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2024.01.02

喪中の「おせち料理」は「ふせち料理」?!

いつもの年と変りなく、前年の仕事を引きずりながら年が明けました。

今年も自分の好きな食材だけでお正月の料理を作りました。
と言っても、毎年、作るのは紅白なますと田作りと伊達巻と筑前煮くらい。
今年は、なんとか柔らかいものは噛めるようになったけど、固い食べ物は噛み砕くのがまだ無理。なので田作りは省略です。
お雑煮も、毎年入れていた糸こんにゃくも噛み砕けないため省略。
新顔は帆立の松前漬け。帆立が柔らかくて買って大正解でした。

見た目は例年とほぼ同じになりました。

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毎年手作りしている伊達巻、今年は巻きが甘くなってしまったけど、毎年同じレシピで作っているので、いつものお気に入りのお味です。

  

ところで、喪中期間中に「おせち」を食べていいの? という疑問が湧いてきて、調べてみました。

喪中に食べられる正月料理は「ふせち料理」というんだそう! 知らなかった……💦
ふせち料理とは、喪中のお正月でおせち料理の代わりとなる、精進料理をベースとした「喪中用おせち料理」とのこと。

「ふせち料理」という言葉自体は、近年につくられた造語で、「御節」の御を「不祝儀」の不に代えて、「不節」としたとの説もあるそう。

【おせちの中で喪中にふさわしくない食材・料理】
 紅白かまぼこ・鯛・昆布・伊勢エビ・結びこんにゃく・松竹梅をかたどった梅花にんじん・菊花大根など

【おせちの中で喪中に食べてもよい食材・料理】
 黒豆・れんこん・たたきごぼう・伊達巻・田作りなど

【喪中に正月料理を食べるときのマナーは?】
◇重箱は使わない
◇祝箸は使わない
 等

≪参考≫https://www.hana-sougi.com/blog/mochu-osechi/


喪中の正月料理のことを知らずに、1日は紅白かまぼこ、紅白なますを食べました💧

世の中、まだまだ知らないことがいっぱい……💦

2023.12.31

喪中につき……

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2023.11.13

寝たきりになった母に会いに半年ぶりの帰省。

2023年2月12日~2月23日
 胃ろう手術が失敗し、点滴栄養で病院のベッドで寝たきりになってしまった母。
 妹たちからはLINEやLINE電話で母の様子を逐一聞いているが、やはり気になって、専門学校の春休みに帰省した。
 私の体調は大きな変化なし。体重は36~37㎏前後でほぼ安定。

20230223212023022311

 母との面会は週に一度、限られた時間帯に会うことしかできないが、半年ぶりに会った母は血色も良く、表情も明るく、
ちょっとホッとした。
 
 母のいない母の家で、時間のある時は東京から持参したノートPCで仕事をしたり、また母の今後のことなどを考え
近隣の施設などを調べたりと過ごす。
 そして、上の妹が彼女の仕事のない日に宝来軒に誘ってくれた。
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 私にとって宝来軒のラーメンは、初めてのラーメンの味であり懐かしい味でもある。
 子供の頃、父が亡くなった後、母が仕事で忙しく食事の用意が出来なかった時に出前で食べていたのが宝来軒のラーメン。
 高校卒業後、進学のために故郷・中津を出るまでラーメンはこの宝来軒のラーメンしか知らず、これがラーメンだと思っていた。
 故郷を出て初めて、ラーメンには土地土地で様々なラーメンがあると知った。
 で、いろいろなラーメンを食べてみたけど、やはり私のラーメンのルーツは宝来軒のラーメンです!!!
 
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母が元気な頃は、母に頼んで宝来軒のお取り寄せセットを送ってもらっていたほど好き!!!

何よりも好きなのは、この極細生麺。

そして、豚骨+鶏がら+牛骨+しょうゆだれのスープ。(ルーツは博多の豚骨ラーメンらしいが、似ているようで違う!)

