか?

“今夜はとてもじゃないけど伝えられない。明日、母さんと叔父さんに会いに行ってくる”との妹からのメール。

これまで、母と親しい友人や親戚の訃報のたびに、母にどんな影響が出るのか予測が付かず、迷いながらも母には事実を伝えて来た。
しかし、今度は肉親で、しかも弟の死・・・。
母はどれほどのショックを受けるか・・・。

翌日の午後、妹からメールが届いた。
別府の病院から帰宅した冷たくなった叔父を見て、母は悲しみながらも、とくに取り乱す様子はなかったとのこと。その帰り、翌日のお葬式の用意のために買い物に行ったが、ここでも母の様子は変わらず。意外に淡々とし過ぎている・・・。その時の母について妹はメールの最後にこう書いていた。

「平坦になるのかな。感情が」

母が弟の死を淡々と受け止めているのなら、それはそれで安心。
ということで、その日の夕方、母に直接電話してみた。

ところが、母は受話器を取った時点で、声を上げて泣いていた。
「Iがね、Iが死んで、会えなかったのよ・・・」と泣き続ける母。
自宅に戻って一人になって、悲しさや寂しさがこみ上げたのだろうか?

「今朝、叔父さんに会ってきたでしょ?」といっても、それは記憶にないらしい。
「Sちゃん(叔父の奥さん)が、もう(棺は)出たと言ってた。知らないうちにお葬式が終わったらしく、会えないままなんよ・・・」とすすり上げる母。

母の言葉をもとに、話を整理。
「Sさんが出た、と言ったのは“(遺体が)別府の病院を出た”という意味で、今朝、母さんは妹の車で叔父さんに会いに行ったし、明日のお葬式でちゃんと叔父さんをお見送りできるから、安心していいよ」
としつこく説明して、ようやく母は安心してくれた。

公の場では感情の起伏を見せない母も、一人になるとやはり記憶が混乱してしまうのか?

その日の母について、数日後、新たな事実が分かった。
叔父の遺体に会って帰宅した母は、疲れて昼寝をした。その時に、“会いに行ったら、お棺が空で叔父の遺体が無くなっていた”という夢を見たと妹に言ったそう。
それで悲しくなって泣いている時に、私からの電話・・・だったらしい。

そんなこんなで、無事、叔父のお葬式は終了。
親戚が多く集まった席で、母はきちんと応対できていたとのこと。

一番心配なのは、“弟の死”のショックが、ボディーブローのように母に効いてくるのではないかということ。認知症への影響は出てくるのだろうか?

お葬式から数日後、心配になって母に電話してみた。

「大丈夫よ。現実を受け止めるしかないから」

なんと、母の力強い言葉が聞こえて来た。
そして、数日前、何ヵ月ぶりかで母から電話が掛かって来た。
以前と変わらず、私の暮らしを心配してくれている母。
もしかしたら、認知症が治ってる?! と思ってしまうくらいの普通の会話。

認知症は進むことはあっても、元に戻ることはない病気。
ならば、このまま進行が止まってくれたら、と強く祈らずにはいられない。


《余談》 I叔父さんの思い出・・・。
子供の頃、母の実家に行くと、こっそり叔父さんの部屋に忍び込んでた。
母の実家は大きな農家で、その頃、実家にいたのは祖父母と当時、まだ独身だったI叔父。叔父は広い屋根裏の一部を改造、ベッドを置いて自分の個室にしていた。

で、叔父の部屋での密かな楽しみは・・・積まれた映画雑誌『スクリーン』 を読むこと。というか、写真を眺めること。オードリー・ヘプバーンとかソフィア・ローレンとかミレーヌ・ドモンジョとか、叔父の部屋でこっそり見た『スクリーン』で知った女優さんたち。一番のお気に入りはジャクリーヌ・ササール。清楚な雰囲気で子供心にも憧れた。

I叔父さん、洋画が好きだったんだね。映画の話したかったよ。
叔父さん自身、映画に出てくるようなイケメンだった。

『スクリーン』で映画の世界を教えてくれて、ありがとう、I叔父さん!

