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2010年7月

変わる夏、変わらない夏

セントもラブもいなくなり、10年ぶりに完全に一人暮らしに戻ったこの夏。

仕事部屋から一歩出ると、廊下もリビングもほとんどサウナ状態。

今年の夏はとりわけ酷暑といわれているけど、一人になって改めて、夏ってこんなに暑かったっけとしみじみ思ってしまう。

sun変わる夏

ラブとセントがいた頃は、汗ばみ始めると冷房が必要になった。

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我が家は玄関を入って右に仕事部屋、廊下を挟んで左にリビング・キッチン・寝室。


ラブはどんな時も私が居る場所に一緒について来て、一ヶ所に座ると、ほとんど動かない。


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一方、セントはクッシング症候群という病気のせいもあって、絶えず食べ物を探してウロウロ動き回り、廊下を行ったり来たり落ち着かない。

なので、右の部屋も左の部屋も冷房が必要で、おまけに彼女らが自由に出入りできるようドアを少し開けていなければならない。なので、冷気が逃げないようにろいろと工夫していた。


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ラブはデスクの下か、椅子の横、もしくはすぐ後ろ・・・私が手を伸ばせば触れる場所にいつも居てくれた。

仕事で出掛ける時はリビング側の冷房はつけっ放し。

夏はいつも電気代が恐くて、エアコンを使う分、他の光熱費はできるだけ省エネを心がけた。

中国原産のシーズーは寒さには強いけど暑さには弱いので、彼女たちのためには親が我慢するっきゃないって感じで。

なので、夏はどっちの部屋にも冷房が入り、仕事から帰った時にはリビングだけはいつも冷房が効いていた。

それが、突然、一人になって、冷房の効いた仕事部屋からリビングに行くとほとんどサウナ状態。

ああ、もうあの子達はいないんだと、その暑さに実感させられてしまう。


present変わらない夏

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今でも、スーパーに行くと、あの子達が食べていたドライフードやおやつを買ってくる。

毎日、ドライフードとお水を供え、仕事に出掛ける日は、いつもそうだったように、お留守番のご褒美として少し多めのおやつを供えて出かけます。




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何もかもが、まだ、あの子達が居た時のまま。

あの子達の洋服の棚もそのまま。

まるまる残っているペットシャンプーや目薬やお薬もそのまま。

ラブが使ったトイレシートさえも愛おしくて捨てられなくて、ラブが最後に食べ残したフードも私の宝物。

セントの時もラブの時も、最後に病院に駆け込んだ時に彼女たちの体を包んだのはロイヤルコペンハーゲンの白いバスタオル。

そのバスタオルは今、仕事中は膝の上に、寝る時は抱き締めて、まるでライナスの毛布です。


これまで祖父たちや祖母たち、またお世話になった人々・・・いろんな大切な人を亡くしてきました。

死を知ったすべての始まりは小学三年生の時の父の死。
この日のことは、とてもクッキリと覚えており、この日、私の心の中に起こったある出来事以来、私は“死”をストレートに悲しいものと思えなくなっていました。

子供心に、死に対して“諦観”のようなものを感じてしまい、それによって悲しみにフタをしてしまったような感じで・・・。

ところが、ラブとセントの死は、今までのどの死よりも感情がかき乱され、混乱して現実を受け止めることができず、未だにまだ整理ができません。

私には流産の経験はありますが、実際には子供がいません。もしかしたら、子供に先に旅立たれた親の気持ちというのはこういうものでしょうか?