セットにはこの他、焼豚、刻みネギ、海苔、白ごまが入っていて、このセットだけで宝来軒の味が90%再現できる。
(残りの10%はお店の雰囲気)




 




 
母の今後のことを妹たちと相談しつつ、東京に住む私としては母のことは妹たちにお願いし、病院に任せるしかない。
寝たきりになってしまった母が今の自分をどう見ているかはわからないけど、この現状で認知症で記憶が曖昧になりつつあるということは母にとって幸いでもあるかもしれないと感じる。

かつて母はまだら呆けが始まった頃、よく東京の私に電話してきて、“最近、物忘れが激しく、自分がどんどんバカになっていくようで辛い”とか、気になっているお墓のことで何度も何度も電話してきては同じことをボヤいていた。

しかし、自分が認知症であること自体もう自覚できない今、時に穏やかな表情を見せる母を見ていると、『認知症』というのは父の死後、シングルマザーとして頑張って頑張り、気丈に3人の娘を育て上げた母への神様からのご褒美ではないかと思う時がある

もう、頑張らなくていいよ・・・何も心配しないでゆっくり今という時を過ごしていたらいいよ・・・と。

2023年2月23日
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 予定通り、東京へ戻る。
 北九州空港へは妹二人で見送ってくれた。

 空港内のレストランで3人で食べたのはラーメン。
 やっぱ豚骨ラーメンちゃねっ!!!
 




2023年3月13日
 病状が安定してきた母は、H病院を退院し、徒歩で数分の病院系列の小規模多機能型居宅介護施設でお世話になることになり、車いすで無事、お引っ越し完了。

母、コロナ感染・・

2022年12月24日  
 妹の夫氏がコロナに感染したという連絡が入る。
 妹夫婦は母と同じ敷地内の別々の家に住んでおり、妹は母に感染しないよう細心の注意を払ってくれたよう。
 しかし、母は喉の異常などで食事が摂れなくなり、

2022年12月30日 コロナ感染のため、即入院となった。
 年末年始を病院で過ごすことになってしまったが、コロナ感染看病や食事のことなども含めて入院出来たことは、自宅での不十分な看護よりは幸いだったかもしれない。
 しかし、日が経つに連れて母はベッドから動けず寝たきりの状態になってしまった。
 食事も口から摂ることができず点滴栄養で補給。 
 認知症が進みつつある母は長時間、点滴を刺していられずに点滴を外そうとするため拘束具を着けられ、自由を制限されてしまった・・・妹たちはそんな母を見るのはかなり辛かったよう(何もしてあげられない私も辛い・・💧💧💧)

2023年1月8日
 母の入院しているH病院の担当看護士さんと電話で話し、認知症のことや母の病状、今後のことなどについて話を聞く。

2023年1月24日
 妹たちだけでは判断できず、母の担当医から直接話を聞いて欲しいとのことで、担当医のN医師と電話で話す。
 母の現状から、今後の方針については以下の3通りが考えられるとのこと。

 ①経静脈栄養(点滴での栄養補給)
 ②胃ろうによる栄養補給
 ③看取り(安楽死)

 前もって妹たちと話し合った結果は②胃ろうによる栄養補給の選択。
 母にとって何が良いのか・・・?
 私にとって、私たちにとって何が良いのか・・・?
 
 どうしても、母にとって、よりも、私にとって私たちにとっての立場から考えてしまう。
 生きていてくれるだけでいい。母がいる・・・それだけで心の拠り所になる。
 母がもし、痛みや苦痛に打ちのめされ耐え難い戦いを強いられているのなら、改めて母のQOL(Quality of life)から選択を変えなければならないかもしれないが・・・。

 こうして、母の担当医には「胃ろうによる栄養補給」をお願いした。
 担当医によると、胃ろう手術の後、本格的にリハビリに取り組むとのこと。

 全面的に担当医を信頼し、母を任せた。
 だが、信じられないことに、胃ろう手術に失敗してしまった💥⚡💥
 内視鏡挿入時に気管を傷つけてしまい、即手術は中止したとのこと。
 もう、胃ろう手術はできず、母は経静脈栄養になり、ほぼベッドに寝たきりになってしまった・・・。