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2016.01.19

まだら記~Dear Mother

「すっごくショックなことがあって……聞いてくれる?」

数日前、九州の妹から電話があった。
「なになに? 聞く聞く!」というわけで、妹がショックを受けたという出来事を聞いて、一瞬、私の思考は停止してしまった。
以下、母と妹の会話、再現。

母「(突然)あんたとうちの間に、もう一人誰かいたね」
妹「(混乱)……もう一人って?」
母「誰やったかね……? 名前は……?」
妹「(混乱しながらも)……もしかして、東京のKちゃん(私)のことかな」
母「ああ、Kさんやったかね」
妹「(反応できず)……」

母「あんたは、もう80になったんかね」

ギョエ~、は、80?! 」

というわけで、50代後半の妹が母には「80」近くに見えたの?! ということが大ショックだったらしい。(その女心、わかるよ)

私はというと、一瞬の思考停止の後、出た言葉……

私「キター、ついにキタね! これは完全にまだらボケ状態じゃ!


母はこれまで短期記憶障害が著しかったものの、見当識障害の方は心配なかった。

※見当識障害
 年月日や季節、曜日、時刻、自分がいる場所、人と自分の関係などがわからなくなる症状。



ここまであからさまに、娘や人との関係性が分からなくなるというのは初めてだ。

妹によると「母さんはこれまで(画家として)人間の老若や美醜に目を向け、その観察眼を持っている。その母さんから見て80に見えたということ、それがショックでなくてなんなのよ」ということらしい。

そんな妹への私からの助言。
「ついにまだら(ボケ)が明らかになったわけで、その時、母さんが見ていた娘は娘ではなく、母さんの記憶の中にいる別の誰か。時間が経てば、今言ったことも忘れてしまうから、受ける側もまともに受け止めて悩む必要なし!!!」

妹「あ、そうか。言った本人は言ったことをすぐ忘れるのに、言われたほうが、いつまでもくよくよ悩んでいてもバカらしいね」

母に関しての妹との会話は、いつも最後は笑って終わる。
しかし、笑いながらも私も妹も口には出さないことがある。

それは認知症は不可逆的であり速度の違いはあれども進行しているということ。
次にどんな症状が現れてくるのかハラハラ、ヒヤヒヤしながらも、母を見守っているというのが現状。

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                  セントを見舞ってくれた時の母


【認知症が現れてからの母】

数年前に妹から電話があって、最近母の様子がおかしいという。

妹一家と母は同じ敷地内の別々の家に住んでいる。
父は39歳で病死。その時母は29歳で、以後3人の娘を育てるためにがむしゃらに働いた。
それから10数年後、母は私たちを育てるためにやっていた仕事を引退。画家になった。二科展やその他大きな展覧会に出展したり、銀座の画商を通じて全国に絵を売ったりもしていた。

そんな母に、銀座で個展やれば? 地元で個展やれば?と何度も勧めてきたが「そういう晴れがましいのはすかん(=嫌)。絵が好きで描いてるだけなんでそれで充分」となんとも欲のない返事ばかり。そして、それに関しては頑固。

母は風景や静物画よりも人物画を得意としており、肖像画の依頼が多くなって、常にいくつかの依頼を抱えていた。そんな母の日常は、ほぼ絵を描くことを中心に回っていた。

ある日、その母の指が腱鞘炎になってしまい、筆が持てなくなった。
絵を描くこと以外では、古い友人たちと電話でおしゃべりすること、庭の草むしり、毎日数百歩のウォーキング……ということで、社交ベタの母の交友関係は狭く、また外の集団と係ることを嫌がっていた。