「あの子達は心の中で生きつづけている。あの子達のためにも、前を向いて頑張って生きていこうよ」


きっと、シナリオだったらそんな励ましのセリフを書くだろうな。

心から、そう思える日まで悲しみにフタをしないで、あるがままの自分で生きていくしかないなぁ・・・




気持ちが辛くて、このブログから少し遠ざかっていました。

コメントをいただいた皆様には、私の大きな支えになっており、本当に嬉しくていつも心から感謝しています。

お礼、返信が遅くなってしまい、そんな私のわがまま、どうぞお許し下さい・・・。

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悲しみのプロセス

先日、セント、そしてラブの葬儀をお願いしたペット葬儀社から9月に行われる「動物供養祭」のご案内をいただきました。
場所は世田谷区のお寺で、参加費は無料とのこと。


正直、心が揺れています。


毎日毎日、ラブとセントにごはん(ドライフード)とお水とおやつをあげて、天国でもみんなに可愛がられていますよう、お祈りしています。

同時に、彼女たちが私のそばからいなくなってしまったことに対して、理屈ではない怒りや喪失感に囚われ、それらが静に降り積もっているように感じている毎日。


どんな宗教宗派でも、天に行く昇り口は違っても、天に行けばみんな一緒・・・そうに考えている私にとって、お寺での供養は別に問題ではないんだけれど、しかし、「動物供養祭」という形式的な癒しの儀式で、本当に心が穏やかになるのだろうか? と。



悲しみのプロセス

1.ショック・麻痺状態(Shock)
  起こった現実に対して否認、孤立感を感じる。

2.喪失の認識(Awareness of Loss)
  大きな悲しみ・怒り・罪悪感などを感じ、精神的にも肉体的にも消耗し不安定な状態
  が続く。

3.保護と引きこもり(Conservation and the Need to Withdraw)
  喪失の認識の後には、大きな悲しみ(痛み)により休息が必要となる。
  一人になり(引きこもり)十分休息を取る事が重要となる。
  この時期に、無力感や疲労感に支配される。

4.癒し(Healing)
  休息が十分に取れれば、心も体も癒され自分自身をコントロールする事が少しずつ
  可能となる。これが癒しの段階。

5.再生(Renewal)
  
悲しみが無くなる訳ではない。しかし、愛する者の死を確りと受け止めて、再び
  前向きに生きる再生を迎える事となる。

  人により上記の順番が入れ替わったり引き返したりしながら再生に向かう。


私は今、このプロセスのどこにいるのだろう?

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生☆育

7月7日、セントが虹の橋に旅立ってからちょうど2年。

明日で2年・・・2年前の今日、あの前の日には・・・などと考えると涙が止まらなくなってしまう。

ラブが旅立ってから5カ月。

寂しさと悲しさは少しも減らないけれど、時間は確かに動き、進んでいる。

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2月10日にラブが亡くなりすべての時間が止まった・・・。

あの子達がいるだけで部屋の空気が動く。

しかし、私一人だと空気さえも何も動かない。

←3月17日 気がついたら二鉢の観葉植物のうち一鉢の葉がほとんど落ちて、ほぼ丸坊主に。

もう一鉢も葉は残っていたけど、元気がない。

観葉植物に、お水をあげることさえ気がつかないまま、時が過ぎていた。

これじゃいけない・・・やっとそう思いなおして、お水と肥料を与えて、そして、お花の苗を買ってきて、植えてみたり。

なんにもやる気が起こらないんだけど、何かしなくてはいけない気がして。

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4月1日 丸坊主になった先のほうに、小さな小さな新しい芽が生えていました。

ちょっと元気をもらいました。



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6月20日 ぐんぐん葉が生えてきて、たわわにしなるほどに葉が茂ってきました。

新しい芽が次々に生えてます。

我が家に来てから約12年目。
まだまだ元気でいてくれて、私も元気をもらってます。








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3月末に植えた苗から、どんどんお花が咲いてきました。


それから、なんとアロエの花が咲きました。

アロエは2年目。
1年目の昨年はまさかアロエに花が咲くとは知らなかったんだけど、今年初めて花が。





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←アロエの花


初めて植えたトルコキキョウも花をつけてくれました。(↓)

季節は巡り、そして命は巡る・・・

そんな当たり前のことを観葉植物や花たちから教えられ、励まされるこの頃です。





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幸か不幸か、明日は外で一日仕事です。
家にいてメソメソしないですみそう(笑)

セントにもラブにも心配かけないように元気出さなくちゃ、と思ってます。

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