姉妹LINE、開始。

2

そうそう、2022年6月に下の妹が三姉妹のグルーブLINEを設定してくれた。
8月の帰省時もこのグループLINEを活用。
それぞれ個別にLINEで繋がってはいるものの、グループLINEは一度の投稿で情報を共有できるので便利かつ安心。

最近ではFBはほとんど使わず(開かず)、仕事関係でも個別の連絡はLINEを使うことがほとんどになってしまった。
※重要なこと(記録に残しておきたい仕事連絡など)は従来通りメールですが・・・。

2023.11.12

3年半ぶりの九州帰省

コロナ禍で長距離移動が制限され、母のことが気になっていながらも帰省することができなかった。
もちろん、私自身の体調のこともあってだけど。
そしてようやく2022年の夏休み、2019年以来、約3年半ぶりに九州に帰省することができた。

 

2022年8月7日(日)~8月17日(水)九州帰省
 京都に住んでいた頃の飛行機での帰省は福岡空港着で、そこからJR特急で約1時間。
 東京からは北九州空港を利用。妹たちのどちらかが車で空港まで迎えに来てくれるのでありがたい。
 
 今回8月7日(日)は昼間、専門学校のオープンキャンパスの仕事があったため、その仕事を終えてから夕方、羽田空港へ向かう。
 PCR検査などを終えて夜の便で北九州空港へ。
 到着が23時前後になるため、今回は初めて北九州空港近くのホテル東横INNにチェックイン。
 翌朝、JRで実家の最寄り駅の中津駅(大分県)まで行き、迎えに来てくれた妹の車で実家に到着。

 当時92歳の母は私を見た途端、一瞬固まったように見えた・・・多分、誰だかわからない???
 「長女よ、東京の長女・・・」と妹たち。
 「・・・あ・・・喜美さんね」と母の顔に笑顔が浮かぶ。
 私は、母が私を思い出してくれたことにホッ

 約10日間、母の家で母と寝起きを共にする。
 といってもウィークデーは母は朝から夕方まで送迎の車でデイケアへ。
 朝と夜の食事はDoor-to-Doorで30秒の妹の家で摂る。
 また通常、夜から朝にかけて母は自宅で一人で過ごしているが、ガスの使用は厳禁にしている(火事など危険回避のため)。そのためお風呂も妹の家で入ることに。

 私たち姉妹が生まれ育った実家(母の婚家)は古い築年数などで解体し、今の土地に母の家や妹の家が建てられた。 
 母の家は3K。(もちろん風呂ありだが危険回避のため使用していない)
 母のベッドのある寝室、居間を挟んで、画家だった母がアトリエとして使用していた部屋。私はこのアトリエ部屋に布団を運び込んで寝ている。
 夜中や早朝、トイレに起きた母がアトリエのドアを開けて、寝ている私をじっと見つめている・・・多分ーーーいつもは誰もいないはずの家に誰かが寝ている??? 誰???---って感じだったのだろう。
 「私、私、喜美子!」と思わず叫ぶと、納得したようにドアを閉める。そんなことが何度かあったものの平和な母との毎日。

 二人の妹はそれぞれに私にとても気を遣ってくれ、穏やかに母と過ごすことができた。

母、妹たちと耶馬渓にお蕎麦を食べに。
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母の大好きな鰻を食べに。母はペロリと鰻重完食。
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母が若い頃描いた、若き日の父。
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帰省中、体調にほとんど問題はなかった。
しかし、東京へ戻る前日、頭の中に湿疹ができていることに気が付く。
頭の中に汗疹(あせも)???