で、妹から腱鞘炎になった母が、「終日ぼんやりと家の中にいる。どうしよう」との連絡。

私のできることは、電話でできるだけ母と会話すること。

確かに、その時期の母の電話は重い雰囲気に満ちていた。

「この頃、物忘れがひどくて、すぐにいろいろ忘れてしまうんよ。もう自分が嫌になる」。かと思うと、すでに解決済みの過去の出来事に関して、「あれが気になる……これが気になる……どうしたらいいんじゃろうか……」とくよくよ考え込んでいる。

そして、電話のたびに同じことを繰り返す。

挙句「……こんな自分は(イヤ)……もう死にたい……」

その言葉を聞いた時、これ以上、昼間母を一人で家にいさせてはダメだと思う。

同じ敷地に住んでいる下の妹と、すぐ近くに住んでいる上の妹と電話で相談し合う。妹は二人とも昼間は仕事を持っており、母とベッタリ居ることができない。そんな現実も踏まえて、昼間だけでも母をデイケアにお願いすることにした。

デイケアに関しては、姉妹3人で意見が分かれた。

《期待する点》
・一人きりで昼間、家に閉じこもっているよりは他人から多くの刺激が入ってきて、認知症の進行を遅らせるにはいいかも。

《不安な点》
・集団が苦手な母が馴染めなかった場合、それがストレスになって認知症が進んでしまうかもしれない。

そんな話し合いの結果、とにかくデイケアを試してみようということになった。
いくつかのデイケア施設を見学して、結局、掛かりつけの病院の系列のデイケア施設に決定。


【デイケアと母】

最初はいろいろな不安や心配があったが、それは1か月も経たずに解消されていった。

1回目の通所の夜、母に電話して感想を聞いてみた。
「大きな声を出すオジサンが怖かったわ。それに知らない女の人ばかりでつまらん。もうあそこには行かん」と母はほんとうに嫌そうに言った。

嫌がることを無理にさせるのもなぁ……
とこっちが悩んでいる間にも日は経ち、恐る恐る母に電話してみる。

私「デイケア、どう? 行ってる?」
母「それ何ね?」
私「あ、この前、大きな声出すオジサンがいるって言ってたところ」
母「ああ。会社ね。会社なら行ってるよ」
私「は? 会社?」
母「行ってみたらなかなか良いとこよ。年寄りばっかりの会社で、お昼は出してくれるし、昼寝したい時には勝手に寝れるし。のんびりしてるわ」
私「で、大きな声を出すオジサンは? もう怖くない?」
母「ああ、もう慣れた(笑)」
私「(ホ~~~ッ)!」
母はデイケアセンターを気に入ったよう。


昨年、妹からちょっと嬉しい連絡が来た。
主治医の先生によると、母の場合「最初と比べると、ほとんど認知症が進んでいない。こういうのは稀なケース」とのこと。

日常の細々したことで、毎日母を見ててくれるのは妹(とその旦那さん)。
薬飲まない、お風呂を嫌う、何度も同じことを言う、注意してもすぐ忘れてしまう……などなどそんな母と毎日向き合っている妹。彼女の優しさと頑張りのおかげだと思う。

それと同時に、毎日、デイケアセンターに向かうという習慣化された日常リズム。
朝、迎えのマイクロバスが到着するまでに化粧して、身支度を整えて、バスを待つ。そしてデイケアでの他人との接触、帰宅して疲れてぐっすり眠れる……それらが概日リズム(=体内時計)を整えることに役立っていると思う。

母のために何がベストなのか? みんなでいろいろ悩んだが、デイケアを選んだことは母にも娘たちにとっても良い選択だったと思う。


そんなことを思っている矢先、昨夜、珍しく母から電話があった。
一つ気になることがあって、私にそれを伝えるための電話だった。
母の口調はしっかりしているし、話の内容もきちんと伝わってくる。

が、が、が……実はその件、昨年末から3回くらい同じ内容のことを母から聞いている。

しかし、「もう3回も聞いた」とか「言ったこと忘れたの?」とかは禁句。
母の話を最後まで聞いて、その件は解決済みだから、もう心配しなくていいよと母を安心させてやる。