この頭の中の湿疹はだんだんとひどくなり、冬になっても良くならない。
抗がん剤ジオトリフ錠の皮膚への副作用が頭皮に現れたらしく、日赤の皮膚科で塗り薬を処方してもらったが、完治するまでに約1年かかってしまった。

2023.11.11

日々の体調管理は・・・

2022年1月の退院以降、自宅では自分なりのオリジナル体調管理表を作って、それによって日々の自分の体調を数字化してチェック。

例えば、2022年4月頃は2週間単位の表。
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パルスオキシメーター、血圧、体温、体重は別に折れ線グラフにして変化が分かり易くなるようにした。
2週間、もしくは3週間に一度の診察の時に表とグラフを持参して日々の体調を主治医に報告。

2022年6月頃からは、病状も安定し、呼吸器科の主治医の診察は1か月に一度に。
呼吸器科以外では骨転移などのチェックで整形外科の診察が2~3ヶ月に一度、あと副作用に応じて口腔外科皮膚科の診察が。

2022年9月からは1ヶ月単位の表に。
体調管理表を持っていくのは呼吸器科の診察だけだけれど、特に大きな変化がない時は口頭の報告で十分に。
体調管理表は自宅での自己管理のための記録となり、自分にとって使い易いように改変していった。

2023年11月の体調管理表。
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 映画『メメント』の好きなセリフ・・記憶より記録!
 年齢を重ねるごとに、“記憶より記録”は切実になってくる。

 こうして、毎日自分の体調を記録し、可視化しておくと精神的にも安定し、穏やかな気持ちで自分の身体と向き合うことができます。

仕事完全復帰!

2022年4月
 分子標的薬での治療効果で肺がんが小さくなっており、主治医より仕事復帰のOKが出る。
 階段の昇り降りや歩行時間が長くなると、疲れやすく息が上がったりして途中休憩が必要になったりするが、見た目は(多分)ほとんど変わってないと思う。

2022年4月19日(火)
 東京俳優・映画&放送専門学校の2・3年生シナリオ授業開始。

 東京俳優・映画&放送専門学校
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 2週間に一度のテレビ朝日アスク『シナリオライター上級ゼミ』は3か月単位で受講生を募集しており、4月から3か月は代講の先生にお願いしているため、私の復帰は7月からとなる。

 テレビ朝日アスク(六本木)
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2023.11.08

難しい・・・がん患者から家族への告知

2021年12月
 12月1日に肺がんステージ4の告知を受けてから、その件を家族に話すかどうか迷っていた
 父は私が小学生の頃に病死しており、親は母だけ。
 母は毎日自宅からデイケアに通っており、電話で話すこともできる。しかし認知症は徐々に、確実に進んでいる。
 なので、私のがんのことは母には話すつもりはない

 母以外の家族は二人の妹。
 二人とも結婚し、家族を持ち、母の住まいの近くで暮らしている。
 この二人の妹に私のがんのことを話すべきかどうか・・・正直迷った・・・。

 もし逆の立場で、妹からがんの告白を受けたら私はどんな気持ちになり、どうすべきだろうか?

 結局、現実を受け止め、主治医を信頼し、がんと生きるよう励まし、アドバイスし、支えることしかできないだろう。

 祈りや願いだけではどうしようもないことを伝えても、彼女らをいたずらに心配させるだけではないか・・・などと考えてしまう。
 出来れば誰にも話さずに一人で病と向き合あう・・・それが望みだった。

 しかし、放射線治療や化学(薬物)治療を始めるにあたり、親族へ病状説明をしたいとの主治医からの話。
 緊急事態が起こった時の一番近くの親族への連絡先を確認しておく意味もあるよう。

 この件で主治医に反論する気力もなく、一番近くの・・・千葉県でケアマネージャーをしている甥に連絡し、主治医と面談してもらった。
 この時点で、甥から妹たちに私の病状が伝わることは目に見えている。
 よって、私の口から妹たちに伝えておこうとやっと決心。
 
 二人の妹に電話で私のがんの病状を話した。

 妹たちはそれぞれに心配をしてくれ・・・。

2022年2月中旬
 下の妹が単身上京し、我が家へやって来た。
 最初からそのつもりで来たのか、それとも私の部屋を見て本や資料や台所用品などのあまりの多さにあきれたのか、翌日からひたすら黙々と家の中の片づけを始めた。

 いつ突然どうなるか分からない身だし、不用なものは処分しなくてはと思いながらも気力が追い付かず、家の中を片付ける妹の気配を感じつつベッドに横になることしかできない私。
 妹は一体どんな基準で私の必要なものと不用なものを選別しているのだろうか?
 それについても言い合う気力もなく、妹のやりたいようにやってもらうしかない。

 3日目は千葉の甥(下の妹の長男)が合流。甥の招待で立川のホテルに宿泊し、高級寿司店でお寿司をいただき至福の時を過ごす。

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 それから2日後、20袋近い不燃ゴミ袋の山を庭に残して、下の妹は九州に帰って行った。
 
 “いつ死ぬか分からないんだから、自分のものは自分で処分しておいてね”
 そんなメッセージがじんわりと伝わってきて、ちょっと悲しく寂しくなる。
 私が死んだ後の妹の心配は分からなくもないけどね・・・💧💧💧

2022年3月末
 上の妹が旦那さんとお見舞いに上京してきてくれた。
 主治医から4月からの仕事復帰のOKが出ており、体調も食欲も異状なし。

 立川にホテルを取ったとのことなので、私が行ってみたかった立川の蕎麦懐石のお店『無庵』に二人を招待。
 落ち着いた店内で、ゆっくり、じっくりと上の妹と話をすることができた。

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 翌日は我が家の最寄り駅で途中下車してもらい、桜の花が満開の小金井公園へ。


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 江戸東京たてもの園 の中の『蔵』で武蔵野つけうどんを食して、羽田に向かう二人を見送る。

 家族・身内と言えども適度な距離を取りつつの交流は心地良く、充実感もあり、そして感謝の気持ちで一杯になる。

 実は気難しいがん患者との付き合いは、家族・身内も大変です・・・💓
 

2023.11.07

肺がん治療:効果が見えた! 同時に副作用も・・・

2022年3月7日   
 呼吸器科の診察で、4.5cmあったがんの影が1/3ほどに小さくなっていることが確認された。
 ジオトリフ錠の効果あり🎀🎀🎀⤴

 

 一方、ジオトリフ錠の主な副作用
  ・間質性肺疾患:階段を登ったり少し無理をすると、息切れや息苦しさが
  ・下痢:激しい下痢、頻回の下痢
  ・皮膚症状:皮膚の広い範囲が赤くなる、まぶたの腫れ、目が開けづらい
  ・肝障害:倦怠感
  ・心障害:呼吸困難や動悸があらわれる、疲れ、足のむくみ
  ・消化管の出血:胃&みぞおちの痛み、血を吐く
  ・膵臓の異常:急に激しく腰や背中・お腹が痛む、吐き気、嘔吐、発熱
  ・目の異常:眼の痛み・腫れ・発赤・かすみ眼や視覚の変化

 

 私に現れた副作用は・・・
  ・少し無理をすると、息切れや息苦しさ
  ・最も顕著なのが皮膚症状
   手&足ともに爪周りの皮膚が糜爛(びらん)、激しい痛みを伴う
       ↓
   日赤皮膚科で処置の仕方&塗り薬を処方

 まずは命💔💔💔

 副作用は辛いけど、それだけ薬が効いているのだと思うと耐えられます!!!

肺がん薬物治療開始・・・その前に、なんてこったい!