母は、どうやら記憶が曖昧で妹に聞きにくいことを私に電話かけてくるらしい。
電話で話す母は、“同じ話”以外は、昔の母。最後には東京で暮らす私をいつも気遣ってくれる。

実は、少し前から母との電話で、私は“悩み”をボヤいてみることにしている。
なぜなら、そうするとたちまち母は「娘3人を女手一つで育てた気丈な母」の顔を蘇らせ、いろいろな励ましと教訓を言ってくれる。

若い頃は「ウザッ!」とイライラしていた母の叱咤激励の言葉、今はその言葉を母の口から聞けることが、本当に嬉しい。
いつか、聞けなくなる時が来るかもしれない。その時が来ませんように……。


母のように一生懸命、人生を駆け抜けた人を見ていると、「忘れていくこと」は、もしかしたら神様からのプレゼントなのかもしれない、という気もしてくる。

辛いこと、苦しいこと、悲しいこと……みんな忘れていって、最後に楽しい記憶だけ残ってくれたらいいなぁ。

先はまだ長いけど……
 

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2016.01.02

おせち&お雑煮

今年のおせち作りは、珍しく昨大晦日中に間に合った。
作ると言っても、好きな四品だけ手作り。
あとは買ったものを切って並べるだけ。

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手作り
①伊達巻

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巻き方が弱くて悲惨な形になった昨年に比べればまだましcoldsweats01

←昨年の。味は甘さ控えめで美味しいっす!

しかし、今年も形がいまいち・・・bearing

材料は「たまごようかんの作り方 」で話題をさらった(爆)平野レミさんのおせち料理でも紹介されていた卵とはんぺん。
フライパンでじっくり焼くところを、私の場合、手間短縮でオーブンで焼いてから巻く。
四角い缶の蓋にクッキングペーパーを敷いて、その上にミキシングした卵とはんぺんを注ぎ入れて約25分くらい焼いて、あとは巻き簾で巻いたまま冷蔵庫で数時間冷まして出来上がり。

失敗の原因は、缶の蓋が平らに見えて、熱が入ると歪んでくる? のか、厚さが均一にならないんだよねwobbly
昨年と今年とで原因が明らかになったので、今度からはちゃんとフライパンを使って作ってみます。

伊達巻作りはやめられません。市販の1/3の材料費で、思う存分食べられるんだものlovely

②紅白なます
昨年は人参を入れ過ぎて全体的に赤いなますになってしまったので、今年は人参控えめ(これがフツーの量)。
昨年、九州の妹が送ってくれたゆずが沢山あったので、お酢+ゆず果汁にしたら、ゆずの味と香りが美味しいなますにhappy01


③田づくり

今年は出来合いのものを買おうかと思ったけど、大晦日の夕方にスーパーに行ったら、もう売り切れ。となればやはり作るしかない。ということで田づくり用のごまめを購入。
焦がさないようにじっくり乾煎り・・・この手間さえクリアできたらあとは簡単。

で、出来上がった田づくり、なんか変?
仕上げの白ゴマがなかったので黒ゴマを代用っすwink


④お煮しめ
定番のお煮しめ。今年はちぎりこんにゃくではなく、こんにゃくに賽の目を入れてみました。あとは例年通り。


2016ozoni1

お雑煮もいつもの通り糸コン入りの醤油+みりん仕立て。
あとはお正月気分を味わうために、いろいろ。

大人になってお酒の味が分かるようになるまで、おせち料理は伊達巻と田づくりくらいしか食べられなかったほど偏食が激しかったのに、今はお煮しめをバクバク喰らう・・・。

生魚(=お刺身)なんかは40代に入るまで一切食べることができなかったけど、今では美味しくいただいてます。

偏食が激しかったおかげで、食べれなかったものが食べれるようになった時の驚きと感激を何度も味わえた。

そして今は、すべての食材に感謝しながらいただいてます。
今年も、美味しくものがいただけますように・・・
誰もが飢えることなく、お腹を満たすことができますように・・・

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