2022年1月5日(水) 入院
 肺がんステージ4という現実を淡々と受け止め、静かに過ごしたお正月。

 努力して乗り越えられることと、
 どんなに努力しても、自分の力だけでは乗り越えられないこと
 区別して考えることにしている。

 “病は気から”という言葉はキライだ。
 ストレスが多くの病気の引き金になるという事は知っている。
 その意味でストレスは病の源になるとは思う。
 しかし、気の持ちようで病が軽くなるというのは違うと思う。
 
 20代に就いた仕事などで、気の持ちようだけでは乗り越えられない病・障害をたくさん見てきた。
 個人の思い(気持ち)だけでは乗り越えられないことは、素直にその道の専門家の助けを求めるべきだと思う。
 よって、私の悪性腫瘍クンが暴れるのを防ぐために、専門家(Doctor&看護士)を信頼して自分を委ねようと決めている。
 なので、無駄に悪性腫瘍クンと対決したり、抗ったりはしない。
 専門家の助けを借りて、今の自分にできることを淡々とやって行くのみ・・・。

 そう考えると、病に向き合う心も穏やかになります。

 死はいつかやって来る。
 わからない“いつか”に怯えて暮らすより、1日1日を普通に暮らしていきます。

 そして正月明けの5日、分子標的薬による治療開始のために入院
 
 ところが病室に入って間もなく、なんとなんと・・・大きく欠伸しようとした途端、顎が外れてしまった💥
 以前から、顎が外れやすい傾向があったけど、こんな時に、なんてこったい・・・👤
 口腔外科からDoctorが来てくれて対応してくれたけど、素直にすんなりと顎脱臼は治らず、あれやこれやでようやく治まった。
 当分、顎バンテージ(顎バンド)を装着することに。

 入院翌日から、東京俳優・映画&放送専門学校のシナリオⅠとシナリオ分析の後期残り授業の代講引継ぎを依頼してホッ。

 口腔外科にてグラついていた左下ブリッジを抜歯。
 
1月13日(木) 退院
 化学療法(分子標的薬)=ジオトリフ錠20mg/日 の顕著な副作用がなかったため、退院して薬を継続することとなった。

 ジオトリフ以外に処方された薬は痛み止め数種類を含めて全12種類・・・多いっ💦 
 
 

腕・足の異常な痛みの原因は、がんの転移だった!

2021年12月13日(月) 入院  
 武蔵野赤十字病院 整形外科の診察で即入院(今日から入院)と宣告される。
 Doctorからは、命にかかわることで“待ったなし!”がひしひしと伝わって来る。
 
 「一度帰って入院準備をして、すぐに戻って来たい」と強引にお願いし、病院の駐車場に停めていた車で一旦帰宅。手早く入院準備品(ノートPCも含め)をまとめて、タクシーで病院に戻る。

 左首から肩・腕の激しい痛み、右腰から足の激しい痛みは肺がんの転移のせいだと判明。
 腰椎3番目が黒く見えたのはがん転移だった。

 よって首(頸椎)と腰(腰椎)に放射線治療を行うこととなった。

 さらに武蔵野赤十字病院は国立がん研の遺伝子解析の研究に参加しており、私の肺がん遺伝子解析の結果が分かり次第、それに応じた治療をすることに(治験参加)。

2021年12月14日(火)~12月25日(土) 入院
・いくつかの検査の後、放射線治療説明&同意書作成。
・放射線照射のための準備開始。
・腰(腰椎)保護のためのコルセット製作開始。
・首(頸椎)保護のためのコルセット製作開始。
・来年1月からのテレビ朝日アスク脚本講座の代講依頼。
・緩和ケアチームのDoctor、看護師さんと面談。
・主治医Doctorより家族(千葉に住む甥)への説明。
  ◇肺腺癌 stageⅣBであること
  ◇多発骨転移(頸椎・腰椎)
  ◇EGFR遺伝子変異の分析検査により分子標的薬の決定
  ◇骨転移治療薬として骨修飾薬「ランマーク」を使用すること

12月25日(土) 放射線治療を終え退院しました。
 退院後は、体を休め、静かに静かにマイペースでお正月を過ごしました。
 九州の妹から豪華お節の差し入れが。
 幸いにも、食欲は落ちずしっかりいただきました🍴
 

 

幸運な例外はなかった・・・肺がんステージ4告知された日

2021年12月1日
武蔵野赤十字病院 整形外科にて 肺がんステージ4の告知。
右肺の縦隔側(外側)に約4.5cmの影があった。

さらに詳しい検査のために入院決定。

12月3・4日 入院
 経皮的針生検実施

12月6日(月)
  MRI検査

12月8日(水)
  核医学検査(骨シンチ)

こうして、私の肺がんステージ4は確定した。

12月1日、この日を境に、タバコはキッパリと止めた。
(数年前から感熱タバコに切り換えていたが、すべて捨てた)

がんを宣告された時の気持ち・・・は
正直、淡々と事実を受け止めるだけ、という感じ。

私が思春期の頃、「女のくせに・・・」という文言は普通に言われてて、私はその言葉が大嫌いだった。
だから20歳になったその日に「女のくせに・・・」に反発して吸い始めたタバコ。

母や家族からは会うたびに「タバコは止めなさい」と言われてきたけど、馬耳東風だった。
正常性バイアスのなせる業だ。

しかし、身をもって知った・・・

幸運な例外なんてない。と。

2023.11.06

事のはじまり その後 2021年10月~11月

9月の終わり頃、歯痛は治まり、体重も戻っていった。

が、10月に入って、左首から肩、腕に痛み……
左指(人差し指、中指、薬指)に痺れ

指の痺れは10数年前、杉並区に住んでいた頃、整形外科で「長年パソコンで仕事をしていた姿勢のせいで、頸椎に歪みがあり、指の痺れは一生の持病になる」と言われていた。今で言うストレートネックだ。

首、肩、腕のしつこい痛みは、単に寝違えただけ……と思った私は、地元の整体院とか整骨院とかをネットで探して、某カイロプラクティックの整体院に通い始める。
ここではカイロプラクティックに加えて電気治療を。

しかし、10月20日、あまりにも首、肩、腕の痛みが激しく、地元では大きめの病院の整形外科へ行く。
レントゲン写真による診断は、首→ストレートネック  腕→重度のテニス肘様症状(テニスエルボー)ということで、軽いストレッチ指導に貼付薬と鎮痛薬の処方。
が、それでは痛みは全然取れず……💧💧💧💧💧


カイロプラクティックと電気治療は何度通っても痛みは軽減しないので、某鍼灸整骨院へ行ってみることに。

10月29日、そこで生まれて初めて鍼(ハリ)を打ってもらう
(鍼、最初は怖かったけど、やってみると怖がることなかった)

しかし、しかし、その翌日、首、肩、腕の痛みは夜も眠れないほど痛くて、朝は痛みのために体力消耗しヘトヘト👤

10月30日、この日のテレビ朝日アスク・シナリオ上級クラスの講座は休講にしてもらい、ネット添削ということに。

鍼灸整骨院に通うも、11月に入っても首、肩、腕の痛みは治まることなく、左上半身に連動する右下半身の腰から右足にかけての痛みと痺れも気になるようになる。

11月2日、夜は痛みとの戦いで朝は消耗してしまい、ついに東京俳優・映画&放送専門学校の授業を休講にしてもらう。
11月3日、藁をもすがる思いで通う鍼灸整骨院で体組織等検査というのを行い、私の体は水分、たんぱく質、筋肉のすべてが不足していることが数字で分かった。
で、お薦めの植物性プロテインを購入して、筋肉を増やすことに。
さらに、過激な運動は出来ないけど最初はストレッチ程度でも身体を動かさなくてはと、近くにできたフィットネス・クラブに加入

にもかかわらず、左首、肩、腕の痛みに加え、右腰、足も加わり、痛みで消耗する毎日。
11月4日、9日、11日と東京俳優・映画&放送専門学校の授業は休講に。

11日はほとんど一睡もできないほどの今までで最も厳しい痛みだった。

この痛みを何とかコントロールできないものだろうか……。

もう20年以上前になるけど、乳がんに侵された20代女性が主人公の2時間ドラマを書いた時、たくさん読んだ資料の中に、日本の乳がん治療は遅れているとアメリカで乳がん治療を受けた女性のドキュメンタリーを読んだ。
その中でアメリカでは痛みのコントロール(ペイン・コントロール)専門のドクターがいると読んだ記憶があった。

20数年経った今、日本でもペイン・コントロール専門の病院があるだろう……。
ネットでググると地元、小金井にも近隣の三鷹、吉祥寺にも痛み専門の病院のなんと多いこと。
その中で、三鷹の駅近の痛みのクリニックを選び、電話で即予約。

11月12日、痛みのクリニックで左側首の神経叢へのブロック注射と痛み止め二種類出してもらう。
(その内、一種類は麻薬系の痛み止め)

痺れはあるものの、左首、肩、腕のあの劇痛はずいぶん和らいだ。
左上半身の痛みが和らぐと、反比例のように右下半身の腰から足の痺れと痛みが増してくる。

そんな中、アスクの脚本講座と東京俳優・映画&放送専門学校の授業は再開できてホッ💓

鍼灸整骨院にも通いながら、二度目の痛みのクリニックでMRI検査を勧められた。

11月24日、メディカルスキャニング武蔵小金井にて MRI検査

11月26日、痛みのクリニックにてMR検査の結果を聞く。
なんと、腰椎第3番目の骨に不審な影があるという。
ということで、武蔵野赤十字病院への紹介状を書いてくれ、
11月29日武蔵野赤十字病院 整形外科を受診。

腰椎第3番目の骨の不審な影の正体とは……⁉

つづく

事のはじまり は 2021年9月

2021年9月のある日

ん~、歯が痛い 💧
いつもの左下大臼歯。
歯磨きの時、とくに丁寧に磨いているつもりだったけど……💋

とにかく痛くて、柔らかいものも噛めず、流動食のみの数日。
気が付くと体重が 35㎏ まで減っている(平均は39㎏デス)💥


左下大臼歯を中心に丁寧なブラッシングと歯肉マッサージで、歯の痛みは治まる。
食べなきゃ……とひたすら食べる…………🍔🎂


幸運な例外なんてない・・・病と生きる

2021年12月に宣告された病気について、闘病中心の別ブログを立ち上げようかと思ったけど・・・。
しかし、ブログがあっちこっちに四散するより一つにまとめた方が読みやすいし書きやすいだろうということで、このブログにUPすることに決めました。

2023.11.05

書きたいことは、たくさんあったけど・・・・・

本当に本当に久々の投稿になります。
ブログのデザインも変更してみました。
あまりにも久々の更新のため、カテゴリーなどで微変更が上手くいってないところもありますが、まずは発進(発信)✈✈✈

📩コメントについて
 諸事情で、当分の間コメント欄は閉めさせていただきます。
 ご理解よろしくお願い致します。

2023.01.09

My Favorite car 

訳あって、今年からは New Carになりました🚙💨
私にとっては三代目ジムニー❗

初代は取手方面に住んでた頃、東京に住んで初めて買った車
がジムニーでした。(シナリオライター・デビュー前)
そして都内に住み始めて二代目ジムニーを。
(シナリオライター・デビュー間もなく)
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引っ越しを機に、二代目ジムニー とお別れして、出会った
のがネイキッド君(ダイハツ)
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昨年末、訳あってネイキッド君とはお別れして
(お世話になりました(;_;)/~~~)
そして出会ったのが三代目ジムニー。
安全運転をモットーに、これからよろしくね~❗❗❗
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2023.01.04

ラブ&セントもお正月

ラブとセントも一緒にお正月のお祝い🐶🐶
彼女たちの上から、TwoAngel が
見守ってくれてます💕

TwoAngel はずいぶん前だけど、
Coffee&Galleryで見た途端、気に入って
我が家にやってきました🎀

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今年のおせち、ごちそうさま!

今年のお節は、豪華おせちセットの差し入れがあり、作ったのはお雑煮だけ。
毎年、大好きな伊達巻や田作り、紅白なます、筑前煮だけは作っていたけど、今年はおせちは作らなくてよくて、すごく楽でした。
差し入れに大感謝!

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«明けまして、おめでとうございます。